1日目
1日目――。
ポツリと振った雨が地面を濡らしている。
「ん?」
なんだか視界がぼやけているけど、感覚は鋭敏になっている気がする。
「あァ゙……」
そういうことか。
理解したところで今までの俺だったら叫びだすところだ。
だけど何故か心は凪いでいる。
「ま、仕方ないか」
なんか気怠いけど、とりあえず街へ戻るとしよう。
まだリネッタが居てくれたらいいけど。
「何で……何でよ⁉︎」
街へ着くなり、リネッタの悲痛な叫び声が耳朶を打った。
「すみません、騎士団長の私がついていながら。どうやら彼はあなたとの天職の差に悩んでいたらしく、いきなり走り出したと思えばそのまま崖から飛び降りてしまい……」
「やだ、やだ! 聞きたくない!」
リネッタは耳を塞ぎながらしゃがみこんでいる。
騎士団長の野郎、ペラペラとでまかせを口にしやがって。
「おい、俺の幼馴染を泣かせるなよ」
「……っ!? ネロっ!」
「な、なんだと? お前は確かに崖から落ちて……」
「死んだはずって? お生憎様、ピンピンしてるぜ」
騎士団長は眉間に皺を寄せると、剣柄に触れる。
はあ……バレないように始末しなきゃ意味がないんじゃないか。
あんな間抜けに憧れてたなんて、自分が嫌になる。
「ネロ、大丈夫なの? 崖から落ちたって……」
「全然大丈夫だよ、心配させてごめんね。それじゃ行こうか、はじめての冒険に」
「うんっ!」
こうして俺とリネッタの、最初で最後の冒険が始まった。
「二人きりだとちょっと怖いね」
「そうだね。でもリネッタは俺が守るから安心していいよ」
「うん、ありがとう」
リネッタを守るようにして山頂へ続く道を歩きはじめたのだが……。
「はぁ」
歩きながら思わず溜め息をこぼしてしまった。
街を出る前に後を尾行けてきたら殺すと釘を刺しておいたのに。
あいつら数人が間隔をあけてこちらの様子を伺っている。
全部見えてんだよ。
「ネロ、どうしたの?」
「なんでもないよ」
「ねぇ、なんかちょっと雰囲気変わった? それに自分のことも俺って……?」
「もう弱いままじゃいられないからさ」
「そっか……二人きりになったから冒険者の自覚が芽生えたってことなのかな」
リネッタはどうにか納得しようとしているのか、何度も頷いている。
「そういえばリネッタって聖女の力はもう使えるの?」
「うん、なんとなくこうしたらいいんだろうなっていうのは分かる、かも」
「へぇ、そうなんだ」
やっぱりそうなのか。
俺もどうしたらいいのかなんとなく分かるから、そういうものなんだろう。
「聖女の力で自分の身を守れるような魔法って使えたりする?」
そう尋ねると、リネッタは立ち止まって少し考えて首を縦に振った。
「えっとね、≪聖なる守護≫……これはどう?」
リネッタが紡いだのは、半円状の結界を自分の周りに展開する魔法だった。
「おお、凄い。それがあれば安心だね」
「ふふ、でしょ。危なくなったらネロを守ってあげるからね!」
「はは、期待しとくよ。じゃあ早速だけどそこの岩の裏に隠れてその魔法を使っててくれる?」
「何をするの?」
「敵が近くにいるみたいだからさ」
剣を抜きながらそう答えると、リネッタは険しい顔をしつつも頷いてくれた。
「分かった。けど……一人で大丈夫なの?」
「もちろん。俺を信じてくれる?」
「当たり前でしょ、幼馴染だもん。ネロが毎日必死に剣を振ってたの見てたんだから」
リネッタが岩陰に隠れて結界を張ったのを確認すると、俺は走り出す。
後方で気配を消している間抜けどもへ向かって。
「おい、尾行けてきたら殺すって言っておいたよな?」
「わはは、こいつアホじゃねえか? 自分から聖女様と離れてどうすんだよ」
「本当だぜ、タイミングを伺ってたのに手間が省けたぞ。これで魔物に殺されたことにできるな」
騎士たちは顔を見合わせて笑いあうと、にやついた顔のまま剣を抜いた。
それを抜いてしまったなら、俺を殺すというのなら……やり返されても仕方がないよな。
「お前の冒険ごっこはここで終わりだ」
「あっそ。終わらせられるもんなら終わらせてみろよ」
目の前の騎士が上から振り下ろしてきた剣を、俺は体を横にずらすことでかわす。
その瞬間、後ろの騎士が入れ替わるようにして前へ出てきて横薙ぎに剣を振った。
縦と横、二人はまるで十字を切るように攻撃を仕掛けてきたわけだ。
「教会の騎士らしい信心深いコンビネーションだが……それは旅の間にもう見たぞ」
俺は地面へ仰向けに倒れ込み、横薙ぎをやり過ごすとすぐに跳ね起きる。
まるで見えない何かに引っ張られるように跳ね起きた俺を見て、騎士たちは汗を一筋流した。
「ば、化け物か……!?」
「人間の動きじゃねぇっ!」
「そうか? じゃあ次はこっちから行くぞ」
はぁ、騎士たちはさすがに手強かった。
二人同時に相手をするのはまだ早かったか。
遠巻きにこちらを伺っていた騎士を一人逃がしてしまったのもまずかった。
「まあ仕方ないか」
俺は事切れた騎士の体を森の奥へ放ってから、腹を裂かれた時に飛び出てしまったモノを拾う。
ぐちゅりと湿った音を鳴らしながら、臓物を元あった場所へねじ込んだ。
それから破っておいた騎士の外套を、ぱっくり開いた腹にきつく巻いておく。
「リネッタが心配してるだろうからさっさと戻らないと」
彼女の元へ歩きだすと、左手の小指がぷらぷらと揺れていることに気がついた。
このままだと邪魔になりそうだ。
仕方ないので皮一枚で繋がっている指に噛みつき、引きちぎる。
ああ、すっきりした。
「おかえり……ってネロ、怪我してるの!?」
俺の腹と左手を見て、リネッタは驚きの声を上げた。
巻いておいた外套の切れ端に血が滲んでいるのに気付かれたらしい。
「大丈夫だよ、ちょっと噛まれただけだから」
「ちょっと見せて! 聖女の治癒魔法を使ってみるから」
リネッタが手を取ろうとしてきたので慌てて手を引っ込める。
「大袈裟すぎるって。それより先へ進もう。だらだらしていたらすぐに暗くなっちゃうからね」
ねえ、本当に大丈夫なの?という台詞を何度も聞きながら歩き続けていると、辺りが暗くなってきた。
俺はまるで平気だけど、リネッタはここら辺で休ませた方がいいだろう。
「誰かの野営跡があるし、俺たちもこの辺で休もっか」
「そうだね、ずっと歩きっぱなしだったから足が棒になっちゃったよ」
「じゃあそこで休んでていいよ」
リネッタを平らな岩に座らせて、そこらで薪を拾って火をつける。
野営の準備ができたので夕食のパンと干し肉をリネッタに渡す。
「あれ、ネロは食べないの?」
「うん。今日はいいかな」
「そう……」
リネッタは怪訝そうな顔を浮かべながら、硬いパンを少しずつかじりはじめた。
「こうして野営してみると冒険してるって感じがするなあ」
「ね! 私、外で寝るのなんて初めてだよ。ちゃんと寝られるかな」
「子守唄でも歌ってあげようか?」
「もう、子供扱いしないでよ! ああ……これがネロの夢なんだね」
焚き火に照らされて赤く火照ったようなリネッタの顔には、喜びとも悲しみともつかない表情が見え隠れしている。
「もしかして嫌だった?」
「ううん、すっごく楽しいよ。けど……」
「けど?」
「これがずっと続けばいいのになぁって思っちゃって」
俺だってそう思ってたよ……でもそれはもう叶わないんだ。
だってリネッタは聖女だし、俺は――。
「よしっ、明日もたくさん歩くからリネッタは先に寝ていいよ」
「え、ネロはどうするの?」
「俺は見張りをしてるよ。なんだか眠くなくってさ」
「そう……。じゃあさ、ネロが眠くなったら交代するから起こしてね?」
リネッタは眠そうな声でそういうと、おもむろにまぶたを閉じた。
余程疲れていたようで、すぐに小さな寝息を立て始める。
「さて、と。リネッタが寝てる間にこの力を色々試さないとな……」




