表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

第六話     大きく息を吸う

早苗は胸が詰まるような思いだ。

思わず涙がこぼれそうになる。

早苗は突然その場を離れ、更衣室まで逃げ込んだ。

そのまま座り込んで嗚咽の声を上げて泣き出した。

辰夫はすぐに後を追おうとしたが、思いとどまった。

なぜだかその方がこの場はいいような気がした。

担当の先生は「どうした?」と辰夫に聞いてきた。

「あっうっ・・・」

返事に窮したが咄嗟に「トイレみたいです」と答えた。

「そうか・・・」となお怪訝そうな顔をしてよそのクラスの方に足を向けた。

同じクラスの選手たちは手持ち無沙げに突っ立っていた。

そのうちの一人の女子選手三宅典子が「辰夫君見てきてよ」と言った。

「えっ、僕が。でも更衣室かも知れないし・・・」と口ごもった。

「そう・・・トイレじゃないのね」

「うん、だってわかんないよ」

「じゃぁ、とにかく練習しよう」

早苗のところは抜かして練習を再開した。

結局早苗は、1時間の練習の間姿を見せなかった。

練習を終えて選手たちが更衣室にもどってみると、早苗がじっと座りこんでいた。

「先生が呼んでたよ。教室に戻るようにって」

担当の先生も様子のおかしさに気がついたようだ。

早苗は肩をおとしたまま教室に戻って自分の席に座って待った。

悔しさで涙が止まらない。

担当の先生だけでなく、クラス担任の先生も来てくれた。

「早苗ちゃん、一体どおしたの」

泣きはらした目をした早苗は朝の出来事を話した。

「そう、わかった。そんな風にからかわれたら辛いよね」と担任の先生は言ってくれた。

翌日朝のホームルームで、その女性教諭は人を傷つけるようないたずらは良くないと呼びかけた。

辰夫は初めて事の真相を知って驚いていた。

するとどうだろう、黒板に絵は描いたけどなにも辰夫や早苗のことではないと反論があった。

驚いた早苗は「だけどたつお、さなえと書いてあった」と主張した。

次の瞬間早苗はわが目を疑った。

クラスの大半の者が個人の名前は書かれていなかったと証言した。

「だって早苗ちゃんがすぐに消したから、人の名が書いてあったかどうかわかんなかったよう」と誰かが言った。

結局、早苗の独りよがりの思い過ごしかも知れないと言うことで決着させられた。

早苗は呆然とした。

「なぜ?そんな馬鹿な・・・」

確かに自分と辰夫の名前は書かれていたはず。

それなのに大半の者がそれを否定した。

なるほどクラス全員があの絵を目撃したわけではない。

むしろまだ早い時間帯だったので見た者のほうが少ないかもしれない。

それならそれでわからないというのが本当だろう。

なのに、なぜだか個人の名前は書かれていなかったと皆が言うのだ。

誰かが皆の意見を事前に誘導していたのかもしれない。

なんという卑劣な、そして無責任なクラス仲間の態度だろうか。

早苗は悔しさをかみしめた。

そしていつかおじいちゃんが言っていた「出る杭は打たれる」という言葉を思い出していた。

「そうか、そーなのか」

早苗はなにか世の中の不条理さみたいなものを実感する思いがした。


6年生になって、修学旅行で初めて東京に行った。

いつもテレビのドラマやニュースなどで見ている憧れの首都東京だ。

早苗は6年生になっても成績は一番だった。

5年生のあの事件以来、早苗はより一層勉強に取り組んだ。

クラスメイトの裏切りに対し、むきになって成績で見返そうとした。

運動会が終わってしばらくして、だんだんと真相がわかってきた。

誰彼となく早苗にこっそりと話してくれるのだ。

辰夫と話しているところを目撃したのは、津田直美というクラスでも一番背の低い小太りのおしゃべり好きの女の子だった。

だがなぜかそれを最初に伝えた相手が、これまたクラスで一番体の大きい野崎利夫だった。

いつもクラスで威張っている感じでボス的な存在だ。

その利夫が絵のうまい小島宣(のり)(すけ)に命じて黒板に描かせた。

わざわざ朝早くに登校して描かせたのだ。

クラスのみんなははじめ面白がって見ていたが、早苗のショックを受けた様子があまりに深刻なので、かえって事の重大さに気が付いた。

そこでもし先生から咎められたら、ただのいたづら書きで早苗や辰夫のことではないということにしようと示し合わせたというのだった。

こっそりと、ばらばらに教えてくれる皆の情報をまとめてみるとそういうことだったらしい。

クラスメイト達は、それぞれに自分は悪気はなかったんだと早苗に伝えようとしていた。

その都度「ほかの人には言わないで」と念をおしながらこまごまと経緯を話してくれた。

「早苗ちゃんごめんねー。みんながやるから、私一人止められなかったのよー」

「いけないなーってわかってたのよ。でもねーついつい・・・」とそれぞれの言い訳がついてまわっていた。

「結局、自分が可愛いだけじゃない」と早苗には思えた。

「いいのよ、もう済んだことだから。気にしない」とそのたびに級友たちに早苗は言って聞かせた。

しかしそのことで受けた衝撃は深く、今までのように無邪気に友人達を信頼しあうことはできなくなっていた。

大好きだったガールズトークにもほとんど加わらなくなっていた。

表面上明るく振る舞っていても、気持ちはどこか暗かった。

辰夫とは直接話さないようにした。

つらかったけれど、とても親しく話せる気分にはなれなかった。

辰夫も同じらしく、あれから特に話しかけてこようとはしなかった。

修学旅行の3泊4日は、初日は団体行動で国会議事堂と東京タワーの見学だった。

二日めはグループに分かれて自由行動だ。

お台場羽田方面、上野浅草方面、渋谷原宿方面の3グループだ。

3日目はさらに小グループで自由行動となっていた。

早苗は初日の国会議事堂をことさら楽しみにしていた。

「角栄さんの肖像画も飾ってあるよ」とおじいちゃんが言っていた。

見てみたいと早苗は思った。

実際に国会に行ってみると、見学できるのは参議院のほうで衆議院は見学できなかった。

歴代首相の肖像画は衆議院の委員長室にあるので、残念ながら見ることはかなわなかった。

参観ロビーから始まって本会議場や御休所、中央広場を順次見学した。

最後に前庭が見渡せる場所に集合したが、やたらに広く階段の上り下りもたくさんでけっこうくたびれた。

明治初期に作られた建物は一つ一つの部材が重厚で荘厳だった。

国政の中心という重みを感じさせるのに十分な壮大さがあった。

早苗は特に、本会議場の議長席を中心に円形に囲まれた議員席の様子がいかにも国会といった雰囲気で気に入った。

東京タワーはさすが日本一の展望で、首都の街を一望できる。

その眺めは、広がるビル群のなかで高層ビルが一際そびえたち、合間に見える他のビルの一つ一つが、むしろ小さく見えてしまう。

遠くに富士山の姿がうっすらと浮かんでいる。

なんという広大さだろう。

新潟の街を大きいと思っていた早苗にとって、あらためて大都会ってこうなんだと思わされた。

2日目のグループ別行動では、早苗は上野浅草方面を選んだ。

一番人気があったのは渋谷原宿のコース。

2番目にはお台場羽田が人気だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ