0.とある夏休みの光景
街中を象ほどもある巨大な馬が疾走し、一足踏み出すごとにアスファルトや路面電車の線路の舗装が割れる。
馬は唯々苛立っているようで、どこに向かうかも知れない。
辛うじて車道を走っているのは、そこが他よりも障害物が少なく見えるからだろう。
建物に向かって突進するほど愚かではないだろうが、だからと言って障害物をわざわざ避けてやるほどの配慮も無いらしく、搭乗者のいない放置された車やバイクを遠慮なく踏みしだき蹴り飛ばしている。
「うーん、想像以上に荒ぶってるね。このままだと僕でも力負けするかもだから、一回動き止めよっか。どこか適当な場所で閃光手榴弾使ってねマコト。距離が開く前にやらなきゃ僕が追い付くまでマコト一人で相手しなきゃいけなくなるから早くやってね。大丈夫、後始末の方はすでに話付けてあるからさ、気にせずちゃっちゃと終わらせちゃおう」
そう言うとツカサはスマホの通話を切り双眼鏡を下す。
十二階建てのマンションの最上階。市街地を貫く路面電車の走る通りを望めるそのベランダで、ツカサは実に楽し気に笑う。
「早速君に格好良い所を見せてあげられそうだよ、ミヤコ君。しっかり目にして、心にとどめておいてね」
言うやツカサはベランダの手すりに乗り上げ笑顔のまま飛び降りた。
ミヤコは弾かれるようにベランダに飛び出すと、ツカサの飛び降りた場所を見下ろす。
ツカサはすぐ隣のビルの屋上にいた。
十階建てにも満たないはずの隣のビル。落差は十メートル以上あるように見えた。だというのに、ツカサはまるで散歩にでも行くような気軽さで、見下ろすミヤコに手を振って笑顔を返す。
「遠すぎて見えないようなら双眼鏡使ってもいいし、ユカリに言ったらドローン飛ばしてもらえるはずだから、好きな方法で鑑賞してねー」
口の横に手を当てて声を張るツカサ。実に気楽な言い草だ。
ミヤコの後ろを苦笑しながらついてきたユカリは、まったく困った人だねとため息を吐く。
「大丈夫、ツカサちゃんこれくらいじゃ怪我もしないから、心配しなくていいよ。それよりもちょっと心配なのはマコトちゃんの方かなあ。ツカサちゃんと違ってちょっと力持ちなだけだから、怪我したら大変なのよね。一応すぐに出られるよう準備してよっか」
ユカリに促されても室内に戻る事が出来なかった。
ごく当たり前のように目の間で繰り広げられる、到底当たり前とは言えない光景に、ミヤコはもう何も考えられず、茫然とベランダの外を見下ろすしかできなかった。
この世界には、異能を持つ人間がいる。
異界が接触して世界に穴が開くと、そこに人が落ちる。逆に異界の生き物や人が落ちてくることがある。
運良く生きて世界を移動した人間が、現地の人間と交わって、やがてその人間に異界の力が作用した人間が生まれる。
それが異能を持った人間だ。
異能はその大半が個人の能力、ちょっと足が速い、身体が丈夫、傷が治りやすい程度の物がほとんどで、さして人間として特殊な存在になるものではない。
ただごく稀に、見た目も能力の強さも、ただ人ではすまない人間も生まれた。