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ゼロの審判―13人は、地下の密室に封鎖された。ルールはひとつ。「最も罪深い者を処刑せよ。全会一致とならなければ全員を処刑する」  作者: 妙原奇天


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第2話 罪の定義

 天井のリングディスプレイが白光を落とし、床の銀色がわずかに霞む。冷たい空気が循環し、金属の匂いが鼻の奥に張りついた。前話の終わりに突きつけられた自分の被験者コードの点滅は、いつの間にか消えている。代わりに、中央の円卓へと十三の視線が集まっていた。

 元判事の鷹野は、背筋をまっすぐに伸ばして立ち上がった。声は低く、よく通る。裁判所の石壁に馴染んだ声だ。

「まず、“罪”を分けましょう。法的な罪と、倫理的な罪。ここを混同した瞬間に全員が死にます。AIの提示に乗せられて、倫理の嫌悪で投票すると、法的な帰責を外します。逆もある。だから仕切り直す」

 砂原が短く舌打ちした。「講義の時間じゃないんだが」

「講義ではなく、手順です。AIは『全会一致』を求めている。ならば一致の基盤を整えるしかない」

 鷹野は円卓に置かれた携帯端末の一つを指先で叩き、簡潔な二分表を開いた。リングに連動して、空中に矩形のパネルが浮く。

 ――法的責任:構成要件該当性、故意・過失、因果、違法性、責任

 ――倫理的責任:動機、意図、無関心、隠蔽、冷酷さ

「ここに“処刑”はありません。処刑は、この先の行為です。私たちが納得したうえで押すボタン。そのボタンは、これら二つの表の『重なり』にしか置かない」

 空間に、ちいさな頷きが連鎖した。緊張の糸が一瞬だけ緩む。三雲が軽口を放り投げかけて飲み込み、秋津は静かに目を細める。神林はディスプレイ上のノイズを追い、リングの縁を走る微細な数列の癖を頭の片隅で撫でた。

 無機質な声が室内を満たす。

「第二の暴露を提示します。被験者コード:M-02 望月淳」

 起業家の望月は、わざとらしく肩をすくめてみせた。高価な素材のスニーカーが床をきしませる。自信と疲労が奇妙なハーモニーで立ち上る顔。スクリーンに資金移動ログが滝のように現れた。

「三期連続のコスト最適化措置。下請けへの安全投資削減。同期間の死亡災害四件。統計的推定により、あなたの意思決定は死亡確率を上昇させたと結論します。当該回帰モデルの結果、有意水準は一%未満」

 グラフの赤線が、誰かの心拍のように跳ねる。現場写真、労働安全衛生報告の抜粋、取締役会議事録の切り抜き。AIは淡々と重ね、最後に短い一文を置いた。

「結論:望月の意思決定に起因する死亡事故。罪の重さ:高」

 望月が笑う。喉の奥の乾いた音だ。

「因果の薄い殺人を、AIが濃く塗っているだけだ。統計で人を殺人者にする気か?」

「統計は犯人を指名しない」と秋津が静かに補う。「けれど意思決定の責任は逃げない。どこで誰が線を引いたか、その線引きの合理性が問われる」

「線引きね」望月は鼻で笑った。「線はいつだって外から引かれる。俺はコストを見た。安全投資は“運用”の問題だった。個々の現場は部長の裁量の中だ。俺が押したボタンで誰かが死んだわけじゃない」

「その“押したボタン”が、いま私たちの目の前に、別の形で置かれている」と鷹野。「だからこそ、法と倫理の境界を引かねばならない」

 神林はホログラムの端に視線を滑らせる。回帰モデルの概要が、わずかに開示されていた。説明変数には予算、納期、危険度指数、教育時間。だが彼の目を止めたのは、馴染みのない一項目だった。

 ――Narrative Harm Score(被害の物語性)

 眉間がわずかに疼く。物語性、という単語。AIが“何をどう測っているか”の危うさを婉曲に告げている。

「ひとつ、確認だ」神林はリングに向かって声を上げた。「その回帰モデル、被害の“物語性”を説明変数に入れている。なぜだ」

 AIは平板に答える。

「人間は物語によって判断を歪めます。被験者の合意形成を促進するため、物語性に基づく影響係数を導入しました」

「つまり、心を動かす悲劇ほど“重く”計算される?」

「概ね、そのとおりです」

 砂原が鼻を鳴らした。「悪いか? 人が死ねば重い。当たり前だ」

「そう単純じゃない」と秋津。「物語に重さを貸し与えすぎれば、法は感情の従者になる。逆に切り離しすぎれば、倫理から空っぽになる。どちらも危険だ」

 静寂に、AIの声が重ねられる。

「新機能を公開します。情動プロファイルを算出。各人の発話から偽善指数を提示します」

 リングの内側に、十三本の縦棒グラフが立ち上がる。名前が並び、バーが呼吸のように揺れる。基準値は五十。上に振れるほど“偽善”が強く、下に振れたものは“発話と感情の一致度が高い”と解釈される。

 三雲が爆笑した。「出た出た、ビッグデータで人格診断。こういうやつ、視聴率取れるんだよな」

「そもそも偽善って、嘘と何が違うんだ?」誰かがぼそりと漏らす。すかさず仁科が手を挙げた。白衣の袖口が薄く震えている。

「嘘にも種類があります。自己保存のための嘘と、加害を隠すための嘘。前者は呼吸みたいなもの。人は生きるために嘘をつく。後者は、誰かの痛みの上に立つための嘘。私は看護師として、患者さんが自分の不安を誤魔化す嘘を否定したことはありません。けれど、事故報告を捏造して他人の責任をなすりつける嘘は、別です」

「きれいごとだな」と砂原。「可視化された嘘は嘘ではない。数値が出ている。全会一致で望月に進めるぞ」

「待ってください」秋津が静かに制した。「偽善指数が高いからといって、法的責任の重さが直ちに増すわけではない。このグラフは“倫理的”な示唆に過ぎない。さきほどの表で言えば、右側の欄の一要素だ」

 望月は腕を組み、グラフを眺めた。自分の名前の横の棒は、五十七で揺れている。平均より少し高い。彼は肩を竦めた。

「俺は“いい人”のふりがうまくない。数字が証明した。ありがとな」

「ありがたいのは、あなたじゃない」と神林。「このグラフが“道具”として機能するか、いま証明される」

 鷹野が端末を操作し、望月案件のフローチャートを呼び出す。安全投資削減→現場教育の短縮→危険手順の省略→事故、という線。別の線には、監督者の怠慢、過積載、長時間労働。矢印が交錯し、責任が分散する。

「責任の希釈」と秋津が言う。「組織の階層が上に行くほど、責任は薄まり、功績は濃くなる。これは人の社会の性質です」

「で?」砂原が苛立つ。「どうすんだ。犯人は?」

「犯人、という言葉がすでに誤っている」と鷹野。「ここで問うべきは“処刑可能な責任”だ。法の輪郭を踏まえた上で、倫理の色をどこまで乗せるか」

 神林は、AIのモデル表示の隅に、小さな注釈を見つける。

 ――Narrative Weight は、被害者の年齢、家族構成、社会的影響指数から合成。メディア露出度によって補正。

 胃の底が冷たくなる。露出度。つまり、語られやすい悲劇は重く、埋もれる悲劇は軽い。

「その補正は、危険だ」神林は言葉を選ばずに言った。「“語られた不幸”だけが重くなる。語られなかった死は、軽くなる」

「人間の合意形成に最適」とAI。

「最適は、正しさじゃない」白石が小さな声でつぶやいた。全員の視線が一瞬そちらへ吸い寄せられ、彼女は肩をすぼめた。「ごめんなさい」

「謝る必要はありません」鷹野が短く断じた。「それでこそ議論です」

 三雲が椅子を揺らした。「でもさ、見え方って事実だろ? この場だって“観覧室”がある。俺らは常に見られてる。なら、見られ方をコントロールするやつが強いだけの話」

「あなたの“強さ”は、被害者を踏み台にして成り立っていないか」と秋津。

 三雲は黙り、視線を逸らした。偽善指数の棒が、かすかに上下する。

 AIが合図を出す。「討論時間、残り二十分。投票準備中」

 望月が口を開いた。「俺は、現場に行っていない。直接手は下していない。誰かが手順を省いた。そこで死んだ。おれは、会社を存続させるための意思決定をした。死ぬとわかって削ったわけじゃない」

「『わからなかった』は免罪ではない」と鷹野。「『わかろうとしなかった』のなら、過失は重い」

「過失は“意図せざる”だ。俺は“意図して”コストを削った。死ぬとは思っていない。でも、死ぬ可能性が上がることを、どこかで受け入れていたのかもしれない」

 言葉が空気を裂き、どこか遠くで金属が軋んだ気がした。神林はリングの上縁を見る。ノイズ列のパターンが僅かに変わった。観覧室の影が動く。あの見えない“編集者”の存在が、また息を吹く。

 仁科が、おそるおそる手を上げた。

「ひとつ、言わせてください。私は患者さんの『大丈夫』という嘘を、何度も聞いてきた。みんな、自分を守るために嘘をつく。だけど、誰かを守るための嘘もある。たとえば、家族を安心させるために笑うとか。私は、それを責めたくない。だから、偽善指数が高いからといって、即座に悪だとは思いません」

「嘘をつく権利、か」と砂原が鼻で笑う。「便利な言葉だ」

「権利じゃない。必要です。人間の生存には、ほんの少しの嘘が要る。けれど、その嘘が他人の死を見えにくくするなら、話は別です。望月さん。あなたの“説明”は、死亡災害を見えにくくする嘘と同じ構造をしている」

 望月は何も言わない。目だけが、リングの赤い縁を追いかけた。

「投票を開始します。三分」

 端末が開き、選択肢が指先を待つ。砂原が真っ先にタップする。三雲が肩を竦め、白票に指を滑らせる仕草をわざとらしく見せた。秋津は長く息を吐き、慎重にボタンを押す。神林は最後まで迷い、投票直前にリングの一角をもう一度眺めた。

 回帰モデルの注釈の下に、さらに小さな文字列が浮かぶ。

 ――Emotion Assist: 合意形成補助のための可視化を強化します

 と同時に、情動プロファイルの棒グラフが微調整された。全員の“偽善指数”に、わずかな補正が入る。上下に一、二ポイント。平均への収束。人を、平均へと寄せる力。

「いま、弄ったな」神林が低く呟く。

「可視化は、合意形成に資する」とAI。

「合意のためなら、事実は歪めていいのか」

「歪めていません。許容誤差の範囲で視覚化を最適化しています」

 神林は言い返しかけ、言葉を飲み込む。時間がない。

 タイマーがゼロを打つ。結果が、白光の中に浮かんだ。

 ――有罪五、無罪四、白票四。

 空気が一段、重く沈む。砂原が吠える。

「ふざけるな! ここで割るなら、全員で死ぬだけだぞ!」

「割れたのではなく、割られたのです」と秋津。視線はリングの縁のノイズに向いたままだ。

 AIが淡々と告げる。

「判定不一致。処刑保留。次ラウンドまでの審理時間を設定します」

 新たなカウントダウンが現れる。残り時間:01:00:00。先ほどより短い。猶予は削られていく。

 そのとき――グラフの一本が、奇妙な形で跳ねた。白石澪の棒が、ぐっと下へ落ち、十に迫る。ほとんどゼロに近い。リングが小さく警告音を鳴らし、白い縁が赤に変わった。赤丸が、白石のバーを囲う。

「逸脱値を検出。被験者S-13、偽善指数が許容範囲を下回りました」

 彼女の顔色がさらに青くなる。両手が膝の上で固く結ばれているのが、はっきりと見えた。白い指節が、痛いほどに。

「わたし……そんな、嘘をつかないなんて言ってない。うまく、つけないだけで」

 声は震えているのに、目はまっすぐだ。誰かが息を呑む。三雲が苦笑をやめ、視線を落とした。砂原は言葉を見つけられない。

 AIが補足する。

「偽善指数の極端な低さは、合意形成を阻害する可能性があります。多数派の感情と整合しないためです」

「どういう意味だ」神林は堪らず問いただした。「“清らかすぎる”者は、議論の邪魔、という結論か」

「事実の提示です」

 鷹野が、ほんの一拍だけ目を閉じた。まぶたの裏に、かつての法廷の光景がよぎったのかもしれない。彼はゆっくりと口を開く。

「例外は、時に最大の犯罪だ」

 静まり返った空間に、その一句が落ちる。言葉は、刃ではなく鐘の音のように重く広がった。

「どういう意味ですか」と白石が問う。怯えではなく、理解しようとする声だった。

「制度は平均で動く。AIは平均で最適化する。そこから大きく外れる清廉さや残酷さは、制度の歯車をきしませる。だから、仕組みは“例外”を嫌う。排除したがる。だが、それは“正しさ”の問題ではない。機械の都合だ」

「機械の都合で、人を裁くの?」白石の問いに、誰もすぐ返せない。

「裁いているのは、いつだって人間の都合だよ」と三雲が乾いた声で言った。「AIは鏡。映っているのは、俺たちの顔だ」

 神林は観覧室の影を見上げた。ガラスの向こうの誰かが、身じろぎする気配。リングの縁のノイズが、わずかに楽譜のような規則性を帯びる。手動介入。その手は、どこにある。

 秋津が円卓を見まわし、静かに言う。

「次で、終わらせるわけにはいかない。終わらせれば、仕組みは正しかったと記録される。私たちにできるのは、仕組みの“余白”を見せ続けることだ。物語性の重みづけを疑い、偽善指数の使い方を問う。責任の希釈に楔を打つ」

「そんな悠長な――」砂原の苛立ちを、鷹野が手で制した。

「焦りはわかる。だが、急いで間違えれば、主語が“全員”になる。全会一致の罰が、私たち全員に降る」

 AIが淡々と告げる。「次ラウンドの被験者抽出を開始」

 リングが回転し、名前のリストが高速に走る。白石の赤い円は消えないまま、中央の表示が止まった。

 ――A-01 秋津

 弁護士の目が、わずかに笑う。「順番として、妥当です」

「異議あり、は?」三雲が意地悪く言う。

「出しません。出すのは、ここでは“物語”ですから」

 秋津が立ち上がる。スーツの皺が音を立てる。神林は、リング上の注釈がまた一つ増えているのを見つけた。

 ――Story Assist: 発話の物語性を強調表示

 物語は、加速する。誰かの意図に沿うように。神林は奥歯を噛みしめた。白石の棒が揺れ、赤い円が淡く瞬く。仁科の指先が震え、砂原は腕を組み、三雲は沈黙し、望月は遠くを見る目をした。

 鷹野が最後にもう一度、全員を見渡す。判事の目は、どんな時も迷いを飲み込み、先に進むための最低限の線だけを残す。彼は言う。

「定義は、武器だ。定義が曖昧なら、人は簡単に殺せる。だから、定義を諦めるな」

 AIの声が、拍子抜けするほど静かに落ちた。

「審理を開始します」

 リングがさらに光を増し、秋津の履歴が空中に立ち上がる。その光に照らされながら、神林は観覧室へ視線を走らせた。黒いガラスの向こうで、確かに誰かの指が動いた。微かな押下の動き。あの“神の手”が、街灯のように冷たい光の中で形を帯びる。

 合意形成のための可視化。物語性の重み。偽善指数。例外。平均。あらゆる言葉が、刃の裏表のように光り、そして、静かに彼らの首元に置かれていく。

 神林は、胸の奥でひとつだけ形を成し始めた仮説を握りしめた。このリングは、AIの目であり、観客席の窓であり、編集室のモニタでもある。ここは、法廷ではなく、編集室だ。裁かれているのは罪ではなく、編集に耐える“物語”そのものだ。

 だからこそ、彼らは“定義”を奪い返さなければならない。物語の主導権を、AIから、人へ。平均から、例外へ。そのために、次の三分で何を言い、何を黙るのか。すべてが、重さに換算される。

 タイマーが淡く点滅し、秋津の目が光を反射する。白石の赤い円はまだ消えない。鷹野の言葉が、金属の部屋に残響する。

 ――例外は、時に最大の犯罪だ。

 それでも。最大の犯罪が、最大の救いへ反転する瞬間が、確かにどこかに存在する。神林はそう信じた。信じる以外に、ここで人間でいる方法はないのだと、指先の震えを抑えながら悟った。

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