第十六話 ステージを変える
「さなちゃん。今度、お父さん県会議員に出るんやろ」
「うん。へぇー、そんなこと知ってたの」
どうやら事前の働きがけが功を奏してるのか、近隣に山本隆夫の出馬が広まっているようだ。
その広がりが大事だとおじいちゃんも言っていた。
「そうかぁ。何かとたいへんだろうなぁ」
「うん、でもうちに直接関係ないから。平気よ」
早苗はそう辰夫に言って見せた。
しかし実際は家中が選挙に向けてせわしなくなっていた。
何かと人の出入りも多くて、そわそわした雰囲気に家族全員が包まれていた。活気づいているという感じでもある。
早苗自身は蚊帳の外だったが、それでもなんだか落ち着かない気分を味わっていた。
「そっかー。さなちゃんは昔から強かったからなー」
「えーっ、そんなことないよう」
辰夫との会話は楽しかった。
しかしそれ以上のことはなかった。
別れた後も特に感慨はわかない。
また会いたいという気持ちにも特にならなかった。
早苗はすぐさま文化祭の準備の方に気持ちが行っていた。
中道先生に何くれとアドバイスをもらうのが何より楽しみだった。
余震が何度もあって、まだまだ地震の報道が続いていた。
しかし早苗たちの暮らしはすでに平常に戻っていた。
文化祭での研究発表の展示も、そこそこの評判を得て無事終了した。
冬休みは歩こう会の活動も、夏ほどでなく新潟市の方に一度出かけて行ったぐらいで終わっていた。雪国の不便さがそこにはある。
年が明けるといよいよ本格的な選挙戦の準備が始まった。
張り出されるポスターの数も倍以上になっていた。
あいかわらずおじいちゃんが元気だ。
おりしも自民党は小泉人気が盛り上がり、さまざまな選挙で好成績を残していた。
この勢いのあるうちに県議会選挙があればいいのだが、県議会の任期満了はあと1年先だ。
選挙準備としては適度だが、むしろこの自民党への追い風があるうちに選挙を行いたいのが本当のところだ。
事実、この年の秋に郵政改革法案を通すために小泉首相が行った衆院解散に伴う選挙で、自民党は未曽有の圧勝をものにしている。
そんなこんなで山本家は落ち着かない日々が続いていた。
早苗もいよいよ大学進学に向けて、受験勉強を本格化させていた。
早苗は高校に入って東京農大から東京農工大学に志望を変えていた。
東京農大は私立だが、農工大は国立だ。
その分偏差値も高く競争率は厳しい。
早苗が魅かれたのは地域システム学科という学科だった。
造園ということだけでなく広く自然環境全体を考える科学を学んでみたいという気持ちになっていた。
多分に中道先生の影響が大きかった。
もちろんレベルを上げたぶんだけ、受験勉強は厳しいものになる。
しかし優等生の早苗には、それほど大きな壁ではないように見えた。
とはいえ本人にすれば一発勝負の受験だけに必死にならざるを得ない。
夏には大手予備校の夏期講座を受講したりした。
あれから辰夫とは時々あったりしたが、辰夫の話は政治的な話題や社会問題のことが多く、早苗にはあまり面白くなかった。
その頃出てきたオリエンタルラジオのテンポのいいギャグや、次長課長のサラリーマンネタの落ちの話題の方がよほど楽しかった。
特に辰夫の現政権攻撃は、早苗にはおじいちゃんや父親の悪口に聞こえて面白くない。
必然的に辰夫とは会う回数は少なかった。
受験勉強の最中、歩こう会の活動にも少なからず参加した。
地震で注目を浴びた山古志村への一泊旅行は楽しみだった。
山古志は、かってNHKのテレビ小説の舞台にも選ばれたことのある棚田の村だった。
また棚田の田んぼを利用した錦鯉の養殖は、日本のみならず世界中に錦鯉の愛好者を生み出し
錦鯉発祥の地としてその名を轟かした。
早苗もその美しい田園の風景に息をのんだ。
夏の陽光の中に満面に水をたたえた棚田の美しさは、若い早苗をして「これぞ日本の原風景」という感慨を抱かせた。
中道先生もいつになく興奮した表情で山古志の歴史について語ってくれた。生徒たちはうっとりとその先生の解説を聞いていた。
秋になって早苗の成績は上位に位置していた。
農工大の合格は太鼓判を押された。
学校からも推薦が決まり、年内12月までに内定が取れるということになった。
早苗はほっとした。
翌年には統一地方選がいよいよ始まり、父親の一世一代の挑戦が本番を迎えるので、早めに進学が決まることは願ってもないことだった。
父親は早苗のことを、目を細めるように誉めてくれた。
思わぬ親孝行ができたような気がして、とてもうれしい気持ちになった。
なにより中道先生が祝福してくれて、その時「僕の後継者だね」と言ってもらえたことがとりわけ早苗の心に残った。
案の定、年が明けると選挙一色となった。
知らない人たちが庭に設けられた仮設の事務所に大勢出入りするようになった。統一地方選前半の市議選が終わると、今度はいよいよ県議選だ。