第零話 転生
まさかこんなところにトラックが通るとは思っていなかった。
俺はたまたまこの道路を横断しようとしてトラックに轢かれてしまったのだ。
当然身体は吹っ飛ばされた。真赤な血がとめどもなく流れ出した。
俺は出血多量で死ぬかもしれない。一刻も速く医者へ行かなければならないのだ。
しかし、この動けず、声もあげられないこの身体で医者を呼ぶことは難しい。
つまり、俺はこう言いたいのである。
「イシャはどこだ!」
もちろんそう念じたとて医者が現れるわけではなく、俺を轢いたトラックの運転手の姿も、ましてや通行人の姿さえなかった。
大学受験に成功し、首尾よく一人暮らしを始めたことはいいものの、このところ流行しているウイルスによって楽しみにしていた多くのイベントが潰れただけでなく、大学の校舎にも通えず、毎日映像授業とわけのわからない課題と高校時代の友人や好きなコンテンツの集うSNSを反復横飛びするだけだった。そんな中、新たな同級生と交流を深めたり、サークルに入り先輩と楽しくやったりすることはもちろんできず、外出の機会は買い物と散歩のみだった。買い物も足りなくなったと感じた日のみで、散歩はしない日も多かったので、俺は外出するという低確率の上に事故という超低確率の上の不運に出会ってしまったと言える。そう考えるととても悔しい。
走馬灯が流れてきた。どうやら自分は助からないようだ。
のんびりと誰か来いと念じても人というものは現れないらしい。昨日見つけたけどそのまま片付けてしまったものを探し始めるとどこにあったかわからなくなってしまうような感覚に似ている。などとぼんやりと考えることしかできなかった。
俺は小さい頃から平凡で兄弟姉妹もおらず、ある程度真面目に物事に取り組んでも一位は獲れない。その程度の人生だった。やることなすことが他者の下位互換に思え無気力であったが、自殺を選ぶというのもまた「もったいない」と感じていたのでここまで生きていた。考え方によっては渡りに船と言ってもいい。友人は、広く浅く、たまに深くといったもので、理想的であったと言える。何人かは俺の葬式まで来て悲しんでくれるだろう。一方で、顔は平均的だったため、あえて俺を選ぶような物好きな女性に出逢うことはついぞ叶わなかった。特に誰かに対して恋心が芽生えたというわけでもないので全く構わないのだが。恋愛経験の少なさから大学入学後に変な女に引っかかりそうだという悩みは杞憂に終わったというわけだ。
死ぬことに関する心残りと言えば、親だろうか。二十年近くも育ててもらったにもかかわらず、何も返せず仕舞いだった。少し悔しいが、どうしようもない。俺は自分の不運に敗北を認め、意識を手放した。
「さて」
その言葉を聞き、俺は現実に意識を戻した。しかし、現実に意識が戻ったとしても、まぶたが開く様子も身体が動く様子もない。これは決して俺の努力不足ではなく「できない」のだ。金縛りのように動かないわけではなく、存在しないようである。俺に存在するのは聴覚だけのようで、他の感覚と言えるものは知覚できなかった。身体がふわふわと浮いているようだ、と言っても空気を感じるわけでもなく、やはり存在しないようである。俺の何もかもが失われたようで、助かっていたとしてもこの状態で生きることは生き地獄となりうるかもしれない。
「そろそろかな」
そろそろとは何だろうか。
「君の感覚レポートのことだ。程よく時間も稼げたと思うが」
確かに落ち着くための時間は終わりを迎えつつある。一方で、この声の主は何者なのか。Web小説のありきたりな展開としては神であることが多いが。
「確かに神という言葉は間違っていない。だが神という言葉は嫌いでね。避けてほしい。できるなら━━私のことは『作者』と呼んでほしい」
作者とはまた新たなパターンだ。何の何を作るのか
「それはもちろん君の物語さ。つい最近新しく世界を作ってね。魔法の存在する世界だ。果たして人間というのはゼロから━━もちろんいくらかのお膳立ては用意したが━━どうやって神の存在、ないしは私の元に辿り着くことができるのかとね。だが、一向にこちらに気付く様子がないどころか、馬鹿たちが新たな宗教を確立させ、このままでは私の存在に気付かれることなく滅びまで進みそうだ。そこで、急遽予定を変更して別の世界の人間に世界観を説明していわゆるRPG的に来てもらおうかと」
つまるところ、俺をゲームの駒として使いたいらしい。
しかしながら、俺にはこの自称『作者』なる人物のもとまで辿り着くメリットがない。
メリットがないならその世界で寿命を全うしてもいいな。
「その通り。そこが一番の問題だ。私からの提案としては元の世界に帰す、と言ってもただ帰すだけではなく君の願いを全て叶えようと思ってね」
それは面白そうだ。元よりおまけの人生、今断ったとしてもその世界で死んでも同じだろう。もとの世界でなんでもできるというのも魅力的だ。大国の経済を破綻させようが不老不死になろうが世界を滅ぼそうが自由ということだろう。
「物分かりが良くて助かるよ。新たな世界で早々に死なれても面白くないからね、『転生特典』のようなものも用意するよ。着いてから楽しむといい。着いてからまた説明するから」
最後に一つだけ教えてほしい。
「?」
どうして俺にここまでする?
暇でもないだろ。
「暇でもない、か。いいところを突くね。でも━━いや、やめておこう。最初にネタバレすることは無粋にも程があるからね。謎を解くたびに自動的にわかっていくと考えてもらって結構だよ」
確かにネタバレを喰らってしまっては世界の面白さも大きく減ってしまうだろう。
「じゃあ、また」
俺の感覚は消えていった。