不老不死もどき
続くつもりが間違えて短編にしてしまいました。
続いたら編集でくっつけます。
電話が鳴った。
ダルい体を動かして腕を伸ばす。
ベッドから落ちそうになりながら机に置いた携帯電話を取る。
電話を耳に当てる。
『もしもし。俺ー』
低い声がした。久宇太だ。
「なに」
『今どこ?家?』
「そうだけど」
『よかった~。急に用事入っちゃってさ、図書当番変わってくんね?』
俺の家が学校に近いからって。
『何分で来れる?』
「20分」
『はあ!?徒歩3分なんだからもっと早く来れるだろお』
俺はあくびをする。
「今起きたところだから着替えたりご飯食べたりしないと」
『今何時だと思ってんだよ!』
時計を見る。
10時37分。
長期休暇が始まってから一週間、大体起床時間はこんなもんだ。
『まあじゃあ早くしろよー。当番つっても夏休みの午前当番だからほぼ人来ないし。座ってるだけでいいから』
「わかった」
『今度飯奢るからっ』
そう言って久宇太は電話を切った。
俺はパジャマを脱いだ。
学校の図書室はクーラーが効いていて快適だった。
その上久宇太の言う通り俺以外誰もいなかったので、俺は貸出カウンターに突っ伏して寝た。
死ぬほど天気がいい。
窓から刺す光から身を守るため、俺はカーテンをひいてから机に突っ伏す。
両腕に囲まれて視界が暗くなる。
頭は暑いが、それが体温の高い手が頭に乗っているようで心地いい。
いい昼寝日和だ。
窓際の特等席で俺は目を瞑った。
「沙騎君」
クラスの女子、天谷の声が降ってきた。
穏やかな微睡みを乱す、尖った声音。
俺は目だけを腕から出した。
俺の顔を覗き込んでいたらしい天谷と間近で目が合って、天谷が慌てて後ずさった。
「なに」
天谷は自分から声をかけたくせに妙におどおどして言い淀んだ。
俺は顔を腕に埋める。
「あ、待って!えと、明日から夏休みだね!」
「うん」
「だから、その、ちょっと話があるんだけど」
俺は寝るのをやめて体を起こした。
「なに」
前に立つ天谷の顔を見上げる。
が、天谷は両手を振った。
「ごごごごめん!ここじゃちょっとアレな話で!放課後屋上でいい?」
「え......」
夏休みは明日からではない。
今日の放課後からだ。
俺は早く家に帰って制服を脱いで夏休み初日を少しでも長くしたかった。
「あ、ごめん何か用あったかな」
「ないけど」
その聞き方はずるい。
「......わかった。放課後ね」
「ありがとう!」
天谷は長い髪を弾ませながら去っていった。
放課後は昼と変わらない明るさだった。
さすが夏。暑さまで全然変わらない。
屋内じゃダメだったのか。
目の前に立つ天谷は日差しなど気にしないようだ。雪のように白い肌に日が煌めく。
天谷は先程からしきりに目を泳がせてキョドキョドしている。
「話って何」
声を掛けると、天谷はビクッと体を震わせた。
「あの、その、私」
天谷は俺の目をきっと見つめた。
「沙騎君のこと好きです!」
天谷は途端に紅潮していく。
「何で」
ビックリした。
そんなことを言われると思わなかったし、想われていることなんて考えたこともなかった。
「実は小学校の時から好きで、気づいたのは最近なんだけど......。私たち小学校の時はよく一緒に遊んだでしょ?」
上目遣いで同意を求められたので俺は頷く。
天谷とは家が隣なので必然だった。
「そのときからずっと、一緒にいると楽しいな~って思ってたの。でも中学になって3年間一回もクラス被らなくて、沙騎君と全く喋らなくなって、私もあんま気にしてなかったんだけど、まさか高校も一緒だって思ってなくて、それでまたちょっと気になって。沙騎君のこと見てるうちに小学校の時とは違うカッコよさっていうか、大人っぽくなってて、それで好きだな~って思ったの」
白かった耳まで赤くして天谷は言い切った。
俺は頭を下げる。
そのまま言った。
「ごめん」
暫くして応答が無いので顔を上げた。天谷は小さく口を開けて突っ立っていた。
「ごめん」
俺はもう一度、次は天谷の目を見て言った。
「そっか......うん。ごめん、私の方こそ」
天谷は取り繕うように首を触る。
「わ、私のどこがダメかな......」
「俺が天谷のこと好きじゃないから」
「好きじゃなくてもいいよ!好きになってもらえるように私頑張るから!」
頑張って側にいられたらお互いストレスだ。
「天谷は優しいし、可愛いから俺なんかよりもっといい彼氏できるよ」
「私は......沙騎君がいい......」
天谷は目に溜まった涙を拭う。
「ごめん」
「ううん。いいの。ごめんね、ごめんね。1つだけお願いしてもいい?」
「うん」
「これからも今まで通り友達でいてくれる?」
俺は大きく頷いた。
上半身が揺れる。
「おい」
強く揺すられて、眠っていた感覚が起きていく。
「おーい」
俺は俺が呼ばれてることを理解して体を起こした。
図書当番中にすっかり寝てしまっていた。
目の前にはメガネをかけた中年の先生がいた。
「君図書当番でしょ。ちょっとやっといて欲しいんだけど」
「何をですか」
先生はカウンターの後ろにある棚を指差した。
返却された本を一旦置いておく棚だ。
ジャンルも大きさも年代もバラバラの本が十数冊収まっていた。
「この本を元の場所に戻しといて」
「はあ」
用だけ言いつけて先生はさっさと図書室を出ていった。
何が座ってるだけでいい、だ。
まあ、いっか。
そんなに量が多いわけでもないし。
久宇太にしょっちゅう付き合わされていたので、本の戻し方くらいはわかる。
棚から1冊本を取ると、裏表紙に貼られたバーコードラベルを見る。
バーコードの下に分類番号がマジックで書かれていた。これで大体の場所はわかる。
俺は図書の配置地図を見ながら本を元の場所に戻していった。
3分の2ほど終わった頃、バーコードラベルが付いていない本が本の間から出てきた。
何だこれ。
やけにボロくて厚い。
誰かの私物が混ざり込んだのかもしれない。
その本を一旦避け、残りの本をしまった。
最後の1冊を棚に納めて伸びをする。
終わったー。
貸出カウンターに戻って腕を組んだところでさっきのバーコードが付いていない本が目についた。
もう11時30分だが、久宇太も午後の当番も、利用者さえもやって来ない。
いつまでいればいいんだろう。
暇だな。
俺は手持ちぶさたの手で本を取った。
何となく開くと、想像以上に大きな字が並んでいて驚く。
児童用の絵本みたいな読みやすさだ。
そのまま字を目で追った。
このぶんならこんなに厚くても交代までに読んでしまえるかもしれない。
『国一番の美女であり、王女でもあるアンリーは、隣の国のユイルに恋していました。』
恋愛小説か。出だしから面白くなさそうな香りがプンプンする。
裏返してみるが、案の定あらすじはない。
もう少しだけ読んでみよう。
そう思ってページを捲っているうちに最後まで読んでしまった。
結局面白くなかった。ありがちな設定だし、台詞がいちいちダサい。
主人公の女々しい性格は最後まで治らなかったし。
誰が書いたんだこれ。
紙をめくるがそれは遊び紙で、先には後書きも作者も出版社なども何も書かれていなかった。
代わりに、裏表紙と遊び紙の間に小さなメモ用紙が挟まっていた。
びっしりと数字が書かれている。
ハイフンで区切られた3つの数字が数珠のように繋がったものが並んでいる。
なんだこれ。
そういえば簡単な暗号にこんなのがあった。
まさかな、と思いつつ、俺は『1-1-9』に従って一頁目の一行目の九番目の文字を探した。
縦に連なった文字を指で追っていく。
『あ』。
あ、か。まあ一文字じゃわかんないし。
次は89-5-26、312-8-10、186-18-8......。
近くにあった裏紙に文字を書いていく。
10-10-1、71-4-4、236-9-25、150-14-5......。
『あしすをしうくまんょまか』
意味のない文字列。
やっぱ暗号なわけないか。
......あれ、でもこれ全部平仮名。
偶然?だよ、そうに決まってる。
はやる気持ちにそう言い聞かせながら数字が並んだメモを平仮名の隣に置く。
ページの順番に、俺は平仮名を並べかえた。
紙の上で文字が繋がっていく。
「あくまをしょうかんしま......す......?」
文になった高揚感と、意味の処理でいっぱいいっぱいになった脳がフリーズする。
次の瞬間、キーンと耳鳴りがして、目を貫きそうなほど強い閃光が本から飛び出た。
「うっ」
反射で閉じた瞼の裏側で赤が踊る。
目眩がする。
俺は光を手で遮って細く目を開ける。
やはりこの光はあの本から出ているようだ。
表紙にさっきまでは無かった魔方陣のようなものが出現している。
その魔方陣の中心からこの強い光が出ているらしい。
俺はPCカバーをPCから剥がすと、本に被せた。
しかし薄い布では容易に光は抜けてきてしまう。
なんだこれ、どうしたらいいんだ。
頭ばかりが動いて体がついてこない。
何も出来ないまま途方に暮れていると、突然布が隆起した。
丁度本の、魔方陣の中心辺り。
そのまま布は独りでに動き、山が大きくなっていく。
山はやがて細長い形になり、光が収まった。
え、なんだなんだなんだなんだ。
隆起した布がもぞりと動いた。
俺は思わず後ずさる。
まるで下に動物でもいるかのように、掻き分けるように皺が動き、細長いものは縁に移動していく。
一体何が出てくるんだ。
俺は布をじっと見つめた。
ひょこり。
まるでおでん屋の暖簾でもくぐるように、それは出てきた。
「小人......?」
小さい人。
人間が掌サイズになったみたいな。
人間ではないか。
耳尖ってるし、バイキンマンみたいなしっぽ付いてるし、肌の色青白いし。
カシャリ。
思わずスマホで撮影する。
写ってる。
全身を黒いローブで包んだ男。
いや、幽霊か。て、なに突っ込んでんだ俺。
さっきの暗号によればこいつは......。
「悪魔?」
そいつは俺の前まで歩いてくる。
体との比率的には歩幅は広い方だろうが上から見ていると勝手にヨチヨチ、と効果音をつけてしまう。
そいつは机の縁に立つと俺を見上げた。
赤い瞳が爛々と光る。
「そう。オレ、悪魔」
喋った。
俺はスマホのカメラを向ける。
悪魔は怪訝そうな顔をしてこっちを睨む。
「あ、もう一回喋って」
「何やってるんだ?オレは悪魔だと言った。そしたら人間が次にやることは大体決まってる」
口の動きと同時に、低い声がする。
俺は録画停止ボタンを押す。
「ありがとう」
机上のメモ帳や本との比率はおかしいが、画面の中の悪魔は普通の人間みたいだった。
悪魔は大きく舌打ちをする。
「驚けよ」
「わあお」
思ったより高低のない叫びにまた悪魔が舌打ちをした。
「なんだお前には感情がないのか」
「驚いてるよ。驚きすぎて逆に変に冷静なんだ」
悪魔はホントかよ、と腕を組んだ。
「聞きたいことがあるんじゃないのか?」
悪魔は苛立ちの混じった声で言った。
俺は屈んで、悪魔をじっと見つめた。
よくみると整った顔をしている。
今にも死にそうな血色の悪い肌には所々紫色の血管が浮き出ていて、それは頭の上の角にもあった。
どくどくと生々しく脈打っている。
まるで心臓が二つ頭についてるみたいだ。
綺麗だ。
「名前は?」
口からポロリと漏れた問いに、悪魔は目を見開いた。
「まさかアクマが名前じゃないでしょ」
アクマなのかもしれない悪魔は目を開いたまま俺を凝視している。
「ああ、まずは俺からか。俺は納牙沙騎。字は県の長崎じゃないよ」
悪魔はハアー、と息を吐いた。
「エルヴィス」
そう言った。
......エルヴィス。
急にこの奇怪な現象に現実味が増してきて、鼓動が早くなる。
「俺、悪魔召喚した?」
「そうだよ。長い話するから座れ」
「う、うん」
座るとエルヴィスが語りだした。
「人間の世界には悪魔の書と呼ばれる特別な書物が幾つか存在する。それもその1つだ」
エルヴィスはバーコードのついていない、魔方陣が浮かび上がった、エルヴィスが出てきた本を指差す。
「悪魔の書を読み、召喚詩を詠唱することで悪魔が召喚される」
召喚詩、て"あくまをしょうかんします"か。シンプルだな。
「そして悪魔を召喚した人間は召喚された悪魔と契約を結び、奇跡を得る」
なんだか小説みたいな話だ。
エルヴィスはじっと俺を見上げた。
「お前の願いは何だ」
願い、か。
天谷の顔が浮かぶ。
気まずそうに眉を下げて、何かに耐えるようにきゅっと口を結んだ表情。
さっき、図書室に来る廊下で出くわしたときのだ。
天谷は不自然に明るいトーンで俺の名を口にした。どうしたの、と問うて、図書当番と返した俺に、あれ~?沙騎君清掃委員じゃなかった?と笑う。久宇太の代わりと答えると、二人仲良いもんね、と言った。
俺は押さえ込んだ辛さが滲み出た声音に眉を潜める。
まだ俺のこと好き?と訊いた俺の言葉に天谷は大袈裟に首を振って違う違う!と否定した。私たち友達だもんね!ひきつった笑みが痛い。天谷は頑張ってね!とおしつけるように言って走り去った。
その間、一度も俺と目を合わせなかった。
「天谷と友達になりたい」
俺は目の前のエルヴィスに言った。
「アマヤ?」
「クラスメイトの女子」
「慎ましいな。恋人じゃなくていいのか?」
そうならないために願うんだ。
「何なら世界中の女がお前に惚れるようにすることだってできる」
「凄いね」
エルヴィスは首をかしげた。
「それは願いをそっちに変える、ということか?」
「違う」
「そうか。悪魔との契約にはオプションがついてくる」
「何?」
「不老不死、もどきだ」
不老不死......もどき?
「それは悪魔と契約すると強制的に不老不死になるってこと?もどきってどういう意味?」
エルヴィスは深く息を吐くと腕を組んだ。
「契約すると悪魔と人間の命が繋がる。つまりどちらかが死んだらもう片方も死ぬ、ということだ。しかし悪魔は永遠の存在。人間は成長を止め、実質永遠の命を得ることになる」
どういうこと?
それって老死はしなくなる、ってことで、つまり交通事故とか殺人とか、そういうことでは死ぬ。そしてそういうことで俺が死ぬと悪魔も死ぬってことか。
正直不老不死に興味はないが、非現実に踊る胸はいっこうに収まる気配がない。
今ならなんでもできる、そんなハイな状態に俺の脳は浸っていた。
「対価は?」
「ない」
は?
思わず口が開く。
エルヴィスは表情を変えず、机上に直立している。
「嘘ついて魂とられるとか?」
「嘘はついていない。対価はない」
「それが、契約?」
俺は願いを1つ叶えてもらう。
ついでに不老不死を得る。
対して悪魔は永遠の存在ではなくなる。のみ。
何か隠されているとしか思えない。
不審を一杯に含んだ俺の眼差しを受けて、エルヴィスがふっと笑った。
「......面白いからさ。お前が非日常を求めるのと同じ。オレも退屈はイヤなのさ」
少し緊張する。
教室の入り口をくぐる瞬間心臓が収縮した。
こんなのは入学式以来だ。
窓際の、前から2番目の席に向かう。
そこに座る天谷は夏休み前より小麦色になっていた。
「おはよう」
挨拶すると、天谷はびくりと肩を震わせた。
俺を見上げて、なんだあ、と頬を緩ませる。
「おはよう沙騎君。珍しいね」
珍しい?
ああ、俺から挨拶するのは初めてかもしれない。
「今学期もよろしく」
そう言って微笑む天谷の声は柔らかかった。
まるで俺への告白が無かったことになっているかのように、天谷の声から強張りが消えた。
草原を撫でる風のような優しい声音。
そう、俺はこの声が好きだった。
喉の奥から欠伸が競り上がってくる。
俺は天谷に手を振ると自分の席について、腕を組んで顔を埋めた。
新学期の喧騒に紛れて、右肩に座るエルヴィスに言う。
「ありがとう」
エルヴィスは軽く鼻を鳴らした。