4.ミヤコ君とツカサさんのお仕事
最初は言葉も無くただ静かに涙を流しているだけだったミヤコだが、次第に食いしばった歯の間から嗚咽が、慟哭が漏れ出し、気が付けば両の手で顔を覆いわあわあと声を上げて泣いていた。
喉が枯れそうなほど泣き叫んで、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。
ミヤコの肩をユカリが支えるように抱き、背中をさする。
今はただ泣きたいだけ泣かせようと、ツカサとマコトは少しの間席をはずし、ミヤコを保護するための手続きと根回しを始めた。
警察や役所に連絡をし、異能を持つ人間を保護するNPOにも連絡を入れた。
ミヤコが一時間近く泣き続けて落ち着いたころには、ほぼツカサたちがミヤコを保護するための準備が出来ていた。
ミヤコが泣き止むのを待って、これからの事をツカサたちは話した。
まずミヤコには虐待の可能性があるという事で、熊本県の警察で保護した後、連携しているNPOを通じて一般の家庭で生活をしてもらう、という態を取りながら、ミヤコの祖父母を探すという事。
ミヤコの現在の親権者との話し合いにはミヤコを同席させる事は無いという事。
そしてすでにミヤコの住まわされていた鍵もかけられない灼熱のコンテナハウスについては、現地に人を派遣して証拠を押さえている途中だという。
「さっきの今ですよね?」
ミヤコがそれまで住んでいた場所の住所は、泣き止んでからようやく話すことができたはずなのに、それから三十分ほどですでにミヤコの叔父一家がミヤコを置いて旅行に行っている事、小さな窓が一つのみのコンテナハウスの室内温度が四十度を超えていることが分かっているという。ユカリの説明によると最初からその可能性を見越して、レーザーで測れる温度計とサーも機能の付いてるカメラを持って行っての調査だとか。
そして以前から異界返りだと思われる子供が虐待を受けているという情報も有り、食事の不備、学業に必要な最低限の文房具すら与えていない事、冬でもジャケットのような防寒具を着せてもらえていない事なども、近所の証言として集まっているらしい。靴底が開いた踵の緩いスニーカーを履いていたとの目撃証言もあったのだとか。靴も叔父の家の息子のお下がりだったのでミヤコにも覚えのある目撃情報だった。
些細な話が積み重なって、明らかに虐待を受けいているという印象迄持って行くのは簡単なんだと、ユカリは怒りの滲む険しい顔でミヤコに話してくれた。これらの証言があれば裁判になっても勝てるからと。
相手が素直に虐待を認めればただ保護するだけで済むが、もし認めなかったなら裁判にもなり得るのだとか。
住宅の改装費用の事を思えば、今更養育費の事をつつかれると困るのは叔父たちの方なので、素直に虐待を認めてくれた方がいいなとミヤコはぼんやりと思った。
「学校の保健医の先生もね、君の身体に虐待跡っぽい痣の話とか、下着も満足に買ってもらってない話とか、時々微熱があるときは保健室で休ませてる話とか、色々証言してくれてるよ。寧ろ積極的なんだって」
次いでツカサは現地の協力者からのだろうラインを見ながらにこやかにミヤコに報告をする。
ミヤコは顔を俯かせ、またポロポロと涙をこぼし始めた。
「ごめんね……もっと早くに君を助けに行ければよかった」
ずっと自分の事を気にしてくれている人がいた。
本当はミヤコにも分かっていた。
ときどき内緒でお菓子をくれる人がいた。お茶やジュースをくれる人がいた。あったかい料理は凄く久しぶりだったけど、それでも飢えて倒れるほどじゃなかったのは、こっそりと助けようとしてくれてる人がいたからだ。
でも、保護者じゃないからそれ以上が出来なかった。
「随分と用意周到だな。前から報告があったのか?」
マコトはミヤコの事については何も知らなかったらしく、ツカサに怪訝な様子で問う。
「うん、前々から虐待が疑われてる家のリストに入ってたってのと、神奈川の事があったからヒスイに頼んで現地の部下の人にお願いしてもらってみた。うちと連携してくれてる人たちがちょうどいたんだよね」
「ああ、緑川さんの所の人かあ」
思い当るとユカリが口にしたその名前にミヤコは聞き覚えがあった。確か福祉施設の職員の人だ。
君の事は保護できる状態ではないが、自分はこのことを問題だと思っている。時間はかかるがどうにかするから、諦めずにいて欲しい、そうミヤコに言っていた。
しかしそれきり音沙汰も無く、半年が過ぎていた。
すっかり忘れられていたのだと思っていたが、どうやら都の叔父たちからの都への虐待の証拠固めをしていたらしい。
ミヤコが太田黒と名乗った時、三人がおかしな反応をしたのはきっと、以前に緑川さんからの報告があったからなのだろう。
ミヤコは一人納得し、誰にともなく「ありがとうございます」とかすれた声で呟く。
泣きすぎて少しぼんやりする頭で、ミヤコは自分は見捨てられていたわけでもなかったんだと噛みしめる。
もしかしたら自分がもっと積極的に助けをを求めていたら、もっと早くに緑川さんは助けようとしてくれていただろうか。自分が助かってはいけないんだと勝手に思い込んでいなければ。
黙り込んでしまったミヤコの肩をユカリが優しくなでる。
「ごめんね、いきなりで。ミヤコ君も混乱してると思うけど、できる限り君のためになる様にするから、協力してほしいんだ。私たちは他人だから、人一人保護するにも理由が必要なんだ。ミヤコ君の事合法的に保護しないとどんな理屈で元の環境に連れ戻されちゃうか分かったものじゃないしね」
「それは、はい、大丈夫……です」
つい二日前までは、自ら助かろうとしていなかった事を見透かされるかのような言葉に、都は一瞬息を飲む。
それでも今は助けようとしてくれるツカサたちの手を拒むことはできそうになかった。
まだ怯えてる様子かなと、ユカリは少し話に休憩を挟むことにした。
「ミヤコ君……デザートとかまだお腹に入る?」
「あ、えっと……いただきます」
デザートと言って用意されたのは大きな種なしのブドウだった。人生で初めてのそのブドウは驚くほど匂いが良くて、ミヤコは夢中で食べる。
半分ほど食べたあと、ハッと顔を上げ目が合ったマコトにおずおずとたずねる。
「あの、遠慮しなくていいんですよね?」
「ああ、好きにしろ。あの二人にとっても、その方が有難い」
どこか他人事のような言い方に、ミヤコは小さく首をかしげる。
マコトは少し苦い表情でツカサたちに目を向け「自分は違うからな」と答える。
二人は昼食に使った食器を片付けている最中で、食器を洗う水音がミヤコとマコトの会話を聞こえなくしているようだ。
災害に巻き込まれたのはツカサとユカリだけなのだろう。
マコトはあえて二人に聞こえていないと思ったからこそ、ミヤコの言葉に応えてくれているのだと分かった。
二人に聞かせたくないとマコトが思うくらいには、二人はきっと災害の時の話を忌避している。
神奈川の災害について、自分もまた被災者だと語る時も言葉を濁していた。
ミヤコもあの災害について語る言葉をまだ持てていない。
「やっぱり、苦しいんでしょうか? 生き残った事」
マコトに問うというよりも、自分自身で思っている事を溢すようにミヤコが呟けば、マコトの眉間の皺が一層深くなる。
「知らん、が、お前がそう思うなら、そうなのかもしれん」
ミヤコの考えは、少し思い出そうとするだけで気分が悪くなることからも明白だ。
「……苦しい、です」
「そうか……」
慰めるでもなくただ頷くマコト。
否定もされなかった事に、ミヤコはほっと息を吐く。
ミヤコが叔父の家にいた時は、被災したのはお前だけではないのだから、悲劇ぶるんじゃないと言われていた。
遺族なのはお前だけじゃないと、自分たちも被害者だと言わんばかりの叔父の言動は、思い返せばあまりろくなものではなかった。
むしろ叔父夫婦は被害者ではなかったはずだ。人様に自慢する言葉にあった数千万のリフォーム代金がどこから出たのか。
ミヤコが嫌な思い出に心を飛ばしていると、不意に電子音で作られたクラシックが聞こえて来た。
展覧会の絵だとすぐに気が付く。その曲にミヤコは、室外の生徒のはしゃぎ声を嫌がる保健室登校の子のために、保健室でいつもクラシックが流れていたなと思い出す。
「悪い、ちょっと電話だ」