第十三話 中道先生
8月に入って旧盆の前に柏崎港の散策が行われた。この港はもともと天然の地形を活かして漁業中心の港だったものを、明治以降大正にかけて近代的な港として整備されてきた。今では新潟県においても重要な物流拠点になっている。海水浴場も近くにあり、近年は海浜公園も作られて市民の憩いの場にもなっている。
続いて盆明けにも近場の散策が行われたが、さすがに参加者は極くわずかだった。
それでも町の発展の歴史と地形の特徴を生かした街づくりの跡をたどり、中道先生の解説に生徒たちは大満足だった。
楽しみにしていた中道先生との高山植物のポートーレートの制作旅行は、中道先生の奥様も一緒だった。越後駒ヶ岳という魚沼郡に位置する山に出かけて行った。先生が運転するワゴン車に乗って山麓まで行き、ケーブルカーで中腹まで登った。
越後駒ヶ岳は標高はさほどでもないが、山の北東側が切り立った崖の様相を見せていてちょっとした障壁になっている。その山容は以外にも険しく、ロッククライミングの愛好者が目指す山の一つとなっている。山頂付近には雪渓も残り、8月とはいえ肌寒い気候だった。
夏の終わりの山の斜面にはオヤマリンドウやコウメバチ草、ハクサンフウロと高山の草花のポートーレートの材料には事欠かなかった。とはいえ早苗にはほとんどの植物の名前はわからなかった。先生と奥様の息の合った掛け合いで、次々と可憐な花を見つけては手際よく接写したり記録を書き込んでいる様を後ろからながめているだけだった。
午前中は空も晴れわたり、山の稜線が青空にくっきりと映えて広々とした眺めを楽しめた。
中腹の山小屋で、奥様の手作りの弁当をごちそうになった。
奥様からも、花の名前やら特徴やらをいろいろと話してもらった。当然早苗の知らないことばかりだった。
「うふふ。最初にね、山登り誘ったの私の方なのよ」と奥様が先生の方を横目で見ながら嬉しそうに話してくれた。中道先生は知らんぷりをしている。先生の奥様は由美子という名だった。先生とは学生結婚とのこと。共通の趣味が山登りだったという。それが縁となって交際が始まったという。
生物学を専攻していた先生と写真同好会で知り合いになったそうだ。奥様の方は化学の専攻だったけど、そこで意気投合することがあって仲良くなったそうだ。その意気投合したこととは、昔からのしきたりを大事にってことだったらしい。一応科学者の卵の集まる大学で科学の実証主義より言い伝えの方を重視するなんて、やっぱり変わり者だよねって笑いながら奥様が話してくれた。それですっかり香苗は奥様のことを好きになっていた。
都内の理科大だったので、なかなか郊外の自然の豊かな場所に出かけるという訳にはいかなかったようだ。それでも2年生の夏に八王子の高尾山に二人して出かけたのが始まりだった。そこで見つけた高山植物の写真をたくさん撮ったことが、今の趣味兼研究にのめりこむことになったきっかけだったという。
枝折峠に着くあたりで天候が急変。霧が濃くなってきた。
「今日はここまでだな」と中道先生。「そうね」と奥様もごく自然に相槌をうつ。
「どうだった。早苗ちゃん」と枝折登山口の休憩所で先生が聞いてきた。
「はい、とっても面白かったです。ほんと高山植物ってみんなカワイイですね」
「でも疲れたでしょ。けっこうな距離を走破したもの」と奥様も声をかけてくれた。早苗はこくりとうなずいた。
「でもやはり若さだよ。僕も今日はもう限界だけど、早苗ちゃん大丈夫だよね」
「はい大丈夫です」と早苗も元気にこたえていた。
南越後観光バスの下山バスに乗って麓まで降りた。帰りはやはり先生の運転で家まで送ってもらった。
「お疲れ様。新学期が始まったらまたね」
中道先生が笑顔で早苗を見つめてくれた。
早苗はワゴン車の後ろ姿が見えなくなるまで手を振って見送った。助手席の奥様も、窓からずーっと手を振ってくれていた。