66.熊と穴燕
「……はあ、さてどうしようね」
背後に熊を連れて、ツカサは大きくため息を吐く。
どちらかと言うと他人を振り回すタイプだと思っていたツカサだが、熊に対してはそうでもないらしい。
肩を落とすツカサの髪にじゃれつくように遊ぶ熊を見ながらシオリが言う。
「えっと、エモトさんにお話を聞いた方がいいかと」
エモトのいる部署は五階なので、シオリはエレベーター横の階段を指さす。
「ああそうか、ちょうどいいや、行こうか」
エモトに会ってこの熊の事を相談しようとしたツカサだが、あ、っと声を上げて周囲を見回す。
「駄目だ、この階段たぶん熊と相性の悪い子がいる。熊が付いて来るなら避けよう。エモトさんにこっちに来てもらって、出勤の人が落ち着くまで……えっと、ここからなら、あ、朝のミーティング時間なら大会議室は使わないか。そっち行くか? いやでも」
ツカサは一人でぶつぶつと口に出し取るべき行動を確認する。
怪談に熊と相性が悪い子と聞いて、ミヤコは前日の七十七不思議探訪中に、階段室で会った燕のような異界の生物を思い出す。
穴燕のような習性を持ち、海藻の代りに人間の持つ生命力を嘴で摘まみ取って巣作りする。雑食で驚くほど賢く、人間が自分たちを害さないと理解している。
社内の人間がパンくずやお菓子クズを与えると、指定した人物にポストイット程度大きさのメモを運ぶこともしてくれると言う。人の顔や声を覚えているのだ。
生命力を取られると一時的に疲れやすくなるそうだが、巣作りの時期は決まっており、だいたい栄養ドリンクだったり、焼き肉を食べたりで十分に補填される程度のものなので、燕は社内から出ないように結界で管理されているのだとか。
そのためクロスノックス社では体調不良の人間は絶対に休む事。休めないほど重要な仕事がある場合は、地下にある医務室へ行って常駐医の診断を受ける事を厳命されている。
また燕は幽霊の乗っている第一エレベーターには侵入できないので、社内で体調不良になった際の階移動は絶対に第一エレベーターを使うようにも周知されているそうだ。
クロスノックス社では燕を害さないようにしている。燕の巣は時期が来て雛が巣立つようになれば採取して、それを使って薬が作れるとのこと。
そして、その燕の巣は熊にとっては餌になる。
確かにそれは相性が悪い。
燕の巣は必要物資としてクロスノックスが管理しているのに、それを食べられてしまうのは阻止したい。
今も熊に対して威嚇をしているのか、階段室の入り口をかなりの数の燕がヂュイヂュイと激しく鳴きながら飛び交っているのが見えた。
「テラスでいいのでは?」
シオリが提案すれば、それはできないとツカサが首を横に振る。
「だめ、テラスだと熊のテリトリーだから何されるか分からない」
「何されるんですか?」
何か恐ろしい事があるのかとミヤコが問えば、ツカサは疲れた声音で返す。
「テリトリー内から出してもらえなくなるかも」
なんとも妖怪らしい答えが返ってきた。
言われている熊本人? は照れているのか手を顔に当ててもじもじしている。
照れる箇所がよくわからないと、ミヤコがじっと見つめると、熊はミヤコの視線に気が付きミヤコの背後に回った。
付いて行く相手をミヤコに変えたらしい。
シオリがミヤコから距離を取る。
とにかくこの熊を警戒している。
昨日からのシオリの警戒に、ミヤコはもう納得するしかない。
「人に害がある妖怪なんですね」
「害意は無いんだよ。懐いてるだけで」
害意は無いと言うが、害が無いとは言わないツカサに、ミヤコはじっとりとした半眼を向ける。
横目に見ればシオリも同じような目をしていた。
「あと動きが大きいから、障害物になり得る物があるとだいたい壊しちゃう」
害意はないが害はある事例を上げるツカサに、ミヤコはエレベーター内で見たことを思い出す。
「あー、エレベーターの幽霊が潰されてました」
潰された幽霊は、それまで全くの無音であったと言うのに、突然しゃがれ声で怨嗟の言葉を吐き出し始めたのだ。
エレベーター内で潰されたご先祖様を想像したのか、ツカサは額を押さえて今日最大のため息を吐いた。
「ああ、もう、そりゃあはらんかくね」
エモトさんは激辛が鉱物の幽霊と妖怪担当のお姉さんです。