008
午後六時半。早めの夕食を食べ終えて、僕は「Virtual Sense」に寝転んだ。これはリクライニング仕様になっているので、背もたれの角度を自由に調節できる。良い姿勢も寝転んだ姿勢も、思うままである。
閑話休題。今夜は多分、午前一時頃まで潜っている事になるだろう。
勘違いが有るといけないので、一応ここで言っておく。
別に僕は、ハナビやナツキ、ケンさんリンさんと一緒にダンジョンに潜ることで時間を潰す気はない。そもそも彼女らは全員、今日の午後八時にギルドメンバーで待ち合わせしているらしいし。
実は先ほど、海賊姿で街を練り歩いている時に良い物を見つけたのだ。
なんて、ここでちょっとした伏線を引いておくことにしよう。
「おっそいわよ!」
ダイブした途端にこれだ。
「悪かったな」
因みに先ほどは、ダイブ時にナツキとはぐれないようわざわざ東門まで移動してからログアウトしたのだ。そのことを考慮して、感謝しつつの発言して欲しい。
「じゃ、転職に行きますかなっ?」
ハナビは言うと、たったったったっと効果音を上げながら行ってしまった。せわしない人である。
「ねえ、シュン。私ちょっとアイテム売りに行ってきたいのよ。だから付き合いなさい」
有無を言わせない勢いである。
「良いから早くっ! 早く売ってこないとハナビを待たせちゃうでしょ?」
「そう言えばハナビにはもう断ったのか?」
「ええ。さっきあんたが来る前に時間を持て余したからね」
「あ、そ」
悪かったな! シャワー長くて!
そんなこんなでケンさんの店。
「トキワちゃんかにゃーん? 久しぶりだにゃー」
またまたどこから調達してきたのか、リンさんはネコ耳を付けている。
「ええ。今はもうトキワじゃなくてナツキですげど……」
ナツキが一瞬トラウマを抉られたような顔をしたのは、気の所為ではあるまい。
「アイテムを売りに来ました。ゴブリン素材いっぱい、オーク素材数個、プレミアム素材一匹分です」
そう言ってナツキは。、アイテムウィンドウを可視化した。
「おお。一日にプレミアム素材がこんなに手に入るとはね。今日は大漁だ」
ケンさんが目を輝かせながら言う。ゲーム内ではリアルよりも感情表現が大袈裟なようで、本当に目がキラキラと輝いているのだから、見ていて飽きない。
「そう言えばリンさん、今夜八時の招集には来るんですか?」
招集とは、ギルド『山山』メンバーで集まることだろう。
「行くにゃー。それまでにはケンに、アイテムとかの受け渡しを済ませないとにゃー」
ケンさんは今後ずっと、【鍛冶職人】メインでプレイしていくらしい。その為の引き継ぎを行うと言うことだ。
そんな話をしていると、店の奥のアイテムボックス(据え置き型。アイテムウィンドウに入り切らなくなったアイテムを入れる為のモノだという。これもベータ時代の副産物だというのだから、優遇のされ具合が半端じゃない)にナツキが売却した素材を移していたケンさんが戻って来た。
「そうそう。さっき君たちが帰った後に、早速プレミアム素材を使った武器を作ってみたのだけど……」
そう言ってケンさんは、アイテムウィンドウを開き、目的のモノを取り出した。
「これは……?」
ケンさんの手に握られていたモノは、長さ一・五メートルはあるのではないかという、三〇センチほどの幅のある、反った両手剣だった。
「にゃははっ。これ作るのには、あたしのスキルも使ったんだにゃー」
リンさんは言うと、右手の人差し指で鍔の部分を指さした。
そこにはモーターみたいな直径十五センチほどの円盤と、半球状のくぼみが。
「このくぼみ。これに【魔導石】て言う素材アイテムを填められるんだにゃー。プレイヤースキルで出来る特殊加工の一つなんだけどにゃ、【マジックブースター】って、大仰な名前も付いちゃってるんにゃ」
話によると、MPを消費する事でその【魔導石】の付加効果が受けられるらしい。因みに【魔導石】の本来の使い方は、杖の加工なんだとか。
「元の武器は、俺がベータ時代に使っていた【ファルシオン】って言う両手剣。プレミアム素材で耐久強化して、作ってみたんだ」
因みに引き継ぎ規制に引っかからないようにブロンズ素材なんだけどね、と続ける。
「ここのモーターは俺のスキルで特殊加工したんだ。名前は【アクセラレータ】。一定時間だけ、両手剣の攻撃動作が素早くなるんだ。ただ他の機械系武器と同様で定期的に燃料を入れないと使えないし、長時間使用しすぎるとオーバーヒートしちゃってプレイヤーにもダメージを与えちゃう、欠点付きだけどね」
「強そうっすね……」
気付けばそこには、ゴクリとつばを飲み込んでいる少年が居た。僕だ。
「だろう? これを今なら特別価格で譲ろうと思うんだけど……? どうかな? 初日限定セールって事で」
僕は思わず、周囲を見回した。
後ろにはリンさんとナツキしか居ない。
「ナツキ、欲しいか?」
念のため、従姉に聞いておく。
「私は銃一筋だから要らないわよ。この際なんだし、貰っておきなさい。」
興味無いのかよ……。
「どうするにゃーん? 買うか、買わないか。因みにあたしは【修道士】で杖を使うつもりだから、気を遣わなくて言いにゃー」
にゃーにゃーと、リンさんが急かす。
冷静に考えて、いや何も考えなくても、これはチャンスだ。
それに初日から、一日に二度しか狩れないというレアモンスターの素材を与えてあげたのだ。僕が負い目を感じる事なんて何もない。
ナツキは銃以外には本当に興味なさそうだし? リンさんも同様の理由で興味なさそうだし?
それに、そもそもだ。
この剣はブロンズ素材だという。
ブロンズと言えば青銅だ。
そして、青銅と言えば十円玉である。
なーんだ。これは単なる十円玉ブレードじゃあないか。
そうだそうだ。何も負い目に感じる事なんて、何もありゃしない。
貰ってしまえ外澤俊馬! いやここではシュンだけれども!
という、かなかに失礼なことも含まれている思考を〇・一秒ほど続けた結果、僕はこう、結論を出した。
「で、では、お値段の方はお幾らでしょうか……」
*
ハナビを十分ほど待たせることになってしまった。
でも僕は元気です。
「あたしは元気じゃないからねっ! 昼間っからセクハラされたと思ったら、今度は一人きりで転職NPCの前で一人寂しくパーティーメンバーを待つことになったんだよっ!」
ハナビは珍しく(僕が彼女に抱いたイメージだと、彼女は滅多に怒ることが無いと思う)怒ったように、眉を逆八の字に曲げながら、ぷんぷんと怒っていた。
「ごめんごめん。ちょっとケンさん達から武器買ってて」
「なぬっ!? 武器ですとっ!?」
却って刺激してしまった。
「いや、何でもない。とにかく職探しに行こう」
「職探しって……私たち求職難民じゃないわよ?」
「うーん……そう言えばRPG世界では、基本的に求職氷河期ってないのかなっ?」
そっちの話題に移るのか。
「まあアレじゃねえか? 冒険者とか武器屋とか、そういう収入が安定していない職業なら誰でもなれるけど、王専属の軍とか、収入が安定する職業には倍率がある」
「洗練されていない経済体制ね……。現代日本に生まれて良かったわ」
多分その言葉、どの時代に生まれようがどの国に生まれようが、お前は使っていたと思うぞ。
「でもさ、職業が違うからって魔法が使えたり防御力が堅かったりするのは、これ結構変な話だよ。だって転職するたびに、身体の構造が変わってるって事になるんだもん」
「ソレは人体改ぞ……」
「……もうこの話は止めにしようか」
転職する前に、なんだか大分、ダークな気持ちになってしまった。
因みに僕達が現在いる場所は、ルーセント西ブロックの路地裏である。テントがあるらしく、どうやらその中に入るとNPCが居て、そいつに話しかけることで転職が出来るらしい。
で、そのテントが目の前にある。なーに悩んでるのよ? 誰から入っても一緒よ。結局中では、一人になるんだから
ナツキの話によるとどうやら、建物オブジェクト内には人数制限があり、同時に何人入ろうと、あらかじめ決められた人数しか同じ場所にいられないのだと言う。
えーっと……これじゃあ分かりづらいと思うので補足説明すると、例えばこのテント。これの人数制限は一人らしい。だから、ハナビ、僕、ナツキが同時に手を繋いで入ったとしても、無理矢理分断されてテント内では互いに会えないのだ。他の二人がそれぞれパラレルワールドに行ったと言っても良い。そしてテントから出ると、再び会える。先ほどは気にならなかったが、このシステムはどうやら、スタート時の神殿にも使われていたようだ。
「じゃあ、私から入るわよ?」
言って、ナツキはそそくさとテントに入っていった。
「じゃ、あたしも行くねっ?」
ハナビも後に続く。
「…………」
そして……
「――って、お前誰だよ!?」
見るとそこにいたのは、どこか見覚えの有る水色髪の少女だった。
「……ただの通りすがり」
「はあ」
「……何か問題があったのならば、謝る」
「無いけど……」
思い出した。午前中にエウロスの森を攻略しに行こうとして、途中の路でぶつかった少女だ。中学生くらいの。
「……それでは」
言って。
少女は、テントの中へ入っていった。
――何だったのだろうか。
僕は首を傾げるが、考えても仕方のないことだと諦めて、少女に続きテントの中へ入っていった。
*
テント内部。せいぜい二畳ほどだろうか。天井は、身長一六〇代後半の僕で、手を伸ばせば届く高さだ。
そして奥。
地面に直接座っており、フードを目深に被ったNPCが、そこにいた。
取り敢えず、五十センチほどの距離まで近寄る。
すると視界下に、例のボックスが表示された。
『君は職業を変えに来たのかい?』
NPCは少年の声で言う。そして表示された、『Yes/No』。
何故だろう。
相手はNPCと分かっているのだけれど、何故だかものすごく緊張する。
試合会場に足を踏み入れる時みたいな。
確かに。
これは有る意味では、今後の人生の方針を決める為の、重大な選択なのであった(ゲーム内に限定された話だけれど)。
どーせ転職なんて、いつでも好きな時に出来るだろう。
そう自分に言い聞かせて、僕は「Yes」と答えた。
『わかったよ。さあ、どれにするんだい?』
言って。
NPCは、両腕を広げる。
現れ出たのは、円形の石版。
七芒星が描かれたそれの中央には、丸く、透明な石が埋め込まれていた。
水晶みたいな。
『ジョブストーン』
少年の声。
『この石は君の分身。君には、この石を好きな色に染める権利がある』
言うと、石版はNPCの手を離れ、僕の目線の高さまで浮かび上がってきた。
恐らくは名前入力と同じ操作方法だ。
七芒星の頂点の中から『Sorcerer』を選択して、触れた。
――指先から空間が破けたように見えた。
強いまぶしさを感じ、急いで目を閉じる。閉じた後、これはゲーム内だと思い出して、再び目を開けた。
既に僕は、テントの外にいた。