序章、第1章
序章
人は愚かな生き物。
感情は首を締め上げるように傷をつける毒。
自分、
それは奢り。
他人、
それは壁。
虚偽に覆われ真実を隠された世界に飲み込まれた一人の少女。
己を見失った先で手に入れた唯一は、無。
人は心を持たないようなまるで無機質な存在の彼女を利用する。
穢れた世界で待っている彼女の行く末は、幸か死か_。
第一章
-縛り-
"人間とは時とともに前に進んでいるはずだが、常に後退しているものだ。"
目の前を通る、光の入らない、色を失った目をした少女に向かって男は呟いた。
少女は声の聞こえた方へゆっくりと首を回す。
木で組まれた小さな箱の上に腰を下ろし少女を見下ろす彼の姿が、少女の目には人間の形ではなく黒い靄に包まれた狼に見えた。しかしその姿は今にも息絶えそうな程衰弱し、骨に皮が貼り付いているようだった。
「なぁ、俺を殺してくれないか。」
突如彼の口から発せられた言葉は少女の耳には届いたものの、ただ意味をなさないまま消えていった。
少女は口を閉ざしたまま彼に向けた顔を元に戻し歩を進めた。
「おい待ってくれ! 頼む、どんな方法でも構わない! 俺を殺してくれ、いや殺せ!!」
語気が強くなり、その場で男の声が反響し少女の耳を劈く。だが少女は振り返ることなく、ただ足を止めただけだった。
「何が恐いの?」
熱を持たない冷えた言葉が少女の口から漏れる。虚ろな目はずっと前を向いたままだ。
「お前は俺を見た。 今まで通る人間は皆俺を汚いものでも見るかのように見下して来たんだ。 あいつら、前は俺がこの街を仕切っていたことを忘れてやがる。 俺はこの街の長だったんだ。 だがどうだ、俺がやることに段々と口を挟むようになってきた挙句俺の地位を剥ぎ取った。 今では誰も俺を見ようともしない!」
一方的に男が吐き出した言葉に対し、顔すら向けず静かに黙っていた少女は男の方へ身体を向けた。
「私にはあなたがわからない。 ただ、あなたは何も見えてない。」
男は少女の言った言葉の意味がわからず言葉を失った。少女は一度も彼の顔を見ようともせず目を伏せ涙を流した。
「どういうことだ? 俺が悪いっていうのか?」
戸惑いが怒りに変わり、怒気を含ませた表情を少女に向けた。少女の涙に気づくこともなくひたすら答えを要求する彼に少女は何も反応を見せない。
「殺せと言えば俺に恐がっていると言ったのはお前だ。 結局お前も昔のあいつらと同じで見下してるってことかよ。」
その言葉を聞いた途端、今まで黙っていた少女がようやく口を開いた。
「そう思いたいならそうすればいい。 あなたは今ここで何をしているの。 本当は自分がどうすべきかわかっているはずなのに。」
そして少女は涙を拭うことをせず彼に最後の言葉を残し、男の前から立ち去った。
「何なんだ、一体。」
少女の最後の言葉に追い打ちを喰らい、男は完全に思考の迷宮に陥った。
いくら考えても少女に言われたことの衝動で思考が纏まらない。
男はその後もその場でひたすら考え続けた。
*
次の日、男は少女を探していた。
再び出会って見つからない答えを吐かせるために。
昨日少女が消えていった先の道を辿るが、男はそこで思わぬ光景を目にすることとなったのだ。
鼻を刺す吐き気を催す異臭、壁には視界を覆うかのごとく血痕が付着している。
通りを歩く人の衣服は破れ、血が滲んでいる男もいれば、手を失い片手で子を抱いている女もいた。
(嘘…だろ……)
逸らすことも出来ない残酷な状況に男は目を奪われた。
(まさか、あの少女もここの人間なのか…)
あの虚ろな眼をした少女を思い出した男は、無意識に口に手を当て流れるまま涙を溢した。
その時、男は少女の言っていた言葉が頭を駆け抜け何か違和感を感じた。
少女はあの時男のことを、恐がっている、何も見えていないと言った。
(あれはもしやこのことだったのか? 俺はあの子になんて酷いことを……)
自分の地位を振りかざし、好きなことをやりたいようにやってきた結果がこの有様か。
男は自分の過失の深刻さを初めて目の当たりにした。
人々に見捨てられた男は、挙句死を望み現状から逃げることを選ぼうとしていた。昨日の少女とのやりとりがまさかこのような繋がりを生むとは男は考えてもいなかった。
(あの子にもう一度会わなければ。)
男は変わっていく心を感じながら流れた涙を拭いて、足を踏み出した。
-縛り-終




