第二話 朝食
コンコン、というノックの音が部屋に響く。
「失礼します」
女性の声のようだ。
ドアが開くと共に俺は眠そうに起き上がる。
「おはようございます。朝食の準備はできていますよ」
とても優しい声だ。こんな声で毎朝起こしてもらっていたのかと思うとこの身体の主が少し羨ましい。
俺はベッドから出て立ち上がった。彼女と目が合う。彼女は俺よりいくらか背が高く、美人であった。西洋人の顔つきなので良し悪しはわからないが、伯爵家の使用人として採用されているという背景も考えると悪いことは無いだろう
元の身体との視線の高さの違いに戸惑うが、努めて顔には出さないようにする。
「おはよう。どの服を着ればいいんだったかな」
「ええ、こちらに」
その手が示す方向には蝶ネクタイと思しきネクタイと我が家のもののような紋章のついた紺色のタキシード━━とはいえ、俺は本物のタキシードを見たことが実は無いのだが━━があった。
少し眺めていると彼女が声をかけてきた。
「着替えてしまいますか?」
「今日の朝食は何かな?」
服が汚れやすいメニューなら先に食べてしまった方がいい。
すると、彼女はそんな気持ちを察したのか少し考えて柔らかく笑った。
「先に顔を洗って、食べてしまった方が良いかもしれませんね」
「ならそうするよ」
「では、こちらに」
彼女は音を立てずに歩き、俺もそれに続いた。
着いたところは鏡と洗面台のみのある洗面所だった。鏡を見るに、俺は俺の価値観で考えるに悪い顔はしていない。中の上から上の下くらいだろうか。いわゆる「キープ」されるくらいの顔立ちだ。
一方で、蛇口は存在しない。どうやって顔を洗うのだろうか、と考えたところで魔法の存在を思い出した。魔法の使えない家庭はどうしているのか。
「手を出してくださいませ」
「ああ」
俺は両手を広げてお椀のような形を作る。するとそこに突如として水が現れた。
驚きから心臓は高鳴るが、努めて冷静に顔を洗い、差し出されたタオルで顔を拭いた。
そのタオルをそのまま彼女に預け、彼女の後を追う。朝食だろう。
開かれた扉から中に入ると、既に何人かが食事を摂っていた。俺の座る席の他にまだ料理の並べられた席があるようだ。
おはようございます、と声を出してから彼女に引いてもらった椅子に座る。朝食は目玉焼きにベーコン、トースト、トマト━━に限りなく似たもの━━が皿にふんだんに盛り付けられており、豪勢だ。こんなに食べれるだろうか。
朝食を眺めていると、中年というには少し若い男が最初に口を開いた。
「おはよう、ゴヴァン。昨日はよく眠れたかな?」
するとすかさず隣に座っている女性が口を挟んだ。
「あら、眠れるはずもありませんわ。だって今日から帝都に行き数年はこちらに帰ってきませんもの。帝都に行く楽しみと、私達から離れる寂しさと。どちらをとっても眠れませんもの」
でしょう?と尋ねるので、ええ、まあと適当に相槌をうつ。するとすかさず男はこう言った。
「まだ着替えてはいないのだな」
「はい、朝食で汚してしまってもいけないと思ったので」
「それもそうか。一応替えはあるからそこまで気にせずとも良かったが」
ナイフとフォークでベーコンを一口切って食べ、パンにジャムを塗ると、先ほどの使用人の彼女がコップにオレンジ色の液体を注いだ。ベーコンの味はほとんど同じであることから、これはオレンジジュースと考えて差し支えないだろう。一口飲んでふぅ、と一息着いてから一番気になっていたことを尋ねた。
「失礼ですが、そちらにいらっしゃる方はどなたでしょうか?」
そう、その朝食の席には父と母と思しき先ほどの二人の他に、もう一人朝食を食べる男性がいたのだ。兄というには歳が離れすぎており、父と年齢が近いと思われる。
すると彼はやっと口を開いた。
「さすがに覚えていないか。昔……といっても八年前くらいか、にはよく会っていたけどね」
完全的な視覚記憶を持たないなら当然覚えているわけもない年齢だ。
「私の名前はエリック。君の父、フレデリックの三つ下の弟だ。君にとっては叔父にあたるのかな。今日は君を帝都まで運ぶ役割を任されているよ。今日はよろしくね」
そう紹介を受け、俺も、こちらこそよろしくお願いします、先ほどは失礼いたしました。と言った。
「いやいや、ご丁寧にどうも。礼儀正しい子は向こうでも好かれるからね。媚を売らない程度に礼儀を見せるといい」
そんな会話をしながら朝食を食べ、あらかた食べ終わった頃に空だったティーカップに紅茶が注がれた。その香りと味を楽しんでいると、どたどたと走り回る音と共に元気な声が部屋に響き渡った。
「おはようございます!」
「アイリス、おはよう。もう少しおしとやかにしてくれれば文句はなかったけどね」
エリックは少し呆れた声で彼女を嗜める。
「昨日の夜中にここ着いた時にはどうなるかと思いましたが、今日はついに帝都に行くのでしょう!?昨晩は楽しみで少し眠れませんでした!」
なるほど、女子にしては活発な子のようだ。
彼女のことは大いに気になるが、とりあえず食べ終わったことだし、着替えることが必要だろう。
小さな声でごちそうさまでした、と言って席を立つと、女の子が話しかけてきた。
「どこに行くの?」
「見ての通り、パジャマなんだ。出かけるために準備しないと」
「ふーん」
その言葉で興味を無くしたのか、エリックの方に向き直り、また話し始めた。
自室へ帰ろうと部屋を出て歩き出すと、起こしにきた時と同じ使用人の彼女が俺についてきた。