第九話 迷いながらも
時は20世紀を過ぎて21世紀に移った。12歳になった早苗は中学生になった。
中学に進学しても早苗はトップの成績をおさめていた。
なにかそれが早苗に課せられた使命のように勉強に取り組んでいた。
喜んでくれるおじいちゃんのためなのか、地球の芸術家になるという夢のためなのか早苗には判然としなかった。
それでも科学や数学、歴史そして文学と興味は尽きることなく情熱をもって取り組んでいた。
辰夫とはクラスが違ったがひそかに連絡を取り合っていた。
二人して柏崎市まで遊びに行ったこともある。
小学校と違って行動範囲はうんと広がった。
自転車で遠出をしたこともある。
いつのまにか二人の共通の目標ができた。
それはこの田舎の土地を出て東京に行くということだった。
近場の柏崎市にしても鄙びた何もない街に思える。
新潟に行こうと最初は思ったが、やはり修学旅行で行った大東京の魅力が忘れがたかった。
「でもね、都会もええけど自然環境も大事にせんとなー」と辰夫が言った。
「うん、私ねぇ自然環境学を勉強しようと思ってるんよ」
「ああ、そやね。そう言っとたねぇ」
「うん、造園の仕事してみたいんの」
「ほんまに早苗はおもしろいねー」
「面白い?」
「そや、まだ中学生なのにそんなこと考えてるんやからねー」
「それ友達にも言われるよー。でも小っちゃいときからそう思ってたんよ」
「でも造園の仕事って庭づくりやろー。自然環境と関係あるん?」
「うーん。よーわからんけど、おじいちゃんが言っとった。土方は地球の芸術家やって」
「へぇー」
「ホントは田中角栄さんの言葉よ。私、土方にはなれんけど造園のデザインみたいなのやりたいの」
「はーん、角栄さんか。うちのおやじも角栄さんを尊敬しとると言っとった」
「辰夫君は大学行くんやろ」
「ああ。でも、さなちゃんみたいに何になろうって特に考えはないなぁ」
「ふーん、これから決めるん?」
「そう、大学行ってから決めるかも」
「そうかぁ。そういう人の方が多いみたい。早苗は早く決めすぎかなぁ」
「そんなことないよ。ちゃんと目標があるってすごいやん。俺、応援してるよ」
辰夫は真剣な顔つきで早苗の顔を見つめてきた。
早苗も「うん」とうなづいた。
小学校の時と違っていつの間にか辰夫の身長は早苗よりうんと大きくなっている。
それに鼻の下に髭のようなものも目立ち始めている。
随分と大人びてきている。早苗も体に丸みが帯びてきて、胸のふくらみも外見からも見て取れるほどになっていた。
不純異性交遊という言葉がある。
今では死語になっているが、このころまで新潟の片田舎では厳然と生きていた。
まだまだ幼い二人には自制が効いていた。
手が触れ合うだけでドキドキしていた。
「高校は柏崎に行くんやろ」と早苗が聞いた。
「ああそうや」
「うん。たぶんうちもそうや」
「さなちゃんと高校も一緒だといいね」
この日二人は久々にしっかりと手を握り合った。
修学旅行以来だ。
この頃では少し背も伸びてきた早苗は、もうおじいちゃんよりよっぽど大きくなっていた。
久々におじいちゃんの部屋に行った。
昔盛んにいじっていたエレキギターは壁にかかったままだった。
あの頃描かれた油絵の風景画が、平積みにされて部屋の片隅に置いてある。いつの間にかそれらの趣味は忘れられ、若い頃からの将棋やカラオケに戻っていた。
しかし今ではそれも遠のいて、庭先の盆栽がかろうじておじいちゃんの楽しみごととして営まれていた。
早苗がおじいちゃんの部屋に入ると、何やら机に向かって熱心に本を読んでいるようだった。
「おじいちゃん。何してるの?」と声をかけながら早苗は部屋に入って行った。
「ああ、早苗か」と本から目を離して早苗の方に顔を向けてきた。
「おじいちゃんな、もう70も半分過ぎたがな。でもまだなんかやりとうてな、いろいろ調べておったんじゃ」
「へぇー。なにぃ?」
「ふむ、面白いもの見つけたんじゃ」と嬉しそうに小冊子のようなものを早苗に見せてくれた。
「里地里山再生プロジェクト」と書いてあった。
「なーにそれ?」
早苗が問うと、おじいちゃんは嬉しそうに顔を崩した。
「里山というんじゃ。わしらが住んでるこの村みたいなものを」と得意げに覚えたばかりのことを話し始めた。
「よく町場に野生の猿やシカが出て大騒ぎになることがあるだろう」
「うん、よく聞く」