3日目
3日目――。
俺は昨日も睡眠を取らず、夜間は自分の能力の把握に努めていた。
どうやら俺は屍体を自分の管理下に置くことができる……ようだ。
不可視の線を躯に繋ぐと感覚を共有できたからそう判断した。
感覚とは五感――つまり触覚、味覚、視覚、嗅覚、聴覚のことで、繋ぐ線の数を増やすことでより多くの情報を共有できる。
ただし一度に繋ぐことのできるパスは五本までで、本数を減らすたびに共有できる感覚は減っていくことも確認済。
俺は現在そのパスを、俺だったものに三本繋いでいる。
共有する必要性を感じなかった味覚と臭覚は切り捨てた。
あとの二本はそれより大事なものに使いたかったから。
「むー…………」
どうやらリネッタはしばらく食事も睡眠すらも取っていない俺を訝しんでいるようだ。
少し後ろを歩きながらじとっとした目でこちらを睨んでいる。
「だから少しは寝たってば! それに夜食も食べたし?」
「パン、減ってないけど」
「う……そ、そのへんの木に果物が成ってたからさ。あーリネッタの分も採ればよかったな」
もうかなり山を登ったので、ちょっと前にとうとう森林限界ってやつを超えてしまった。
ここから先は岩場しかないような地形だろうから、もうこの言い訳は使えないな。
「そんなことどうでもいい!」
リネッタが突然大きな声を出した。
感情が乏しい今の俺でもびくっとしかけたぞ。
「ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。ねぇ正直にいってよネロ」
正直にいって——その言葉を聞いて心臓が跳ねた、気がした。
「だってネロ……絶対にどこか怪我してるよね? なんでいってくれないの?」
「え?」
怪我をしてる……それはちょっと予想外の言葉だった。
「だ、大丈夫だけど? ほらピンピンしてるし、さっきも問題なくグレートディアを倒せてたでしょ?」
「そうだけど……でも……」
リネッタはいいにくそうに下唇を噛んだ。
それから息を深く吐いて、意を決したように口を開いた。
「だってネロ……すごく臭いもんっ!」
「く、臭い?」
そんなことを面と向かっていわれると感情がなくても悲しくなりそうだ。
俺が呆然としていると、さらにリネッタは続ける。
「絶対にどっか膿んでるって、そのままにしてたら腐っちゃうよ!」
目の端に涙を溜めて、半泣きでそう叫ぶ姿に胸が痛んだ。
そこにもう心はないと知っていても、それでも確かに痛かった。
「そ、そう? 気のせいじゃないかな。自然の中って、いろんな匂いがあるもんだし」
思わずくるりと背中を向けて言い訳をした。
本当はこうやって足を動かすたびに皮膚の下で何かがズレるような感覚がある。
靴の中で溶けだした肉がぬるりと動いているんだろう。
そうだな、確かに俺はどんどん腐ってきている。
「そんなにも私の治癒魔法を受けたくないんだね……」
「違うって、全然なんともないのに使わせたら勿体ないし……あ、そういえばさっきのグレートディアに脇腹を突かれて痛いんだった! 治癒魔法をかけてくれる?」
「本当に……? うん、わかった」
リネッタは涙を袖でぐいっと拭くと、両手に光を纏った。
そしてなんともない俺の脇腹に手をかざして――。
「……ッ!?」
俺は痛みを感じない。
繋いだパスを通して一部の感覚を得ることができるだけ。
それなのに――。
俺はかつて味わったことがないほどの痛みを感じた。
それは魂を、己の根源を焦がしつくすような痛みだ。
「ぐうっ……」
思わず苦悶の声が漏れ出てしまった。
少しでも気を抜いたら昇天してしまいそうだ。
「ほら、もう終わったよ。そんなに痛かったならすぐいえばいいのに」
「はぁ、はぁ……うん、あり……がと」
躯との繋がりが焼き切れてしまうかと思ったが、なんとか耐えきった。
次にこれを食らったら本当にまずいかもしれない。
リネッタは、といえば俺を治癒できたことで少し機嫌を良くしてくれたようだった。
ま、それなら我慢した甲斐があったか。
結局、治癒を受けた消耗が響いて今日は早めに休息を取ることにした。
目的地は霞がかってはいるけどもう見えてきているし、そんなに急ぐこともない。
「明日には着いちゃうよね……?」
昨日拾っておいた薪に火をつけて地べたに腰を下ろすと、リネッタが恐る恐る尋ねてきた。
「そうだね、朝出れば夕方くらいには着くと思う」
「じゃあもう冒険も終わりかぁ……今更だけどやっぱり短すぎるって! 延長できるように抗議しようかな」
「そんな無茶な……。でも俺は少しの間でも夢を叶えられて嬉しかったよ、ありがとう」
俺が感謝を告げると、リネッタが黙り込んだ。
パチっという薪が弾ける音だけが周囲に響く。
「……あーあ、私も夢を叶えたかったなぁ」
「リネッタの夢って?」
そういえばずっと一緒にいるけど聞いたことがなかった。
「……めさん」
「え? ごめん、聞こえなかった」
「もうっ! だから……お嫁さんっ!」
「え?」
リネッタがそんな少女趣味な夢を持っていたとは思わなかった。
それに村の大人はみんな当たり前に結婚して家庭を持っているし、夢という程のものじゃ……。
「あのね、私はネロのお嫁さんになりたかったの」
「…………ええっと?」
「だけど私の夢はもう叶わないんだよね」
俺のリネッタへの想いは一方的なものだとずっと思ってた。
いつもからかってくるし、すぐ怒られるし、失敗すれば笑われてたから。
「ほんと……に?」
「ネロと過ごす最後の夜なのに嘘なんていわないよ」
嬉しい、きっと嬉しいはずなのに……感情がうまく感じ取れない。
やっぱりこの胸が空っぽだからなのか。
「なんて顔をしてるのよ。もしかして私、嫌われてた? ちょっとショックなんだけど」
「いやそうじゃなくって、俺は――」
思わず全てを打ち明けようかと思った。
けど、そうしてしまったらリネッタは心により酷い傷を負うことになるだろう。
だから言葉にできなくて、口をつぐむしかなかった。
「なーんて、冗談だよ。ネロってば昔から私のこと大好きだもんね?」
意地悪な顔で笑うと、リネッタは布袋から小さい碧色の宝石がついた短剣を取り出した。
「これ、あげる」
「その短剣は……お父さんの形見じゃないか」
リネッタの親父さんは昔騎士団にいて、その時に報奨としてもらった短剣だったはず。
俺達がまだ小さい頃に亡くなってしまってからは、形見として彼女が大事にしていたものだ。
自分の瞳と同じ色の宝石が付いているんだ、と自慢されたこともあったからよく覚えている。
「うん、護身用で持ってたんだけど聖女になったらもう必要ないもん。それに私と会えなくてネロは寂しくて泣いちゃうだろうから、そのときに私を思い出せるようにね」
「で、でも俺は……」
「ネロに持っててほしいの! 私の代わりと思って冒険に……連れて行ってよ」
そう言い切ると、リネッタは俺に短剣を押し付けてきた。
「でさ……ネロも私にくれる?」
「何かあげられるもの持ってたかな……」
リネッタの突然のおねだりに俺が頭を悩ませていると、リネッタが口を開いた。
「ううん、私が欲しいのは……思い出だよ」
リネッタはくりっとした瞳を潤ませてそういうと、顎を軽く上げてまぶたを閉じた。
これはつまりそういうことなんだろう。
でも……もう体の外側はおろか中身さえ腐ってきているこんな俺が、彼女に触れていいのか。
汚してしまうんじゃないか、そう思った。
それでもリネッタの最後のお願いだから……。
ちょっと臭うかもしれないけど、嫌いにならないで。
俺はそんなことを考えながら、彼女と軽く唇を重ねた。




