55話 ※気がつけば夏です。
時は七月。
窓の外からはすでにセミの鳴く声が響いてきていて、冷房の効いた部屋の中でも夏の始まりが感じられる季節となっていた。
「今日は特段暑そうね〜」
朝食をとってる最中、ぼそりとつぶやかれた母の一言に、心の中で同意する。
実際、ベランダの方を見やれば、アスファルトで肉が焼けそうなほどに眩しい日差しが降り注いでいた。
その視覚情報だけでもうんざりしてしまうには充分だろう。
「あら、二十八度だって。トオルも気をつけなさいよ?」
「あー、うん」
テレビに映るニュース番組でもそれを証明する情報が流れ、学校へ行くのがさらに憂鬱になってしまう。
「あーだるい……」
故に、何の気なしにぼやいたのだが、
「へえ、意外。トオルもそうなの?」
何故か母に驚かれてしまう。
今の会話を覚えていれば、何でそう思うのかくらいすぐに分かりそうなものである。
「え、なんで?」
「だってトオル、最近ずっと楽しそうじゃない。学校生活上手くいってるんでしょ?」
が、どうやら理由は暑さの方ではなく、トオル個人のモチベーションの方にあったらしい。
確かに、以前よりも充実した毎日を送ってはいる自覚はあるので、母がそう思うのも無理はないだろう。
「まあ、賑やかではあるかな……」
しかし残念なことに、トオルからすると急激に忙しくなった側面もあるので、全てを喜べるほどのバイタリティは残っていない。
「へぇ〜?」
そんなトオルの複雑な反応を見た母は、何やらニヤつき始め、
「女の子の友達とかもできたり?」
「…………」
案の定、野次馬根性を見せてきた。
「……まあ、一応」
「あらまっ!」
否定することもできたが、別にやましいことがあるわけでもないのでここは素直に答えておく。
「でも、母さんが考えてるようなことはないから」
「またまた〜! そう言って、思春期の男女なんて一緒にいたら勝手にくっつくものよ?」
そして、向こうに言われるより早く否定するも、残念ながらこのお節介魔神は指でつんつんするような仕草で煽ってきた。
理屈だけで見ればあまり間違ったことを言っているわけでもないが、現実とはそう単純ではない。
「ねえ、パパもそう思うわよね!?」
「……ああ」
勝手にテンションの上がった母は、そのまま父へと援護を求める。
いち早く朝食を食べ終えた父は、読んでいた新聞を下ろして厳かにこちらを見つめ、
「俺なんて、学生時代はいつも腕に女の子が抱きついていたも」
「もう、パパッ!」
「だァッ!!??」
予定調和のごとく、背中を叩かれていた。
「……まあつまり、その誰よりママが魅力的だったということだ」
「うふふ、もうパパったら上手いんだからぁ♪」
「ハイハイ……」
ここからのパターンもまた、決まりきっている。
後は二人で勝手にのろけあってもらうことにして、トオルも登校の準備にかかり、
「それじゃ行ってきまーす……って聞こえてないか」
玄関まで来てもリビングの方から賑やかな声が聞こえてきたので、返事を待たずに外へ出ることにした。
──ま、仲が良いのは良いことだ。
この歳なら普通、親ののろけなどには嫌気がさすものらしいが、トオルは別段そういうこともない。
わざわざ見たいとまでは思わないが、何だかんだ両親にはずっと仲良くいてもらいたいという思いが強いのである。
──お、珍しい。
と、そんなことを考えながらエントランスまでたどり着くも、そこにはまだ誰も来ていなかった。
仕方がないので、一人で朝の新鮮な空気を吸い込むことにし、
──ん?
不意に、外が騒がしくなったのを感じる。
──ああ、来たのか。
一瞬だけ疑問を抱くも、すぐにその原因にあたりがつき、
「おはよう」
自らエントランスの外へと迎えに出た。
「ん、おはよ日並」
すると、想定通りそこには見慣れた顔である友戯遊愛の姿があり、
「──おはよう、日並くんっ」
もう一人、周囲がザワついている原因の主たる要因が、朗らかな笑顔をこちらへと向けてくれていた。
「なあ、見ろよあそこ」
「え、すごっ……」
偶然通りがかったのだろう。
他校の制服を着た男子が思わず足を止め、彼女たちに見惚れているのが分かる。
だが、それも無理からぬことだろう。
「ん? どうしたの?」
片や、つややかな黒の長髪を首後ろでまとめた、脚が長くスタイルのいい美少女。
長い前髪から覗く眠そうに細められた片目からはややあどけない印象も受けるか。
そこに、スカートの裾からちらりと見える絶対領域と、半袖のおかげで露わになった透き通るような白い肌が組み合わされば、ついつい視線が吸い寄せられてしまうのも納得というものだ。
「もう、日並くんってば、そんなに見つめられると恥ずかしいよ……」
そして片や、雲のように白いふわふわのボブカットを照れながらいじる、小柄ながらも出るとこは出ている美少女。
青灰色の双眸はその柔和さを表すように丸く、陶器のような肌は他の誰よりも白い。
フリルのあしらわれた髪飾りは人形のように可愛らしく、一方で手足と口元を覆う黒い衣服は大人びた印象も与えてくる。
そんな浮世離れした少女がそこに存在するというのだから、老若男女問わず注目してしまうのも自然の摂理と言えるだろう。
──石徹白さん……未だに慣れないな……。
故に、自分のようなどこにでもいるような人間が、学校でも屈指の美少女である彼女──石徹白エルナと共に登下校を共にしている現状は未だに信じ難いものであった。
これでも、あの雨の日の出会いから一ヶ月近くが経過しているというのだから、時の流れというのは早いものである。
──初日に比べれば流石に落ち着いてきたけど。
もちろん、朝の通学路に初めて彼女が出現した時には相当に焦った記憶がある。
何せ、いつものように登校しようとエレベーターを降りた直後、友戯の隣に平然と彼女がいたのだ。
その日以降、様々な憶測が学校中に流れ、好奇の目を浴び続けることとなったのは記憶に新しい。
「ああいや、行こっか」
と、あまり思考に耽ってもいられないことを思い出し、そう声を返す。
「ん」
「うん!」
幸い二人もあまり気にした様子はなく、そのまま三人は歩き出し、
「あ、遊愛ちゃん。そんなに離れたら日に当たっちゃうよ!」
「いや、日傘の大きさで相合い傘はやっぱ無理があるって」
ちらと横目で見れば、腕を伸ばして友戯に日傘を被せようとする石徹白さんの姿が映った。
仲睦まじいことだと微笑ましく見ていると、
「だったらほら、えいっ♪」
「ちょ、ルナ……!」
なんと、石徹白さんは無邪気にも友戯の腰へと抱きつき始める。
その胸がむにゅりと擬音を立てていそうなほどに密着し、突然の事態に友戯は慌てた様子を見せていた。
周囲からは「おお……」といった静かな歓声がちらほら上がり、
「子どもじゃないんだからっ、恥ずかしいって……!」
「え〜、いつもは気にしないくせに〜」
「そ、それは部屋の中とかだからっ!」
次なる会話に、周りの聞き耳を立てていた男子たちはさらに盛り上がる。
「へ、部屋でって、いったい何を……!?」
「そ、そりゃお前っ……」
「狭い部屋に美少女が二人、何も起きないはずがなく……」
少し離れた位置にいた三人組の男子からはより具体的な妄想が聞こえてくるが、真相を知っているトオルからすると下世話な話でしかない。
「まあまあ、石徹白さんもその辺に」
二人が変な妄想の対象にされるのはあまりいい気がしないので、第三者として止めに入るも、
「誰だあの野郎……!」
「神聖な空間に割って入りやがってっ……!!」
「幸せだった彼女たちの間に、あんなしょぼい男が現れたことで……うっ……」
まるで確定事項のように、殺気を受けるはめになってしまった。
一人だけ裏切り者が混じっているような気もしたが、それはまあトオルには関係のないことだろう。
「え〜なに? 日並くんも混ざりたいの?」
「やめてっ!?」
が、そんな身体を張った気遣いも虚しく石徹白さんの追撃を受けたトオルは、学校へと辿り着くまでの数分間を敵意を向けられながら過ごすことになるのだった。




