01 見合いの知らせ
やられた。
執務室のドアを開けた先で佇む父は変ににこやかで、何か隠している顔をしている。
目があってしまってはこの場を離れるわけもいかず、マリアリーゼは仕方なく父に尋ねた。
「あの、お父様。お話って……」
もしかして、と思ったのも束の間。
すぐにその次の言葉の予想がついた。このやけに調子のいいとした笑顔の父には、見覚えがある。いわゆる既視感というやつだ。
「まあ座って、お茶でも飲もうよ」と誘ってくるところからしても、そのマリアリーゼの予感は正しかった。
「ほらマリー、見てごらん。これがブライドル伯爵アレクセイ様の釣り書きだよ。まぁ少し年上だけれど……高学歴だし、ブライドル領は国内一のギーの生産地で、税も安定している。パパはこの方こそ、ミレニアム公爵家からお嫁に行くマリーの旦那様として、一番いい人物なんじゃないかと思うなぁ!」
上機嫌に笑いながら近寄った父は、「やはり」という顔をしているマリアリーゼに、数枚の書類を手渡した。
数ヶ月前まで遠方で大学教授をしていたこの父は、今までやれていなかった父親らしいことをしたいと、ここ最近はこのマリアリーゼのお見合いに熱を入れている。張り切って作られた様子の、この書類だってそう。毎週のように違う男性の経歴や職務経歴を書いた紙を手渡しては、見合いをするようにと言っていた。
ブライドル伯爵、アレクセイ様。
手渡された書類には、この国の主食であるギーを安定して生産するブライドル領の魅力が、事細かに書かれていた。領民の貧困率が低く、税収が高い。アレクセイ様の手腕によって建設された幾つもの施設や学校により、領民たちの教育格差も随分縮まっているらしい。
一般に、栽培が難しいとされるギー生産が安定していることは素晴らしいし、年齢差も15歳くらいなら問題ない。書類を一度机に置いて冷静に彼を想像する。けれど、彼の名前にどこかで聞き覚えがあることだけが、マリアリーゼのなかに違和感として残った。父との会話を進めながら、マリアリーゼは必死でその記憶を辿った。
考えて、考えて、考えて――彼の別名よりも先に、その別名を耳にした日に「本当なら悲しすぎるわね」と友人たちと話したことを、思い出した。
「貴族はたくさんの支出があるからこそ、貴族なのだ」という友人の言葉が頭から離れない。
確かにその通りだけれど、言葉通りならきっと、彼が伯爵家を長く保つことは難しいはずだ。そんな家へ嫁いでいいものだろうかという心配が、心に浮かぶ。
「あの……お父様。この方が社交会でどのように噂されているか、ご存知ですか?」
「噂? うーん。それはいい噂かな? それとも悪い噂?」
茶化しながらも、ちゃんと聞く姿勢があるよと言いたげにウインクした父は、マリアリーゼの向かいのソファに腰掛けてティーカップへ手を伸ばした。
「どちらかといえば、悪い方かと」
「ほう。……それはまた、興味深いね」
困ったなという目を一瞬した父は、目尻を下げて言葉を誤魔化した。目元は確かに笑っているけれど、美しい薔薇柄のティーカップから離れた口髭が、ヒクヒクと動いている。
「……貧寒、ですわ」
「へ?」
父の小さな目がかっと開かれて、まんまるな瞳がキョロキョロと動いた。明らかに動揺していて、どうしたもんかと考えている顔。むにむにと動く唇からも、父の困惑が読み取れる。
「貧寒伯爵と呼ばれていると、耳にしたことがあります」
「貧寒か……なるほど。そりゃまた随分だね」
頭をポリポリと書きながら、父は残りの紅茶を飲み切って、小さな音を立ててソーサーへ戻した。慌てて一気に飲んだのか、カップの中にはほんの少しだけ紅茶が残っている。
貧寒――つまり、貧しさで寒々しく、中身が乏しい殿方だということ。それが彼自身のことなのか、伯爵家のことなのか。はたまた、領土に関することなのかまでは追求しなかった。けれどそれはマリアリーゼにとっても、元学者の父にとっても、あまり好ましくない言葉だった。
「うーん、そうかぁ。それは難儀だね。でも僕の大事な知人の紹介だから、一度会うだけ会ってみてくれないかな。気に入らなければまた次の相手を探そう。マリーはちょっと恥ずかしがりで、ちょっと緊張しいなだけだから、きっと合う方が居ると思うんだ。いいね?」
父はサッと立ち上がると、踵を返してマリアリーゼの方へ近付いた。そのまま猫のように背後へ忍び寄り、マリアリーゼ自慢の銀の長髪を撫でながら声をかける。そうやって「お願いだよ〜」と父に近寄られては、無碍にもできない。
「一度会うまでは前向きに考えて」と頼まれたマリアリーゼは、結局父の持ってきた11回目のお見合いを渋々了承した。
数刻後の夕食まで、マリアリーゼは必死に考えを巡らせていた。
初回のお見合い相手は、あまりの緊張で正面を向くことができず、顔も名前もうろ覚えで失敗。その次のお見合いでは、ワイングラスを倒して相手のジャケットを汚し、早々に退席されてしまい、失敗。考えてみれば毎回自分が問題を起こし、恥晒しだの、根性が汚いだのという汚名を着せられてしまっている。
もちろん、自分に問題があることくらいはわかっている。父と長く離れていたせいで男性には全く興味がなかったし、義母とは折り合いが合わず、思春期を過ぎてからは顔を合わせる度に嫌味の応酬になる。何年もそういう環境だったこともあってか、素直になれないのところがまた、自分の良くないところだとも思う。
でもどうしても、同世代の男性を目の前にすると緊張してしまうのだ。
鍛え上げられた美しい肉体や、短く刈られた襟足。同世代の女性陣が喜ぶその男性らしさの象徴に、マリアリーゼは喜べない。幼い頃に遊んだ父の記憶しかないからこそ、ついつい及び腰になり、その度に相手に恥をかかせて見合いを潰してしまった。
何に怯えているのだと聞かれても、マリアリーゼ自身にも原因のわからない不安ばかり。ただ圧倒的な違いに足がすくみ、手がかじかんでしまうのだ。
「いい加減、この屋敷が手狭に感じるわよ。マリアリーゼ」
義母のアントニアは、父がお気に入りの赤ワインを買ってきたからか、珍しく上機嫌だった。ワイングラスを傾け、そこに丸く映ったマリアリーゼを見て嬉しそうに笑っている。このくらいの嫌味なら、何てことはない。
自分が家を空けることが多いからと、父は正妻亡き後すぐにアントニアを迎え入れた。アントニアは幼いマリアリーゼを大人のように扱い、マリアリーゼもそのように振る舞った。そのせいだろうか。マリアリーゼの胸にはその日からずっと、棘のように刺さったままの寂しさがある。
今更その棘を抜いて欲しいとも、和解したいとも思わない。けれど、こればっかりは父の唯一の失敗だと断言できる。
そう思っていることを心の中で小さく謝罪して、大きな口を開けて最後の一口を口へ詰め込んだ。酔いの回った義母の言葉には「そうね」とだけ返して、最低限の会話を終わらせた。
マリアリーゼが、楽しげに手紙を書いてる父から他人事のように「アレクセイ様が今夜我が家を訪ねてくる」と聞かされたのは、釣り書きを渡された日からわずか3日後のことだった。
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