10話 糠に釘、竜に突進
(そっか……魔法の詠唱って、ヒトの中では定型文があるんだ……)
ヒトで精霊の声が聞こえる種族は少なく、またそれは水中に住む人種なので地上のヒトは基本的に精霊語を知らない、話せないのである。そう考えると片言でも言葉の通じたジジはやはり大物であったのだろう。
だから彼らが魔法を使う時は、先人が残した呪文を詠唱するのだ。精霊は同じ言葉を掛ければ同じ魔法を使ってくれるから。
(私からするとジジ以上に片言に聞こえるけどね)
リュカが治癒の魔法の詠唱を教えてくれたのだが、それは日本語で例えるなら『治病傷願手当部』とでも表すような、意味のある文字の羅列で分かりにくい。手を当てた部分の病と傷を治してほしいという意味合いなのは分からないでもないが、言葉としては通じないものだ。……魔法の効率が悪いのも道理である。
(っていうかヒトの精霊語がこのレベルなのに、私に通じる精霊語を話してたジジってものすごい人物なんじゃ……?)
魔法を研究していたジジは、この詠唱から言葉の法則でも見つけたのかもしれない。……私は本当に、ジジに出会えてよかった。彼が居なければ私がヒトの言葉を学ぶことなど、できやしなかっただろう。
リュカから魔法について少し教えてもらっている間にロンも泣き止んだので、私たちは彼の母親に状況を説明した。ロンに頼まれて、私が治癒魔法を使って病を治したという話を聞くと彼女はだんだんと不安そうな顔になっていく。
「本当にありがとうございました。光の魔法使いの方に来ていただけるなんて……あの、それで寄付金はどの程度必要なのでしょうか。うちにはあまり、お金がなくて……」
「寄付金……?」
「聖教会所属の魔法使いではありませんので、寄付金の必要はありません。彼女は冒険者として、ロンの依頼を受けただけです」
母親とリュカの会話から、どうやら宗教系の団体が回復魔法を使える人間を集めていて、病院のような役割を果たしているということは理解した。
光属性を扱える人間は少なく、殆どがこの聖教会というのに所属しているらしい。流浪の治癒師はいなくもないが、基本的には協会に寄付をして治療を受けるのが一般的なようだ。
「では、依頼金は……?」
「ロンさんのお小遣い全部、です。……あ、でも私、薬草の採取をしていないので依頼は完了していませんよね……」
元々の依頼は薬草採取だったのだ。ロンの願い自体はかなっているが、これで依頼内容をこなしたといえるのだろうか。いや、言えないだろう。このままでは新人冒険者の名が廃る。
「今から薬草採取、してきますね。でももうお母さんの病気は治っているので……そうだ、たしかププ草の買い取り価格が上がっているって話でしたし、代わりにそれを集めてきますよ。ロンさんがそれを売ればお金の足しになるんじゃないでしょうか」
我ながら名案ではないだろうか。母親がしばらく床についていて家の備蓄も少ないだろうし、二人が健康的に過ごすために必要なのはお金だろう。母親の健康のために必要な薬草採取、という依頼内容に沿った行動はこれでできるはずだ。
「え? でも、それじゃお姉ちゃんは……」
「私の依頼料はロンさんのお小遣いをきっちりいただきます。……どうですか?」
母親は申し訳なさそうにしていたものの、私の提案を受け入れてくれた。お金が必要なのは事実だろうし、少しでも助けになるなら私もやりがいがある。
意気揚々と二人の家を出た私は、リュカにププ草の見分け方や生息地を尋ねようと彼を見上げた。何故か彼は仕方なさそうな顔で笑ってこちらを見ていたので、首を傾げる。
「スイラは人が良すぎるので見ていて心配になりますよ。……けれどこれが貴女の魅力でしょうか」
「……それって褒められてますか?」
「ええ、もちろん。人としてとても尊敬できます」
その言葉は私にとって、非常に嬉しいものだった。……だってそれは、私の人柄を、本質を肯定する言葉だ。
竜と価値観が合わないがために飛び出してきた私だが、ありのままの自分で行動しているだけでヒトに好かれるなら、居場所が見つかるかもしれない。
そしていつかはこんな竜もいるのだと明かしても、受け入れてもらえるかもしれない。希望が見えるというものである。
「ところで……ププ草の見分け方と生息地を教えて貰えませんか? 実は、全然知らなくて」
「ええ、もちろん。ギルドにも薬草図鑑がありますからそこでも調べられます。一人の時はそちらを見るといいですよ」
「ありがとうございます!」
リュカに案内されてププ草というのを探しに行く。この町は自然に囲まれているし、ププ草自体もそこまで珍しい薬草ではないのだが、最近は何故かあまり採取できないということで値段が上がっているらしい。
森に分け入ってププ草を探しているのに、なかなか見つからない。見つけたと思ったら動物にかじられたような跡があったり、茎しか残っていなかったりと売れる品質ではないものばかりだった。
「採集しやすい平地部分のププ草がかなり減っているようですね。それに、やたらと草食動物が多いようですが……」
「たしかに動物はよく見かけますよね。……これもかじられてますよ」
町からそう離れていない森の入り口付近でもププ草は採れるらしいのだが、動物たちが食べてしまっているのかププ草どころかほとんどの草が見当たらない。
草食動物の大繁殖によって食害が起きている、そういう状況なのかもしれない。私は落ち込みながら、せっかく見つけたのに葉を齧られて売り物にならないププ草から手を離した。
「森の奥に行けばまだ残っているかもしれませんね」
「じゃあもう少し奥まで行ってみます。……ププ草、あまり採れてないので」
リュカに特徴や生えやすい場所を聞いてププ草を探しているのだが、まだ一株しか手に入っていない。これではあの親子の生活の足しにはならないだろう。
簡単には採集できないから値段が上がっている、ということなのだ。人があまり行かない場所まで探しにいけば、まだ残っている可能性はある。
「……分かりました。けれど、周囲に気を配りましょう。こういう時は何か異常が起きているものです」
「了解です、気を引き締めていきます」
リュカと共に森の中を進んだ。そうするとだんだんと鳥の声すら減っていき、奇妙なほどに静かになっていく。確かに変な感じだが、周囲を警戒するリュカと違って私が危機感を持てないのは自分が竜だからだろうか。
ププ草は日当たりのいい場所に生えやすいというので、森の中でも開けているような場所を探す。そうすると切り立った崖に行き当たった。その崖の中腹あたりに平らな土地があり、そこには下からでもわかるくらいにププ草が群生しているのが見える。やっと見つけた、と嬉しくなって駆けだした。
「リュカ、あそこにププ草があります!」
「まず周囲の警戒を……っスイラ!!」
崖下へと走り出す私の名をリュカが大きく叫んだので振り返る。すると横から何かがすごい勢いで突進してきて、私にぶつかって止まった。
ぽかんとした表情でこちらに手を伸ばしたまま固まっているリュカが見える。とりあえずぶつかってきたものを適当に掴んでから確認すると、その正体は大きな四本角を持った黄色の牛のような魔物だった。私が掴んだ部分は、この牛の角だったらしい。
(……あ、突進攻撃を受けたのかな。人間だったら吹き飛ぶんだろうなぁ……もしくは串刺し?)
バチバチと静電気のような音を立てている牛は、角を掴む私を振り払おうとしているのか地面を蹴り続け体を捻っているけれど、びくともしないせいで興奮気味に鳴き喚いている。
たぶん雷属性で、稲妻のように突進してきたのだろう。普通の人間ならその衝撃には耐えられないが、何せ私はヒトの皮を被った竜である。私の体重が一体何トン……いや、まあ、とにかくどれくらいあると思っているのだろう。吹き飛ぶはずがない。それこそそこの岸壁に追突したようなものだ。
しかしそれにしても牛か。体が大きくて筋肉質で、食べ応えがありそうだと思いながら見下ろしたら牛は進むのをやめて後ろに下がろうと身を引き始めた。まあ私の手から逃れられるはずはないが。
「リュカ! これって食べられる魔物ですか?」
「……あ、はい。牛ですから」
「じゃあ〆ますね!」
角ではなく太い首を両腕で抱きしめるように絞めた。ひとまず窒息して気絶してもらう。この世界の牛は食べたことないけれど、牛肉なのだからきっと美味しいだろう。
うっきうきで気絶させた後、血抜きや解体しようとしてふと気づく。ププ草を先に採取してから解体した方が新鮮な肉が手に入るのではないかと。
「……大丈夫ですか? あの突進を受けたのですから、損傷は……」
地面に横たわる黄色の牛を前に動かなくなった私を心配して、リュカが近づいてきた。彼を心配させまいと首を振る。私はかすり傷一つ負っていない。
「いや、怪我はしていないんですが……ププ草を先に採取しないと肉の鮮度が落ちていくかなと思いまして」
「……私が解体しておきます。危険度の高い魔物なので、どうせ放置もできません」
「お任せしていいんですか? ありがとうございます。すみません、ご迷惑をおかけして……って、どうしました?」
リュカが随分考え込むような顔をしていたので気になって尋ねた。彼はしばらく私を見つめていたが、おもむろに口を開く。
「……ふと思ったのですが、貴女はもしかして常時使用している魔法があるのでしょうか?」
あまりにも図星を突かれて、返す言葉も見つからない。……どうしよう、今度こそ竜だとバレたかも。
竜として数百年生きてたら命の危険に対する警戒心とかなくなりますよね。
命の危険を感じることなんてないですし。
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