9話 初めての依頼
冒険者ギルドで依頼者と待ち合わせをするため、私とリュカはギルドの待合所に待機していた。
テーブルと椅子が何組も用意されている、休憩所も兼ねたような場所だ。私たち以外の冒険者も何組かおり、それぞれ雑談を楽しんだり、依頼に向けての話し合いをしたりしているのが聞こえてくる。
(一応、ヒトらしくなるために情報収集もしようかな?)
そう思って耳を澄ましていると気になる話が聞こえてきた。
「そういや、大賢者ジルジファールの命日が近いな。退竜祭が楽しみだ」
「ああ……人間を襲わんと突如現れた光竜を退けた英雄、大賢者ジルジファールか。ほんと、偉大だよ。あれからもう六年になるのか、早いな」
……なんとなく、何かとても気になる話をしている。「光竜」というのはどう考えても私のことだろう。人を襲うつもりなどなかったが、そう勘違いされていたのは知っている。
ということは、大賢者ジルジファールとはもしかして「ジジ」のことなのだろうか。もう少し詳しく聞きたい――と思ったところで、一人の子供から声を掛けられた。
「僕のおねがいを聞いてくれる冒険者さんは、お姉さんですか……?」
髪は整えられておらず伸び気味で、服もほつれてボロボロの少年。年齢は小学生の低学年くらいに見える。そんな子が両手で拳を握りながら、縋るように私たちを見上げていた。
依頼者はギルドの受付で、依頼を受けた冒険者がどのテーブルに居るか伝えられたはずである。ちらりと受付の方を見ると、見慣れた受付嬢と目が合い頷かれた。それでも念のため、依頼書の名前を確認しつつ尋ねる。
「依頼者のロンさん、ですか?」
「は、はい……」
少年は頷いた。この子がロン、私にとって初めての依頼人である。とても不安そうで、泣きそうな顔をしている彼は震える声で話し始めた。
「あ、あの……おかあさんの、病気をなおすための薬草を……」
「任せてください、私がとってきますよ! 薬草はどんなものが必要ですか?」
「その……グルナ草っていうやつなら……お母さんの病気もなおせるって……」
あまりにも身に覚えのある薬草の名前が出てきてちょっと眉が下がった。あれは栄養価も魔力回復量も兼ね備えた素晴らしい薬草である、とはジジの談である。……美味しくはないが。
リュカもその薬草の名前を聞いて、悩むように眉をほんのりと寄せた。
「グルナ草ですか……あれは魔境にしか生えません。採集に行くとしても一ヶ月はかかりますよ」
「え、そ、そんな……じゃあ、お母さんは……」
リュカの言葉に子供特有の大きな目に涙が溜まっていく。この子の母親はもう、そんなに長くは待てない病状なのかもしれない。
私が竜として飛んで行けばすぐに採ってこられるけれど、それでは目立ちすぎる。突然人間の国に竜が現れたら騒ぎになることはすでに経験済みなのだ。他に何ができるかと悩んで、そして妙案を思いつき思わず手を叩いた。
「あ、そうだ。私がお母さんを治しましょう!」
「え?」
「私は治癒魔法が使えますから。病気も治せるはずですし、薬草を採るより早いですよ。ね、リュカ?」
「……ええ、そうですね。それが確実でしょう」
リュカは微笑みながら頷いてくれた。この提案がヒトとしておかしな申し出でないことは、その反応で理解できる。リュカのお墨付きなら自信を持って行動できるというものだ。
ロンは状況が呑み込めないように何度か目を瞬かせた後、ぱっと明るい顔をして私の手を掴む。
「ありがとう、お姉ちゃん! 家はこっちだよ! ……?」
私の手を引っぱろうとしたロンは、私の手がピクリとも動かなかったことに首を傾げている。私の本来の重さを考えると腕一本であっても子供の力で動かせるものではないので仕方ない。……やばい、これ以上疑問を持たれる前に誤魔化さなければ。
「よし、善は急げですね! 行きましょうか!」
「あ、うん!」
勢いよく立ち上がって明るく元気な声を出す。ロンもつられて元気よく返事をしてくれたのでどうやら誤魔化せたようだ。
(危ない危ない。……ヒトに触られないように気を付けよう)
私は魔力の壁を作ってそこに体重や力をかけることで、自分の重さや怪力でもヒトと同じ道具を使えるようにしているだけだ。……ヒトの形にみっちり収まっているだけの、竜だから。ヒトの中に竜が化けて混じっているのだと知られた時、どんな騒ぎになることやら。
(評判、悪いっぽいもんなぁ……ヒトを襲ったことなんてないのにな)
私は誰一人傷つけていないのに、竜という種族自体がヒトを襲うものと認識されている。それもこれも全部狂暴な黒竜のせいに違いない。あのカスタードマフィンみたいな名前の恐竜め、離れていても私を苦しめるとは。
内心で黒竜に悪態を吐きつつ走るロンについていった。リュカも私の後ろを静かについてきている。彼は新人指導をしているだけなので、基本的には私のすることを見守るのが仕事だ。
「お母さん! ただいま! お母さんを治してくれる人をつれてきたよ!」
たどり着いたのは町のはずれにある、小さな小屋のような建物だった。家の中には病人特有のにおいが漂っており、埃などもたまっていて長い間掃除をされていないことが分かる。
ロンがまっすぐに向かっていった部屋の中、ベッドで横たわっている女性は弱弱しい呼吸を繰り返すばかりで、息子に返事をする元気もないようだった。
「お母さん……?」
「大丈夫、すぐに治ります。少し待っていてくださいね」
「……さあ、少し離れていましょうか。彼女の邪魔をしちゃいけません」
リュカはロンの小さな肩に手を置いて、二人で部屋の隅に移動した。私は女性が横たわるベッドを見下ろし”人間らしく”精霊に語り掛ける。
『この人の病気を治したいんです。治癒をお願いしてもいいですか?』
『いいよ』
ちゃんと詠唱をしていれば精霊に頼んで魔法を使っていると分かるだろう。……まあそれでも治し切らないと困るので、私自身も治癒魔法を使っている。寝たきりで衰えた体力や筋力まで回復させるのは、精霊に頼むのが難しい。病気の治療は精霊に任せ、体の損傷は私が修復する。
(よし、完璧!)
女性のこけた頬が健康的なハリとつやを取り戻し、赤みがさしたのを確認して頷いた。これでもう今日から動き回っても大丈夫だ。リハビリも必要ない。
女性の顔を覗き込んでいたらゆっくりと彼女の瞼が開き、ぼんやりとした視線が私を捉えた。
「……女神さま……? わたしは……死んでしまったのかしら。体が軽いわ……」
「お母さん!」
「ロン? ……え、一体……どうして?」
自分が死んでしまったのではと勘違いしている女性に説明するより先に、ロンが母親へと飛びついた。泣きじゃくる息子を混乱しつつも抱きしめている母親を前に、しばらく二人の時間が必要かもしれないと私は部屋の端に寄る。つまり、リュカの隣だ。
「お疲れ様です、スイラ」
「ありがとうございます、リュカ」
ロンは泣きながら冒険者ギルドに依頼をして私を連れてきたことを説明しようとしているが、しゃくりあげてまともに話せていないため、母親に状況が伝わるまではもう少しかかりそうだ。
本当に母を心配していたのだろうし、不安だっただろう。彼を助けることができてよかったと心底思ってその姿を眺める。
(竜の私には親がいないけど……ヒトにとっては家族って大事なものだもん。前の私も早死にして、親を悲しませちゃったかな。……もう、確認しようがないけど)
それすらも三百年くらい昔の話で、今は元の両親の顔すら思い出せない。だからだろうか、親子の絆を目の当たりにすると胸に来るものがあった。……大事な家族がいて、ちょっとうらやましいな。
「……こちらをどうぞ」
「え?」
横からハンカチが差し出されて、困惑しながらリュカを見上げた。宝石のように美しい緑の瞳は私を見下ろしながら、優し気に細められている。
「泣きそうな顔をしていましたよ。……けれど今はもう大丈夫ですね。そんなに驚かせましたか?」
「こういう風にしてもらったことがなくて……驚きました。気遣ってくれて、ありがとうございます」
私が嫌がっているのに「卵を産んでくれ」と追いかけてくる黒竜とか、私が嫌がっているのに「ヒトの国を壊した」と自慢してくる黒竜とかを思い出してじんとした。とにかくこういう気遣いをされた記憶がここ数百年なかったのでかなり驚いたけれど、人間の優しさというものが嬉しい。
(やっぱり私はヒトの中で生きたいな。私も優しい人になりたい。……竜だけど)
誰かに優しくして、優しくされて、義理と人情にあふれた優しい世界だ。破壊と暴力にまみれた竜の世界には戻りたくないなぁ、としみじみ思う。
「そういえば貴女の魔法は変わっていますね。あんな詠唱は聞いたことがありません」
「……え?」
「回復魔法の詠唱は知れ渡っていますけれど、貴女のものは聞いたことがありませんでした。効果も桁違いですね。……かなり独自性があるようですが、この魔法も貴女の祖父の教えですか?」
「あはは……おじいさんはかなり変わり者だったみたいですね……」
人間らしく魔法の詠唱をしたつもりが、どうやら全然普通ではなかったらしい。
……だれか、人間の普通を教えてください。
黒竜はね、カタストロフィンっていうんだ、本当はね。…スイラは覚えていませんが。
そして「優しくされたことがない」というスイラにリュカはもっと同情するんですよね。そういうことじゃないんですけどね。そして気遣って話を変えようとしてくれるという…。