34.悪意はない
「なあ……やっぱ部屋はこっちに近い方がよくないか?」
扉越しに聞こえるサツキの声。
「いや、でも知らない人間と一緒に生活するってのは嫌がるかもしれないよ。ミクちゃんならまだ保護者必要だけど、あの年頃なら過干渉はしない方がいいと思うな」
「兄さん構い倒しちゃいそうだものね」
ツツジとツバキがミヤコは離れた部屋でいいのだと主張する。
そこには悪意はなく、むしろミヤコのプライバシーを優先するという意思が伺えた。
「仲良くなれたらいいなとは思うんだよね。でも確かに……一人で放置は心配はあるねえ」
仲良くしたいと言うツツジに、アセビが失笑を交えて返す。
「ツツジの過干渉やサツキの顔面に怯えるかもって言って決めたくせに?」
意地の悪い言い方をするアセビに、ツツジは楽しげな様子で意地悪を返す。
「ビビられてたのはアセビでしたって?」
「あれってビビってたの? 心外だ。こっそり近付いただけなのに」
どうやらミヤコに奥の部屋をあてがったのは、気を使っての事だったらしい。
自分が嫌われて隔離されているわけではないと分かり、ミヤコは息を吐く。
気持ちの悪さは完全には消えなかったが、それでもこの家で過ごさなくてはいけない事への気まずさは少しだけ軽減した。
ただ、ツカサが隔離されるように暮らしていた部屋だというのは変わらない。
あの一角はリフォームしたのが五年ほど前と言うには、やや古びた様子だったことをミヤコは気が付いていた。
「でもなあ、やっぱりツツジが一番かよ」
サツキが残念そうに言う。
一体何をもってして一番と言っているのかわからないが、それに同意した様子。
「そりゃあ僕は見た目が一番威圧感少ないし? でもアセビにあんなにも怯えると思わなかったなあ」
「いやあ、あの瞳孔見るにまんま猫みたいなもんだろ? だったらそりゃあアセビには懐かないだろ」
「うるさいな……」
ツツジとサツキにからかうように言われてアセビが返すと同時に、何かを叩くような鈍い音がした。たぶんツツジかサツキを軽く叩いたのだろう。
「いったいなあ、もう。あ、でもアセビミクちゃんには好かれてるよね」
「嫌われてないだけでしょ。ツツジみたいじゃなきゃ好かれてるって言わなくない?」
「うーん、僕は甘やかしてるだけだしなあ」
一番というのは、ミヤコが誰に一番先に懐いたかという話のようだ。
別に懐いたわけではないのだけどと、ミヤコは言葉に出さずに否定をする。
たぶんアセビに驚き飛びついた相手がツツジだったが故の誤解だろう。
何を思ったのか、ふむと鼻を鳴らしてサツキが提案をする。
「高い高いとかしたら喜ぶか?」
「あの子中学生だよ」
ツバキがすぐに否定する。
三兄弟が息を飲むのが聞こえた。
どうやらミヤコの身長から小学生ほどだと思っていたのだろう。
「栄養状態が悪いんだろうな。よし、明日はもっと食わせよう」
「さんせい、食べさせよう」
「好きな物何か聞いとかなきゃね」
サツキ、アセビ、ツツジの順にミヤコに食事を与える決意表明を口にする。「ご飯作るの私たちなんだけどね」とツバキだけはあきれた様子だ。
悪意はない。不躾ではある。好意的に食事を与えようとしてくるのが何ともツカサやユカリの親戚らしい。
「やっぱり食わせてくるんだ……」
意思の疎通よりも先に食事を与えようとしてくるその行為は、まるで動物の愛情表現のようだと感じた。
その愛情表現は言葉ほど正確に物を伝えられないせいで、時々は事故と呼べるようなことにもなるだろう。しかしそこに悪意はないのだ。
ミヤコは悪意には慣れている。疲れ切ってしまうほどに慣れていた。
だが愛情表現には慣れていない。
ミヤコはまだ少しむかむかする胃を押さえて、聞こえないだろう扉の向こうに声をかけた。
「……お休み、なさい」
予約投稿練習中。
十分ごとに上げてます。