23.5話 満ちる夜のエルフ
リュカがカルロのパーティーと組むのはもう何度目か。彼らが新人の頃から十年の間に何度か組んで、すでに慣れたと思っていた。しかしそれはリュカのみがこのパーティーに参加した場合であり、スイラがいるとまた事情が違う。
「スイラちゃんいいよな。可愛いし、健気だし、気遣い上手いし、魔法の使い方もとんでもないし……あとなんか柔らかそう。抱きしめたいなー」
野営のテント内でそれぞれ休息をとるために寝袋の準備をしていると、突然カルロが口を開いた。寝袋を広げていたリュカもその言葉の内容につい手がとまる。
「……シャロンだって可愛いだろう」
「いやぁ……だって俺たちガキの頃から一緒だしな」
「そんなことは関係ない」
カルロはすっかりスイラを気に入ったようでしまりのない顔をさらしている。野営のテントは男女で分けていて、同性のみだからか遠慮がない発言をしていた。普段は寡黙なモルトンも幼馴染同士の会話ではそれなりに饒舌だ。
「で、実際どうなんだよリュカ。本当にスイラちゃんと何もないのか? 毎日同じ部屋で寝泊まりしてて、本当に何とも思ってない?」
「……ありません」
「んー……やっぱ俺には分からないな、エルフの恋愛観。あんなに可愛い子と毎日一緒にいて、まったくその気が起こらないとか……」
エルフは繁殖欲が希薄である、と以前この二人には話していた。エルフの恋愛観を聞いて「子供か」と大笑いしたのはまさにこの男、カルロである。
リュカがスイラと共にいて感じるのは肉欲ではなく、安らぎ、心地よさだ。カルロの気持ちは本当に全く分からない。
「まあリュカがスイラちゃんと付き合ってる訳じゃないならいいか。……スイラちゃん、かなり俺に気を使ってくれてるし、告白したらいい返事もらえたりして」
スイラの天然の人たらしにやられている男がここにも一人いた。彼女は全員に優しくて気を遣っているだけで、別段カルロが特別なわけではない。力が強いことで傷つけないかと不安がっているスイラのそぶりが彼には恥ずかしがっているように見えているらしい。
「スイラはジン族と結婚する気はないと言っていましたよ」
「いやいや、分かんないぞ。結婚しはしなくてもほら……恋人になって、ちょっとそういうことしたり」
「……エルフにはそういった欲はないと言っているではありませんか」
「でも彼女はハーフエルフだし。ジン族に近い部分もあるんじゃないか?」
スイラを見ていてそういう気配を感じたことはない。異性からの関心にも鈍感で、やはりそのあたりの感性はエルフと同じだと思う。……いや。彼女自身の性質か、むしろエルフ以上に恋愛に興味がなさそうにも見えるくらいだ。
「お前は軽薄すぎる。出会ったばかりの相手に、すぐに手を出そうとして」
「なんだよ。だって可愛いだろ、スイラちゃん」
「……俺は一途だ」
「知ってるよ、もう随分長い片思いで尊敬するくらいだ。……でもシャロンは……あ、ちなみにリュカはシャロンのことはどう思ってるんだ?」
「……私もジン族と結婚する気はありませんよ」
普段ならこんな話にはならない。今回はスイラが加入し、そしてカルロが彼女を異性として気にしているためにこのような話になってしまったのだろう。
ジン族の恋愛観を理解できないリュカとしては、この話題を続けられるとかなり居心地が悪い。
「エルフを口説くのは難しそうだよなぁ。……でもスイラちゃん、ほんとにイイんだよな。っていうか、それ考えたらスイラちゃんの親ってよくエルフを口説けたよなー、方法を教えてほしいぜ」
「それは……」
スイラの両親は残っていない。エルフの方の親は生きていてもおかしくないのに、だ。それを考えると――彼女の親が、正攻法で結ばれたとは限らないという考えも浮かんでくる。リュカだって夜中に忍び込まれた経験があるくらいだ。……子供を産ませるだけなら、相手を口説く必要もない。妊娠の確率は低いとはいえ、全くないとも言い切れない。
(……さすがに邪推が過ぎる。病だったかもしれないし、愛した相手が早死にして心を病んだかもしれない。そもそもスイラが語らないことを、詮索する必要はない)
もしかすると彼女自身も知らないのかもしれない。彼女が肉親の話をする時、両親ではなく祖父の存在しか出てこないのだから、元から両親を知らない可能性もある。
彼女の両親や境遇など知っても知らなくても、リュカが好ましいと感じるスイラの人柄に影響はない。どんな生まれかなど関係なく、リュカはスイラの人柄を好いているのだから。
「あー……俺もスイラちゃんの寝顔覗いてみたいなー……リュカがうらやましい」
「いい加減にしろ、カルロ。休む順番を決めて見張りをするぞ。ここは障害物が何もないからな。氷雪竜に見つかって、襲われる可能性はなくもない」
「……なら、一番手は私がやりましょう。次はお二人で決めてください」
これ以上その会話を続けたくなくて、一人になるためにもリュカは見張りを名乗りでた。スイラの魔法のおかげで温かいテント内とは違い、外は身震いするほどに冷えている。
今は風もやんでいて、雪も降っていないのが幸いだ。しかし暖を取らなければ凍えてしまうため、簡易ストーブを使う。中に炭を入れて熱を放ち始めたストーブの傍で組み立て式の椅子に座って、ほっと息を吐いた。
(……まさかここまで居心地が悪いとは……スイラと二人でいることに慣れすぎたのかもしれない)
臨時のパーティーであっても、最初の仲間の子孫たちと組むのは悪くないと思っていた。時折関わる彼らに、リュカの孤独の一部が癒されていたともいえる。
しかしリュカはスイラに出会ってしまった。彼女と居て、仲間として打ち解けて、最近はもう孤独を忘れていた程だ。
(……しかしこのままずるずると、過去を隠したままで過ごすわけにもいかない。この討伐が終わったら……必ず打ち明けよう。私が、エルフ族から追放されていることを)
岩竜でも一撃で打ち沈めるほどの実力者であるスイラが、属性竜を恐れる姿は想像ができない。リュカが黒竜に襲撃された集落の生き残りだと知っても――きっと、恐れはしない。そう信じたいが、やはり不安は募る。……それほど、同胞を失った直後に同族から受けた扱いは、リュカの心を深く抉った。あれから二百年以上経っているのに、まだ立ち直れていない。
そんなことを考えていると背後でテントから人が出てくる気配を感じて、恐る恐る振り返った。ジン族の三人だったらと強張った体が、黄金の瞳と視線が絡んだ途端に安心して解けていく。
「ああ、スイラか。休んでいていいのに、起きてきたのか?」
こくりと頷いて返事をするその姿に自然と笑みが浮かぶ。今日は朝に宿を出てから二人で話す機会もなかったので、こうして少し言葉を交わせると心が温かくなるような気がした。
「見張りなら私がするから、リュカこそ休んでいいんだよ」
「いや、一人になりたくてな」
「ああ……それなら私は帰った方がいいねぇ」
「そういう意味じゃない。……君と二人ならいい」
むしろまだ話がしたい。休ませてやりたいという気持ちもあるのに、つい引き留めるようなことを言ってしまった。スイラは嬉しそうな顔で椅子を出してリュカのすぐ隣に座る。肩が触れそうで触れないくらいの、ごく近い距離だ。
テントで休むメンバーの休みを妨げない配慮なのだろう、その距離から顔を寄せて小声で話しかけてくるので、リュカも同じような声で言葉を交わした。
(ああ……やはり、心地がいいな。安心する……)
柔らかで優しい声が耳元で囁く度に、目を閉じて聞き入りたくなるほど心地が良い。見張り番なのだから目を閉じることはしないが、それでも瞼がゆるりと落ちてしまいそうだった。先ほどまで節々が固まるような居心地の悪さだったのに、今は春の陽だまりにでも溶かされている気分だ。
これまでずっと陽だまりの中にいたから、この心地よさに気づけなかったのかもしれない。他の人間と過ごしてから気づいた。彼女と二人で過ごす時間はこんなにも――。
「あ……リュカ、空を見てごらんよ」
スイラの指先を追って空を見上げた。暗闇に浮かぶ多くの小さな星明かりに、七色の光のカーテンがかかっている。ゆらゆらと風で揺らめくように揺れて、美しい。
氷雪竜の出現地帯で見られる現象で、氷雪竜が眠っている時に吐き出す息だとされている。美しい光景だが、危険地帯でしか見られないし氷雪竜自体も珍しい魔物なので、記録にもあまり残されていない。見られたのは幸運だろう。
「今夜は空が綺麗だねぇ」
その言葉に一瞬固まって、ちらりと隣の彼女の横顔に目を向けた。スイラは空の光景に夢中で、リュカのことなど見ていない。夜闇の中でも輝く白と黄金は、この幻想的な空よりも美しいのに。
(…………私は、勘違いはしない)
例え彼女の言葉がエルフの告白の定番である台詞であっても、彼女にその意図がないことだけははっきりと理解している。
彼女はただ、人たらしなだけ。自然体で人を魅了してやまないだけで、エルフ以上に恋愛に興味がなく、誰かと恋人になりたいなんて思っていない。……分かっている。
(……勘違いはしなくても……私自身の気持ちが変わらぬ保証はなかったな……)
耳元で囁かれた愛の告白に似た言葉に、リュカの心が反応してしまった。その言葉を理解した瞬間に弾んで、喜んだ。じわじわと顔に上る熱を感じながら、額を押さえて俯く。
(これは……きっと、その類の感情だ。……気づかなかったな、いつのまに……)
恋をした相手とは、同じ時間を過ごしたい。目を覚まして最初に見る相手であり、眠る前に最後に見る相手であってほしい。一番多く言葉を交わし、一番多く視線を交わす相手であってほしい。時には肩を寄せ合って、互いのぬくもりを感じながら二人だけに聞こえるような小さな声で、ひっそりと話がしたい――それに近い環境にあったせいで、気づかなかった。
エルフの恋は穏やかなものだ。緩やかに変化していただろう好意に自覚がなかったのは、リュカが今の状態で満足してしまっていたからだ。……離れて過ごして抱いた不満のせいで、二人でいたいという欲求が明瞭になった。
「……あれ、耳が赤くなってるよ。寒いんだね、温かくなる魔法をかけてあげようか?」
「いや……充分温かい」
君の隣は温かい。私はそれで充分幸せだ。その気がない相手にはっきりと告げることもできなくて、ぼかして口にした言葉ではやはり伝わらない。
しかしそれでいい。リュカはまだ、秘密を打ち明けられてはいない。これを伝えるより先に、言わねばならないことがある。
(……ああ、怖いな。……この距離が変わるのは)
こんなにも幸福なのに、自ら壊してしまうかもしれない。いつまでも彼女と二人で過ごしたいと願う、その理由となる感情の存在に気づいてしまった。
不思議そうに首を傾げるスイラに隠れて、リュカはこっそりと小さくため息を吐いた。
スイラの天然人たらしを最も間近で受け続けていたのがリュカですからね、むしろ時間かかった方じゃないかな…。
今回だけじゃなくて何度も、スイラは何とも思ってないのにリュカの心に突き刺さるようなことは言ってるでしょうからね。