6.ミヤコ君とツカサさんのお仕事3
広々としたベランダには、何故かバジルとトマト、それと紫蘇が植えられたプランターがあった。
地味に生活感がある。しかしトマトの実はほとんど収穫されずプランターの中に落ちているようで、バジル、紫蘇も特に手入れをしている様子もない。ペットボトルで自動的に水やりが出来る細工がされているがそれだけだ。
置きっぱなしにされている使用感のほとんどないサンダルに、使う当てもないのに、そこが誰かの生活スペースであるかのように偽造されているとミヤコは感じた。
紫蘇を気にしつつも、ミヤコがベランダの外へと視線を向けると、すぐにその異変に気が付いた。
マンションの面する大きな通り、路面電車の線路が引かれたその目立つ道の上に、乗用車よりも大きな影があった。
どれくらい離れてるか分からないが、少なくとも二キロよりも遠い。それでもその大きさははっきりと分かった。
「あ……あれ?」
「わー、やっぱりミヤコ君目がいいねえ。うんあれかな? 何だと思う?」
双眼鏡を構えるよりも先に何キロも先だろう事件の現場に目をやるミヤコに、ツカサは流石自分の影を補足できるだけはあるなあと笑う。
「あの、気のせいでなければ、トラックとかバスくらい大きな馬に見えます」
ミヤコの言葉にソファでタブレットを操作していたユカリが反応する。
「たぶん野生動物って感じだねえ。聞くにひたすらサイズがデカいし、そういうのは時間がかかるほど被害額が大きくなるから、とにかく即断即決即拘束するに限るんじゃないかな? 本社の方に後始末丸投げするから、ツカサちゃんサクッと片付けてきてよ。怪我人がいるようならミヤコ君連れて後から追いかけるから」
「えー、マコトから連絡あってからでよくない?」
ツカサは先ほどと同じように不服気に答える。
頑なに現場に行きたがらないツカサに何かあるのかと思い見やるも、曖昧な笑みで誤魔化される。
代わりにユカリの代りに着信音がツカサをせかすように鳴り響いた。
何故か聞き覚えのあるガッチャマンの曲だ。
「良くないと思う。って言ってる傍から電話だよー」
渋々ながらも電話を取るツカサ。
「はいはいはーい、マコト現場の状況はどう? 馬大人しくしてない? え? 走り出した? わ、本当だ。うん、こっちからも見えてる」
ツカサとマコトの会話が気になってツカサに視線を向けていたマコトだったが、馬が走り出したと聞き急ぎ路面電車の線路が伸びる道を見下ろす。
たしかにあの黒い巨躯を持つ馬が、車並みの速さで走っていた。
「ツカサちゃん本社からゴーサイン出たよ、早く行っちゃって」
どうやら何かの許諾を取り付けていたらしいユカリが、ツカサを急かす。
いい加減ちょっと往生際が悪いなと都が感じ始めたころ、ツカサは一つため息を吐くと手にしていたもう一つの双眼鏡をミヤコに手渡す。
「うーん、想像以上に荒ぶってるね。このままだと僕でも力負けするかもだから、一回動き止めよっか。どこか適当な場所で閃光手榴弾使ってねマコト。距離が開く前にやらなきゃ僕が追い付くまでマコト一人で相手しなきゃいけなくなるから早くやってね。大丈夫、後始末の方はすでに話付けてあるからさ、気にせずちゃっちゃと終わらせちゃおう」
そう言ってベランダから飛び降りたツカサに、ミヤコは驚き混乱しながらツカサを探さなくてはとマンションの下を覗き込む。
しかしツカサがいるのは古い別のビルの屋上。
「早速君に格好良い所を見せてあげられそうだよ、ミヤコ君。しっかり目にして、心にとどめておいてね」
いったいどういう理屈か分からないが、ツカサはまるで飛ぶようにビルとビルの間を渡っていく。
ミヤコの背後でユカリが室内に戻らないかと声をかけるが、ミヤコは今見えているものから目が離せないでいた。
ミヤコの特殊な目には、ミヤコを拘束していた物と同じ黒い繊維状の何かがツカサの右腕と右足に絡みつき、バネのように伸び縮みしているように見えた。
ミヤコはベランダから身を乗り出そうと手すりに手をかけるが、その体をユカリが腕を回して引き留める。
ユカリの平均より明らかに豊かな胸元に後頭部を押し付けられ、ミヤコは「きゃあ!」と悲鳴を上げてしまう。
「あ、ごめんね。でもさすがに危ないし」
危ないのは男に対して平気で接触してくる貴方の距離感です、とは言えないまま、ミヤコは大丈夫ですと答えてその場に蹲る。
「あ、ちょうどいいや。今から閃光弾使うから気負付けてね、目がいいってことはうっかりしっかり見ちゃうかもってことだし」
ユカリは先ほどからタブレットを手放さずに何かを確かめているようだったが、どうやら現場での行動が逐一報告されて来ているらしい。
ミヤコが目をやられてしまわないように注意を促す。
「あ、はいそれは大丈夫です」
ミヤコの目は暗視もできるが、逆に明るすぎる場合は目に入ってくる光量を調節する事も出来た。
ある程度意識していれば目に負担にならない程度に遮光することができる。
閃光弾が使われるだろう場所は馬の位置だろうと大まかに分かるため、その方角を向く際に光量を絞ればよかった。
ユカリに注意されたのでミヤコは瞳孔を猫の様に細く絞って、再び巨大馬の暴走する方角へと目を向ける。
「光った……」
一瞬の閃光。さすがに音はまだ聞こえない。馬が大きく前脚を上げて立ち上がる。
少しして甲高い耳鳴りのよな音がミヤコの耳に届く。馬は大きく脚を上げた勢いで上半身も跳ね上げ立ち上がる。しかし混乱しているのか自分の身体を支えきれずに右へと大きく倒れもんどりうつ。いくつかの車が押しつぶされたり車は弾き飛ばされ街路樹にぶつかる。
遠目から見ても明らかに被害甚大だ。しかしあの巨躯が加減無しで走っていれば、物損どころか人にも被害が及んでいただろう。
ミヤコはゴクリと唾を飲む。
異界の流入によって現れた怪物のような馬、それがもし人を殺めるような存在だとしたら……。
たまらずミヤコはベランダにしゃがみこんでいた。
本日の更新はここまで。
明日以降も一日一話以上を目指して投稿予定です。