106.ミヤコ君と聞き耳
今日の更新分は全部熊本城とその城下観光。
あんまり参考にはならない類の観光案内付です。
あと一部は作中の創作です。
真実の中に一つまみの創作。
熊本城への入場券を買うための列に並びながら、アセビが小さくため息を吐く。
「聞けなかった……」
「聞かせるつもりも無かったようだし仕方ないな。まあでも、連絡入れたのは間違ってなかっただろ、あの様子だと」
どこか落ち込んだようなアセビに、サツキが背中をポンポンと叩いて労う。
「はあ……また、何か一人でやってんのかな、あの人」
「やってるんだろうさ。姉貴やマコトさんに頼ってりゃいい方だが」
「最悪の場合、岩合さんの所だけ話を通してるんじゃ」
「あー、黒江家排除してか、まあ有り得そうだよな」
実の兄の事だろうに、あの人などと他人行儀に言ってしまうのはどうしてだろうか?
ミヤコは首をかしげながらも、それに付いて聞くことはなかった。
すぐに入場券を買う番になり、ミヤコは自分の金で買うと、金を払おうとするツツジやツバキを牽制するのに忙しかったからだ。
シオリに貰った財布を取り出し、ふんすと鼻息を荒くするミヤコに、ツツジもツバキも苦笑している。
何故かミクも自分の小銭入れを取り出してふんすと鼻息を荒くしたので、流石にそれはツバキが止めて入場券を購入した。
熊本城は大きな地震で被災して以降、何十年もかけて石垣を補修し、修復し、上の建屋を修繕していく計画らしい。
文化財的な価値が高い建物は、保存、保全についての問題も大きいため、修理には長大な時間がかかるとのことだ。
そのためまだ修繕もされていない、建屋や崩れた部分をモルタルで固め押さえているだけの石垣を見学するために、近くによらずとも見える様、熊本城には見学用通路が設けられていた。
その通路の高い手すりから下を覗き込むミヤコ。
ミヤコに見えるようにと指を指してツツジが言う。
「ほらここにも井戸、多いでしょ?」
「多い? んですか?」
確かに井戸はある。熊本は地下水が多いとも聞いていたので城内に井戸があること自体は不思議には思わない。
ミヤコは現代人的な水道の概念があるせいで、井戸が多いという事を実感できないまま首をかしげる。
「二十幾つかあったような?」
ツバキがうろ覚えの数を答えるが、それが多いと言うのもよくわからない。
たぶん熊本城は広いのだろうと言う事は分かるが、今はその大部分が工事によって立ち入れない状態なので、見学通路からでは広さが実感しにくかった。
「現存してるのは確かに二十くらいだよ。でも加藤清正の時代に掘ったのは、地盤調査用も含めて百二十を超えてたっていう話もあるね。因みに熊本城の敷地面積は、千葉にある日本有数の遊園地の敷地面積とほぼ同じくらいだって。あ、あそこの井戸跡は地震の後に発見された物だよ」
そう言ってツツジは石垣傍の、ビニールシートで覆われた地面を指さす。
「今の熊本城は修繕と共に、発掘作業もしてる状態だからねえ、まだまだ新しい発見があるかもしれない」
「例えば?」
アセビが試すようにツツジに問う。
「例えばー、古くは何万年も前には白川がこの周辺まで流れて来てたってのが、堀の水を抜いた時に分かったとか」
それを聞いてツバキが面白そうに笑う。
「あったねえ、あの堀の水抜きたいって、テレビ番組からオファー来てたけど、そもそも堀の底からして重要な史跡になり得るから、素人の手入れられないんだよねえ」
「だよねえ」
ミクもケラケラと笑っているので、地元では有名な笑い話なのかもしれない。
「まあそうだよね。ちょっと土取り覗いたら石垣の新しい発見が有ったりするし」
ツツジも苦笑し追従する。
サツキも聞いた話だがとそれに加わる。
「あー、最近の発見だと6・26水害の時の『土砂をひい爺様と一緒に薬研彫りに埋めた』って爺様が言ってたって親父が言ってたの本当だったの分かったよな」
「あったね、石垣の堀は今よりも何メートルも深かったってやつ。あれって薬研彫りだったっけ? 乾櫓の下の方だと思ってた」
ツツジとサツキでは少し知っている情報が違うらしい。
「いや石垣の方は宇土櫓の方だろ」
サツキの言う水害については最近どこかで聞いたことがある気がして、ミヤコはおやと首を傾げた。
すっとツバキが数歩下がり、サツキの袖を引く。
サツキは何を話すのか見当がついたらしく、ツバキと一緒にミヤコたちから距離を取った。
しかし、その程度ではミヤコには聞こえてしまう。
二人はぼそぼそと声を落としてささやき合う。
「あ……確かその時骨見つかったんでしょ?」
「そうそう、ひい爺様の骨が出て来た」
『土砂をひい爺様と一緒に薬研彫りに埋めた』は『土砂で薬研堀を埋める時にひい爺様も一緒にその場所に埋めた』という意味だったらしい。
いきなりの死体遺棄発覚に、ミヤコは息を飲む。
「返されたの?」
「いや、返却希望してないから結局どっかの歴史的な資料なんじゃないか?」
「大丈夫なの?」
「兄貴が言うには、骨になってるなら問題無いとさ。空気に触れさせたから近い内に勝手に崩壊するのは確実ってよ……こっちが焦って証拠隠滅はしなくていい」
「今はもうしないんだよね?」
「人柱なんて時代じゃねえしな」
あまりミヤコが聞いていい話では無かったっぽい。
ミヤコの聞き耳を立てる癖は、聞いておかなくては対処ができない事に備えてだが、この熊本に来てからは、それほど聞いておくべきことだったことは無かった。
今まで叔父の家ではうっかり話を聞きそびれると、機嫌の悪い叔父の妻の暴力を受けたり、癇癪を起した叔父の息子に八つ当たりをされることが有った。
だから危機回避のためには聞かなきゃいけなかった。
でもここではそんな回避すべき危機はない。
本当にここにきて良いようにさせてもらっているのが、夢ではないかと思う事がよくあった。
もし夢だったとしても……きっとこの楽しい記憶だけで生きていけるのではないだろうか。
ミヤコはちょっとだけ寂しく思いながら、二人の会話から意識を遠ざけた。
そう、井戸が多いのです。井戸が。