和平交渉は難航中(2/2)
「ユベロ、もう帰ろう。話し合いなんて無駄だ。獣に人間の言葉が通じるわけないだろう」
「獣はそっちだ! 悪党ども!」
リーダーは兄上の手に噛みつこうとした。それを見た兄上は片手で彼の後頭部を押さえつける。リーダーの額が地面にめり込んだ。
「離せ! 汚らわしい!」
顔が汚れ、口の中に土が入っても、リーダーは抵抗を止めようとしなかった。手足をばたつかせ、必死で兄上の拘束から逃れようとする。
「お前の離宮にナディアは閉じ込められているんだろう! あの子をどんな目に遭わせたんだ!」
「兄上の離宮に!?」
聞き捨てならない言葉が飛び出してきて、僕は驚く。兄上が小さな声で「余計なことを……」と罵るのが聞こえてきた。
「兄上、どういうことですか! どうして兄上の離宮にナディアさんが!? 彼女に何をしたんですか!」
「暴力は振るっていない。……そんな顔をしないでくれ、ユベロ」
僕に詰め寄られて、兄上は仕方なさそうにナディアさんを監禁していたことを認めた。
「彼女は危険なんだ。分かってくれ、ユベロ。近くに置いておくべきじゃないんだ」
「それは兄上の決めることじゃありません!」
僕は兄上の肩につかみかかった。兄上はそれをあっさりと引き剥がしてしまったけれど、僕はこのまま引き下がることはできないと感じていた。
「今すぐに彼女を解放してください! 彼女は僕の……」
「おやおや、王子様方、お揃いで」
慇懃な声がして、僕と兄上は同時に振り向いた。まさかの人物の姿を認め、僕は愕然となる。
「大臣たち……何でここに!?」
まさか彼らも兄上が? と思ったけれど、視線をやると、兄上も僕に負けないくらいびっくりした顔になっていた。どうやら彼もこんな事態は想定していなかったらしい。
「離宮がもぬけの殻になっていたこと、我々が気が付かないと?」
「困りますなあ、勝手なことをされては。第一殿下に第二殿下、この国を動かしているのは誰だとお思いで?」
「大臣ども、私の弟に無礼な口を利くのはやめろ」
兄上が顔を歪めた。その膝の下で、解放軍のリーダーが苦しそうな声を出す。彼の小柄な体からミシミシと悲鳴のような音が上がっていた。
「もう帰れ。どうせ話し合いなんかしないんだ。私は弟を連れ戻しに来ただけ。和平なんかできるわけがないんだから」
兄上は地面に這いつくばっている解放軍のリーダーを見て、冷たく笑った。
「どうせならこの男も連れて行くか? 『話し合い』は、王宮ですれば良いだろう?」
兄上はリーダーの首筋に一撃を入れて気絶させようとした。
「止めてください!」
それを阻止しようとする声は、解放軍側から聞こえてきた。視線をやると、メンバーの制止を振り切って誰かがやって来るのが見える。僕は思わず目を細めた。とても綺麗な女性だ。特に長い黒髪からは神秘的な印象を受ける。
「リ、リリー……」
誰だろうと思っていたけど、兄上の掠れた声を聞いて僕はようやく彼女の正体を知った。なるほど、これなら兄上が一目惚れするのも納得だ。
「ルシウス様、止めてください。彼を傷つけないで……」
目を潤ませて頼み込むリリーさんに、兄上は弱り切ったような顔になった。しばらくして、渋々リーダーの上から退く。大臣たちは「殿下!」と非難したけれど、兄上はそれを無視した。
「姉さん! ダメだろ、下がってないと!」
やっと自由の身になったリーダーは、腹部と背中を押さえてヨタヨタと歩きながらリリーさんの腕を掴んだ。
そのいかにも親しげな仕草を見て、兄上の頬がピクリと動く。
「イスメラルダ姉さん、ここは危険なんだよ。ナディアは戻って来なかったけど、姉さんが生きてたって聞いて、ボク、すごく嬉しかったんだ。なのにまた何かあったら……」
「デゼル……心配かけてごめんね」
リリーさんはリーダーを抱きしめた。兄上はこれ以上は見たくないとばかりに顔を両手で覆う。
何でこんなところに彼女がいるんだろうと思ったけれど、それ以上に気にかかることに気が付いてしまい、僕はリリーさんにあることを尋ねた。
「リリーさん……まさか記憶が……?」
「はい、戻りました。ちょっと頭に衝撃を受けたせいかもしれません」
リリーさんは兄上を見つめた。
「ルシウス様、聞いてください。わたしはやっぱり平民で、この解放軍の一員だったんです。でもわたしは……」
「やめてくれ。それ以上は何も言うな」
兄上は血の気の引いた顔で、二、三歩後退した。こんなに狼狽えた兄上は初めて見る。
「もう良い。もう分かった。それ以上は……言わないでくれ」
先ほどまでの威勢をすっかり削がれてしまった兄上に、大臣たちがすり寄っていく。
「なんとまあ、お気の毒に」
「殿下、あの娘は重罪人です。貴族のフリをして殿下を騙していたのですから」
「さあ殿下、王宮へ戻りましょう。あんなアバズレよりももっと良い娘を、我々がご用意いたしますゆえ……」
大臣たちは騒ぎ立て、兄上は意気消沈し、解放軍は王族への不信感を剥き出しにしている。とてもじゃないけど、話し合いなんてできそうもない雰囲気だった。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。今を逃したら、もう交渉のチャンスなんて巡って来ないに決まってるんだから。僕は意を決して声を上げようとした。
そのときだった。天から馬のいななく声が聞こえてきたのは。
皆が上空を見つめる。青空をバックにこちらへとやって来る人を見て、僕は瞠目した。
「和平交渉、まだ終わってないよね!?」
純白のペガサスから一人の少女が飛び降りる。
肩で息をしているその人物は、今僕が一番会いたいと思っていた人――ナディアさんだった。




