3.5話 ジルジファールという賢者
ジルジファールは魔法研究の第一人者であり、賢者と呼ばれる存在である。
魔法を使うためには精霊の助力がいる。しかし自分が生まれついたジン族は精霊の姿が見えず、その声も聞こえないため魔法を苦手とする人種だ。しかし幸いにも、ジルジファールには他の人種から見てもとびぬけた魔力量があった。
(精霊に近しい種族が羨ましい)
たとえば精霊を目で見て、彼らの気分を察することができるエルフ族。精霊の声を聞き取ることができる者が生まれる可能性が高く、努力すれば対話を可能にする人魚族。ジン族ではなく、魔法適性の高いこういった種族に生まれたかったと思わぬ日はない。
(だからこそ研究をしたのだ。精霊に語り掛ける言葉を、魔法を……)
持たざるものだからこそ必死に求めた。そうしてやがて賢者と呼ばれ、他種族からも敬われる程魔法について詳しくなり、あらゆる魔法を使えるようになったのだ。
そんなジルジファールに対し、ある日突然無理難題が降りかかってきた。
「は……竜退治、で……ございますか……?」
「そうだ。賢者ジルジファールよ、そなたにしか頼めぬのだ」
最近、一体の竜が人間の領域をうろついており、ここら一帯の人々は皆怯え切っている。
竜は災害、天災のようなもの。数分で人の住む大都市を破壊することだって珍しくはない。到底人間の敵うものではないのというのに――その討伐を依頼されたのだ。
「現れたのは白竜で、今のところどこも被害は受けておらん。しかし人の生活圏から離れる様子も見せず、昨日から我が国の領土に居座っておる。……頼む、ジルジファール。追い払うだけでよい、そなたしか頼れぬ」
「…………承りました」
祖国には研究のために長く援助をしてもらった。二十半ばで宮廷魔導士になってから、三十年以上もの間、好きなだけ魔法の研究ができたのだ。
恩返しの時がきたのだろう。命を使って恩を返す時が。……死ぬまで魔法の研究をしていたかったが、そこまで我儘を通す訳にもいかない。義理というものがある。
(そうだな、せめて……この身に竜の魔法を受けて死にたいものだ。さすれば人生の最後に、この世に存在する最も強力な魔法を体験することができる)
飛行魔法で現地まで飛んだ。近隣の住民は避難しており、魔物すら強大な竜を恐れて隠れたか、逃げたかしているようで気配を感じない。
魔力に鈍感なただの動物くらいしか残っていないだろう地に佇む一体の竜は、ゆったりと山間に腰を落ち着けていた。
(……私の存在など目に入らないか)
体の大きさ、魔力量、すべてにおいて強大すぎる竜にとって人間一人など小さすぎる存在だ。気が付かなくても仕方がない。
空を眺める竜の傍へと降り立ったが、それでもこちらには気づいてない様子だ。
(……声をかけるしかないか)
竜は精霊語を使うとされる。つまりジルジファールが長年研究してきた、魔法詠唱と同じ言語だ。まずは会話を試みてみようと、意を決した。
『白竜よ。……白竜よ!』
一言目は思った以上に震えて小さな声だった。二言目でようやく張り上げた声に竜は気付いたようで、首をもたげてこちらを見下ろしている。
黄金の目に捉えられた途端、足が竦みそうになった。しかし白竜は威嚇などの敵対行動をとることなく、ただジルジファールを見下ろすばかりである。
『どうか話を聞いてほしい!』
『――!』
白竜が反応を示し何かを言った。それは精霊語には違いないが、ネイティブな発音は耳慣れないため上手く聞き取れない。
ただ攻撃するのではなく言葉を返したことから、もしかすると対話が成立するやもしれない。白竜は他の属性竜と比べて、人間を攻撃した記録が少ないのだ。そんな一抹の希望に縋り、震えそうになる体にムチを打ってもう一度大きな声を上げる。
『言葉が理解できますか!?』
『分かりますよ』
今度は聞き取れた。竜と言葉を交わした人間は、自分が初めてではないだろうか。興奮なのか恐怖なのか分からない感情で心臓がドクドクと音を立てている。
白竜は何を思ったのか、急に尾を振ったために派手な音を立ててその尻尾で周囲の木々をなぎ倒した。その光景と音に恐怖を掻き立てられ、血の気が一気に引いていく。あれが己の身に向けられたらひとたまりもない。
『どうか落ち着いてください!』
『ああ……ヒトと話せたことが嬉しいあまりに、つい』
聞き間違いではないだろうか。今、この白竜はヒトと話せて嬉しいという意味の言葉を発したように聞こえた。驚くジルジファールの体の横に、その竜は頭を下ろしてくる。
真横には大きな、澄み切った黄金の瞳がある。やはり、敵意は感じなかった。どうやら人間の小さな声を聞き取りやすいようにこうした姿勢を取ったようだ。
……話ができるなら説得が可能かもしれない。一度深呼吸をしてから話し合いに臨むことにした。
『何故このような場所にいるのでしょうか?』
『人間と親しくなりたいのですが、皆を怯えさせてしまうので少々距離を取っています。……人間のような姿になれる魔法はないかと考えているのですが……』
予想外の答えに驚き、そして沸々と湧き上がる感情に自然と口元が緩んでくる。聞き間違いでなければこの白竜は人間に興味関心があり、好意的らしい。
しかもこの白竜は人間の姿に変化する魔法を作ろうとしているのだ。魔法の研究に生涯を捧げたジルジファールが、こんなに貴重な魔法に興味を持たないはずもない。
『私なら人間に変化する魔法の会得に助力できるかもしれません』
『まあ、本当に?』
『その代わりにこの場を離れてくださいませんか』
『ええ、勿論』
白竜はその提案を二つ返事で受け入れ、ジルジファールを手で包むように運んで移動した。竜に運ばれて空を飛ぶ経験なんて、自分以外の誰もしていないだろう。……興奮が収まらない。老齢の体が若返ったように血が沸きたち、力がみなぎってくる。
その後、白竜が魔法を使うところも見た。ジルジファールには見えない精霊と当たり前のように会話をし、魔法を使う。しかし一度目は失敗してしまい、白竜も残念そうに見えたのでそれを見ていると心が痛む。
(人間ならまず不可能だが、これだけ精霊とコミュニケーションがとれるなら白竜が魔法を完成させるのは、そう遠くないはずだ)
この竜は本当に、人間の姿を取って人間と親しくなりたいのだと伝わってくる。……ならば最後まで付き合おうではないか。――それに、この魔法の完成を見たい。竜が人へと変わる、前代未聞の大魔法の完成を。
そんな気持ちで白竜を見守っていたら、ふと思い立ったような様子でこれまた驚く提案をされた。
『もしよければ……魔法が完成した暁には、人間の言葉を教えていただけませんか?』
断る理由などない。この竜は、自分を傍に置いてくれるつもりなのだ。なんと得難い機会だろうか。
笑顔で頷き、長い付き合いになるであろう白竜へと名乗りをあげてみた。呼ばれることなどないかもしれないが、もしかすると覚えてくれるかもしれない、などという淡い期待を込めて。
『私の名はジルジファールと申します』
『……ジジ』
まさか竜から愛称で呼ばれる日がこようとは。六十年生きた人生の中で最も濃厚で、強烈な一日はそうやって過ぎていった。
人間に友好的な竜。そんな特殊な存在と、ジルジファールは数年の間暮らすことになったのだ。
白竜が魔法を完成させたのはそれから半月後のこと。全属性の精霊による、複雑で膨大な魔力を使う魔法を白竜は完成させた。
少女の姿となった白竜は、外見が変わっても中身は竜なのだろう。重すぎる体を支えるために、純粋な魔力だけを扱う「原始魔法」まで見せてくれて、感極まる。これは人間から失われた技術であり、この世で原始の魔法を使えるのは属性竜だけのはずである。……ここまでのことでももうこの世に思い残すことなどないくらい満足だが、仕事が残っている。
(竜に人間の言葉を教えるとは。……この白竜の師、というのはおこがましいかもしれぬが……誇らしくてたまらないな)
そして彼女に人間の言葉を教えながら、構想はあっても魔力量の問題で実現の叶わなかった新しい魔法をいくつも作り出した。……なんと充実した日々だろうか。あまりにも早く、時間が過ぎていく。
(……竜に看取られて死ねるとは。我が人生に悔いはない)
白竜と過ごした時間は五年ほど。山奥でひっそりと、彼女に看取られて死ねる。
質素な暮らしだが竜と二人きりで過ごせる静かな時間が、ジルジファールは好きだった。だから便利な人の街には降りなかったのだ。……いや、この特別な時間をただ一人占めしたかっただけかもしれない。
もっと自分が若ければ、この白竜が人の世界でどう生きるのかを見守りたかった。しかし自分に残された時間はとても少なかったからこそ、最期の我儘としてこの時間を独占したいと願ってしまったのだろう。
「人を愛する白竜殿。貴方の行く末を魂となって、見守っております」
自分を見下ろすのは、美しい姿の少女。この世のものとは思えないほど神秘的で儚い、けれど内側に秘めた力は世界最高峰の存在。ある意味、自分がこの世に送り出した存在とも言えるだろう。
最後に成した仕事はあまりにも大きい。今なら自ら大賢者を名乗ってもいいとすら思える。
意識が完全に消え去るその瞬間まで、ジルジファールは幸福に満ち足りていた。
主人公は人間から見れば神聖視されるような、崇拝されてもおかしくない存在なので
本人(竜)がぬるっと話しているつもりでも、物腰柔らかいだけで荘厳に見えるっていう…。
周囲との認識がずれていきますが竜なので仕方がない。
次話はようやくヒトとしてヒトに出会います。