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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

後のことは、皆様のご想像にお任せします

作者: 大貝雪乃

「レイシア、レイシア!」


 そんな叫び声が、耳に入りました。

 彼女はどうして、何度も名前を呼ぶのでしょう。予感は、だんだん確信へと変わっていきます。


「どこにいるの、レイシア! 悪いようにはしないわ、出てきて!」


 レイシア・ノイタール、ノイタール侯爵家の次女――そして今は、お尋ね者。


 その事実を確認して、汗ばんだ手で自室の鍵を握りしめました。

 大丈夫。この鍵がここにある限り――。


♢♢♢


 始まりは、最悪でした。


 目の前に転がるのは、明らかに息のないお父様。腹部にナイフが刺さっており、血だまりになっています。床に置かれたお父様の装飾品の山が、赤く染まっていました。


 なぜ、こんなことに?


 わたくしがここに来たのは、夕食の席でお父様に呼び出されたからです。何の話なのだろうと思って来たのに返事がなかったので中に入ると、この惨状です。


「うっ」


 とっさに入ってきたドアを閉め、その場にかがみこみました。不快なものが込みあがってきましたが、吐き出すのはなんとかこらえられました。


 そして立ち上がり、考え始めます。


 今この部屋から出れば、真っ先に疑われるのはわたくしです。夕食の席で呼び出されたのですから、食後にわたくしとお父様は二人きりになった――このくらいのことは考えつきます。第一発見者にして、最有力容疑者になるでしょう。


 窓を見ると、開き切っています。人が出るには十分な広さなので、犯人はここから出ていったのでしょう。


 わたくしが平穏な生活に戻るには、真犯人を見つけ出して証拠を突きつけるほかありません。ですが、今のままでは聞き込みもままなりません。


 しかも、この状況を見られればますますわたくしが犯人とみられてしまうでしょう。ただの発見者なら、わざわざドアを閉めた理由がないからです。まずは、なんとかこの部屋から出なくては。そして自分の部屋にでも戻って鍵をかけ、真犯人が見つかるまで居留守を決め込むなりなんなりすればいいわ。


 かといってドアから出れば、通りかかった使用人に見られた場合が困ります。この状況を見られるよりも弁明ができません。


 そうなると、もう犯人と同じように窓から降りるしかありません。窓に近寄ると、下は花壇でした。少し荒れています。今は花が植えられていないので土だけですが、ここは二階ですし十分衝撃を和らげてくれるでしょう。問題があるとしたら、汚れてしまうことくらい。


 一度深呼吸をして、覚悟を決めました。

 窓から飛び降りるなんてやったことがないけれど、殺人の容疑者になるよりはよっぽどマシですわ。


♢♢♢


「レイシアは、お父様と何を話しているのかしらね」

「さあ……まあ父上なら、大した理由もなく呼び出していても不思議はない気もしますが」


 夕食後。一階でばったりフェルディナンドに会って、自然な会話になるようにあえて聞いたけれど、正直に言うと何を話しているのかは知っているのよね。


 お父様は、ノイタール侯爵家がこれからどんな道をたどるかを知ろうとしている。

 とはいっても大したことではなくて、上の子供から将来の希望を聞いているだけ。私はレイシアの姉だからすでに聞かれていて、末っ子のフェルディナンドはまだ聞かれていない。おそらく明日の夜になるでしょう。お母様は病気で亡くなっているけれど、お父様はその分まで私たちのことを心配してくれているのだと思うわ。


「そういえば、オリビア姉様も昨夜呼ばれていましたね」

「ええ。きっとフェルも明日呼ばれるわ」

「緊張します……」


 それでも、話の内容は聞かない……そこがフェルらしいといえば、まあそうね。


 レイシアは、将来は政略結婚して嫁入りするのでも構わないと言っていて、それは私も同じ。フェルも侯爵家を継ぐのに抵抗はないみたいだから、別に難しい話にはならないと思う。


「……? 今何か、音がしませんでしたか?」

「音?」

「何か重いものが、落ちるような……」

「どのあたりで?」


 別に私も、耳の良さに自信があるわけじゃない。むしろそういうことに関しては、フェルの方がよく気付くくらいね。


「……確か、こっちです」

 大人しくフェルについていくことにする。もう今日はやることもなかったはずだし。


 そして外に出てそれなりに歩き、誰ともすれ違うことなく案内されたのは、花が植えられていない花壇。確かにその土は荒れていて、上に何かが乗っていたとしてもおかしくなさそうね。


「この上に何かを落としたから、回収したのかしら」

 これくらいしか考えられないような気がするわ。ちょうど窓が近いから、何階からか何かを落とせばここに落ちるだろうし。


 と、思っていたのだけれど。

「本当に、そうでしょうか……」

「え?」


 思わず聞き返してしまったけど、フェルは呟くように続けた。


「僕たちは、一階からここに来ましたよね」

「ええ、そうね」

「なら、ここに落ちたものを回収した人は、どこから来たんでしょうか」

「ええと……あっ」


 そういうこと。フェルはお母様に似て、こういう推理が得意だったわね。

 でも私だって、お母様の子。少しくらいはその血も引いているはず。


「この花壇に何かを落とした人は、出入り口から遠い部屋にいたってことよね。それも、もしかしたら二階以上。そんな場所から、私たちよりも先にものを回収できるかしら」

「しかも、その人とすれ違ってもいないんですよね」


 そう。ここから導けるのは、ここに何かを落とした人は、私たちのように普通に落とし物を拾ったのではないということ。


「そうすると考えられるのは、一階から落として、窓から出て戻ってきた?」


 一階の窓はすぐ横に見えている。ここからなら出入りも不可能ではなさそう。


「一階から、こんなに遠くにものを落とすでしょうか」

「確かに……」


 窓と花壇は少し離れている。普通に落とした可能性もなくはないけれど、少し放る感じでないと花壇には入らないわね。


「それなら、一体どうしてこんなことになったのかしら……」


 一階の人間でないとできないけれど、それにしては不自然――そんな状況ということになる。


「ここにいた誰かが何かを落として、普通に拾っていった、とか?」

「それにしては、音が大きかった気がするんです」


 それもそうね。屋敷の中にいたフェルが音を聞いているのだから、それなりに大きな音だったはず……そもそも、普通に落としただけでそんなに大きな音がするものを持ってここにいるのも、それはそれで変ね。高いところから落としたから音が大きくなった、の方がまだ納得できるわ。

 でもそれだと、ものを落としたのは一階からというのに矛盾する?


 行き詰ってフェルの方を見ると、一番近くの窓に寄って中を覗き込んでいた。


「フェル?」

 一体何をしているのかしら。


「この部屋から中に入ったにしては、床がきれいですね」

 ……部屋の中は無人のようね。よかった。

 フェルと同じように部屋の中を覗き込むと、確かに土汚れなどはなかった。この部屋から屋敷に戻った、ということでもなさそうね。ただの空き部屋みたい。


「この部屋と、僕たちが来た入り口以外から屋敷に戻る理由は、ないですよね」

「そうね。というか普通、入り口から出て戻るでしょうし」


 そうなると問題なのは、この花壇に落としたものをどうやって屋敷から出ずに拾ったのか……よね?

 そう思うと、突然新しい疑問が浮かぶ。


 私たち、何をこんなに必死に考えているのかしら……。


「――ああ、そうか」

「フェル、何かわかったの?」


 馬鹿らしく思えてきても、やっぱり食いついてしまうのよね。複雑。


「花壇に落としたんじゃなく、落ちたんです」

「落としたんじゃなく、落ちた……?」


「はい。ここに落ちてきたのは、人間です」


「人間っ?」


 思いもしなかった答えに、思わず変な声を出してしまったわ。

 ここに何があったのかは気になっていたけど、まさか人間?


「でもそうすると、説明がつきます。落とした人間が回収に来なくても、そもそも自分で落ちてきたんですから。そのまま入り口と逆方向にでも歩き出せばいいんです」

「入り口と逆に? どうしてそんなことを?」

「さあ……そこまではわかりませんが、窓から飛ぶくらいです。そういうこともなくはないでしょう」


 でも、それはそれで問題よ。部屋で何が起こったら、窓から飛び降りようなんて思うの?

 そう思いながら屋敷を見上げて、気づく。


「あの二階の部屋……お父様の部屋よ」


 お父様の部屋では今、お父様とレイシアが話しているはず。その部屋で何かが起こって、人が飛び降りるようなことになったのだとしたら?


 フェルと私は、同時に駆け出していた。



 さすがにフェルの方が足が速くて、息も乱していないわね。お父様と妹に何かあったかもしれないのに、なんだか情けないわ……。

 息を切らしながら、閉ざされたドアの前に立つフェルに並ぶ。


「話し声は、聞こえません」

 残念ながら息が切れているせいで私にはわからないけれど、そうなのでしょうね。わざわざお父様たちが小声で話す意味もないもの。


「……父上。フェルディナンドです」

 ドアをノックするフェル。私の息はまだ整っていなくて、役に立てない。


 けれど、期待していた返事はなかった。


「鍵は、開いている?」

 この屋敷は珍しいことに、使用人の部屋も含めてほぼすべての部屋に鍵がついている。


「開いてます」

「……入りましょう」

 少し迷ったけれど、そんなことを言っている場合じゃない。誰かが飛び降りたのがこの部屋でなかった可能性もあるけれど、それ以上にお父様とレイシアが心配だ。この部屋が無人なのに鍵がかかっていない、というのもひっかかるしね。


 そんな私の返事を分かっていたように、フェルがドアを開く。ランプは点けていないのか、薄暗い。


 フェルと私は顔を見合わせる。

 間違いなく、この部屋では何かが起こっている。


 フェルは気遣うような視線をくれたけれど、私は頷いて目をそらした。

 私の覚悟を感じてくれたらしく、フェルも前を向いて歩き出す。


 この部屋はドア付近が狭くて、少し進むと開けるようになっている。

 つまり、ドアからでは見えない範囲があるということ。


 だから、ここで引き返すわけにはいかないのよ。


 それに何より、窓が全開なのはここからでも見える。誰かが飛び降りたのがこの部屋でも、何の不思議もないわ。


 フェルの後ろについて、無限にも思える距離を歩く。

 こんなことになるとは思っていなかったから、明かりは何も持っていない。部屋の少し奥の部分にある、引くタイプの扉付きの大きな棚を見ながら、考える。


 この部屋に何もなければ、まだいい方。けれど、何か見つけてしまったら? それが、もう二度と取り返しのつかなくなるようなものだったら?


 もう少しで、部屋のすべてを見渡せる。

 そういう位置まで来た時、フェルが足を止めた。フェルにはもう、部屋の奥まで見えているはず、よね?


 そして足を止めたまま、進もうとしない。


「……フェル?」


 私が呼びかけてようやく、私の存在に気づいたみたいな……そんな様子。


「オリビア姉様……」

「何か……あったのね?」


 明らかに態度がおかしい。これで何もなかったというのは、さすがに無理がある。ほかの人ならともかく、実の弟のこと――間違いないわ。


 そう指摘されても動こうとしないのは、その先にあるものを私に見せたくないから。


「大丈夫よ。何かあるとは思ってたから……だから、だから見せて」

 そう言って、何とか微笑む。


 そう、何とかよ。

 怖いに決まっている。フェルが、私は見ない方がいいとさえ思うようなもの……もしかしたら、誰かを窓から飛ばせた何か。

 だけど、見ないわけにはいかない。私は、そのためにここにいる。


 それを見てかフェルは、痛々しい表情を浮かべて道を譲ってくれる。


 唾を飲んで、足を動かす。

 今さっきまでフェルがいた、その場所へ。


 そして、左を向く――つもりだったのだけど、そうするまでもなく何かが目についた。


 窓からの月明りで、少しは色がわかる。それは、赤い液体。

 その元をたどる。そこにあったのは――、


「おとう、さま……?」


 そこにいたのは、お父様。


 けれどもう、二度と動くことはない姿だった。


♢♢♢


 そろそろ、死体が見つかったころでしょうか。


 けれど、大丈夫。この鍵が、ここにある限り。

 合鍵も含めてここにあるのだから、この部屋には誰も入ってくることはできません。


 ドアを破れば可能……確かにそうかもしれませんが、よほど確信がなければやらないはずです。


 そしてその確信を持たれることは、ない。


 大丈夫。あなたはよくやってるわ、大丈夫。


 後は、待つだけ。


♢♢♢


 私はしばらく、立ちすくんでいたのかしらね。


 こういうときには悲鳴でも上げるものなのだろうなと思わなくもないけれど、今思えば悲鳴をあげなくてよかったくらいね。


「……オリビア姉様。今は離れましょう」


 フェルに促されてようやく、ドアの前まで引き返すことができた。これじゃさっきのフェルと同じ……。大丈夫なんて言っておいて、全然大丈夫でもなんでもなかったわね。


 こうして一度私たちは部屋のドア付近で相談することになった。


「これは、屋敷中に広めるべきかしら」

「どうでしょう……あれは絶対に、犯人がいます。広めると、犯人は見つけづらくなるかもしれません」

「そうね……」


 お父様の腹部には、ナイフが刺さっていた。自分でやったとも思えないし理由もないわ。他殺には違いないでしょう。


「けれど、それは犯人に当てがないと意味がないわよ。窓から飛び降りたらしいことくらいしか、材料もないし……」


 ここまでくれば、窓から飛び降りたのは犯人とみるべきよね? 条件がそろっているし、ほかにそこまでの理由があった人がいたとも思えないわ。


「はい。それに今は、犯人以上に探すべき人物がいます」

「レイシア、ね?」


 やっぱり同じことを考えていたみたいね。

 レイシアはお父様が殺される直前まで一緒にいた可能性が高い。


 考えられるのは、レイシアは口封じに殺された――あるいは、犯人か。


 どちらにせよ、ここにはいない以上探すべき人物に変わりはないわ。


 心底、気が気じゃない。

 お父様が殺されて、その容疑者の一人は妹――レイシア。しかも、もしかしたらレイシアももう手遅れかもしれない。


 けれどとにかく今は、レイシアを見つける。



 そう意気込んだはいいけれど、結局レイシアは見つからなかった。


 レイシアの部屋にも行ったけれど、鍵がかかっていたのよね。ノックしてみたけれど、返事はなし。入る方法がないからそこで諦めざるを得なかった。


 それでも成果がなかったわけではないわ。部屋が空振りだったのも、要素の一つ。

 無理やりそう奮い立たせて、一人歩き出す。


 フェルは何をしているのかというと、お父様の遺体を調べることにしたみたい。気になることがある、そうよ。


 私の方は、使用人たちに聞き込みを始めた。お父様のことは伏せて、レイシアの行方を知らないかと。


 けれどこちらも、空振り。

 むしろ私がレイシアの居場所を知らないことを不思議に思われたでしょうね……。


 仕方がないから、お父様の部屋に戻ることにした。フェルがそこで待っているはず。


 恐る恐るドアを開くと、フェルが出てくれる。


「どうでしたか?」

「ダメね……誰もこの部屋以降の居場所を知らなかったわ」

「そうですか……」

「フェルは? 何か気づいた?」

 残念そうな顔をしているのには申し訳ないけれど、今は情報を共有しないと何も進まないわ。


「父上が、合鍵を持っていませんでした」


「……え?」


 この屋敷のほぼすべての部屋には、鍵がついている。

 合鍵も各部屋に一つずつあるのだけど、それはお父様がすべて管理している……というのは周知の事実。

 なのに、その合鍵がない?


「部屋の中も探しましたが、ありませんでした」

「つまり、犯人が持ち出した……? 誰も、合鍵の束が落ちてたなんて言っていなかったわ」

「そうでしょうね。ではなぜ犯人は、鍵を持ち出したのでしょうか」

「どうしてかしら……」


 確かに不思議ね。殺した後――前かもしれないけれど――にわざわざ合鍵すべてを奪う必要はない気がする。


「それに、この部屋のドアの鍵が開いていたのも気になります」

「……あっ、そうね。合鍵を持ち出したのなら、この部屋の鍵もあったはずだし。鍵をかければ、発見されるのも遅れさせられたわ」

「しかも、父上はこの部屋の鍵だけは持っていたんです」

「この部屋の鍵だけは、ある……?」


 すべての部屋には合鍵があるので、お父様は自室の鍵を二本持っていたことになるわ。犯人は、そのうちの合鍵だけはほかの部屋の分含めて取っていった? しかも鍵をかけるわけでもないのに?


「……」

 フェルは俯いて、考え込んでいる。弟に任せっきりにもしておけない、少しくらいは手助けになりそうなことは考えつかないかしら?


 けれど現状、犯人はレイシアのようにしか見えないのよね……考えたくは、ないの。だけど、レイシアはお父様と二人になっていた時間がある。

 動機がないような気もするけれど、そんなことを言ったらこの屋敷の誰にもないわ。使用人たちだって、この家を選んで働いているのだから。


 けれどレイシアが犯人だったとしても……動機のことを抜きにしても、おかしい気がする。


「オリビア姉様」


 気づけばフェルは顔をあげていて、私の顔を見ていた。


「お願いが、あります」


♢♢♢


「レイシア、レイシア!」


 そう叫んだ声が、耳に入りました。

 妹を必死に探す姉――まさにそんな言葉がぴったり。


「どこにいるの、レイシア! 悪いようにはしないわ、出てきて!」


 けれど、ここですべてを明かすわけにはいきません。

 そんなことをすれば、殺人犯として捕らえられてしまいますから。


 呼びかけはまだ続くのかと思いきや、それに続く言葉が聞こえてくることはありませんでした。

 心なしか、廊下の方も先ほどより静まり返っているように感じます。


「……」


 俯いて、再び手元の鍵の束を握りしめました。


 どれだけ探されようとも、見つかることはない。そんな安心のための鍵です。


 気づけば、手には汗がにじんでいました。


 緊張……します、よね。


 ()()()()()()()()()()()()()()()


 その事実を再びかみしめて、さらに汗ばんできたような気もします。


 もともと、旦那様を殺すつもりで雇われていたのです。こんな日が来ることくらいは分かっていました。

 殺しの理由は、別に人に語って聞かせたいようなものじゃありません。ただの、政治への逆恨みです。


 目を閉じて、深呼吸をしました。

 今殺人犯として追われているのは、レイシア・ノイタール。それは今のオリビア様の声から明らかです。

 そしてあたしは、フィノ。侯爵家のメイドの一人――容疑者ですら、ないはずです。


 レイシア様と旦那様が、二人きりの時間があった。それは確かな事実なんです。


 それにあたしは、仕事を早く切り上げて部屋に引きこもっています。もちろん、鍵をかけて。そしてその鍵はすべて、あたしの手の中――ルームメイトなんていませんしね。


 一度同僚が、あたしの分の仕事がまだ残っていたと言いに来ましたが、それはドア越しに「明日やる」と言って追い払いました。今思えばドアを開けてもよかったのかもしれませんが、その時は怖かったんです。仕事が残っているというのはそれでも気になりますが……こんなんだから「真面目ちゃん」なんてからかわれるんでしょうね。そんなに嫌じゃありませんけど。


 けれど、それ以上に。


 ドアを開けてしまったら。部屋から出てしまったら。

 ――あたしも、殺人が出来たことになってしまったら。


 旦那様が殺された時間は、推定できるかもしれませんがだいぶ幅があるはずです。あたしはその時間帯には引きこもっていたことになっていますから、犯行できた可能性は低く見てもらえる、はずでもあります。


 それに今、この部屋には誰も入ってこられません。本当に体調不良のふりをし抜くには、好都合です。下手に入ってこられれば、演技がばれてしまうかもしれませんし。


 そうやって自分を落ち着かせようとしても、上手くいかない。そんなことの繰り返しです。

 あたしは上手くやった方だと思います。人殺しなんてしたこともありませんでしたから。


 でも、何でしょう?

 何かあたしは、失敗をしているような……そんな、ぬぐいきれない不安。


 そういうものだと言ってしまえば、そこまでです。こういう気持ちは、初めてじゃありませんし。

 けれど、そんな不確かなものじゃなく――あたしは確かに、失敗をしている。そんな嫌な予感があたしを蝕んでいきます。


「……?」


 音が聞こえて、意識を戻しました。誰かの足音、でしょうか。


 そこでようやく気づきました。


 廊下が、静かすぎたんです。


 先ほどの、オリビア様の呼びかけから。


 そしてドアが叩かれました。


「フィノ。いますか?」

 フェルディナンド様の声です。


 ですが、答える義理はありません。むしろここでは、無視しぬくべきです。


 旦那様が亡くなられた状況では、メイド一人一人の犯行時の居場所を確認する余裕などないはず。あたしは「体調が悪い」と同僚たちに言ってから犯行しましたから、この状況なら部屋にこもっている方が疑われにくいです。


「いるんですね?」

 念を押すように聞いてきますが、答えません。


「必要に迫られれば、ドアも壊しますが……」


 決意は、その言葉に揺らぎました。

 ドアも壊す? それはつまり、ドアを壊してでもあたしと話す必要があるということ?


 ……いや。まだ、あたしが犯人だと確信してるとは限りません。もう少しくらい、無言を貫いてみましょう。


「仕方ないですね」


 本当に仕方ないと思っているのかわからないような声でそう言ったのが聞こえて、すぐ後。鈍い音が聞こえてきました。

 明らかに、ドアが強い衝撃を受けています。


 フェルディナンド様が、体当たりをしている……?


 まずい。直感して、慌ててドアに駆け寄ります。


「フェルディナンド様っ。どうされましたか? ドアに体当たりなんて……」

 そして何食わぬ顔で、ドアを開きました。もちろん鍵は部屋に置いて、です。


「どうも何も、先ほどから呼んでいたのですが」

「申し訳ありません。体調がすぐれなかったもので」

「そうですか。とにかく、ついてきてください」


 そう言ってフェルディナンド様は、さっさと歩きだしてしまいます。


 あたしは、どこに連れていかれるのでしょうか。

 ドアをこじ開けようとするくらいには、あたしが犯人だと確信を持っている?

 それとも、あたしが引きこもっているのを不審に思って連れ出しただけ?


 どちらにせよ、旦那様にかかわることには違いないとは思いますが……ではなぜ、オリビア様はレイシア様を探していたのでしょう? フェルディナンド様と足並みが揃っていません。


 そんなことを考える間に、だんだんフェルディナンド様の目的地が分かってきました。

 あたしの部屋は一階ですが、ここは二階――そして玄関から遠いあたりを歩き続けているということは、旦那様への部屋に向かっているのでしょう。

 あたしに旦那様を見せて、その反応を見るつもりでしょうか?


 けれどこれでもあたしは、殺意を隠して旦那様のもとで何年も働いています。疑われたこともないはずですから、問題はありません。演技が得意な自覚はあります。


 とはいえ、先ほどドアを破られていたら苦しかったでしょう。

 ドアが破られるまで応対しないとなると、ただ寝ていたでは説明できません。体当たりの音は、それなりにしていましたから。

 そうなった場合誤魔化せるとしたら、ベッドから起き上がる気力もない……くらいでしょうが、そこまでの体調不良のふりはあまり自信がありません。そもそも夕食までは普通に働いていたのに、突然起き上がることもできなくなるのも変ですし。できるとしたらせいぜい、風邪気味くらいでしょう。


 自分の演技力の乏しさにむなしくなったその時、旦那様の部屋の前にたどり着きました。


「ええと……旦那様のお部屋、ですよね?」

 まずは、旦那様が亡くなられていることを知らないふりから始めないといけません。


「はい。入りましょう」

 そしてフェルディナンド様は、躊躇なくドアを開いて中に入ります。


 鍵の確認もしなかったということは、一度部屋に入ったということでしょう。なら確実に、旦那様の死は知っているはずです。


 あたしは戸惑うような表情を浮かべて、フェルディナンド様の後ろを歩き出しました。

 そんなあたしの戸惑い(のふり)には目もくれず、フェルディナンド様は進んでいきます。


 やがて、あたしが旦那様を殺した場所の前にたどり着きました。


 ……お変わりない姿、ですね。


 そしてあたしは目を見開き、立ちすくむ――たぶんこれが正しい反応ですから。

 フェルディナンド様からの視線を感じましたが、気にしません。あたしにそんな余裕はない、はずです。


「フィノ」

 呼びかけられてようやく我に返り、フェルディナンド様の方を見る……。


「父上を殺したのは、あなたですね」


「……っ!?」

 この可能性ももちろん、考えました。動揺と困惑を顔に浮かべて、フェルディナンド様の方を向きます。


「どうしてあたしが旦那様を殺すんですか!」

 ……ちょっとヒステリックすぎたでしょうか。


「むしろレイシア様の方が疑わしいでしょう? 旦那様とお二人の時間があったんですから」

 わざわざ今日決行したのは、自分よりも疑われやすい人がいたからです。それを利用しない手はありません。


「確かに容疑者の一人には違いありません。ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……!」


 鋭い。

 その通りです。レイシア様に犯行の機会があったからといって、ほかの人間には機会がなかったとは限りません。実際あたしは、適当な理由をつけて旦那様と二人きりになっています。ナイフを持ち込むのだって、難しくありませんでした。

 それに気づかず、頭ごなしにレイシア様を犯人と見てくださったら楽だったのですが……。


 とにかくこうなったら、レイシア様を犯人に仕立て上げるが他ありません。

「それもそうですが……けれど、それでレイシア様の容疑が晴れるわけではないのではありませんか?」


「ところで、こんな噂はご存じですか?」

「噂?」

「『父上が、合鍵の束を落とされた』というものです」

「ええと……ドア越しに噂しているのを、聞きました」


 おそらくその噂は、旦那様が合鍵を所持していないことを暗に言っているのだと思いますが、それはあたしが知らないはずのことです。とりあえず、正直に答えることにしました。


「それは、僕がオリビア姉様に頼んで流していただいたものです」


 まあ、そうでしょう。今そんな噂を流せるのは、旦那様の死を知っている方くらいだもの。

 そして結果的にあたしも、得をしました。なぜなら、合鍵を持っていても「拾ったから」と説明できるようになるからです。


 合鍵を持っていると、それだけで疑われるかもしれない。それに気づいたのは、部屋に引きこもって冷静になってからです。


 正直、合鍵を取ったことを後悔していましたが……結果的にはなんとか誤魔化せるようになって、結構安心しました。


「これは噂にすぎませんが、ただの嘘というわけでもありません。父上が合鍵を持っていないのは、事実なんです」

「そうなんですね」

 これくらいしか言いようがないでしょう。


「なぜこの噂を流したのだと思いますか?」

「……なぜでしょう。わかりません」

 馬鹿だと思われても、この際それはそれでいいのです。今はとにかく、ぼろを出さないこと。


「もしフィノが犯人で、この噂を耳にしたらどうしますか?」

「どうって……」


 これはどう答えればいいのでしょう。あたしは犯人なのだから、取った通りの行動を話す?

 ……待って、落ち着くのよ。それでは逆に、犯人がやりそうなことをやっていると怪しまれてしまいます。

 とにかくここは、無難な答えをするべきでしょうか。


「とりあえず合鍵を隠す……と、思います」

「それは、どうしてですか?」


 何となく、フェルディナンド様が尋ねる目つきが変わった気がしました。


 それでも、ここで立ち止まるわけにはいきません。


「合鍵を持っていたら、疑われてしまうので……」

 尻すぼみになってしまいましたが、なんとか言えました。別に嘘ではなく、本心から思っていたことです。


「ではどうして、犯人が合鍵を奪ったと思ったのですか?」

「――!」


 フェルディナンド様は一度も、「犯人が鍵を奪った」とは言っていない。ただ鍵がないと言っただけ。失言に青ざめて――、


「えっ、ええと……鍵がなくなるとしたら、それが一番自然だと思ったので」


 とっさに出てきた言葉が、これです。


 よく考えれば、旦那様が鍵を持っていないのなら、犯人が奪ったのだと考えるのはそんなにおかしなことではありません。平気な顔で言ってしまえばよかったのです。


 怪しまれた、でしょうか……?


「そうですね」


 恐る恐る様子をうかがいましたが、怪しまれているようには感じません。けれどなぜか、手放しに安心することもできませんでした。


「犯人は鍵を奪った、それは間違いないでしょう。――それは、どうしてでしょうね?」


 鍵を奪った、理由――?


「単純に考えればよかったんです。犯人は、とある部屋に人を入れたくなかったのだと」


 鼓動が早まるのを、はっきりと感じました。


 そうだ。鍵を奪えば、当然それには理由があると考える。別に難しいことじゃありません。


 にもかかわらず、見落としていました。

 レイシア様が容疑者として突き出されて終わると思っていたので、鍵にまで目を向けて捜査されるのは想定していなかったのです。


「犯人はどこか一つの部屋に誰も入れないようにしたかった。だとすれば、それはどこでしょうか」


 そこでようやく、気づきました。

 フェルディナンド様は、あたしを怪しんでいたのではなかったのです。


 あたしを犯人と確信していた。ただ、それだけでした。


♢♢♢


 フェル……?


 これまでの会話からして、フェルはフィノが殺人事件の犯人だと思っているようですが。


「ナイフは父上の体に刺さっていたんですから、凶器を隠したかったわけではないでしょう。なら隠したいものがあったとすれば、それは自分自身」


 先ほどからフェルが一方的に話し、フィノはそれを否定せずに聞いています。ということは、フィノは本当に犯人……?


「合鍵の噂を流していただいたのもそうですが、広めていただいた話がもう一つあるんです」


 フィノの声はやはり聞こえません。フェルの出方を見ずに反論して、失言するのを避けるためでしょうか。


「オリビア姉様がレイシア姉様を探し始めたら、この部屋の前に集まるように。そこで今月の給与を渡す」


「え――?」

 そしてようやく、驚いたような声が聞こえました。


「やはりご存じなかったですか」

「待っ……て、ください。そんな大事な話なら、どうしてあたしは聞いていなかったんですか」

「どうしても会えない同僚がいたら、一番その同僚を引きずり出せそうな言葉を嘘でもいいから使うように、とは言いました。それで出てこなければ、別の日に給与は渡すので諦めていいとも」

「……っ」


 ここからはフィノの表情は分かりませんが、絶句しているのは分かります。


 これまでの話から推測するなら――。

 フィノは犯人で、部屋に引きこもって疑われにくいようにしていた。当然同僚に部屋の外から呼びかけられたのだと思いますが、きっと追い返したのでしょう。


 だから、普通なら部屋を出る状況だったにもかかわらず、部屋を出ない――そんな、疑わしい人物になってしまった。


「合鍵に使い道があるとすればそれは、自分以外が部屋に入れなくすること……逆に言えば、犯人が自分から部屋を出ることはあり得ないわけです」


 そうでしょうね。そしてそれをフェルに利用されてしまった――といったところでしょうか。


「じゃあ、あたしは嵌められたんですか……?」

「……言い方を選ばなければ、そういうことです」

「でも、それだけじゃあたしが犯人なんて言いきれません! あたしは風邪気味だったから休んでいただけです」


 それもまた、正しいのでしょう。これでは、体調が悪かっただけで容疑者にされたとも取れてしまいます。


「それは――」


 フェルは、もう気づいているでしょうか……?

 犯人にたどり着く、もう一つの道筋。

 犯人が持っているはずの、もう一つのもの。


 けれどいくら待っても、フェルの声は聞こえませんでした。


「やっぱり、証拠はないんじゃないですか!」


 二人とも顔は見えませんが、脳裏に浮かんできます。


 どこか怒ったような、それでいて焦っているようなフィノ。

 お父様の仇を最後の最後で追い詰めきれない、焦燥感に満ちたフェル。


「証拠は」


 気づけばわたくしは、声を張り上げていました。


 この目の前にある板を超えて、二人に声が届くように。


 そしてその板を少し押しながら、横に引きます。


「証拠は、あるはずですわ」


 狭苦しく光のなかった空間から、外へ。

 凝り固まった体をほぐしたいところですが、それは後。


 フェルとフィノは揃って目を丸くして、わたくしを見ています。


「レイシア姉様……?」


 お父様の部屋の、引くタイプの扉付きの大きな棚。


 ちょうど中身が空だったそこから人間が出てきたのですから、無理もないでしょう。



 窓から飛び降りる。


 そう決めたはいいものの、そこで不安がよぎったんです。

 窓から飛び降りて、この部屋から逃げるところまではいいでしょう。


 では、その後は?


 その後はどうすればいいのでしょう。

 この部屋から逃げたところで、第一容疑者には変わりありません。さらに逃れるならこの屋敷を出なくてはなりませんが、そうしたところで本当に逃げ延びられるとは思えませんでした。侯爵家を敵に回すようなものです。


 改めて、部屋を見回しました。そして目についたのは、大きな棚。いい具合に、引く扉がついています。



 ――少し、ものを減らしたいんだ。



 お父様は自分の持ち物にはこだわりがありましたから、捨てるものの選別の作業までは必ずご自身でなさっていました。

 そのために、部屋の床にわざわざ装飾品を山のように積んで整理しようとしていたのです。……どれも、血まみれになってしまいましたが――、


 当然それまでは、どこかに収まっていたことになります。


 それが、その大きな棚。


 わたくしは、棚を全開にしました。


 頑張れば、入れる……でしょうか。ぎりぎりになるでしょうね……。


 それでも、やるしかありません。一番隠れるのに向いているのが、この棚です。仕切りを外して端によけながら、決意を固めます。

 もちろん、食料も何も得られませんから限界は来るでしょう。


 ですが、わたくしは犯人ではありません。


 なら、オリビアお姉様やフェルが真犯人を見つける――その時が来ても、何らおかしくないのです。


 わたくしはもう、捜査できる身ではありません。今は疑われているに違いないですもの。

 ですから、ここに隠れて待つんです。


 オリビアお姉様やフェルが、真犯人を見つけるのが先か。

 わたくしが限界を迎えるのが先か――。



 結果わたくしは賭けに勝って、フェルは真犯人を見つけてきました。


 本当は途中で棚から出て、もう少しは持つようにいろいろ準備しようと思ったのですが、フェルが部屋からほぼ出なかったので機会がなく、実をいうと焦っていたんです。

 フィノを連れてくるためにいなくなったときに出ようとも思ったのですが、どうしても怖く……寝静まった夜にしようと諦めてもいたのですけれど。


「レイシア姉様。証拠というのは、何ですか?」

 極めて冷静――なようでいて、前のめりな気持ちは隠せない。そんな様子で、フェルが聞いてきます。そう、今はそれを伝えなくてはいけないわね。


「フィノ。あなたは、この部屋の窓から飛び降りて花壇に着地した」

「……違います」


 フィノはわたくしの方を見ずに、否定します。そうとしか言えないのも、分かるけれど。


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「……っ!?」


 自分でやろうと思った時に、気づいたことです。


 ――問題があるとしたら、汚れてしまうことくらい。


「今はさすがに履き替えているようだけれど……部屋にこもり切りだったはずのあなたに、靴を洗う余裕なんてあったかしらね?」

「それはっ……用事が、あって」

「花も植えられていない花壇に? もし何か植えに行ったのだとしても、上から土を荒らしていたら意味がないでしょう」


 そこでフェルははっとしたように、フィノに指摘します。


「偶然、何かが花壇に落ちてくる音を聞いたんです。それで僕とオリビア姉様で確認に行きましたが……誰ともすれ違いませんでした。ですが、落ちてきたのは人だったはずです」

「フィノが降りてくる音でしょうね。花壇に降りたなら音が吸収されそうだけれど……」

「周りの縁石を踏んだら音がすると思います」

「なるほど。それで、その後は窓から戻ったのかしら」


 フィノの部屋は、玄関から遠い部屋。花壇から見れば、玄関と逆側のはずです。


 そして、花壇に行ったことの肯定。それは逆に言えば、そういうことにしないと誤魔化しきれない――花壇の土で汚れた靴なんかが、出てきてしまうからでしょう。


 なんだか背筋が寒くなりました。

 もしあの時踏みとどまらずに、わたくしも窓から飛び降りていたら……。

 わたくしの靴も土だらけになり――それ以前に、フェルたちに見つかっていたかもしれません。


「やっぱり、人に罪を擦り付けようなんて考えるものじゃないですね」


 そう諦めたように笑って、フィノはおどけたように両手をあげます。


 初めて、フィノの素顔を見たような気持ちでした。



 それから、三年の月日が経ちました。

 あることをきっかけに、この話を思い返してみましたが――。


「レイシア姉様が出てきたときは、本当に驚きました」

「ごめんなさい……ただ聞いているだけのつもりだったのだけど」

「まあ、しょうがないわよ。私も間に合わなかったわけだし」


 オリビアお姉様もフェルも、具体的に犯人が誰と分かっていたわけではないそうです。罠を張って引っ掛かったのが、フィノだったとのこと。


 そうすると問題なのは、証拠。

 そこで、フェルがフィノを部屋から遠ざけ、鍵が開いていて中は無人という状態を作りました。そこにオリビアお姉様が入って、証拠を探していたのです。


 実際、フィノが衛兵に連れていかれる直前、オリビアお姉様は花壇の土で汚れた靴を見つけて持ってきています。


「だけど、どうする?」


 そう言ってオリビアお姉様が見たのは、一枚の手紙。

 そこにあったのは、『ノイタール侯爵の死の真相に迫る』本への協力の依頼です。


 フィノを衛兵に突き出したはいいけれど、その後わたくしたちは悩みました。


 お父様の死を、どこまで明かすべきか。


 暗殺であることは、隠せないでしょう。自殺と言うには無理のある状態です。

 正確に言えば、隠せないわけではありません。ですが、人の口には戸が立てられない……どこかから漏れてしまった場合、後がもっと困ります。


 結局、「侯爵は暗殺されたが犯人は返り討ちに遭った」ことになりました。犯人が使用人だったことは、明かしていません。


 ほかの使用人たちにも同じようにしか伝えていませんが、事件の後から突然フィノが辞めたあたりから、うすうす察している者も多いでしょう。

 けれど、誰も直接は聞いてきませんし、広めてもいないようです。いい使用人を持った……ということで、いいのでしょうか。犯人もまた使用人だったことを考えると、皮肉のようですが。


 それを誰かが怪しんで、こんな本を作ることに決まったのでしょう。


「今まで通りに伝えて、それ以上のことはないと断言しますか?」


 言えないものは言えないと、はっきり言ってしまう――それも一つの手でしょう。


 ですがわたくしは、思うのです。


「わたくしは、応じない方がいいと思いますわ。……掘り返すことでも、ありませんもの」


 すべて本当のことを明かすわけには、いきません。使用人に襲われたとあっては印象もよくありませんし、わざわざフィノの評判を落とすようなことを広める意味もありません。


 ですから、わたくしたちの口からは語れませんが――、


「後のことは、皆様のご想像にお任せします」

♦:場面の転換(視点は同じ人物)

♢♢♢:視点となる人物も切り替わる

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