92.エモトさんと幽霊君
大事な描写が抜けていたので、書き足しました。
幽霊君の声が聞こえるのは、このメンツではミヤコ君とエモトさんだけ。
時刻は夜の七時を少し過ぎた頃。七月の九州、この時間はまだ十分明るい。
しかし夕方の角度の浅い陽光は、二メートル近い護岸の上を通り過ぎるばかりで、遊歩道までは降りてこない。
薄暗く、本当に蛍がいるのだとしたら、普通の人間の視力でも十分に目視することが可能だろう。
少し川が蛇行した場所に探していた二人はいた。
エモトが手を振ってツカサたちに声をかける。
「お待ちしてました。こちらです」
エモトはどこにでもいるような、ひっつめ髪にパンツスーツスタイルの小柄な女性だ。
仕草は丁寧で、緩やかに動く様がどこか浮世離れして見える。
「お疲れ様ですエモトさん。はいこれ差し入れと幽霊君へのお供え物です」
言ってツカサは夜市で買った焼きそばやかき氷、二つだけドーナツが入った紙袋をエモトに差し出す。
「ありがとうございます。助かります」
ツカサから差し入れを受け取ると、エモトは何故か持ってきていたらしいプラスチックの踏み台を広げた。
プラスチックの踏み台に、白い布をかけ、かき氷と焼きそばを乗せ、その目の前で手を合わせた。
ツカサとユカリがそれを真似たので、ミヤコとシオリも倣って手を合わせる。
するといつの間にそこにいたのか、クロスノックス社で見たあの幽霊の青年が、嬉しそうにいただきますと言って、かき氷を持ち上げた。
「触れるんだ……」
対話や仕事のためにパソコンを使うと言うのは聞いていたので、所謂霊障、ポルターガイストのようなことができるのだろうことは分かっていたが、まさか食べ物を食べることまでできるとは思っていなかった。
喋るのは相変わらずパソコン頼りらしく、遊歩道に置かれているベンチには開いたノートパソコンがあった。
ここが待ち合わせの場所だったのは、パソコンを置く場所を確保するためだったようだ。
「美味しい! シロップだけじゃなくて練乳までかけてもらって嬉しいです」
幽霊がかき氷を食べながら本当にうれしそうにそう言った。
味迄わかるとは、幽霊というのは肉体が無いはずなのに、ずいぶんハイスペックなんだなとミヤコは感心する。
「かき氷とか幽霊になっても食べられると思ってなかったから嬉しいです」
しかし当の幽霊も自分がかき氷を食べられるという事を知らなかったらしい。
シャクシャクと氷を掬う音を立てながら幽霊はかき氷を食べていく。
「凄い溶けるの速い……」
幽霊がかき氷を食べ始めて一分もしない内に、何故かかき氷の氷がほとんど溶けていた。
ゆるくほぼ飲料状態になってしまったかき氷を、それでも幽霊は嬉しそうに食べている。
「お供えにすると、何かが抜けるのか、変化しやすいんですよね、食べ物って」
幽霊に供えるとそうなるのは仕方ないとエモトは笑う。
んふふふと、喉を鳴らすような不気味な笑い方をするエモトに、ミヤコはびくりと肩をすくめた。
エモトは燃えるような赤毛と言えるような髪色をしているが、目立つような美人ではない。平凡で明るい時間にすれ違っても、ただの普通の人にしか見えないだろう。だが何故かこのエモトという女性は、ほの暗い雰囲気があった。
空は明るいのに、まるで世界から切り取られたかのような薄暗い川べりの遊歩道。そこに浮かび上がるエモトの白い顔は、艶然としたほほえみと相まって、むしろ幽霊よりも幽霊のように見えた。
ミヤコの目からしてもそう見える「雰囲気」があるのだから、ごくごく普通の視界をしている者から見たらどうなるだろうか。
ミヤコのTシャツの裾をシオリが掴んだ。
「シオリさん?」
「えっと、ごめん。ちょっとこのままで……」
シオリにとってもホラーだと感じるのだろう。
シオリの珍しい怯えた様子に、ミヤコはここは自分が守らなくてはと、大丈夫だと大きく頷いた。
幽霊が食べ終わったかき氷のカップを受け取り、エモトがにたりと口の端を持ち上げる。
普通の人間の顔のはずなのに、何故か口が裂けて大きく吊り上がるような幻視をしてしまう。
「こうして残った物も、味ちゃんとするんですよ。満腹感はそれほどないんですけど、満足感がやたらあります」
言ってエモトは幽霊の食べ終わったはずのカップに口を付けると、中に残っていたのだろう氷が溶けた水を躊躇いなく飲み干した。
「ふふふ……」
またもにたりと笑うエモト。
幽霊と同じ物を食べる、その行為には何か意味があるのだろうか。
エモトがかき氷の溶けた物を飲んでいる間に、幽霊はドーナツへと手を付けていた。
「あー、甘い物ってやっぱりいいですよねえ」
のんきにドーナツを食べる幽霊。
暗くて分かりにくいが、ドーナツ自体は減っていないのに、ドーナツにかかっていたしっとりした糖のグレーズが急速に乾燥していくのがミヤコには見えた。
ドーナツは二つ入っていたのだが、片方だけで満足したのか、幽霊は自分が食べたドーナツを再び袋に収めると、今度は焼きそばに手を付けた。
やはり焼きそばも乾燥が早まっているのか、麺が黒っぽく縮んでいくように見えた。
「美味しいですか?」
「え? うーん、懐かしいですね。だから美味しいですよ」
エモトに問われて幽霊が答える。純粋に味が美味しいと言うよりも、懐かしいと言って幽霊は目を細める。
その本当に嬉しそうな顔に、シオリは思うところがあったのか、自分がお土産用にと買っていたいちごあめを差し出した。
「そうなんだ……あの、これも、お供えしていいですか?」
いちご飴を見たとたん、幽霊の目が大きく見開かれた。
血色こそ変わらないが、その表情は明らかに喜びに興奮している物だった。
「わあ、ありがとう! すごく嬉しいです。俺りんご飴とかそういうの食べてみたいって、たぶんずっと思ってたんですよね。でもほら着色料があるからダメーって、親とか言うじゃないですか? だからずっと食べないまんまで、一度くらい食べて見たかったなあっていう思いがあったと思うと言うかなんか今そんな記憶がぶわーって蘇ってきちゃってます」
自分の死亡原因もおぼろげだと言っていた幽霊は、シオリの差し出すいちご飴一つで、幾つかの忘れていた記憶が戻ってきたとはしゃぐ。
「そうだ、母さんが着色料って見るとすぐ嫌そうな顔して、でも少しだけねって。かき氷に練乳は百円高いから時々しか許してくれなくて、りんご飴は大きすぎるから駄目って……ああ、ああ、懐かしいなあ」
シオリが持っているのはいちご飴だが、りんご飴と同じ屋台で売っていた物だ。
幽霊の琴線に触れる素晴らしいお供えになったらしい。
「ふふ、良かったですねえ。あ、お供えはこの簡易の祭壇に置いてくださいね。じゃないと幽霊君触れないんで」
お供え物なので、一度簡易に祭壇として見立てた踏み台に置くようにエモトが言う。
シオリは言われた通り、りんご飴を祭壇に置く。
シオリからのお供え物のいちご飴を手に持って、幽霊はそれはそれは嬉しそうに笑った。
もう少し短く収めたいのに、うっかりすると文章量が増えていく。
精進せねば。
本日の更新はここまで。
明日は一回だけの更新になりそうです。