第二話 声も大きく溌溂
「なるほど政治ちっゆうもんは、大変なもんじゃ」とよく早苗に言って聞かせていた。
自分の親がそうだったように、彼もまた息子に政治家に立候補させた。
だから、早苗は幼い時から選挙の雰囲気になじんでいた。
日頃は地味なおじいちゃんが、お父さんの選挙になるとやたらと元気になる。
庭先に看板のついたワゴン車が2台ならべられる。
朝出て行っては夜には仲良く帰ってくる。
それが早苗には面白く感じられた。
山あいの田んぼのあぜ道を大音量で父親の名を連呼して駆け回わる車の白い色が、田植えの終わった苗の青さと周囲の木々の緑とともに早苗の脳裏に焼き付けられた。
選挙の季節は早苗自身も不思議と興奮を覚えたものだ。
早苗はおじいちゃんの部屋で、よくギターを抱えて幼稚園で教わった唄を歌っていた。
もちろんギターは大きすぎて、早苗の小さな手ではネックさえつかめない。それでも早苗は、おじいちゃんの真似をして弦をかきならす仕種をしながら歌っていた。
やがてロックのような英語の歌らしきものを、見よう見まねで叫んだりもした。カメラもいじくる。
一眼レフのカメラは早苗には重かったけれどファインダーを覗いてはシャッターを切っていた。
庭先には爺やが植えた季節ごとの花があり、色とりどりに咲いていた。だから早苗はよく花の写真をとった。
といってもフイルムが入ってるわけではなく、写真を撮るまねごとに過ぎなかった。
早苗は一眼レフのカシャッというシャッター音が好きだったのだ。
近所の子供たちと遊ぶときは普通に縄跳びや、おはじき、ままごとのようなものをやっていた。
ある日、十数人の子供たちと馬乗りをしていた。
男の子も女の子も一緒だ。二手にわかれて片方が馬になり、もう片方が勢いをつけてその馬に飛び乗る。
馬がつぶれれば、いつまでも馬の役をさせられる。
つぶれなければ馬の役が交代となる。
お互いつぶそうとして、馬に飛び乗るときは思い切り勢いをつけて飛び乗る。
おしりの肉だけでなく、尾てい骨の尖った部分を相手の背中にぶつけて衝撃を与える。
馬になった方はそれをじっと耐えなければならない。
早苗も男の子の遠慮のない勢いに我慢していたが、何かの拍子につぶれてしまった。
そうなるとお互いのまたぐらに首をつっこんで作られていた馬の列が崩れてしまう。
わっと倒れて馬になっていた方も、飛び乗っていた方もだんごになって地面に転がる。
その時、早苗の足の甲に何人かの体重が一瞬のしかかってきた。
早苗はぐっとこらえた。が今まで経験したことのない激痛がはしった。
早苗は悲鳴を上げたが泣きはしなかった。
子供たちは起き上がり「わぁー」と歓声をあげて笑いあった。
早苗ひとりうずくまっていた。
「大丈夫かぁ?」と誰かが声をかけた。
早苗はしばらくじっとへたり込んでいたが、やがて立ち上がり「大丈夫だよ」と笑顔を見せた。
しかし実際は、ずきんずきんと相当の痛みを感じていた。
でもそれを我慢した。結局夕方遅くまで遊んだ。
さすがに馬乗りはやめたが、それでも鬼ごっこやかくれんぼをしたりしてけっこう走り回っていた。
家に帰ってから足の痛みはひどくなった。
くるぶしから下がパンパンにはれ上がり熱が出てきた。
睦夫は驚いて病院に連絡した。
二多村には診療所が一つあって、年輩の医者が住み込みでいた。
看護婦も農家のばあ様が、手伝いに来ているだけの小さな病院だ。
睦夫の車に乗せられ、抱きかかえられて診療所のベッドに寝かされた。
痛み止めと熱さましがうたれ早苗はやがて眠りについた。
どうやら足の甲が骨折していたらしい。
痛みに耐えて夢中で駆けずり回っていたのだ。
「はぁーたまげた。よくもまぁー泣きもしねで・・・」と看護婦のばぁさまが感嘆した。
大人では到底考えられないが、子供とはそういうものかもしれない。
結局、柏崎市の総合病院に入院した。
一時間を超える手術で折れた骨をくっつけてボルトで固定された。
入院は1か月でいったん退院した。
足の甲はまだボルトで固定されたままだった。
2か月ぐらいボルトをいれたまま過ごした。
再度入院してボルトを抜いた。今度は2週間の入院だった。
その間、早苗は小学校に上がっていた。
幼稚園が違う子らとも一緒になる。
おじいちゃんのおかげで、普通の子供が知らない難しい字も読める早苗は読み書きが上手だった。
音楽も楽器に対してすぐになじみ、覚えも早かった。
歌うことはもちろん得意中の得意だ。
算数にしても記憶力もよくて、すらすらと計算をこなした。
たちまち成績は一番になってしまった。
クラスでも人気者になり、先生からも目をかけられた。
早苗はおじいちゃんと覚えた将棋をみんなに教えた。
当然早苗が一番強い。
五目並べも教えた。ロック調の英語の歌も唄って見せた。