003
踏み入れた先——夏希に「神殿内部」と呼ばれていた場所は、最初に名前を入力した建物を廃れさせたような場所だった。
無限に伸びているようにも見えたあの太い柱は、全てが見える範囲で折れてしまっている。そして苔がビッシリと。
何よりも一番の違いは、柱の間から見える、周りの風景だ。
見渡す限りの草原草原草原。そして一方向、恐らく出口と思われる方には、始まりの街『ルーセント』が見えている。ルーセントはここから見ても分かる様に、全域が赤いレンガで構成されているみたいだ。つい昨日覗きに行った、横浜の赤レンガ倉庫を思い出す。
何か新たな発見――例えば開発者が遊び心で作ったイースターエッグのような――を見つけようと神殿内をグルグル回っていると(他に出てきたプレイヤー達は、そそくさと攻略に出かけていった)、また新たな、赤い髪色の少女が現れるのが見えた。
「えーっと……俊馬君?」
「あ、ハナビか」
赤髪ではある物の、顔の造形はどう見てもハナビだった。と言うか殆ど変わっていないんじゃ無いか? これ。
「僕はこっちではシュンだから、そう呼んで」
「おっけー、りょーうかいっ!」
おおう。テンションが高い高い。
「シュン君は、顔があまり変わってないから直ぐに分かったよ。どれどれ? ほう、現実世界と殆ど変わらないじゃん!」
グッと、顔を近づけてくる。
途端、頬の温度が上昇していくのが分かった――ここまで再現しなくても良いのに……。
「おおー。顔が赤いぞよー、シュン君っ! VRってのはここまで精密に再現しちゃうのかっ!」
「そ、そそそそ、そうっすね」
返事に少しどもる。あんたが美少女ってのが原因だよ。
「ところで、トキワちゃんはまだかーい?」
「そうみたいだな。アイツのことだからさっさと始めたがると思っていたのだけど……何かトラブルでもあったのかな?」
例えば、間違ってチュートリアルを始めてしまったとか。
「うーん……名前入力ゾーンを探検してるって可能性もなきにしもあらずって感じだね!」
「よく分かってらっしゃる」
そうだな。ゲーム好きの夏希のことだ。
全然あり得る。
「そう言えばシュン君は、トキワと同じ部屋に泊まってるの?」
「え? ああ。そうだけど」
「ふーん」と、意味深な顔で握った手を顎に当てる仕草。
「変な気起こしたりとか……ぶぐしっ」
おっと! 何故だろう拳が出た!
「痛い! HP減った!」
「何が言いたいのかこれっぽっちも分からないけれど、一応言っておくと僕と彼女は血縁関係にあるのであって。いや、ね、本当に何を言っているのか知らないけれど、多分ハナビが思っているようなことは一切合切全然これっぽっちも一欠片も起こりえないことだから。一応釘を刺して置くね」
しかしハナビは僕に殴られた口の辺りをごしごしと擦りながら、未だ懲りないようで再びニヤリと笑って言う。
「年頃の女の子だよー、そういう事あるでしょ? それに法律的には問題ないんだし!」
「法律的に問題がないとしても道徳的に問題があるだろう」
「可愛いと思ったりすること無いの?」
「無い!」
「萌えない?」
「萌えない!」
「ふーん……」
何が不満なんだよ!
「ま、いいや」
彼女は言って、
「ところでシュン君は、なんの武器を使うつもり?」
と、割と重要ながらすっかり考えるのを忘れていた事項について、聞いて来た。
武器、か……。
そう言えば決めていなかったな。と言うか唯一の情報ソースであるところの夏希が、肝心の武器について教えてくれなかった。
「ハナビは、何にするんだ?」
「ん、ハンマー、かな?」
ほう。
「何? 変かなー?」
僕の意外そうな顔を見てか、ハナビがそう聞いてきた。
「いや、変って訳じゃあないんだけれど。ハンマーって重量級なイメージがあるからさ」
「いんや。重量級って言うと、一部の両手剣や盾持ち槍とかが該当するねー。ハンマーはガードを捨てた代わりに、割と小回りが利くようになってるんだよー」
ほほう。
夏希の自己満足話よりも、よっぽど為になる。
「シュン君はどうするの? スタンダードに両手剣あたり?」
なるほど。両手剣はスタンダードなのか。
「そうだな。スタンダードに両手剣にしよう」
何とも安直な決め方だった。
「……しゅぅぅうぅぅぅぅん、はぁなぁびぃぃぃぃ……」
「のわっ!?」
「にゃにっ!?」
突然背後から聞こえて来た幽霊の様に生気を失った声に、僕とハナビは同時にビクッと肩を震わせる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
振り返るとそこにいたのは——と言うか他の人間である筈が無いのだが——夏希だった。
「うおっ! ちゃんと涙も出るんだ! すっごいなあVR!」
おいそこじゃないだろう。
「どうしたんだよ夏希。お前が泣くなんて、野生のニホンオオカミを見かけるくらい珍しいじゃないか」
因みにニホンオオカミは、もう一・五世紀以上前に絶滅して居る。
「ねえきいてぇよぉ……あのね、あのねぇ」
まずいな……。
本当に、シャレにならないレベルで、メンタルが抉られているみたいだ。所謂ガチ泣きってやつ。
「どうした? ほら、肩を貸してあげるよ」
ハナビも事情を察したのか、泣き場所として肩を提供した。
でもそれ、僕の肩なんだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
周りのプレイヤー達の視線が痛い痛い。しかしそれで従姉を見捨てられるほど、僕達はドライな関係を築いては居ない。
「ほらほら……どうしたんだよ? 言ってくれなきゃ、僕もハナビも分からねえよ」
僕は取り敢えず、夏希の頭を撫でてやる。どうでも良いが、シャツ越しに伝わってくる体温まで完璧に再現しているんだな、これ。
「トキワが……」
ぼそり、と夏希が呟く。
「トキワって名前が、既に使われていますって、言われた」
お、おう。
僕は反応に困り、ハナビの方を向く。が、苦笑いしか返してくれなかった。
「だ、だから、ナツキに、した」
時折ヒック、としゃくり上げる声を上げながら、夏希――改め、ナツキはそんな事を言った。
「ナ、ナツキちゃんね! 可愛いよ! 超可愛いって、その名前!」
ハナビが、下手くそなフォローを入れてやる。
「そ、そうだよ。ハナビの言うとおりだって。それにナツキの方が、僕的には呼びやすいんだし」
僕も負けず劣らず、下手くそだ。
「そ、そうよね。そんなに落ち込むことじゃあ無いわよね! うん。泣くのはもう止めた! 人生、立ち止まってちゃあいけないわよ! トキワの名前を獲得したプレイヤーが死にまくることを願って、先へ進もう!」
今すっごく不穏な言葉を聞いた気がしたけれど、気の所為だろうか。
「それにしてもお前、トキワって名前にそんなに思い入れがあったのか?」
「もうかれこれ六年使ってる。もう一つの私みたいなモノよ……」
そう答えるナツキの肩は、歴戦の企業戦士がリストラを受けたような、えも言われぬ哀愁に満ちていた。
*
「おおおう! このレンガ! このタイル! この建物! そしてあの噴水! 凄い、凄すぎるわよこれ! これぞまさしくファンタジー世界ね!」
この発言、ハナビのものではない。ナツキのものだ。神殿を出、ルーセントの町並みを一目見た瞬間からずっとこのテンション。ハナビに比肩出来そうな程の、ハイハイハイテンションぶりだ。
直前までの落胆がバネになってこの温度差を生んでしまったのだろう。どんだけショックだったんだよ。
「初期スキルと初期武器は既にアイテムボックスの中に入っているはずだから、直接エウロスの森に行けるのよね?」
「おいちょっと待て。エウロスの森だって?」
先ほどすれ違いざまに聞いた話だと、どうやら「初心者の草原」と言う、僕にお誂え向きのフィールドが有るみたいじゃないか。
「あのねぇ」
これだから素人は、とでも言いたげな視線を向けると、ナツキは言う。
「『初心者の草原』なんて名前、プレイヤーに集まってくださいって言ってるようなものじゃない。あんたも見たでしょ? 噴水の上に書いてあったログイン人数」
言われて、僕は思い出す。
チラッと街のランドマークである噴水を見に行ったとき、物凄い人だかりで噴水自体には近付けなかったが、その頂に飾られて居るドラゴンの像と、上に吊るされて居た横断幕だけはこの目でしっかりと見てきたのだ。
横断幕には、刻一刻と増えていく数字が刻まれて居た。それがどうやらログイン人数を表して居るモノだと、僕は今言われてやっと気づいた。確か九千人を少し越えた位だった様な気がするが……。
「もうこの世界には一万人弱ものプレイヤーが居るのよ? そのうちたった十分の一が初心者の草原に行ったとしても、充分すぎる混み合い方なの。どうもベータ時代の感じじゃあ、エウロスの森の平均レベルもそんなに高く無いみたいだし。だから行くわよ、エウロスの森へ!」
言って、ナツキはそそくさと先へ行ってしまった。
「ちょっと待って、ナツキちゃん! パーティ組んどこーよ!」
そう言いながらハナビも、先へ行ってしまう。
先の二人はマップを暗記するほどベータ時代の攻略サイトを熟読したようなので問題ないのだが、一人残された僕は、時々マップを開いて場所を確認しながら、エウロスの森へ向かう門——僕達のスタート地点である『東の神殿』最寄りのゲート・『東門』へと、ゆっくりと向かう事になってしまった。
見ると、本当に美男美女ばかりだ。僕やナツキ、ハナビの様に顔をほとんど変えていない人は、あまりいない様に思える。もし全員が本当の顔だとしたら、これは由々しき事態だ。芸能人が生活できなくなる。
なんて、どうでも良い事を考えていると、目の前の誰かにぶつかった。
「っと、すいません。大丈夫ですか?」
ぶつかった相手は小柄な少女。明るい水色の髪の、中学生位の背の低い美少女だった。正直先ほどから美人ばかりで美少女にありがたみを感じなくなっていたのだが、彼女は少し、今までとはタイプが異なっていた。
中学生の、それも一年生ではないかと言う位の幼さだ。今まですれ違った中では僕と同い年位の人で充分若かったのだから、この幼さにはちょっとした驚きだ。
「…………」
少女は無言でこちらをみると、そのまま何も言わずに街の方へ向かって行った。全く、礼儀がなっていない中学生だ。
色んな人が居るものだ、などと呑気な事を考えながら進むと、じきに「おーい」と自分を呼ぶ声が聞こえて来た。
見ると、前方二十メートル程の所に、二人の少女が立っていた。
「悪いな。遅くなっちまった」
僕は謝りながら、ナツキ、ハナビの元へ駆け寄る。
どうやらここが東門の様だ。幅五メートル、高さ十メートルほどの緑色の門が、目の前に聳え立っている。
「遅い! 先に行っちゃおうかと思ってた所よ!」
ナツキは少々イラついた口調で言う。
「ほら、さっさと武器装備して、そこの復活ポイントに登録して。行くわよ!」
そう言って、彼女が指し示した先——東門の脇には、水色の光を放つ直径一メートルほどの球体が一つ、地面から七十センチほどのところに浮かんでいた。
復活ポイント——ダンジョン内でHPがゼロになったとき、ここに登録して居れば、直ぐにこの復活地点から復活出来る、と言うシステムだ。因みにそうなった場合、持ち金の半分が持って行かれるらしい。
僕はナツキの指示に従い、復活ポイントの球体に触れ、「Entry」と呟く。別に日本語で「登録」、と呟いても良いらしいのだが……まあ、気分だ。
復活登録を済まし二人の元へ赴くと、二人とも既に、武器を装備しているようだった。アイテムボックスの中にはあらかじめ数種類の初期武器が入っていると言う親切設計らしく、ハナビもナツキも、使いたい武器はそこに有ったようだ。
「で、お前はライフルなんだな」
「そうよ? 文句ある?」
「いや、文句は無いんだけど」
大きく溜息をつく。
「お前がライフルってなぁ……チート過ぎるだろ」
何と言ってもコイツは、ライフル射撃で全国高校生大会に一年生ながらも出場し、(しかも夏風邪を引いた状態で)準優勝を勝ち取ってくるレベルの猛者なのだ。今年は7th Gateの誘惑に負けて、例の全国大会には出なかったらしいが。
「良いのよあれは。だって動いている的じゃなくて、止まっている的を狙うんだから! ゲームでの敵はずうっと動きっ放しなのよ!」
照れ隠しなのか、ナツキは少し強めの口調でそう言うと、速足で東門から出て行ってしまった。
「んんー? そう言えばシュン君は、武器装備の仕方わかるかいっ?」
「あ、分かんねえわ。ついでにスキル装備も教えてくれないか?」
「おっけー、了解っ! ええとね、まずはメニューウインドウを開いてだねっ……」
親切にも残ってくれたハナビに、僕はレクチャーを頼む事となった。