第51話 水中戦とマングローブの森
セーフティエリアを出た私達は、再び海岸から先へ進み、島のマップから言うと、大体拠点の位置からぐるっと1/4周くらい回った辺りまで辿り着いた。
そこにあった分かれ道を、島の中央へ向かうほうを選んで進んでみると、これまであった砂浜は消え、代わりに海に半ば水没した森林――マングローブが広がり、ところどころ水面から飛び出た木の根が、心許ない足場として存在しているエリアへと出た。
「なんだか一気に足場悪くなっちゃったね。お兄、鉄の鎧着たままで大丈夫なの、これ?」
その足場を指差しながら、私は心配になってお兄に尋ねた。
木の根は太くて、それなりに丈夫そうではあるんだけど、流石に全身金属鎧に身を包んだ大の男が耐えられるのかどうか、ちょっと不安が残る。
「うーん、どうだろうな? とりあえず、乗ってみるか。ミオは下がってな」
「あ、うん」
そこで迷わずチャレンジに行けるのは、ここがリアルじゃないゲームの中ならではの行動だよね。リアルだったら、絶対そんなことせずに安全策取るし。
「ん、意外と行けそうか? ミオ、来ていいぞ」
「分かった」
お兄の太鼓判を受けて、私も一緒にマングローブの木の根が作り出した自然の(?)道へ一歩、足を踏みいれる。
確かに、見た目よりは頑丈そうで、私達が乗っていても大丈夫そうだ。
そう思って、先を行くお兄について行こうとしたところで、私の《感知》スキルが敵性モンスターの接近を感知した。
「お兄、モンスター!」
「むっ」
お兄が盾を構えて警戒するけど、周囲にはモンスターの影も形もない。
それもそのはず、そのモンスターは地上じゃなく、水中から接近していたんだから。
「ブラックアリゲーター……ワニ?」
近づく黒い影の頭上に浮かび上がったカーソルと名前を見て、私はポツリと呟く。
ワニっていうと、ワニ革なんてあるくらいだし、やっぱり手触り気持ちいいのかな? アクティブモンスター相手じゃ無理だろうけど、出来れば触ってみたいなぁ。
なんて、悠長なことを考える余裕があるのは、そのブラックアリゲーターがいる水中と、足場の上にいる私達とでは、その距離がそれなりに離れてるからだ。
もしかしたらよじ登るくらいは出来るのかもしれないけど、そうなるまでは流石に時間があるだろうし、ゆっくり観察するくらいの余裕はある。
けど、そんな風に思っていた私の油断をあざ笑うかのように、ブラックアリゲーターは私達が足場にしているマングローブの木の根、そこへ思いっきり体当たりした。
バキバキバキバキッ!
「「あっ」」
お兄と私の声が、綺麗に重なる。
耳に響いた嫌な音は止まることを知らず、生じた罅はあっという間に木の根全体に広がっていく。
それを見るなり、私はすぐさま後ろへ下がり、ブラックアリゲーターが攻撃したのと別の木の根に支えられた足場へと移動する。
「うおぉ!?」
「お兄!!」
けど、元々盾戦士ビルドでAGIはあまり高くないお兄が、この変化についてこれるはずもなく。崩れた足場と一緒に、あっさりと水の中へと落ちていった。
別段、高さがあるわけでもなかったし、普通なら泳げばいいじゃんで終わりなんだけど、お兄は全身金属鎧で、当たり前だけどどう足掻いても水には浮かない。そんなに水深が深いわけでもないのに、ブクブクと沈んでいったきり戻って来れない様子だ。
さすがに、溺れるっていう状況はお兄としてもパニックにならずにはいられなかったのか、じたばたと水中でもがくばかりで意味のある行動はほとんど出来てない。そして、そうこうしてるうちにお兄のHPが減少を始めた。リアルだったら溺死待ったなしの状況だけど、お兄の様子を見るにパニックにはなっていても、それほど苦しそうには見えないから、やっぱりアバターの体は呼吸はしていないのか、そうでなくても苦しさは覚えないのかもしれない。
「お兄、暴れてないでさっさと鎧脱ぐ!」
叫んでみるけど、水中の中まで声が届いてないのか、それともただ混乱してるだけか。理由はともかく、動きに変化が見られないから、私は急いでメニュー一覧から、普段あまり使わない機能……フレンドのメッセージ機能から、音声通話を呼び出して、お兄にコールする。
「お兄ーー!! 装備全解除、早くしないと溺れて死に戻るよーーー!!?」
『がぼぼぼぼぼ!?』
コール画面に向けて思いっきり叫ぶと、突然の大声に驚いたのか、お兄が奇声を発して空気を吐き出し、HPの減少が加速した。うん、このやり方はちょっと失敗だったかな? あと、やっぱりアバターも息自体はしてるらしい。
ただ一応、それですべきことが分かったのか、お兄はようやくメニュー画面を操作して、鎧の解除に取り掛かり始めた。
これで一安心……と思ったのも束の間、水中でメニューを操作するお兄に、ブラックアリゲーターが急接近していた。
『もがが……!』
鎧を脱いだ状態で、接近してくるブラックアリゲーターに対して槍を構えるお兄。
けど、やっぱり水中だと上手く動けないのか、なんだかぎこちなく見える。
「もう、お兄は世話が焼けるんだから」
ただでさえ、その前にじたばたしたせいでHPが減ってるんだし、ひとまず体勢を整えるためにも、私が気を引かなきゃ。
「《召喚》! 来て、ビート!」
まずはビートを呼び出すと、私はその場でローブを脱いで、キャミソールの服1枚になると、腰に装備してあった解体包丁と短杖をライムに預かって貰う代わり、インベントリから前にPK達のアジトから脱出する時にも使ったロープを取り出し、腰に巻き付けた。
「ビートはロープ持って、私がブラックアリゲーターの動きを止めたら引っ張りあげて。フララは周辺警戒、敵モンスターが来たら《風属性魔法》で足止めして。ライムは私と一緒に来て、息が続かなくて減ったHPの回復お願い!」
指示を出し終えると同時に、みんなの返答を待たずに水中に飛び込む。
学校のプールの授業とかでは泳ぎに苦戦したことはないんだけど、今は服を着てるせいか、妙に動きづらい。とはいえ、水着もないのにこんな他のプレイヤーも普通に来る場所で下着姿になるのは嫌だから、そこは我慢する。
『さて、お兄の様子は……』
見れば、お兄は防具が無いにも拘らず、ブラックアリゲーターの攻撃を槍と蹴り技とで上手く捌いていた。
あんまりダメージ受けてるように見えないけど……実はブラックアリゲーター、ATKがあんまり高くないのかな? だとしたら好都合だけど。
そう思いながら、一緒に水の中に飛び込んだライムと2人で近づいていくと、ちらっとこっちを向いたお兄と目が合った。
とりあえず、時間を稼ぐからお兄は息継ぎを、って感じにジェスチャーを飛ばすと、伝わったのかお兄はその場でこくりと頷いた。
うん、よし、流石に兄妹なだけあって、意志疎通はバッチリだね。
『それじゃあまずは……ワニ退治と言ったら、この手だよね』
鞭を腰から抜き、ワニに向けて構える。テレビか何かで聞きかじった知識だけど、ワニは口を閉じたまま抑えると無害になるって聞いたことあるし、やってみよう。
『《バインドウィップ》!』
水中で声は出せないから、心の中で叫びながら鞭を振るえば、《ブルーテンタクルス》の青い触手みたいな部分が伸びて水中を駆け、ブラックアリゲーターの口を縛り上げる。
この水中で唯一と言っていい武器を失ったブラックアリゲーターを見て、お兄はすぐさま離脱して、水上を目指し浮上して行った。
『よし! ……って、ひゃああああ!?』
内心でガッツポーズをしていると、ブラックアリゲーターは口を縛られたまま体を暴れさせ、それに釣られて私の体が強引に引っ張られる。
《ブルーテンタクルス》は伸縮自在。伸ばそうと思えば伸ばせるし、縮めようと思えば縮められるけど、ただ1つ、拘束系アーツを使用して対象を拘束している間は、対象が抵抗して引っ張る力に合わせて、自動で縮む力が働いてしまう。
普段であればそれはいいことなんだけど、水中じゃ、地上みたいに踏ん張りが効かないせいで、それほどATKが高くなさそうなブラックアリゲーター相手でも抵抗できず、かと言って力を緩めて離脱することも叶わず、私の体は玩具みたいに振り回された。
『ちょっ、タンマタンマ! 何あのテレビ、口抑えても全然ワニ無力化出来ないじゃん! 嘘つきぃぃぃぃ!!』
名前も覚えてないどこぞのテレビ番組に文句を言いながら、私の頭はこの状況の解決策を考えるけど、ただでさえ息を止めたまま、こんな激しく振り回されていい案なんて浮かぶはずもない。更に、悩んでいるうちについに減り始めたHPゲージが視界に映ると、ライムがその都度ポーションで回復させてくれると分かっていても焦りが募り、余計に判断が下せなくなる。
「《スピアチャージ》ぃぃぃぃ!!」
すると、海面から声が響くと同時、槍を構えたお兄が水中を一直線に突き抜け、ブラックアリゲーターの胴体を貫いた。
さっきの《バインドウィップ》もそうだったけど、どうやらアーツなら、水中であっても抵抗を受けずに攻撃出来るみたい。
お兄の攻撃でHPを大きく減らし、ブラックアリゲーターが怯む。
その瞬間、私の体に括りつけられていたロープがビートに勢いよく引かれて、鞭で縛られたブラックアリゲーター諸共、水上へと強引に釣り上げられた。
「ひゃああああ!!!」
私を餌にした強引なフィッシングで、ブラックアリゲーターを釣り上げたビート。
ついでに、槍を突き刺したままだったお兄も釣り上げられてるけど、事前の打ち合わせもなかったはずなのに、自分から指示しておいた私よりもなぜか驚きが少ないみたい。なんで?
「ぷはあっ、よし、地上でなら全力でボコれる! 行くぜミオ!」
「分かってる! ビート、お願い!」
お兄がもう一度槍を構え、私もまた、ビートに指示を出す。
ブラックアリゲーターは、いきなり地上に投げ出されたショックでか、《気絶》の状態異常にかかっていて、柔らかいお腹を上に向けたまま、文字通りまな板の上の鯉状態だ。これなら、いくらでも攻撃出来る。
「これで、終わりっ!」
お兄の槍と、ビートのツノがブラックアリゲーターに突き立てられ、ようやくそのHPが0になって砕け散る。
それを確認した私は、ふぅ、と息を吐いて、その場に座り込んだ。
確かに、今回のイベントは南の島が舞台だけど、だからってまさか水中戦闘をすることになるとは思ってなかったから、なんだかすごく疲れた。
「それにしても、水中戦ギミックか、厄介だな」
へたり込む私を他所に、お兄の方は手慣れた様子でこのエリアの考察に入ってるらしい。
うーん、流石ゲーマー、元気だなぁ。
「これがイベントの目玉何だとしたら、他のエリアでも似たような感じのところがあるかもしれない。場合によってはボスが水中での交戦なんて可能性も……」
「えぇぇ、ボス戦まで水中バトル!?」
「もしかしたら、な。完全に水中とは言わずとも、一歩間違えれば叩き込まれるようなギミックはあるかもしれん」
もしかしたらと言いつつも、お兄はほとんど確信を得た様子でメニューのメモ帳機能に何やら書き込みを始めている。
うー、水中戦か。足場がなくちゃ踏ん張りが効かなくて《バインドウィップ》の効果が微妙だし、《投擲》スキルも水の抵抗を受けるんだとしたら役に立つか微妙だし、何よりフララやビートみたいな飛行系のモンスターが戦闘に参加できない。私にとって、ハンデマッチもいいとこなのに、これがボス戦でもあるんだとしたら大分厳しい。
「まあ、これはあくまで俺の予想だし、もしそうだとしたら、この島のどこかに、それに適したアイテムやそのレシピなんかが手に入る場所があるだろうから心配すんな。そういうわけで、俺達はこのまま、そういうアイテム無しでどれくらいゴリ押せるのか試すぞ、ミオ!」
「わ、分かったから、ちょっと休憩しようよ」
「何言ってんだ、さっきしたばっかりだろ? ほら、行くぞ!」
「うえぇ~~~」
ゲームのこととなると無駄にエネルギッシュなお兄の背中を見て、がっくりと項垂れる私。
そんな私を見かねてか、寄り添って慰めてくれるモンスター達の温かさに癒されながら、私もまたさっきより幾分か重くなった気がする腰を上げ、インナー姿のまま駆けて行くお兄の背中を追って、マングローブエリアへと再び足を踏み入れた。
皆さん夏は海や川に行きましたか?
作者は盆休み中ずっと部屋に籠って執筆or読書に打ち込んでおりました!(ぉぃ