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恋の至近弾  作者: 上地貴文
2/5

カサノバの夕べ

ケース2 カサノバの夕べ


 相羽秀樹です。物心ついた時から、私は妙にモテました。


「いきなり、かましてくれたな」

「ははは。楽しみですね」


 初体験は中学二年でした。


「今日は下ネタの日ですか?」

「そういうわけじゃないけど」


 中学時代は、完全な不良ではないのですが、ちょいワルでした。これが、その頃の写真です。


「どれどれ。これもまた、いい男ですねえ。はあ、ぼくの友達には絶対いないタイプですよ」

「初体験の相手は同級生?」


 いえ、中学の担任でした。皆川先生という、当時四十手前の女教師です。


 またコケる師匠と弟子。

「えーっ?」

「えーっ?」


 ある日、居残りを命じられたんです。個人指導があるみたいな、怖い顔されて。で、放課後に恐る恐る誰もいない理科室へ行ったら、中から鍵をかけられて、いきなり……。


「そんなことって、本当にあるんですね」

「エロ小説か、怪しげなビデオの中にしかないと思ってたけどな。で、それはずっと続いたの?」


 一ヶ月ぐらいですかね。先生たちの間で怪しまれ始めまして、やがてそれが校長先生の耳に入りました。調査が入って、すぐに皆川先生はどこかに飛ばされました。最後の方は、先生の旦那さんも異変に気がついていたみたいです。


「ええっ、既婚者かい?」


 はい。それを皮切りにいろんな女性が私のところへやって来ました。同級生のみならず、遠縁ですけど、親戚のお姉さん、近所の奥さん、友達のお母さん……。


「えーっ?」

「なにーっ?」


 最後のはさすがに一回だけですけど、その友達とは今でも同窓会で会うたびに気まずいです。ははは。


「笑っている」

「まさに色情因縁に取り憑かれていますよね」


 そうなんですよ。大人になってからお祓いしようと思いまして、そういう色情運というんですかね? 取り除いてくれるというので有名な神社に行きました。


「ほお」


 そうしたら、お参りした帰りに神社の巫女さんに声をかけられて、そのままラブホテルへ行きました。


「えーっ?」

「えーっ?」


 もう一切、女を絶とうと誓いをたて、家に引きこもったことがあったのですが……。


「……」

「……」


 その晩、近所の女子大の寮から、半裸の女子大生たちが集団で押しかけてきました。必死の抵抗もむなしく……。


「えーっ?」

「えーっ?」


 すみません。最後の神社と女子大生は嘘です。


「あーっ、びっくりした」

「ややこしいな、もう」

「一瞬、信じちゃいましたよ。寝ている間に普通、冗談言いますか?」


 ごめんなさい。つい、口がすべりました。話を学生時代に戻します。そういう乱れた生活を中学から送ってきたわけですが、不思議と学業の成績は良かったです。高校も進学校に行きました。


「へえーっ」

「勉強が好きだったわけ?」


 特に好きというわけではありませんでした。授業は真面目に聞いていましたし、家でも普通に勉強していました。


「で、高校に行って、少しは改心したわけ?」


 逆です。ますます乱れました。進学校の中にもちょいワルのグループがありまして、いつの間にか、その中に入っていました。まあ、それからは同じ高校やら、近所の女子校やら、バイト先やらで、めちゃめちゃでした。


「さっきの大川さんの時は、ちょっと痛々しい気がしましたが」

「こちらは正直、うらやましい」


 なぜか、次から次へと女性が寄ってきては交際を申し込まれるのです。ぼくも結構、頼まれると嫌と言えない性格ですし、断ったことはありませんでした。まさに取っ替えひっかえの毎日でした。


「どんな高校生だ」

「断らないって、すごいですね」


 でも、心の奥底には、こんなのいけない、ちゃんと真面目に生きなければという思いがあったのです。


「本当ですか?」


 女性とのお楽しみも、たまにあるからいいのであって、毎日やってみてくださいよ。ほとほとうんざりしますから。


「困るほどそんな目に遭ったことないから、わからんな」

「同じく」


 ところが、大学へ行くと、その乱れきった生活は、困ったことに、さらにエスカレートしてしまいました。


「全然、改めようと思ってないじゃない」


 理系の学部へ行ったので、女性は少なかったんですよ。ここなら、落ち着いて勉強に打ち込めると思いました。ところが、つき合った友達が悪かったんです。


「男ですよね?」


 はい。同じクラスの奴で高崎っていうんですが、妙にそいつと気が合って、いつもつるんでいました。これがナンパ好きの男でして、しかも血も涙もない奴でした。ことが終わると、すぐ女の子を捨てちゃうみたいな。


「いやですね、そういうの」

「続けて」


 はじめは可哀想だなと思ったんですけど、気がつくと、私も一緒に始めていました。今のクラブ、当時はディスコと言いましたが、そんなところや、街角で、とにかく声をかけまくりました。休みになると離島へ遠征し、一緒に暴れまくりました。


「なるほど」


 それまでは、どちらかというと受け身の姿勢だったのですが、この頃から攻めに転じたわけです。もともと向こうから来ていたわけですから、こちらから声をかけると、面白いように釣れました。


「勝手にしろと言いたいけど、まあ聞こうか」


 妙な競争心が生まれまして、お互いに数を競っていたんですね。ちなみに大学四年間で達成した人数は……。


 相羽は両手を何回か使って数字を表した。表情を変える二人。


「……」

「まさに畜生道だな」


 高崎とディスコで女の子をナンパし、奴の部屋に持ち帰って、二対二で暴れたこともあります。おっしゃる通り、まさに獣道です。もう一組がいるところで、そういうことをやるんですから。初めは冗談半分でプロレスみたいなことをやっていたんですけど、それがエスカレートして、だんだんアクロバティックになっていきました。体の硬い女の子には大変だったと思います。


「知るか」


 人類に可能な、ありとあらゆる体位に挑戦しました。覚えていませんが、私は女の子を肩車していたこともあったそうです。


「えっ?」


 しかも高崎が、それを友達連中にバラしたため、私は水戸黄門のキャラクターにちなんで、「肩車の弥七」と呼ばれることになりました。


「嘘だね?」


 はい。


「いいですね、その性格」


 この頃になると、私にとって女性は血の通った人間ではなく、単なる狩りの対象であり、まさに獲物でした。相手も納得済でのお遊びならいいのですが、私とちゃんと交際するつもりでそうなった女性たちは、結果として深く傷つけることになりました。


「そういう人もいたんですね……」


 相手が人間に見えないわけですから、泣こうが、わめこうが、もうどうでもいいわけです。ただ、刺されないようにだけは気をつけていましたが。デートの約束をして、当日もっといい子が見つかったからと、すっぽかしたことだって何度もありました。当時は携帯電話がありませんでしたので、連絡の取りようがないわけです。


「可哀想になあ」

「相手の子は、その日を楽しみにして、一生懸命、洋服を選んだり、お化粧したりしているわけですよね?」


 おっしゃる通りです。ただ、その頃は、そんな行動を何とも思っていませんでした。むしろ、男の勲章ぐらいに感じていたと思います。今から思うと、本当にお恥ずかしい限りです。


「ぼくには絶対できませんね」

「普通の男には、できないだろう」


 そんな感じで、本当に調子に乗っていたわけです。女性の数については、私は高崎に大きく差をつけて勝ち、自信満々でした。

 そんな大学生活も終わりになろうかという、ある日の話です。高崎の家に私と悪友二人が遊びに行きました。酒を飲み、すっかり酔っぱらった私は一人、横になって寝てしまいました。

 しばらくして目が覚めると、三人が声をひそめて大笑いしていました。やばい、こいつが起きちゃうじゃんという声が聞こえてきました。どうやら、私のことを話していたらしいのです。寝たふりをして、彼らの会話に聞き耳を立てました。すると、なんと彼らは、私をネタにして笑っていたのです。


「ふむふむ」


 彼らは、私が落とした女性たちが、いかにブスだったかで盛り上がっていました。ありえねえよな、こいつと腹を抱えて爆笑していたのです。


「えーっ?」


 それは、まさに嘲笑でした。彼らは私のことを心底から馬鹿にしていました。高崎には、そして残りの二人にも、私に対する友情などみじんもありませんでした。彼らを友人だと思っていたのは、私の方だけだったのです。


「ちょっと友達のことは置いといて、そのブスだとか言われているのは?」


 これが、大学時代につき合った女性たちのスナップ写真です。


「うわっ!」

「コメントは差し控えとこう」

「頭の中で、勝手に容姿端麗の女性たちがナンパされるところを想像していました。よく考えると、そんなわけないですよね」

「よくな、スカウトとかナンパとかで、百発百中だと豪語している奴がいるだろ。もちろん、大げさに言っとるのがほとんどなんだけど、そこそこうまくいってる奴も、別に道行く女性すべてに声かけて、うまくいくはずなんかない。あいつらは、うんと返事しそうな子を見分けるのがうまいだけだ」

「なるほど。それは、そうですよね」


 自分でも薄々気がついてはいました。私には面食いとか、そんな嗜好はないのです。基本的には来るやつみんな来いですし、人に言わせると、選りすぐりのすごいのが私のところに集まっているらしいのです。


「ご本人を前にして何ですけど、写真のこの子たち、外見だけじゃないですね、問題は」

「はっきり言うな。でも、確かに、これはどう見ても、頭と性格も相当悪いぞ」

「師匠の方がひどいです」


 私は自分がモテるつもりで天狗になっていましたが、実は見境無しに手を出す、いかもの食いだと、周囲から思われていたのです。不細工な女性に愛の手をさしのべる、救世主メシアとか、現代のフランシスコ・ザビエルとか言われておりました。


「まあ別に、ご本人がそれでよしと思われているなら、いい気がしますけど」

「そうだなあ」


 その後ですけど、私がブス好きだという噂が広まり、友人の紹介では、まず女性が寄ってこなくなりました。


「ははは」

「自業自得だ」


 それに加えて、無自覚で声をかけていた時はよかったのですが、自分が声をかけようとしているこの子はブスかもしれない……と考えるようになってから、ナンパがうまくいかなくなりました。


「いちいち考える必要があるんですかね?」

「見ればわかりそうな気がするけどな」


 ああいうのは、考えないからできるし、うまくいくんです。いちいち悩んでいたら、絶対できません。


「お答えと我々の疑問が、微妙にかみ合っていない気がしますが」

「気にしないでおこう」


 大学生活が終わった時、にぎやかな生活を送っていたはずの自分が、とてつもなく孤独であることを感じました。友人と思っていた連中はそうではなく、心を許せる彼女と呼べる存在も最後にはいませんでした。すべては通りすがりか、寄ってきた子を冷たく突き放してきた結果が、これです。


「なるほど」

「あまり同情する気にならんけどな」


 おっしゃる通りです。気がつくと、私は女性とうまく付き合えない人間になってしまっていました。セックス抜きでは、どう接すればいいか、よくわからなくなっていたのです。


「……」

「……」


 そんな状態でも、一応社会人にはなれました。大学ではほとんど勉強していませんでしたから、ラッキーだったと思います。当時はバブルの時代でした。今の厳しい就職事情ではとても無理だと思います。


「まあ、そうでしょうね」

「会社は、どこに勤めたの?」


 外資系のIT企業です。今では考えられないほどの大量採用をしていまして、来る奴はみんな採用しろみたいな状態でした。その中に潜り込んだわけです。

 馬鹿みたいに忙しい会社でした。毎晩、終電が無くなるまで働き、それから飲みに行きます。平均して午前三時ぐらいにタクシー帰宅です。翌日は当然起きられないので、みんな昼前後に出社します。毎日が、その繰り返しでした。


「まさにバブル時代だな」

「当然、本当に忙しい時はあるでしょうけど、毎日毎日、本当に深夜までオフィスに残る必要があったかは疑問ですね」

「ないない、そんなの。飲みに行ってタクシーで帰るまでがワンセットになっているだけだ。本当に全営業日、深夜残業が発生するのなら、会社の人員配置が誤っている」


 何だか早く帰るのは悪いことみたいな雰囲気がありました。あとでお話しますけど、仕事はいろいろ無理なこと、きついことが多く、みんなそれを酒で発散しようとしていたのです。結構いい給料をもらえる会社だったのですが、溜まるのはストレスばかりで、貯金はさっぱり貯まりませんでした。


「そういうもんだ」

「バブルの頃の大手証券会社の話を聞いたことがあります。そこは給料が高いので有名だったのですが、人の二倍働いて、三倍遊び、四倍お金を使うと言われていました。サラ金の上得意には、結構一流会社の社員が多いそうですね」

「ストレスと共に入った金は、ストレスと共に排出しようとするものだ。自分にご褒美とか言ってね。考えてみれば、当たり前なことなんだけどな」


 平日はそんな感じでしたし、休日出勤も珍しくありませんでした。日曜日にミーティングとか言って、平気で招集がかかるのです。ですから、たまに土日が完全な休みになると、息も絶え絶えに寝込んでいる状態です。


「学生時代チャラチャラしていたのに、ずいぶん鍛えられたな」

「神様は、ちゃんと見ていますね」


 自然と、人間関係は狭くなっていきました。細々とあった学生時代の友人との付き合いも、私があまりにキャンセルをするので、自然と声がかからなくなりました。


「いますよね。仕事だからって、平気でプライベートの約束を踏みにじる人が」

「約束に優劣はないんだけどな。万一、万一だぞ。約束を果たせなかった時、人は全力でリカバリーをしないといかん。次の飲み会は必ず自分がセッティングするとかな」

「それをやらないのは、友達に対する甘えですよね」


 お恥ずかしいことですが、私は全くそんなことを思いませんでした。プライベートの人間関係を維持しようとしなかったのです。無くなるがままにまかせてしまいました。

 当然のことながら、女性関係も会社の中に限られることになりました。


「おっと、また来たぞ」

「三つ子の魂百まで、ですかね?」


 もともと社内結婚も多い会社だったのですが、それ以前の男女関係も相当乱れていました。品のない言い方ですが、××さんと、○○さんは同じ女性を相手にした兄弟だなどということは、公然の秘密になっていました。みんな極めて狭い世界の中で、つき合っては別れてを繰り返していたのです。


「私は一度も、そういう乱れた世界に身を置いたことがありません。本当にあるんですね?」

「これはな、あるところにはあるし、ないところにはない。目に見えない境界線があって、人は自分が属さない方には絶対行けないようになっている」

「たまには、あっちに行きたい気もしますけどね。楽しそうじゃないですか」

「どうかな?後悔するよ。と言うか、神経が持たないよ。こっち側の人は」


 まさに仕事でクタクタ、男女関係でドロドロで、気の休まる暇がありませんでした。ここは無間地獄か? と思ったものです。


「そうだろうね」


 そんな頃、私には気になる同期入社の男がいました。村山というのですが、こいつが真面目なのです。そんなに仲がいいというほどではありませんでしたが、同じ営業部にいたため、自然と行動を共にすることが多かったのです。


「ふむふむ」


 男女関係が乱れきった会社で、一人あいつだけはストイックを貫いていました。私が知っている限り、誰にも手を出していないはずです。


「手を出していないのが少数派って、すごいですね」


 あいつ、簡単に言うと、超がつく面食いなんです。それがわかった頃、私は既に会社でブス殺しとの異名をとっていました。


「ぷっ」

「殺してない。仲良くしているじゃないか。必要以上に」


 私や、他の社員がつき合った女性たちはお眼鏡にかなわないらしく、奴は全く興味を示しませんでした。なかなかいい男だし、話すと面白いので、女性社員からは結構人気があったようです。


「なるほど」


 同期入社ですから、どうしても営業成績は比較されます。私は燃えました。奴にブスと思われた女性たちの名誉にかけても、負けたくなかったのです。


「よく意味がわかりません」

「同じく」


 さっき、全員が毎日深夜残業みたいなことを言いましたが、あいつだけは例外でした。私たちはそんなに仕事がなくても、ダラダラ会社に残る傾向があったのですが、村山はそんな時、さっさと定時で帰宅してしまいます。


「ものすごく普通に聞こえますけど」


 第三者からは、そう思えるかもしれません。しかし、現場にいる人間に取っては、すぐ帰る人間にどうしても違和感を持ってしまうのです。仕事をしていないんじゃないか?とか、楽しているのではないか?と、やっかみを言う奴もおりました。


「実際には、すぐ帰る人の方が、成績が良かったりするんだけどね」

「へえ、そういうものですか?」

「本当に忙しい社員は別にして、毎日タラタラ残っているだけの連中は仕事している気になっているだけだ。実際は会社にいる時間が長いだけで、何にもしてない奴も結構いるからね」


 社員の間では、あいつは一人で何をやっているのだろう?と、よく話題になったものでした。


「そういうのが、無駄な時間だってんだよ。早く帰れ」


 私は同期ですから、それとなく村山に尋ねてみました。すると、一人で映画を見に行ったり、自宅で本を読んだりしているとの答えでした。なんて暗い奴だと思ったことを覚えています。映画なんて女と見るものだし、家で淋しく本を読むなんて、私にはありえないことだったのです。


「毎日会社に深夜までおる方が、明るい生活か?」

「そうですよね」

「さっきも言ったけどな。一人の時間をしっかり過ごせん者に人間的な成長はない。ひとりぼっちを馬鹿にしたらいかんよ」


 今では皆さんがおっしゃる方が正しいことは私にもわかります。ただ、その頃の私は、自分たちがドロドロの沼に首までつかっているのに、あいつだけが口笛吹いて、そのへんを散歩しているように見えてしまったのです。


「なるほど」


 今思うと、自由に見えたあいつを嫉妬していたのかもしれません。私は奴にあらゆることで勝つことによって、自分の生き方が間違っていないことを証明したかったのだと思います。

 まずは営業成績です。私は仕事に全身全霊を傾け、とにかく契約を取ることに邁進しました。同期でトップになりたかったのです。営業日報で、週報で、月報で、私は村山に勝ち続けました。


「いいことだと思いますけど」

「エロ三昧の毎日にくらべたら、堅実じゃないか」


 ところが、当時の外資系IT企業というところは、どん欲なところでした。売れなかったら盗んで来いぐらいのことを平気で言います。まず外人のトップから前倒しだのプッシュだのと指示がでるわけですが、無から有が生まれるわけがありません。結局、みんな架空売上まがいのことをやって、数字を作っていました。何しろ給与体系が完全歩合給でしたから、生活のために何でもやるわけです。


「当然、つじつまは合わせないといけないよね」


 その通りです。外資系は四半期決算ですから、最後の決算月で無茶やって数字を上げ、次の二ヶ月で後始末をし、そしてまた決算月で……の繰り返しです。


「普通に売った方が、売上が上がるような気がしますけどね」

「それができないのが、外資系だ」


 たとえば、今日が四半期の最終日だとします。明日だと百円で売れる物を今日中に十円でたたき売れ! というモードでした。


「強烈ですね」


 気がつくと、数字のでっち上げは日に日にエスカレートしていきました。周囲もやるから自分もと、感覚が麻痺していたのです。

 ある四半期最終日のことでした。私は上司から、その日までに契約が取れそうになかった顧客の社印を作れと命じられました。


「えーっ?」

「私文書偽造だよ、それ」


 さすがに私もまずいのではと抵抗しましたが、翌週中には本物の契約が入るから大丈夫だ、こんなことはよくあることだと丸め込まれ、言うことを聞くはめになってしまいました。その話は最初に村山に持ちかけられ、彼が強硬に拒否したという話も聞きましたので、逆に自分がやってやろうという気にもなりました。ここで危ない橋を渡ってでも、奴に差をつけたかったのです。

 私は年賀状などに使うゴム板と彫刻刀を文房具店へ買いに行き、会社の密室で工作に励みました。もともと手先は器用だったのです。


「そういう問題じゃないと思いますが」


 で、その結果は、皆さんのご想像通りです。その契約は我々が思っていたほど、受注確度が高くなかったのです。


「うわーっ」

「あらあら」


 後からわかったことですが、商談は消滅と言う以前に、もともと存在しなかったと言った方が正しいぐらいの話でした。お客が多少関心を示した程度の話が、いつの間にか「受注確実」に変わっていたのです。期末が近づいて、数字を何とかしたいという皆の願いが、そんなフィクションを真実だと思いこませたのかもしれません。


「人間、追い詰められると、何でもしてしまうという見本だな」

「恐ろしいことですね」


 そして期末が終わり、みんな目がさめました。あわてて架空発注を取り消そうとしましたが、時すでに遅し。顧客から問い合わせが入り、すぐに社内監査で我々の悪事が発覚しました。

 当然のことながら、印鑑を偽造した私が一番厳しく追及されました。信じられないことに、その指示を私に出した課長は、まさか本当にやるとは思わなかったと、知らばっくれようとしたのです。人間不信になりそうでした。


「えーっ?」

「人間のクズだな、そいつ」


 さすがにそれは通じず、彼は退職に追い込まれました。その他にも関与した数名が他部署や子会社に飛ばされました。私は若かったですし、上の圧力に逆らえなかったという事情はくんでもらえたものの、やはり実行犯ですから懲戒的な異動がありました。


「どうなったんですか?」


 営業には変わりありませんが、新規顧客開拓を専門とする部隊に配属されたのです。 要は通称テレアポと言う、いきなり見ず知らずの会社へ電話セールスをかけたり、飛び込み営業をやったりするところでした。それぞれにノルマがあり、電話は百本、飛び込みは三十社を毎日やらされました。

 電話はパソコンと接続されていて、通話先と通話時間が記録されますし、飛び込みは夜にその日入手した名刺の数をチェックされます。ですから、やったふりをすることはできませんでしたし、数が足りないと人間性を否定されるほど厳しく叱責されます。


「そういうのって、効果があるんですかね?」


 あるはずがありません。最近ではどこの会社でも、飛び込み営業など相手にしないのが普通です。うちの会社も成果などは期待しておらず、要は辞めさせたい社員をそこに集めただけだったのです。日本の法律ではそうそうクビにできませんから、つらい目に遭わせて自発的に退社するようにし向けるための部署でした。


「仕事が大変なのはよくわかりますが、今日は恋愛の話じゃありませんでしたっけ?」

「まあ、ここからでしょ?」


 はい。その問題の恋をした時の状態をご理解いただきたかったので、延々と会社の話をさせてもらいました。


「すみません。続けてください」


 そんな毎日でしたから、とにかく会社が嫌で嫌で仕方ありませんでした。まず始めたのは転職活動です。複数の転職あっせん会社に登録し、片っ端から面接を受けました。しかし、条件が合わず、これといった会社にはなかなかめぐり合うことができませんでした。勤めている会社にはすっかり嫌気がさしていましたが、だからと言って、給料を極端に下げてまで転職する気にもならなかったのです。その頃勤めていた会社は、明らかに給与水準が高かったので、転職で同等以上の収入を確保するのは至難の業でした。

 そんな状態で悶々としていたある日のことです。思わぬ人から電話がありました。

 それは大学時代の悪友、高崎でした。大学を出てから数年ぶりに連絡があったのです。驚いたことに彼は結婚すると言いました。


「へーっ」

「遊び疲れたということなんですかね?」


 さっそく高崎とその彼女、私の三人で飲むことにしました。

 約束の日、待ち合わせ場所で彼女をひと目見て、私は固まりました。あまりに美しかったからです。いくら私が顔にこだわらないと言っても、美人は美人だとわかります。


「それは、もういいんじゃないの?」

「ははは」


 彼女は短大を出て、少しの間OLをやっていましたが、退職。今は花嫁修行中ということで、料理学校に行ったりして毎日を過ごしているそうでした。


「今でもあるんですね、花嫁修業とかいう言葉」

「要は無職なんだけどな。何となくイメージがいい気がするから、不思議だ。逆にフリーターはバイトでも働いているんだけど、なぜかイメージ良くなかったりする」


 私は心の底から嫉妬を覚えました。なぜ、あのチャラチャラした男が、こんないい女を手に入れられるのか?どうしても理解できませんでした。


「チャラチャラはお互いさまかと」

「続きを聞こうか」


 彼女が席をはずした隙に私は尋ねました。どこで彼女と知り合ったのかと。明らかに奴がナンパで引っかけるたぐいの女性でなかったからです。

 すると、ニヤケっぱなしの高崎は思わぬことを口にしました。彼女を見つけたのは、結婚相談所だというのです。

「へーっ」

「なんで、また?」


 だれかの紹介らしいのですが、そこがちょっと変わっているのです。男性の入会金や会費は安いのですが、女性のそれが極めて高額なのです。聞いてみると、月の会費がサラリーマンの平均的な小遣いぐらいだそうでした。


「えーっ?」

「普通は逆だよね」


 そうなんです。だいたい、男性が高い会費を払ってというところが多くて、そこで血眼になって女性を捜すもんですよね。だから、悪徳な業者はサクラの女性を入れたりとか、よく聞いたことがありました。でも、その業者は違ったのです。

 高崎の話によると、それにはちゃんとわけがありました。


「何でしょう?」


 男性の入会資格が、とても厳しかったのです。医者か弁護士か経営者、または一部上場企業の部長職以上でした。


「失礼ですが、高崎さんはそこに当てはまらないんじゃないですか?」


 その通りです。それだけでは人数が集まらなかったのか、もう一つ入会資格が増えました。年収制限です。額としては、いわゆる大台とお考えください。そんなに高くないなと思われるかもしれませんが。


「でも、普通のサラリーマンの倍ですよ」

「よく統計に出てくるのは全サラリーマンの平均だからな。歳をとって役職についた人も含まれているのよ。結婚適齢期の若い世代だけ切り取れば、もっと下がるはずだ」


 高崎は商社に勤めておりまして、やはり私同様、残業が多かったものですから、その基準は楽々クリアしていました。だから、問題なく入会できたのです。


「なるほど」


 彼は私をその相談所へ入会するよう勧めました。いかにリーズナブルで、女性会員が素晴らしいかを熱っぽく語るのです。私は次第に心を動かされました。もし高崎の彼女のように美しい女性を手に入れられるのであれば、単調な生活に大きな変化がもたらされそうな気がしたのです。


「高崎さん、友達想いですね」

「いや、そうでもないだろ」


 さすがですね。その通りです。男性会員は誰か知り合いの男性を入会させると、結構馬鹿にならない額の謝礼が相談所からもらえたのです。


「やっぱりカネですか」

「一見、間口は広そうだけどな。そういう条件がついて、かつ相談所に入ってでも今すぐ結婚したい男となると、そうはいないものだからね」


 まあ、それは私にとってはどうでもいいことです。仮にだまされたとしても、会に払うお金は笑ってあきらめられるほどの額でした。私は面白半分で体験入会してみることにしました。

 相談所へ行き、簡単な面接と書類審査がありましたが、難なくパスしました。それどころか、その日夕方のお見合いパーティに空きがあるから、出ないかと誘われました。


「それはまた急な」


 で、気がつくと、私はお見合い会場である一流ホテルの宴会場にいました。行ってみると、そこにいたのは三分のニが女性です。男の方が明らかに少なかったのです。


「へーっ、うらやましいな」

「まだ早いで」


 しかも、ほとんどが美人でした。もちろん、衣装や化粧の効果もあったと思いますが、それだけでは限度があります。そこには、正真正銘のきれいな女性がウヨウヨいたのです。


「本当ですか?」


 逆に男の方は、何というかパッとしない連中ばかりでした。確かに社会的地位が高くて金持ちなのかもしれませんが、覇気というか、パワーがないのです。おわかりいただけますかね?自分の殻に閉じこもったオタクみたいな奴が大半だったのです。みな、むらがる女性から話しかけられても、ろくに会話を続けることができませんでした。


「まあね。社会的条件を備えていて、かつ男として魅力があったら、お見合いパーティなんか行かなくても相手を見つけているわな」

「それは、その通りですね」


 私は元ナンパ師ですし、さらに社会人になってからは、営業としてトークの技を磨いています。あんな連中は敵ではありません。その場では完全に一人勝ちでした。気がつくと、そこにいたほとんどの女性に取り囲まれ、私のジョークで皆が大笑いしているような状態になっていました。司会がいくら女性たちを散らそうとしても、彼女たちはビクともしません。男どもは隅に固まって、恨めしそうな目でこちらを見るばかりです。『へっ、サラリーマンが』、と聞こえよがしに言うのが耳に入りましたが、関係ありません。ざまあみろです。


「ははは」

「いくらカネや地位に惹かれてお見合いパーティに行っても、そりゃ生の男を見たら、見映えがよくて面白い方に寄っていくよな」


 やがて告白タイムです。私はその場でもっとも美しい女性と相思相愛になることができました。ちなみに私たちの他には一組もカップルが成立しませんでした。


「すごいですね」


 私はカップルとなった彼女以外にも複数の女性から連絡先をもらいました。彼女たち、キャンセル待ちでもいいから私と会いたいと言うのです。まさに男冥利に尽きるとは、このことです。


「なんか、もったいないですね」


 いえいえ、ちゃんと有効活用しましたよ。後日、一人ずつ連絡を取って、ちゃんと会いました。もちろん、そのほとんどは、その日のうちに食っちゃっています。迫って断られたのは一人だけでした。その彼女だって、体調が万全だったら間違いなくできたと思います。


「まさに鬼畜だ」

「彼女たちが結婚目的で受け入れていると思うと、それかなり悪質ですよ」


 でも、本命の彼女には真剣に恋をしました。名前を谷崎奈緒美と言います。売れない女優でした。


「へえーっ」


 何とも華のある子で、美人揃いのその会場でも、ひときわ輝いていました。これが彼女の写真です。


「うわっ」

「うそっ!」


 目が合った瞬間、全身に電撃が走りました。私が見つめても、彼女は目をそらしませんでした。からみつく視線。そして、彼女は小さく微笑みました。

 その時、私の進むべき方向が決まったのです。


「幸せの絶頂へか?」


 いえ、地獄です。それも超特急の片道切符でした。


「えーっ?」

「なんで?」


 順を追ってお話しましょう。結婚までは、とんとん拍子でした。数回のデートの後、プロポーズしてOKをもらいました。私の両親も大喜びでした。息子が初めて美人の彼女を連れてきて、しかも結婚するというのですから。


「ご両親も気にしていたのだね」


 それより、奈緒美を例の会社の同期、村山に会わせた時が気持ちよかったですね。会社で彼女を作らずに硬派ぶってた、あいつです。自他共に認める面食い男が、ポカンと口を開けて奈緒美に見とれたんですよ。あのストイック男が固まった瞬間は見ものでした。


「なんで、そんなに彼が気になるんですかね?」

「その話は後にまわそう」


 楽しかったのは、そのへんまででした。そこから結婚式、新婚旅行、家探しと、結婚生活へ向けたイベントがあるわけですが、小さな違和感が生まれ、そして、それは日に日に大きくなっていきました。


「と、言いますと?」


 彼女は何もしなかったのです。動いたのは、すべて私でした。いや、正確に言うと、あれこれ指図はしました。さらに彼女は気まぐれで、昨日いいと言ったことを今日は駄目、やっぱり別のがいいだのと、私はさんざん振り回されました。


「彼女に文句は言わなかったの?」


 喧嘩は何回もしました。一度は婚約破棄寸前までいったこともありました。しかし、最後は私が折れました。彼女を失うのが怖かったのです。こんなに美しい女性が再び私のもとへ来てくれるとは思えませんでした。私は、はいつくばるようにして彼女へ許しを請いました。そして、どうにか関係を修復することができました。

 まあ、もともとサラリーマンですから、段取りよく物事を進めることには慣れています。彼女のわがままに手を焼きながらも、どうにか結婚式を迎えることができました。これがその時の写真です。


「ひゃーっ」

「うひゃーっ」


 招待客のため息が、あちらこちらから聞こえてきました。もちろん、彼女の美しさに感嘆してのものです。その日、私は得意の絶頂ではありましたが、一方で心底疲れ果ててもおりました。


「確かに、写真の新婦は輝いていますけど、新郎は顔がくたびれていますね」

「二人の先行きを暗示しているようだね。まさに妖婦だ」


 もう一つ気になることがありました。私は同僚、学生時代の友人を招待しましたが、彼女の招待客には友人が一人もいなかったのです。


「友達がいないんですか?」


 いや、そういうわけじゃないんです。遊び友達は結構いました。だけど、誰も結婚式に出ようとしなかったのです。彼女は芸能界にいて、そこは私の世界とは違うところだったわけですから、そういうものかと無理に自分を納得させました。

 ただ、同僚や上司から奇異に思われては困りますから、苦肉の策を取りました。知り合いの女の子何名かに頼み込んで、新婦のテーブルに座ってもらったのです。もちろん、新婦の友人としてです。それで、どうにか式場のバランスを保ちました。


「涙ぐましいですね」

「その理屈で行くとね、むこうにとっても、こちらは別の世界のはずだ。なぜ、理解しようとするのはこちらだけなの?彼女は、自分の友達に頼み込んで出席してもらおうとかしなかったのかな?披露宴なんて、世間体のためにやるようなものじゃないか」


 今となっては、おっしゃることはよくわかります。要は彼女に本当の友達がいなかっただけなのです。芸能界だから結婚式の習慣なんかない、だから出ないなんて大嘘だということも後でわかりました。みんな、友達の式に呼ばれたら普通に出ているそうです。

 話を戻します。前後や当日にいろいろトラブルがありましたが、どうにか式が終わりました。私と奈緒美は新居に戻り、死んだように眠りました。そして奈緒美は、そのまま起きませんでした。


「えっ?」


 生きていますよ。もちろん、生きています。でも、人間として、生きていたかと言うと……。そうですね、私の妻は生きる屍になりました。


「……」

「……」


 顔を洗ったり、トイレに行ったりはしますが、あとは一日中、寝床の中にいました。テレビのワイドショーを見ながら、一日中ゴロゴロしているのです。最初は買い物ぐらいには行っていたようですが、それもなくなり、ついには出前や買い物代行サービスを頼む始末です。掃除はしない、脱いだ服は脱ぎっぱなし、食べた後の容器はそのへんに散らかしたままでした。あっという間に新居はゴミ屋敷になりました。

 そしてキリッと美しかった奈緒美の顔はすっかり弛緩してしまい、日に日に太っていきました。寝ちゃあ食いの毎日ですから、当然です。

 初めは結婚式の疲れが出ているのだと善意に解釈しました。仕事で疲れた体に鞭を打ち、私は帰宅してからも奈緒美に食事を運んだり、部屋を片づけたりと働きました。

 でも、いつになっても彼女は起き上がろうとも、働こうともしません。特にこたえたのは週末です。私は美しい妻と買い物やドライブに行くことを夢見ておりました。それを励みに平日の仕事も頑張れると、楽しみにしていたのです。

 だけど、いくら誘っても奈緒美は体調が悪いと言って、外出しようとしませんでした。布団の中にずっと入ったままだったのです。二、三回は怒鳴りつけるようにして、半ば強制的に外へ連れ出しましたが、ブスッとした顔をして全く楽しそうではありませんでした。ろくに化粧もしようとせず、服は適当です。口を開けば、早く帰りたいとばかり言いました。そして家に帰ると、一目散に寝床の中へと戻って行きました。


「ちょっと涙声になってきましたね」

「こりゃきついな」


 一年は何とか持ちこたえましたが、限界がきました。ある日、私は家出し、実家に戻りました。もう寝たきり妻のいる家に帰りたくなかったのです。女房からは携帯にじゃんじゃん電話やメールがきましたが、すべて無視しました。


「旦那が実家に帰ったか」

「あんまり聞いたことのない展開ですね」


 家賃や光熱費ぐらいは私の口座から自動引き落としになっていましたが、あとは一切金を渡しませんでした。もうそのまま死んでくれても構わないと思っていましたから、放っておいたのです。


「まあ、そうやって厄介払いできたわけですね」


 いえ、話はここからです。


「えっ?」

「まさか……?」


 そう、そのまさかです。わたしは愚かにも奈緒美とよりを戻してしまいました。三ヶ月ほどたって、彼女の母親が私の実家を訪れ、平身低頭で詫びました。ちなみに父親は彼女がまだ小さい頃に離婚したため、私は会ったことがありません。他に女を作って、家を出て行ったそうです。

 私はすっかり愛想を尽かせていたため、もとの結婚生活に戻る気などさらさらありませんでした。しかし、娘同様に美人の義母が涙を流して謝るのを見て、ついホロリとしてしまったのです。奈緒美と話し合いの機会を持つことを了解してしまいました。


「あちゃー」

「人と関係を絶つと決めたら、話し合いは無用だ。そういう相手は、もう駄目だと思ったら、本心じゃなくても詫びを入れてくるからね。いちいち真に受けていたら、えらい目に遭わされる」


 それもおっしゃる通りです。久しぶりに会った奈緒美は痩せて、元の体型を取り戻していました。とても美しかったです。それは、私が恋をした時と同じ姿でした。彼女は泣きながら私に詫びました。

 二人で長いこと話し合いました。そして、彼女が寝たきりになったのは住宅の問題が大きいのではないかという結論に達しました。


「うーん」


 最初の家は借家でしたが、都心から電車で一時間ほど離れた一戸建てでした。そこは、彼女が休日に庭いじりをしたいと言って、選んだ家でした。だけど実際には彼女が庭を触ったのは一度か二度で、あとは荒れ放題の雑草だらけになっておりました。

 そこは彼女の実家や友人宅とも遠く離れていましたから、淋しかったと言うのです。ついつい出不精になり、やがて寝たきりになったというのが、彼女の言い分でした。


「えーっ?」

「まあ、続きを聞こうか」


私は転居を決意しました。次に選んだのは都心のマンションです。繁華街からも近く、とても便利な場所でした。家賃はそれまでの一・五倍したのできつかったですが、奈緒美が健康でいてくれるならと、我慢しました。


「それで、奥さんは元気になったのですか?」


 はい。よく外出するようになりました。そして外へ遊びに出かけたっきり、なかなか帰ってこなくなりました。


「……」

「……」


 毎日のように女優時代の友達と飲み歩き、週に何度も午前様の帰宅です。都心に住んでいましたから、終電後にタクシーで帰ってきてもたいしたことがないのです。家でずっと寝ていられるよりましだと、最初は微笑ましい気持ちで見守っていました。彼女が化粧して、きれいに着飾ってくれることが嬉しかったのもあります。


「まあねえ」


 そのうち、その友達連中を家によく連れてくるようになりました。外で飲むとお金がかかるから、家で飲もうと言うのです。友達は同じ女優仲間ですから、やはり美人ばかりです。私が仕事から帰ると、毎晩のように自宅はにぎやかな美人酒場と化していました。とても華やかな宴会です。妻と友人たちに誘われ、私もその酒盛りに参加しました。男は私一人。まるで夢心地で、とても楽しかったです。

 いつの間にか、私は会社の帰りにお土産を買ったり、自ら宴会のために料理や後片付けをするようになりました。昼間、会社にいる時から、夜の宴会が楽しみで仕方がなかったほどです。今日は誰が来ているのかなとワクワクしながら、家に帰りました。


「前とは大違いですね」

「そうだな」


 そんな、ある日のことです。家に来ていた友達連中の中に若い男が一人混じっていました。

 彼は私の顔を見ると、ピンと立ち上がり、「すみません。勝手にお邪魔して」と、深々と頭を下げました。男は馬谷という名前で、そこにいた連中と同じく役者の端くれでした。一瞬、どこかで会ったことあるなと思ったのですが、その時は思い出せませんでした。

 私はなぜ男が家にと、一瞬イラッとしましたが、馬谷の緊張しきった顔を見ると、ちょっとおかしくなってしまいました。女たちも一斉にプッと吹き出し、場に笑いの渦が起こりました。

 馬谷はその夜の宴会で見事ないじられ役となり、場を盛り上げました。そしてお開きとなった時、彼に「また来いよ」と私が言うと、笑顔で「ハイッ」と答えました。

 そして馬谷は、本当にちょくちょく私の家へ来るようになりました。

 ある日、女連中が先に帰って、馬谷、奈緒美、私の三人が残ったことがありました。それでも、なぜか不自然ではなかったのです。彼は、そのままうちに泊まっていきました。翌朝は、会社へ行く私を妻と馬谷が一緒に「行ってらっしゃい」と見送ることになりました。私たちは顔を見合わせて笑いました。その頃になると、馬谷は私にとっても親戚か弟分のような存在になっていたのです。

 何日か後、帰宅すると、馬谷が奈緒美と二人で酒を飲んでいました。私はそこに加わり、一緒に酒を飲みました。

 さらにその何日か後、帰宅すると、馬谷が奈緒美とセックスしていました。私は泣きながら二人を殴りつけました。彼らが家の外に逃げ出さなかったら、そのまま殺していたことでしょう。


「……」

「……」


 私は散らかりまくった家に一人呆然と取り残されました。自分が地の底まで通じる深い穴に落ちていくような感覚を覚えていました。心は暗い闇に覆われています。しばらくは何も考えることができませんでした。

 どのぐらいの時間、ぼーっとしていたのかはわかりません。気がつくと、私はテレビの電源をオンにしました。ニュースをやっていましたが、内容は全く頭に入りませんでした。なぜそう思ったのかわかりませんが、お笑いのDVDを見たいと思いました。何度も見たやつですが、それをまた見たくなったのです。少しでも現実から逃避したかったのかもしれません。私は本棚からディスクを取り出し、DVDプレーヤーに入れようとしました。

 すると、機械に別のディスクが入っていました。奈緒美と馬谷が見ていたのでしょう。私は何気なく再生してみました。

 それは企画物のアダルトビデオでした。にやけた男優が、次々に女性とからんでいきます。その男優は馬谷でした。私は過去に彼の作品を見たことを思い出しました。だから、あいつとどこかで会ったという気持ちがぬぐえなかったのです。

 馬谷の二人の女優とのからみをポカンと見ていました。そして三人目の女優が画面に現れた時、私は絶叫しました。胃の中にあったものをすべて吐き、のたうちまわりました。

 女優は奈緒美でした。彼女もAV女優だったのです。私が美しく、清らかだと信じていた妻がそこにいました。画面にいる淫猥な表情を浮かべた、汚れきった女。それが私の妻だったのです。奈緒美と馬谷は、自分たちが出演したアダルトビデオを私の家で見ていたのです。そして私たち夫婦のベッドで、やつらは行為に及んでいたのです。間抜けにも、あの二人と楽しく酒を飲んでいた自分を思うと、この世から自分を消し去りたくなりました。DVDの電源を切ると、私はその場に倒れ込みました。もう何も考えられません。ただ、ただ、魂は底知れぬ闇へと落ちていくようでした。そして何回も何回も叫び続けました。

 どのぐらい時間がたった後でしょう。ふと顔を上げると、大勢の女性たちに囲まれていました。私はその全員の顔を知っていました。それはすべて学生時代から社会人まで、私が遊んで捨ててきた女の子たちでした。彼女たちは皆、目がつり上がり、口は耳元まで裂けていました。そして彼女たちは私を見据え、両肩を上下させながら一斉に笑いました。

 ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ、ふあっ。

 ここは地獄だ、俺は地獄にいると思いました。あれは夢だったのか、本当に生き霊に囲まれたのか。今でもわかりません。


「壮絶だな」

「それ、夢じゃなかったですね」

「その時、彼は本当に地獄と通じていたのだよ」


 それだけではすみませんでした。後日、さらにたいへんなことに気がつきました。奈緒美は私が持ち家購入のため年収一年分は貯めていた貯金をすべて使い果たしていたのです。全部遊びに使ったのでしょう。それだけにとどまらず、消費者金融やカード会社から、私名義で多額の借金やローンを抱えていることまで発覚しました。

 妻とは即刻離婚しましたが、すべての借金から逃れることはできませんでした。結果、私は自己破産するしかありませんでした。


「……」

「とことんやられましたね」

 以上です。何もかも失った今、私は生きる屍です。会社へ行き、仕事をして、家に帰って寝ます。翌朝また起きて、会社へ行く。そんな毎日です。自分から死ぬ気はありませんが、事故か病気で突然死んでも構わないと思っています。苦しくなければ全然オーケーです。この先、生きていても何かいいことがあるとは思えません。


「終わったな」

「はい。相羽さん、年齢のわりにはずいぶん老けていらっしゃいますよね」

「若い頃に淫行重ねるとな、年齢いってから急激に老け込むんだ」

「それにあんなことがあれば、なおさらですよね」

「さて、まとめようか」

「お願いします」

「生まれつき女が寄ってくる、まあ宿命というか、そういうのはあるもんだ」

「そうみたいですね」

「もし、本人がそれを苦にして、そこから脱したかったのなら、環境を変える方法はあったはずだ」

「と、おっしゃいますと?」

「自衛隊に入るとか、マグロ漁船に乗るとかな。要はまわりに女性がいないところに行ってしまえばいい」

「……」

「一度、それまでいた世界から離れてみて、自分を見つめ直すのは決して悪いことじゃない。もし、本気で生き方を改めたいと思っているのであればだけど」

「なるほど」

「彼は結局、自分の宿命に安住してしまったんだね。そして、女性を狩りの獲物にしてしまった。それもただの遊び、スポーツハンティングに」

「相手も遊びと割り切っていたのならいいでしょうけど、真剣だったとしたら、可哀想ですよね」

「めちゃめちゃ罪深いことだよな。それが人生の後半で、まとめてペイバック、精算することになったわけだ」

「そうですね」

「あと、最後の嫁さんを見つけたお見合いパーティだけど」

「はい」

「男性の会費が安くて、女性の会費が安かったって言ってたよな?」

「それは私も気になりました」

「女性の方が、なぜそんなに高い金を払っていたか?ということは、ちゃんと考える必要がある。男性の入会資格は、それなりに金を持っていることだろ?女性の動機はミエミエじゃないか」

「つまり……」

「そう。結婚した男の金で贅沢したい、楽をしたいと思っているから。高い会費はそのための投資だ」

「そういうことですよね」

「だから、無事結婚できた日には、そりゃあ元を取ろうと、金を使いまくるよ。当然の権利だと思っているだろう」

「ひゃあ」

「確か奈緒美さんと同じ名前の女が出てくる有名な小説があったよな」

「痴人の愛ですね。谷崎潤一郎の。主人公の名前は同じナオミでした」

「そうそう、それそれ。昔読んで、何だ、これ?と思ったよ」

「今の相羽さんの話を聞いた後では、たいしたことないですよね、あの話」

「あのナオミも淫乱で浪費家だったけどな、スケールが小さい。浪費がな、あんな旦那がかろうじて我慢できるほどのところで、収まるわけない」

「ははは」

「浪費家は百万円あれば、二百万円使う。一億円あれば、必ず二億円使ってしまうのだ。絶対金額の問題ではない。そこを谷崎君はわかってない」

「昭和の文豪を谷崎君って。ははは」

「あとね、彼はお見合いパーティに参加して、人生を変えようと思った。そうだろ?」

「はい」

「そのこと自体は否定しない。でもね、問題はタイミングだ」

「と、おっしゃいますと?」

「そのパーティの頃、彼は仕事で大変な時期だっただろ?」

「そう言えば、そんなこと言っていましたね」

「そこで人生変えたいって、どういうこと?」

「現実逃避でしょうか」

「その通り。そういう時は逆に自分で動いてはいけないんだ。周囲の状況が動き出すまで」

「なるほど」

「別の方向に逃げると、もっとはまるんだ。金目当ての女が集まるところなんて、まさに人間の掃きだめじゃないか」

「はい」

「要は、掃きだめに決して鶴はおらんということだ」

「そういうことですね」

「ちなみに、相羽さんに結婚相談所を紹介した高崎さんだけど」

 師匠は手元の資料に目を落とした。

「ああ、悪友の」

「彼も、相羽さんの結婚生活が終わったのと、ほぼ同じタイミングで破滅だ」

「離婚で自己破産ですか?」

「いや、彼は自殺した」

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