第85話 始業式とお兄の成長?
学校に登校した私が、まず真っ先に向かったのはウサギ小屋。
夏休みの間も、私の部活での役割がウサギ達のお世話だったのもあって気にかけていたけど、単純にウサギ小屋が教室から近いのもあって、登校した朝にここに立ち寄るのは私の日課みたいなものだ。
「ん~、スノウ、見ない間に毛並みが綺麗になったよね、先生に手入れでもして貰った? ユキは最近やっと少し大きくなってきたね、この調子でスノウよりも大きくなっちゃおうか。チョコは……そろそろダイエットする? おっと、ふふふ、シロは相変わらず甘えん坊さんだよね。私に会えなくて寂しかったって? うふふふふ、可愛いなぁ、このこの~♪」
白ウサギのシロを抱き上げて、その体に頬擦りする。
本当、みんな家に連れて帰りたいくらい可愛いなぁ、う~、マンション暮らしじゃなかったら、夏休みも連れて帰れたのにな~。他の部員は、何人か生物部で飼ってるウサギ以外の動物を連れ帰ってお世話してたみたいだし。全く羨ましい。
「っと、時間だ、みんな、またね」
そうしてウサギ達と遊んでいると、あっという間に時間が過ぎ、朝のホームルームが始まる時間になる。
当たり前だけど、基本的にはチャイムが鳴った時点で席に着いてなきゃいけない。でも、今から玄関に向かったんじゃ、間違いなくチャイムが鳴る前に教室には辿り着けないだろう。
だからこそ、こういう時は裏技の出番だ。
「奈々ちゃん、開けて!」
「おお、澪、またか。しゃーないな」
私の教室は1階にあり、しかも席まで窓際という好立地。
だからこそ、窓際の席に座ってる、仲良しの女子生徒に向けて窓をノックしながら要望を伝えると、すぐに窓を開けて貰えた。
そして、そのままそこで靴を脱ぐと、窓枠をよじ登って、教室の中へ滑り込んだ。
「セーーフ」
「まーたウサギと戯れとったんか? 先公まだ来とらんから平気やったけど、ほどほどにしときや?」
席に着いて、夏休み前ってことで鞄に入れて持ち帰っていた上靴と、教材データの入った小型タブレットを取り出し、代わりに靴を詰めこんでいると、窓を開けてくれた女子……相沢 奈々美ちゃんが、やや呆れ顔でそう言った。
それに対し、私はふんすっ、と胸を張り、堂々と言ってのける。
「朝のウサギ達とのコミュニケーションは、生物部としての活動の一環! つまり合法だよ!」
「澪以外にやっとるやつおらへんやろ。まあ動物狂いの澪には何言っても無駄か」
「失敬な、朝から動物達と触れ合うことで、健全で健やかな心を育む素晴らしい時間だよ? いっそ全校生徒みんなやるべきだと思うね、私は!」
「そこまでしたらウサギの方がストレスで過労死しそうやな。大体澪、お前さんは健全な心の前に、その絶壁を育む方が先やないか? 夏休みの間にちっとも成長してへんやん」
「んなっ!? 奈々ちゃん、触れてはいけないところに触れたね!? これでも少しは成長してるんですぅー!!」
「ほうほう、では早速チェックしてみようやないか」
そう言って、奈々ちゃんは私の胸に掌を当て、いやらしい手付きで撫で回す。そして――
「ふむ、全く変わっとらんな、ものの見事なまな板や。このままここ使って料理出来るんとちゃうか?」
「出来るわけないでしょ! うぅ、ゲームの中でなら私だってバインバインなのに……!」
澪としてのリアルの体と、ミオとしてのアバターの体との圧倒的格差に打ちひしがれてると、奈々ちゃんから可哀想な物を見る目を向けられた。
「澪、あんさん、ついに幻想の中に巨乳を求めたか……まあ心配せんでええ、ウチが揉みほぐしてすぐに大きくしてやるさかい」
「やだよ、あれくすぐったいし、全然効果なかったし!」
これまたいやらしく、手をわきわきとさせる奈々ちゃんに、私は胸をばっと手で隠してそっぽを向く。
この似非関西人は、いつもこうやって女の子たちの胸を事があるごとに揉もうとする、生粋の変態オヤジだ。見た目は結構可愛いだけに、言動が色々と勿体ない、所謂残念系美少女っていうやつ。
「大体、揉むなら委員長の胸揉めばいいじゃん。私と違ってあっちは巨乳だし、巨乳だし!!」
「そうひがむなって、そっちなら今朝方十分満喫させてもろたわ。いやあ、澪と違ってあっちは夏休みの間にもバッチリとサイズが大きく……ぐへっ!?」
「ええい、あなた達は、教室の中でなんて話をしてるんですか!! 男子だっているんですよ!?」
突然、スッパーーン!! と小気味の良い音と共に奈々ちゃんの頭上にハリセンもどきが叩きつけられ、驚いてそちらに目を向けると、たった今話題に上っていた、うちのクラスの学級委員長、草加 藍さんが顔を赤くしながら抗議の声を上げていた。
怒っています! というアピールのためか、腕を組んで仁王立ちするけど、それによって胸が持ち上げられて強調され、私は敗北感に打ちひしがれる。
ついでに、男子達の視線も集めてるんだけど、そっちは自覚がないのか、草加さんはそのままの体勢で話を続けていた。
「大体胸のサイズが何ですか、こんなのあっても邪魔なだけですよ!」
「あ!! 草加さん、今言ってはいけないこと言ったね、それは既に持ってる人だから言えるんだよ!! どうせあれでしょ、こんなのあっても重くて肩が凝るだけとか、そんなこと言っちゃうんでしょ!? 羨ましい、私だって一度くらいそんなこと言いたい! だからその胸分けて!!」
「分けられませんから!!」
ようやく注目を集めてることに気付いたのか、数秒前の私と同じようにサッと胸を隠す草加さん。
そして、そんな私達を見て、男子達は口々に雑談を始めた。
「雛森が巨乳にか……どう思う?」
「いやあ、おっぱいは好きだけど、あの暴力女がそうなってもなぁ。ほら、宝の持ち腐れならぬ? おっぱいの持ち腐れ的な?」
「あはは、確かになー!」
「よーしそこの男子共、そこに直りなさい、今なら拳骨一発で勘弁してやるから!!」
「うわっ、雛森が怒った!」
「こえー、こえー」
全然怖がって無さそうな態度で、そう言って笑う男子共。
ぐぬぬ、ようしそういうつもりなら仕方ない、今すぐこの男子共に天誅を下してやるんだから!!
「ちょっと雛森さん、もうホームルーム始まるから、席についてください!」
「草加さん離して! あの男子共は一発殴ってやらないと!」
「おいお前らー、騒いでないで席付けー、ホームルーム始めるぞー」
「「すみませんでした」」
騒いでいたところで先生がやって来て、私と草加さんが揃って頭を下げる。
それと同時に笑い声が起き、私達はそそくさと席に戻った。
「ただいまー」
「おかえりー、遅かったな?」
「うん、ちょっと色々とね」
始業式が終わり、家に帰った時には、もう1時を回っていた。
まあ、バカ共にお灸を据えたり、生物部の部室に寄って動物達と戯れたりしてるうちに時間が経っちゃったから、仕方ないよね。
「ごめんねお兄、ご飯今から用意するから」
家のお兄は機械音痴が極まっていて、誰かが用意してあげないとご飯の1つもまともに食べれない。
そう思って言ったんだけど、なぜかお兄はちっちっちっと指を振って、にやにやと意味深な笑みを浮かべてる。……まさか。
「ふははは、聞いて驚け澪! ついに今日、俺は機械音痴を卒業した!!」
「な、なんだってーーーー!!?」
それを聞くなり、私はすぐにキッチンへ赴く。
そこには、コトコトとお湯で煮込まれる、レトルトハンバーグの姿が。
「お、お兄が……自分1人で、お湯を沸かせるなんて……! あああ、明日は嵐? 雪? それとも隕石でも降って来るの?」
「ふははは、どうだ驚いたか……って、ちょっと待ってくれ、少し驚き過ぎじゃないか? 俺ってどんだけダメな奴だと思われてんの?」
お兄が何やら言ってるけど、私はあまりのショックにその言葉を拾うことすら出来なかった。
どれくらい驚きかって、鶏が突然羽を拡げて空を飛び始めるのを目撃したくらいびっくり。飛ぶわけのない鳥が飛ぶんだもん、そりゃあ天変地異の予感がしてもおかしくないよ。
いや、まあ、鶏も全く飛べないわけじゃないんだけどね? それでもこう、やっぱり、ね?
「と、取り敢えず、ハンバーグがあるなら、付け合わせのサラダでも……」
「大丈夫だ、そっちも用意してある。と言っても、キャベツを千切りにしただけだけどな」
「お兄本当にどうしたの!? 熱でもあるの!? どこか痛いところは!?」
「本当にお前驚き過ぎじゃないか!? 千切り作るのに機械なんて使わないんだから、それくらいは前から出来るわ!!」
いや、それはそうだけど、今まで家事の1つも出来なかったお兄が、仮令レトルトとは言え、ちゃんと一食分を用意出来るなんて信じられないんだもん! いくらご飯は事前に炊いてあったとは言え!
「ほ、本当にこれお兄がやったの? 実は美鈴姉が来てやってくれたとかじゃなく?」
「だからそうだって、大体、美鈴が来てくれた時は、もっと凝った料理作ってくれるだろうが。ほら、盛り付けるから座って待ってろ」
「う、うん」
お兄に言われた通り、テーブルに座って待っていると、ハンバーグと千切りキャベツを乗せただけの、大して飾りっ気のないおかずに、ご飯をよそった茶碗が運ばれてきた。
うん、ここまでは普通……
「……澪、何してんの?」
「いや、実はこれ、食べ物じゃなくてリアルな食品サンプルなんじゃないかと……」
「いつまで疑ってんの!? いいから喰えって!!」
箸でちょんちょんとハンバーグを突いていたら、お兄に怒られた。
いやまあ、私としても流石にこれ以上はお兄が可哀想だから、そろそろ覚悟を決めないといけないのは分かってるよ? うん。
「い、いただきます……!」
手を合わせてから、箸でハンバーグを切り分ける。溢れる肉汁が美味しそう、色も変なところはないし、匂いも食欲をそそる。
それでもなお、警戒心を緩めることなく、私は恐る恐るそれを口に運んだ。
「……普通だ、お兄が、普通の味がするレトルトハンバーグを作ってくれたんだ……!」
「なあ澪さんや、レトルトで普通じゃない味のハンバーグを作る方が難しくないか? そろそろ泣いていい? 俺」
ハンバーグの味に感動していると、お兄の方はそう言ってどんどん落ち込んでいく。
だって、それくらい酷かったんだもん、お兄の機械音痴。もう、身の回りのお世話全部してくれる、凄い気立ての良い奥さん貰わないと、お兄はどこかで野垂れ死ぬんじゃないかとすら思ってたし。
まあ、そんな気立ての良い人で、お兄なんかに嫁いでくれそうなの、美鈴姉しかいないんだけどね。
「まあ、そろそろ私もちゃんと現実を受け入れることにするよ。それによく考えてみたら、お兄が自分でご飯を用意出来るようになったってことは、もう私はお兄のことは気にせずにライム達のお世話が出来るってことだしね」
「まあそうなるけど、兄としてはそんなにゲームにばっか夢中になって、お前の将来が心配なんだけど。俺から勧めておいてなんだけどさ」
「まさかお兄にそんなこと言われる日が来るとは思わなかったよ……それに、別に私だってゲーム以外のことだってするよ? この前も、奈々ちゃんと動物園行ったし」
「お前、偶には動物じゃなくて、男の一人でも捕まえてデートしようとか思わないのか?」
「ないねー」
私の将来の夢、動物園で働くことだし。
ペットショップとかドッグトレーナーみたいなのも憧れなくはないけど……いざお客さんに売ったり引き渡したりってなった時、私、絶対に泣く気がするからちょっとね。お別れは寂しい。
「そういうお兄こそ、美鈴姉とは何か進展ないの? お兄は美鈴姉以外にお嫁さんなんて貰えっこないんだから、ちゃんと気を使わないとダメだよ?」
「そこはバッチリ、今日はこの後一緒にクエストに行く約束を……ってちょっと待て、貰えっこないって何!? いやまあ、美鈴以外に手出すつもりはないけど、だからってその言い方は何か引っかかるんだけど!?」
「結局お兄もゲームじゃん」
お兄の言葉の後ろ半分はスルーして、前半分にそうツッコミを入れる。
何だかんだ、私もお兄もMWOが前提の予定になってる辺り、相当入れ込んでるなあ、なんて思いつつ、私は千切りキャベツをデミグラスソースに浸しながらパクパクと食べる。
ドレッシングでも良いんだけど、レトルトハンバーグのソースって無駄に多いから、こういう使い方した方が無駄がなくて良いんだよね。貧乏臭いって? 別に良いんだよ、美味しいから。それにお兄の千切り、形がまばら過ぎて大きいのもちょこちょこあるから、お皿についたソースを拭い取るのにちょっと便利だし。
「まあ、私もライム達とデートしたいんだけど、今はそれよりお金がないんだよね。このままだと私、破産する……」
「マジかお前……この間、お前がクエスト報酬で手に入れた《海王の槍》、結構な額で俺が買い取ったじゃないか、あの金は?」
「あのお金なら、ホームの改築と拡張で全部吹っ飛んだよ。お兄、他に何か良い金策とかないの?」
「お前なあ……はあ、そう言われても、クエストはちゃんと毎日やってるんだろ? 金がないって言う奴は、大体支出がデカすぎるんだよな。お前、他に何か無駄遣いしてるんじゃないか?」
お兄に呆れ顔を向けられて、私はサッと目を逸らす。
いやうん、召喚モンスターにまでご飯を上げるのを止めればいいって言うのは分かってるんだよ? けどほら、あんなに物欲しそうな目で見られたら仕方ないの、どうしようもないの!
「はあ、やれやれ。まあ、普段の戦闘でアイテムの消費を抑えるとか、これまでやって来なかった新しいクエストをやるとか、そうやって地道にコツコツやってくんだな。結局、そういうのが一番大事だよ」
「うぅ、ゲームの中なのに世知辛い」
「そういうもんだよ、どんなことでもな」
お兄に正論を言われ、私は1つ溜息を吐く。
けどまあ、お兄の言う通り、何でもかんでもすぐにパッパッと解決出来たら面白くないし、ひとまず思いついたことから順番に、コツコツやって行こうかな。別に、特に焦ってやる必要もないんだし。
そう思いながら、私はお兄が初めて用意してくれたご飯を、ゆっくりと噛み締めた。
ちなみに、澪はクラスメイトに対して、殴る殴る言いながら追いかけ回すだけで、本当に殴ることはあまりありません。じゃれ合い(?)みたいなものですね。容赦ないのは兄に対してだけです(ぉ