31.ミヤコ君と怖い人
ツバキが去って十分も経たない頃、あてがわれた部屋でミヤコが何もすることが無くてぼうっとしていると、コハナが見かねて幾つかの本を持ってきてくれた。
「ミヤコ君は読書はする? ゲーム機のような気の利いたものはこの家には無いからさ」
持って来た本は有名な魔法使いの少年が活躍するイギリスの児童書と、有名なアニメの動く城の原作の児童書。
ゲームは無いからと気を使われることに、ミヤコは居心地の悪さを感じと同時に、善意で放置を選ぶのも思いやりなんだなと今更ながらに思った。
ミヤコでなければ放置が善意であるとは感じなかっただろう。気遣うように息をひそめ足音を殺し放置しながらも視線を向け続ける大人たちに、ミヤコは気が付いてた。
ミヤコを遠巻きにしながらも、小さすぎる体を心配したり、今日は怪我をしていないと安堵したりしているのを聞いていた。
今もコハナはミヤコがこの本を受け取るか拒否するか、緊張しているのが匂いや僅かに聞こえる心音で分かっていた。
「読書、好きです」
ありがとうございますと、ミヤコは本を受け取るり、僅かに頬を染める。
どちらも学校の図書館にあった本だったが、魔法使いの少年の方は何冊か行方不明で、動く城の方は続編が最初から置いてなかったため、ひそかにミヤコが読みたいと思っていた本だった。
「飲み物とか欲しかったら言って。お腹が減ったでもいいからね。遠慮すんのも無しね。ツカサさんがおっしゃっていたんだけど、ミヤコ君のこの家での第一目標は、甘えられるようになること、だからね」
安心したのかコハナさんはニカッと朗らかに初耳情報を出されてミヤコは固まる。
「頑張れミヤコ君」
甘える事を頑張るとは、どうすればいいのだろうか。
やっぱり干渉されないのも優しさの表現だったんだよなと、ミヤコはしみじみと感じた。
とりあえず何かを強要されているわけではないのなら、今は受け取った本を読もうと、ミヤコはベッドに腰かけて本を開いた。
夜七時半を過ぎたころ。もう夕飯の支度が出来たからと、コハナがミヤコを呼びに来た。読み始めたばかりで本当はもう少し本を読んでいたかったけれど、ミヤコはそんなことおくびにも出さずにすぐに本を閉じた。
今まで続きが必ず読める環境じゃなかったから、栞を挟む習慣はない。
ミヤコをリビングまで連れてくると、コハナは「それじゃあ私はこれで失礼します」と言って、帰り支度を始めた。
リビングにはせっせとテーブルに料理を運ぶツバキと、その手伝いをしているミクとツツジ。他には誰もいない。
「あ、ミヤコ君来たね。ちょっと配膳手伝ってくれるかな? 手を洗っておいで」
手を洗っておいでと言われたものの、ミヤコはまだこの家の間取分からない。
台所の水道で洗おうかとミヤコが考えていると、トートバッグを肩にかけたコハナが、こっちこっちと手招き、手洗いの場所を教えてくれる。リビングからキッチンを見て右手に洗面所があった。水回りは固まっているらしい。
「じゃあミヤコ君また明日。本はこの家の書斎に置いておけば元の棚に戻しておくから。他にも読みたいのが有ったら持って行っていいよ」
「あ、ありがとうございます。えっと……また、明日」
仕事終わりにまで気を使わせてしまったと、ミヤコは恐縮するが、コハナは小さく苦笑する。
「だから、甘えようってば。じゃあ、た、また」
手を洗ってコハナに挨拶をしリビングに戻ると、いつの間にかもう一人増えていた。
百八十センチは優に超える大柄で筋肉質。凛々しく吊り上がった三角五の眉、三白眼に、短く刈り込んだ真っ赤な髪。Tシャツにちょっと高そうなジーンズ、室内でも靴下は履く派らしい。
「お、アニキが言ってた子供か。よろしくな!」
「え、あ、はい、あの、はじめ、まして」
人を射殺せそうな鋭い眼光に睨まれ、ミヤコはとっさに頭を下げる。
これは虐待の経験があるからではなく、単純になんか威圧感があって怖いと、ミヤコはふるふると肩を震わせる。
兄貴というのがもしツカサを指しているのなら、ツツジ同様目の前の強面はツカサの弟なのだろう。しかしあまりにも似ていなさ過ぎる。
ツカサとユカリは顔立ちは似ていないが喋り口がよく似ていた。会話のテンポや相槌のタイミングからすぐに親しい身内だと分かるほど。
だが目の前の強面はツカサにもユカリにも、そしてツツジにもまるで似ていない。
そして思い出す、ツバキの言っていた養子の話。
たしかにここまで似ていない兄弟であれば、なんやかんやと余計なことを言う人間も出てくるかもしれない。
これは先に説明しておいた方がいいとツバキが判断したのも納得である。
「サツキ、ミヤコ君が怯えるから下がって下がって」
ミヤコが顔を上げないままぐるぐると考えていると、それを怯えと解釈したようで、ツツジが強面の前に出てミヤコの肩を叩く。
「ごめんね、これ僕の一応兄さん。サツキって言うんだけど、見た目がイカツイよねえ」
ツツジに言われて顔を上げると、サツキは眉を下げ所在なさげに顎の下を掻いていた。どうやら困っているらしい。
一応というのはきっとサツキもツツジと同じ養子だからだろう。
「見た目はこれだけど気は優しいから、できれば怖がらないであげて欲しいんだ」
「はい、えっと、大丈夫です。怖いわけじゃない、です」
嘘である。本当はしっかり怖かった。
しかし怖いわけじゃないという言葉に目に見えてほっとするサツキ。見た目の割に子供には優しいのかもしれない。
ミヤコがちらりとミクの様子を窺えば、ミクは不思議そうにミヤコたちのやり取りを見ているだけで、怯えている様子はない。やはりサツキは怖い人ではなさそうだ。
「何してるの?」
ミヤコの背後から低く声が上がる。
驚きミヤコはツツジへと向かい飛びついた。
「うわ、大丈夫? ミヤコ君」
飛びついて来たミヤコを危なげなく受け止めたツツジは、ミヤコをなだめるように背を撫で声をかける。しかしミヤコはそれに返事をすることなく怯えたように自分の背後に立った男へ、こぼれんばかりに見開いた目を向けた。
「何この猫みたいな子供? 失礼過ぎない?」
ただ声をかけただけなのにいきなり飛び上がって逃げられた男は、不機嫌そうにミヤコを睨みやる。
ミヤコはサツキなどよりもよほどこの三人目の男の方が怖かった。