第59話 伝説の都と怪物の眷属
今回は長いです。
「うぅぅ……お兄のばかぁ……」
「わ、悪かったって、ほんと。だから泣くなって、な?」
お兄が必死にペコペコしてるのが、直接見なくてもなんとなく伝わってくるけど、ガチ泣きしながら階段にしゃがみ込んでる私には通じない。
お兄に脅かされた私は、なんと《気絶》の状態異常にかかって、少しの間目を回したまま動けなくなっていた。我ながらどんだけメンタル弱いのかって、それはそれで泣きたくなる。
まあ、ゲームの中の《気絶》だから、本当に意識を失うわけじゃないんけどね。ただ、指一本動かせないし、声も出せないし、そんな自分を三人称視点で見てるような光景に切り替わるから、まるで幽体離脱したみたいで、死に戻りよりも死人っぽかった。
「もうしないから! だから頼むって! この通り!」
「ほんとに?」
パンっと手を叩いて、もはや謝ってるというより拝み倒すみたいな恰好になってるお兄をジトーっと見つめると、うっ、と一瞬言葉に詰まったみたいに狼狽えるけど、すぐに気を取り直したみたいにコクコクと何度も頷いた。
「ほんとほんと、だから、な?」
「分かった、じゃあ今度アイス奢ってくれたら許してあげる」
「うっ……わ、分かったよ……好きなの買ってやるよ」
「やった! お兄大好き!」
「お、お手柔らかに頼むぞ?」
言質を取ったら泣くのをやめて、落ち込んだ気分を晴らすように普段なら絶対言わないようなことを言いながら抱き着くと、なんか怖がられた。
心外だなぁ、アイスというからには、ちょっと近くのお店でパフェでも買って貰おうってだけなのに。
えっ、パフェはアイスじゃないだろって? 広義的にはアイスでしょ、多分。
「それでどうする? そんなに怖いならやっぱりやめとくか?」
「んー……」
《気絶》から回復するのに合わせて少しは落ち着いたとはいえ、いつ《混乱》状態になるか分かったもんじゃないし、あの感覚は正直、何度経験したって慣れる気がしないけど……
「――――」
「ライム?」
迷ってると、肩に乗ったライムが、私の頬に体を寄せてきて、優しく頭を撫でてくれた。
「ライム、励ましてくれてるの?」
「――!」
ぷるんっ、と肯定するように1回だけ体を波打たせ、そのまま私を撫で続けるライム。
金属らしい冷たさを持った、けれどぷるぷると柔らかい触手に撫でられると、なんだかそれだけで気分が落ち着いてくる。
「ふふ、ありがとうライム」
「ピィピィ!」
「あはは、フララもありがと」
お返しにライムを撫でていると、フララも負けじと私にしがみついて、一生懸命励ましてくれる。
パタパタと動く羽から鱗粉が飛んで、それに鼻をくすぐられるのがくしゃみが出そうでちょっとアレだけど、でも励まそうとしてくれるのは素直に嬉しい。
「分かった、もうちょっと頑張ってみるね」
ライムとフララが励ましてくれた理由は、流石によく分からない。
この先にあるだろうお宝に興味があるのかもしれないし、さっき拾った指輪の主が気になってるのかもしれないし、あるいは単に私が落ち込んでるように見えたからっていうだけなのか。
けどどんな理由にせよ、ライムとフララに励まされた私は、自分でも驚くくらい穏やかに、先に進む決心がついた。
「おー、話はまとまったか?」
「ああうん、大丈夫。ごめんねお兄、変なところで時間つかって」
「いいよ、元はと言えば俺がからかったのが悪いんだしな。それじゃあ、先進むか」
「うん」
お兄に頷きながら、私はぱっぱっとお尻を払って立ち上がる。
未だに、墓地のほうでは火の玉が漂って、不気味な呻き声が何度も聞こえてくるけど、もう大丈夫。ライム達がいれば、怖くない。
そう自分に言い聞かせながら、私はようやく、墓地エリアへと足を踏み入れた。
「あ、そういえば、《闇属性魔法》に限らず、MIND上げると《混乱》とか《気絶》の状態異常になりにくくなるらしいぞ。エンチャントかけてやろうか?」
「それ先に言ってよ!!」
踏み入れた瞬間から、出鼻を挫かれた感はあったけど。
墓地エリアを、お兄の背中に隠れつつ進んでいく。
ただ、私はお兄にはない《感知》スキルがあるから、ただ守られるだけじゃなくて索敵もしなきゃならない。
ウオォォ……と、私の後ろから呻き声が聞こえて、反射的に振り向こうと――したところで、正面右側から反応が。
「お兄、そっち!」
「よし来た、《セイクリッドヒール》」
「ウオォォ……!」
私が指差した方向にあった墓石から、にゅるっと白い半透明なゴーストが飛び出してきたけど、予め分かってただけに少しだけびくっとなるだけで済んで、お兄の《聖属性魔法》の治癒の光がそれを浄化していく。
この辺りのゴースト系モンスターは、今みたいに自分がいるのとは別の場所から呻き声やらなんやらを上げて、それに気を取られたプレイヤーを死角から襲うっていう、結構悪辣な攻撃を仕掛けてくる。
とは言え、それも私の《感知》スキルがあれば正確な位置を掴むことは(冷静になれば)難しくないし、お兄の《聖属性魔法》は基本的に治癒しか出来ないんだけど、そういう霊体とかゾンビとかに対しては特効があるらしくて、槍で攻撃するよりよっぽど高いダメージが入ってる。
そういう理由もあって、私の仕事は《感知》スキルで敵の居場所を特定して、そこを教えるだけになっていて、最初怖がってたのが嘘みたいに、いっそ退屈な道程になっていた。
「お前、さっきまで気絶するほどビビってたのが嘘みたいに落ち着いてるな」
私自身が自覚してることだけに、傍から見たお兄からしてもやっぱりそう見えるみたい。
まあ、実際驚いて気絶するほど怖がってたんだから、無理もないと私だって思うけど。
「お兄にエンチャントかけて貰ってから、前ほど怖くないんだよね。いや、怖いのは変わりないんだけどさ」
今でも、怖いものは怖いんだけど、さっきまであった、問答無用で取り乱すようなあの感覚は全然覚えない。
これが、お兄が言ってたMINDが上がると《混乱》状態になりにくくなるってやつなんだろうけど、恐怖心の程度まで変わるなんて……最近、VRのシステムを使ったセラピーだとか睡眠導入機だとかがCMでやってたけど、あれに近いのかな?
まあ、実際のところは製作者でもないと分からないけど。
「ふーん? 俺はまだ《混乱》状態になったことないし、よく分からないんだよな」
「お兄っていつも能天気だし、恐怖心とは無縁そうだもんね」
「それ褒めてないよな? 絶対褒めてないよな?」
「気のせいだよ。……っと、お兄、足元」
「ん? うおぉ!?」
またもスキルに反応があった場所を指差すと、一瞬動くのが遅れたお兄の足を、地面から這い出た腕ががっしりと掴んだ。
異様に細い、皮と骨だけの手。それを確認する頃には、周囲の地面が一気に盛りあがり、ゾンビが姿を現した。
流石に死体そのものっていうほどリアルな作りじゃないけど、やっぱり気持ち悪い見た目してるなぁ……
「って、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないか」
足を掴まれてたせいで、ゾンビの出現に合わせて足場が崩れて、お兄はその場に尻餅をつく。
さすがにそれで倒されるほどお兄は柔じゃないだろうけど、だからって何もせずに見てたらパーティを組んでる意味がない。
「《カースドバインド》!」
倒れたお兄に覆いかぶさるように、その体を這い寄らせていくゾンビを、私が鞭で縛り上げる。
手を縛られ、バランスを崩したゾンビはお兄の体に向かって倒れ込み、その顔がお兄の前でドアップに……
「ナイスだミオ、隙ありぃ!」
……なったけど、お兄には全くそんなの関係ないのか、盾で強引に横から殴りつけて適度な間合いを開けると、素早く《聖属性魔法》を使ってゾンビを浄化した。
うん、お兄の鋼のメンタルは、このくらいのホラーじゃびくともしないみたい。ちょっと私にもそのメンタル分けてくれないかな、正直想像しただけで鳥肌立つんだけど。
「うーん、ゾンビに触れられたからって特に状態異常になるわけでもないのか。呪われたりとかしそうなもんだけど……あと、特に匂いもしないな。腐ってるのに」
それどころか、普通に検証とか始めてるし。
本当、ゲームやってる時だけは頼もしいなあ、お兄は。私なんて、さっきまでに比べればマシとは言え、ずっとライムのこと撫でてないと心が落ち着かないよ。
「まあ、そんなとこリアルにしてもしょうがないと言えばしょうがな……おっ?」
「うん? どうしたのお兄?」
ブツブツ言いながら考え事をしてたお兄が、急に立ち止まったせいで危うくぶつかりそうになりながら聞くと、「ほら、あそこ」と暗闇の先を指差した。
釣られて見てみると、そこには墓地には似合わない、無数の海洋モンスターが群れる一角があった。
「……イカ?」
白い体とたくさんの(常に動いてるから数えづらい)足を持ち、うねうねと動くその姿は、まさしくイカだ。ちょっとイカの割には胴体も触手も太くて、背丈も人の体くらいはある。
頭上に表示された名前は、ミニクラーケン。
一瞬、あれでミニなの? と思ったけど、本当のクラーケンなら船一隻を丸ごと掴んで沈めれるくらいだろうし、確かにミニか。ミニスライム基準で考えてた。
「どうする?」
「どうするってお前、モンスターなんだし、倒すだろ」
「まあ、それもそっか」
水の一滴もないこんな地下墓地にいるから、すごい迷子感があって可哀想だけど、ここまであからさまに不自然だと何かしらのイベントフラグがあるかもしれないしね。違ったら……ごめんなさい。
「数は20体前後か。俺が前行って引き付けるから、ミオは後ろから援護頼む」
「分かった」
私もフララも、MPは半分くらいしかないけど……まあ、なんとかなるよね、多分。
そんな風に、残量とにらめっこする私を置いて、お兄は一気にイカもどき――ミニクラーケンの集団へ、盾を構えて慎重に足を進めて行った。
「さて、どう動く……って、一斉に向かってくるのか! 上等だ、こいや、《ヘイトアクション》!!」
ミニクラーケンの内1体がお兄に気付くと、他のミニクラーケン達も一斉に動きだし、お兄へと向かう。そして、緩慢な動きで触手を伸ばし、盾を構えたお兄に攻撃を仕掛ける。
あんな動きじゃ、ダメージなんてほとんど無さそうだけど……と思ったら、イカ達はその触手で攻撃するんじゃなくて、お兄に絡みついて動きを封じ始めた。
「拘束系? ならここからどういう攻撃を……ってうおっ、HPがどんどん減ってく!?」
特に締め上げてるって感じもしないのに、お兄のHPがジリジリと減り始めた。
一体何事……と思ったら、お兄に巻き付いた触手が、《松明》の明かりを受けて妙にキラキラと光を反射してるのに気付いた。
「お兄、それ多分、ライムの《酸液》とか、それに近い攻撃だよ! 絡みつかれる数が増えたらどんどんダメージ増えてくよ!」
「マジかよ、《ガードアップ》! って、やっぱダメか、これ物理ダメージじゃない、魔法ダメージか! 《エンチャント・マインド》!」
お兄が自分にエンチャントをかけると、少しだけHPの減少速度が落ちた。
けど、後から後から、到着したミニクラーケンがお兄に触手を伸ばし、《酸液》が多重に発動して、結局元の木阿弥。どころか、更に減少速度が上がっていく。このままじゃ、いくらお兄でも長くもたない。
「む~、数の暴力で《酸液》の効率を上げるなんてズルイ!」
《酸液》は時間と共に相手に付着した量が増えると、それに合わせてどんどんダメージ量が増えていくから、数押しっていうのは私でも一度は考えたくらい正攻法だ。
けど、思いついてもテイマーっていうジョブの都合上どうしても実行できなかったことを、こうして目の前で見せつけられるとなんだかイラっと来る。
「吹っ飛ばすよフララ! おいで!」
「ピィ!」
私の肩にフララが留まって、準備万端とばかりに羽を拡げる。
それに合わせて、特に意味はないけど照準代わりに杖を掲げ、容赦なく叫ぶ。
「《MPエンゲージ》! よし、ぶちかましちゃえ、フララ! 《トルネードブラスト》!!」
私のMPがガクンっと減って、フララが大きく羽ばたくのに合わせて、巨大な竜巻が巻き起こって、お兄に群がるミニクラーケンに叩きつけられる。
さすがにフララの最大魔法は、見た目からして結構物理攻撃に強そうなミニクラーケンでもたまりかねたのか、直撃を受けた個体はあっさりと吹き飛んで大ダメージを受け、そうじゃない個体もお兄にしがみついてられずに後退した。
「いや、ちょっと待てミオ、今やられると流石に俺もやばっ……うおわぁぁぁ!!?」
「あっ」
もっとも、その竜巻の余波を受けたお兄にも、中々のダメージが入っちゃったけど。
「ミオ!! 範囲攻撃魔法は味方巻き込まないように注意して使えー!!」
「ご、ごめんお兄!」
ロッククラブやブラックアリゲーターの時は狙ってやったし、それなりに余裕があるって分かってたからともかく、割と追い詰められてた今やらかすのは失敗だった。気を付けないと……
「今回復させるから……」
「いや待て、今回復してもこいつら処理しないことにはすぐ無くなる! こっちは自前の回復魔法で少しは耐えるからミオは攻撃してくれ!」
「わ、分かった!」
瀕死一歩手前くらいなお兄に《ハニーポーション》を投げようとしたところでそう言われ、それならとフララに魔法を撃って貰おうとして……
「あぁ! 今のでフララのMPなくなってるんだった!」
いつもなら、《トルネードブラスト》一発で無くなるようなMP量じゃないんだけど、さっきからアイテムの節約と称して全く使ってなかったから、今はもう《エアショット》の一発も撃てないくらいに消耗しちゃってる。
しかも、私のMPもほぼ尽きてるせいで、ビートだって呼べない。
「ら、ライム、私達のMP急いで回復させて!」
「――!」
ライムの体がぷるんっと揺れ、次々と《ミルキーポーション》を吐き出して私達のMPを回復させてくれる。
ただそうしてるうちに、せっかく空いていたミニクラーケンとお兄の距離がまた縮まり、強すぎる魔法はお兄を巻き込みかねない位置取りになっちゃった。
「うおおっ!? ミオ、援護はまだかー!?」
「い、今行く! ライム、お兄の回復お願い!!」
MPの回復がやっと終わったのを確認すると、今度はお兄のHPを回復して貰おうとライムを投げる。
けど、焦って《投擲》スキルをセットする前に投げちゃったせいで、ライムは明後日の方向に飛んでいき、ぽよんっと何もない地面に落っこちた。
「何してんの!?」
「ご、ごめーん!!」
ミスがミスを呼び、焦った私は慌ててカバーするための手を考え始める。
ああもうっ、いつもなら特に意識しなくてもセットしてるスキルだったけど、新しく覚えた《魔封鞭》スキルが便利で優先して装備してたのすっかり忘れてた! それはそうと、ライムがああなった今、私に撃てる手は……!
「《召喚》!! ビート、フララも、なるべく外側のミニクラーケンを狙って蹴散らしといて! 魔法はお兄を巻き込まなければ何使ってもいいから! 私はお兄のとこ行く!!」
「ピィ!」
「ビビ!」
私の指示に従って飛んで行くビートとフララを見送る間もなく、私は急いでメニューを開いて、《魔封鞭》スキルを《投擲》スキルにセットし直す。
そして《麻痺投げナイフ》を取り出すと、解体包丁を手に一気に駆け出した。
「《ヒール》! 《セイクリッドヒール》!! くっそ、ダメだやっぱり回復が追いつかん!」
「お兄、お待たせ!!」
とりあえずお兄に絡みついてる1体目掛けて《麻痺投げナイフ》を投げつけて痺れさせ、別の1体を斬りつけてお兄から引き剥がす。
お兄のHPはもう危険域だけど、これでなんとか拮抗状態には持ち込めるはず。
「遅いぞミオ!!」
「ごめんって! さっき脅かしてくれた分、奢って貰うのアイスバー1本に負けてあげるから許して!」
「そうか、それなら……ってちょっと待て、普通そこはチャラじゃねーの!?」
斬りつけて、私を狙うようになったミニクラーケンからはすぐに距離を取ってお兄から引き離し、そこをフララやビートに仕留めて貰う。そうしたら、その間に新しい《麻痺投げナイフ》を取り出して、また別の個体に投げつけて痺れさせつつ、更に別の個体に斬りかかって引き付ける。後はひたすらその繰り返し。
そうしてるうちに、見当はずれのところに投げちゃったライムがお兄と合流出来て、《ハニーポーション》でお兄のHPを安全域まで回復させると、後はもう簡単だった。
ものの10分もしないうちに、その場にいたミニクラーケンを一掃させられた。
「はぁ、なんだか無駄に疲れちゃったなぁ」
勝ちはしたけど、後に残ったのは強敵を倒した達成感じゃなくて、無駄に苦労したっていう徒労感だった。
最初からMPをちゃんと回復させたまま相手していれば。アイテムを使うことをちゃんと想定して、《投擲》スキルをセットしてあれば。ここまで苦労することなく、普通に倒せたはずの相手だったんだから。
そう落ち込んでる私の頭を、お兄がわしゃわしゃと、少し痛いくらいに撫で回してくる。
「ははは、まあ、結果的に死ななかったんだから、気にすんな。ちゃんと反省して次に活かせればそれでいいさ」
「は~い」
一掃すればすぐには湧いて来ないとはいえ、今も一応危険な場所には違いないはずだし、反省会もほどほどにして気を引き締め直す。
すると、ミニクラーケンと戦ってる時は気にならなかったけど、その近くに他と違い、ぼんやりと光ってる墓石があるのに気が付いた。
「あれ、これなんだろ?」
「さあな。けど、調べてみれば何かしら起こるのは間違いないだろ」
そう言って、私達が調べようと墓石に近づくと、突然墓石が強く光を放ち、私達の目を眩ませる。
咄嗟のことで、大した抵抗も出来ず目を瞑った私が、次に目を開けると、そこにはさっきまでいなかった、一体のゴーストが出現していた。
ただ、半透明の体に、消えかけてる下半身っていうのはゴーストの特徴ではあるけど、その目には確かな知性の光が宿っていて、少なくとも敵意は無さそうに見える。ただのモンスターってわけじゃなさそうだ。
それに、今まで一度も、ここまではっきり女の人だって分かるゴーストなんて、モンスターで出てきたことないしね。
『侵略者の眷属を倒してくれてありがとう、旅の御方。お陰で、私も少しは静かに眠れそうです』
「あの、貴女は……?」
流暢に話しだし、どこか気品の漂う仕草で静かに頭を下げる女幽霊に、私は思わずそう聞き返す。
幽霊相手じゃ会話が成立するのか少し疑問はあったけど、その心配は杞憂だった。
『私はここ、かつて栄華を誇った水の都《アトランティス》を統べていた王の娘、ウィルフィーヌと申します』
にこりと微笑みながら、しれっと重要そうな情報を話してくれる女幽霊さん改め、ウィルフィーヌさん。うん、凄く聞き覚えのある名前だ。
けどなるほど、確かにこのさりげない微笑みと言い、仕草と言い、お姫様って言われても十分納得できそう。私、王族になんて会ったことないから、これが正しいかどうか知らないけど。
あと、胸大きいし。幽霊なのに、さっきからウィルフィーヌさんが動くのに合わせて揺れてるし。何これ、私へのさりげない嫌がらせ? あとお兄、お願いだからそんなガン見しないで。一緒にいるこっちが恥ずかしいから。
『こうして会えたのも何かの縁、出来れば何かおもてなしをしてあげたいのですが、見ての通り、我が都は突如として現れた侵略者達によって滅びており、私自身もただの霊体でしかありません。何も出来ない無力な私をお許しください』
「い、いえいえ、そんなお構いなく。私達だって勝手に来ただけですから」
なんだかやたら低姿勢なお姫様だなぁ、と思いながら、ウィルフィーヌさんに合わせてペコペコと頭を下げる。
そんな私を見て、微笑ましそうに笑ってくれたんだけど、ふと、その表情が曇った。
『こんな私から出来るのは、ただ忠告することだけです。旅の御方、すぐにこの島からは出て行くことをお勧めします。こうして、眷属を打ち倒せた貴女方であっても、あの怪物――クラーケンには決して勝てません』
「クラーケン?」
まあ、ミニクラーケンが眷属なら、クラーケンが居てもおかしくはないよね。
『はい、とても恐ろしい怪物です。アトランティスの戦士達も、皆あれに打ち倒されたのです。今はいませんが、この島はもはやあの怪物の縄張りです。いつ帰ってくるかも分かりません。見つかる前に、早く逃げるのです』
よっぽど恐ろしかったのか、ウィルフィーヌさんの綺麗な顔が、恐怖と後悔で歪む。
ていうかこれ、お兄が最初に言ってた、イベントボスってやつだよね。水中戦になるかもしれないっていってたやつ。
けど、クラーケンと水の中で戦うってどう足掻いても死亡フラグだと思うんだけど、どうするんだろ。まだ何かあるのかな?
「ご安心を、姫。相手がいかなる怪物であろうと、この私が打ち倒してみせます」
「お兄?」
私がそうやって、このイベントの趣旨について考察してる間、ウィルフィーヌさんを見てずっと鼻の下を伸ばしてたお兄は、いきなりその場で跪くと、無駄に畏まった口調で何やら語り始めた。
えっ、何やってんの?
『しかし、あの怪物に立ち向かって行った者は皆、そう言って帰らぬ者に……』
「危険なのは分かっています。しかし、だからと言って、騎士である俺が逃げるわけには参りません。必ずや姫と、そして志を同じくする戦士達の仇、私が取ってみせましょう!!」
いや、いつからお兄、アトランティスの戦士と同じ志持ってたの?
なんて、私のジト目に気付くことなく、完全に騎士になりきったお兄は、その無駄にキラキラした目でウィルフィーヌさんを見つめ続けてる。
そんなお兄を、ウィルフィーヌさんは真っ直ぐ見つめ返し、しばらく悩むように瞳を揺らした後……
『……分かりました。そこまで言うのでしたら、どうか、我が祖国の無念を晴らしてください。お願いします』
意を決したようにそう言って、お兄の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
『あの怪物には、通常の攻撃はほとんど意味を成しません。しかし、アトランティスの英雄が、命と引き換えにその弱点を探り当てたと言われています。彼の霊もまた、この島の近くにいるはずです。きっと、貴方方の助けとなってくれるでしょう』
「分かりました。その者と協力し、必ずや姫の悲願を成し遂げてみせます。この誇りに誓って!」
無駄に騎士っぽいことを言いながら誓うお兄に、ウィルフィーヌさんはどこか嬉しそうに、強張っていた表情を緩め、優しく微笑んだ。
っと、そうだ、結構重要そうな話をしてたから忘れるところだった。
「あの、ウィルフィーヌさん!」
『はい、なんでしょう?』
「この指輪、多分あなたのだと思いますけど、違いますか?」
インベントリから取り出した、クエストアイテムの指輪。それを、ここの関係者っぽいウィルフィーヌさんに見せてみる。
『んー?』と、半透明な体でふわふわと近づいて来て、私の手にある指輪を覗くと、『あら……』と口元を抑え、本当に嬉しそうに笑った。
『この指輪、どこで?』
「えっと、この遺跡の入り口で、髑髏の中に入ってたんです」
『傍に、剣が落ちていませんでしたか? 盃と亀のレリーフが彫られ、青色の宝石がはめ込まれていたと思うのですが』
「すいません、剣はありましたけど、そこまでは。お兄は?」
「いえ、剣はありましたが、そのような物ではありませんでした。力になれず、申し訳ない、ウィルフィーヌ姫」
最初、ただの置物だと思ってそこまで重視してなかったから、あまりしっかり見てなかった私と違って、お兄はそこまで見ていたらしい。いつもはすぐ傍に置いてあるドレッシングの存在にも気付かないくせに、そういう時だけ視野が広いんだから……全く。
あとお兄、いつまでその演技続けるの? そろそろ私も普段とのギャップが酷すぎて噴きそうなんだけど。
『そうですか……いえ、こんなものを用意している人が、あの方以外にいるはずがありませんよね。きっと、動けない自らに代わり、別の者に届けさせたのでしょう……そうですか、ということは、あの方は最後まで、怪物相手に引くこともなく、戦い抜いたのですね……』
指輪を大事そうに胸に抱き、ウィルフィーヌさんは少しだけ辛そうな表情を浮かべた。
誰、とは一言も言ってないけど……クエストの名前も『失われた婚約指輪』だったし、つまりはそういうことだよね。
『ありがとうございます。私が死んだ後、あの方がどうなったのか気がかりでしたけど……あの方は最後まで、私を想っていてくれた。それが分かっただけで、私はもう思い残すことはありません』
そう言って、ウィルフィーヌさんの体が徐々に透け始める。
『旅の御方、どうか無理はなさらずに……ご無事で……』
最後にそう言って微笑むと、ウィルフィーヌさんは消えていく。
それを見届けると同時に、ポーン、とシステムメッセージが届き、クエストが達成された。
クエストチップとかゴールドとか、報酬として手に入った物がログとして表示されるけど、今はそれを確認する気分にもなれないし、ただ静かに目を閉じて、ウィルフィーヌさんの冥福を祈った。
「姫……あなたが愛した国は、必ずや私が取り戻して見せます。ですからどうか、安らかに……」
「お兄、いつまでアホみたいなことやってんの」
そんな辛気臭い雰囲気を誤魔化すように、無駄に格好つけながら宣言してるお兄にそう呆れた視線を向けると、そんな私にお兄は猛然と抗議してきた。
「今大事なところなんだろ、ここで格好つけないでいつつけるんだよ!」
「いや、大事なとこもう終わったでしょ。ていうか、格好つけて言う必要あるの?」
「あるんだよ! 少なくとも俺には!!」
「はあ、全くお兄は……」
まあ、そもそもRPGなんだし、こういう楽しみ方のほうが本来正しいのかもしれないけどね。
でも私には無理。絶対無理。
「けど、お陰でなんか重要っぽい情報も集まったし、今日の収穫としては十分?」
見つけたクエストは達成したし、この墓地を探索しきるには今日一日じゃ時間は足りない。
そう思って聞くと、お兄もまた「ああ、そうだな」と首肯を返してくれた。
「軽くこの墓地の周りを調べて、何もなかったら今日は帰るか」
「うん」
出しっぱなしだったビートを《送還》して、帰り支度を整える。
墓地エリアは怖かったけど、出来の良いお化け屋敷だと思えば悪くはなかったような気はするし、結果的にはあそこで引き返さなくて良かった。
「やれやれ、相変わらずの騎士道っぷりだな、《鉄壁騎士》?」
そんな風に内心で思っていると、私達の後ろから、いきなり聞きなれない声がした。
振り向いてみると、そこには黒系統のマントと服に身を包み、刃渡り2m近くありそうなくらい巨大な大剣を、軽々と片手で持って肩に担いだ男が立っていた。
大剣に比して大柄とも言い難く、特に筋肉質っていうわけでもない体付きが少しアンバランスで、見た目だけなら以前ウルの工房で会ったパパベアーさんのほうがずっと怖いんだけど、その野獣のような鋭い眼光と、歯をむき出しにして浮かべるその笑顔は、まるで死神に睨まれたみたいに私の心に恐怖心を呼び起こした。
「お前は……《狂獣》!! なんでここに!?」
これまで、ボスを前にしても、予想外の罠に引っかかっても、多少慌てはしても少しふざける余裕すらあったお兄が、初めて見せる焦った表情で、私を庇うみたいに前に立って武器を構える。
《狂獣》? そういう名前のモンスター……なわけないよね、さっきお兄に言った、《鉄壁騎士》っていうのはお兄がネット上で付けられたっていう二つ名だった気がするし、何よりプレイヤーカーソルが頭上に浮いてるし。
ただ、その色は……血みたいに真っ赤に染まってるけど。
「プレイヤーキラー……また私を狙って来たの?」
一週間くらい前、私の持つ《ライム合金》のレシピを狙って、PKに襲われた記憶が蘇る。
あの時は運よく助けられたけど、もしかして同じ理由で来たのかと思って呟くと、《狂獣》と呼ばれたプレイヤーは「ん?」と首を傾げた。
「ああ、思い出した。そっちのは《鉱石姫》か。最近《鉄壁騎士》が熱心に庇い立てしてるって噂だったけど、まさか本当に一緒にいるとはな。もう《万軍》の方は良いのか? 色男」
初めて私の存在に気付いたって言う態度で、男はからかうような視線をお兄に向ける。
そんな男の態度に、お兄はやれやれと肩を竦めた。
「生憎だけど、こいつは俺の妹だからな、そんなんじゃねーよ」
「ああ、なるほど、妹のお守か。そりゃあ大変だな」
分かる分かる、と頷くその仕草は妙に様になってるというか、実感が籠っていて、思わず緊張が緩みそうになる。
けど、その視線がお兄から私の方に移ると、すぐに蛇に睨まれた蛙のように、私はびくっと震えて動けなくなった。
「それで、さっきの質問だがな。俺は別にお前が作ったアイテムになんぞ興味はない。俺が求めるのは、血が滾るような激しい戦闘だけだ! だから、ここにいる理由も、他のプレイヤーがのんびり序盤の方を攻略してる間に、ガンガン奥まで進んで来る戦闘メインのガチプレイヤーと戦うため! それ以外に理由なんてねぇ!! そう、お前みたいな……なぁ! 《鉄壁騎士》!!」
「ったく、この戦闘狂いが……ちっとは自重しろよ、《狂獣》!!」
戦闘狂いって、お兄が言う? と、私は思わずツッコミそうになったけど、そんな暇すらなかった。
私が実際に口を開きかけた瞬きほどの一瞬のうちに、男の体が弾かれたみたいに飛び出して、気付けばお兄の目の前に居た。
容赦なく大剣が振り下ろされ、お兄の盾とぶつかり合う。
ズガァァン!! っと、金属同士が打ち合ったにしても重すぎる音が、静かだった墓地に響き渡った。
「巻き込まれたくなかったら、さっさと退いてな、《鉱石姫》!」
「ミオ、下がれ! 手は出すなよ、そうすればコイツも放っておくはずだ!!」
「う、うん」
正直、何がどうなってるのか、全くついて行けないけど、お兄と、更には敵であるはずの《狂獣》さんからも言われて、私はライムとフララを抱えたまま急いでその場を離れる。
「さあ、始めようぜぇ!! 楽しい楽しい殺し合いだ!!」
「俺はお断りだよ、くそったれめ!!」
私が離れたのを合図に、2人の打ち合いが――前にリッジ君がやった決闘とも、私が巻き込まれたPKの襲撃ともまた違う。ゲームによる、誰も死なない殺し合いが、始まった。
第30話でちらっと仄めかした伏線(?)をやっと回収できました。
戦闘狂って出してみたかったんです……
ともあれ、第三章もといイベント前半、初日編ももうすぐ終わりです。イベント後半部分で残り2週間弱……我ながら偏ったペース配分だなぁ(;^ω^)