奇跡を起こすもの(1/1)
「ユベロ……」
ルシウス王子が出て行ってから、もう長い時間が過ぎた。もしかしたら日付も変わってしまったかもしれない。
地下牢の隅でうずくまっていた私は、泣きたいような気持ちで大好きな人の名前を呼んだ。
もう解放軍のメンバーが私を助けに来てくれる可能性はない。自力で脱出もできない。
こうしている間にも、ユベロと解放軍が戦ってるかもしれない。ルシウス王子がいればユベロは大丈夫かもしれないけど、そうなると逆にお兄ちゃんたちの身が危なくなってしまう。
お兄ちゃんもユベロも大好きだ。どっちにも傷ついて欲しくない。戦って欲しくない。不安と心配で、胃がひどく痛んだ。
「何でこんなに苦しまないといけないの?」
私は涙を手の甲で乱暴に拭った。
「私がユベロを好きになっちゃったから……?」
きっとそうに違いない。私は大きくしゃくり上げた。
お兄ちゃんみたいに、『王族は悪だ!』って今でも思うことができていれば、こんなことにはなっていなかったはずだ。今頃私は離宮を脱走して、解放軍の皆と次の作戦会議に出ていただろう。
でも今の私は、そんな光景に何の喜びも感じられなかった。
だって、私は知ってしまったから。ユベロの真心や、ルシウス王子の過去を。そんなものに触れてもまだ、『王族は悪だ! 正しいのは平民だけだ!』なんて声高に主張できるほど、私は恥知らずじゃなかった。
お兄ちゃんたちもそのことに早く気が付くべきなんだ。和平交渉はその絶好の機会だ。
でも、このままだと交渉は決裂してしまう。それどころか、話し合いすら成立しないかもしれない。
「ユベロ、お兄ちゃん……」
私はユベロと出会った日から今までのことを思い出していた。
私は以前、ユベロの澄んだ瞳をどこかで見たことがあると感じた。今ならその理由が分かる。
私はユベロを見て、昔のお兄ちゃんを思い出していたんだ。
お父さんとお母さんが死ぬ前のお兄ちゃんは、今とは全然違う人だった。毎日のように繰り返される平民と貴族の衝突の話を聞いて不安そうな顔をしながら、「仲良くできないの?」って言うような子だったんだ。
でも、お兄ちゃんは変わってしまった。
お父さんもお母さんもいなくなって、残された私と肩を寄せ合って生きていくうちに、段々とトゲトゲしさが増えて、その目は怒りや憎しみでギラギラした光を放つようになっていったんだ。
私はそれがすごく悲しかった。前みたいに曇りのない目で、「仲良くできないの?」って聞くお兄ちゃんに戻って欲しかった。
でも、そんなことが言えるわけない。だってお兄ちゃんが変わっちゃったのは、私や自分を守るためでもあったんだから。唯一の家族をもう失うもんかっていう強い決意が、お兄ちゃんに生きる気力を与えていたんだ。
だから私は自分の気持ちを心の底に封印した。お兄ちゃんの憎しみは正しいんだって思うことで、お兄ちゃんへの恐怖を消し去った。
私だってお兄ちゃんを失いたくなかったから。一緒にいるためには、そうするしかなかった。
だけど、ユベロと過ごすうちに私の考えは変わってしまった。ううん、ユベロが変えてくれたんだ。
私とユベロは似た境遇だった。二人とも兄の豹変を目の当たりにして、その変貌ぶりに怯えた。
でも、そこからの私たちは別の道を選んだ。私はお兄ちゃんを盲信することで自分の気持ちを誤魔化したけど、ユベロは『兄の言ってることは本当に正しいのか?』と考え続け、最後には冷静なものの見方を手に入れることができたんだ。
どっちが正しいやり方かなんて、じっくりと考えてみるまでもない。私の解決策は間違っていた。
「だから……今からでも、正しい方法を選びたい……」
お兄ちゃんの怒りも理解できるけど、前に進むためにはそれに囚われてちゃいけない。これが私の出した結論だ。そして、それはお兄ちゃんに認めてもらわないといけない事実に他ならなかった。
「大丈夫……。お兄ちゃんなら、きっと受け入れてくれる」
だって、昔のお兄ちゃんに戻るだけなんだから。全然知らない人に生まれ変わらないといけないわけじゃない。だったら、そんなに難しくないはずだよね。
でも今のままのお兄ちゃんじゃ、それは絶対に無理だ。私が思い出させてあげないといけない。昔のお兄ちゃんがどんな人だったかを。
「何とかしないといけないのに……」
泣いている場合じゃないのはよく分かってる。
でも、こんな地下牢に閉じ込められたままで、一体何ができるっていうんだろう。せいぜい奇跡を祈るくらいが良いところだ。皆が争わずに、話し合いが上手くいきますように、って。
「あっ……」
私は電撃が走ったような衝撃を受けた。そう、『奇跡』だ。私にできることはまだあった。
奇跡を起こしてくれるようにお願いするんだ。
「神様、お願いです!」
私は石の天井に向けて叫んだ。声が反響し、不気味な旋律となって鼓膜を揺さぶる。
「私を助けてください! 大切な人たちが危ないんです! 私は平和を望んでいるんです! 神様も同じでしょう!? だったらどうか手を貸して! 私、絶対にやってみせますから……!」
私は両手の指を固く組み合わせた。こんなに熱心に祈ったのは、きっと生まれて初めてだ。声が石の天井を越えて、天高く吸われていくような錯覚を覚える。
その不思議な感覚を味わった直後、ふわり、と一輪の青いバラが天井から落ちてきた。その瞬間に、手首の拘束が解かれる感覚がする。巻かれていた鎖が外れ、大きな音を立てながら床に落ちた。
「神様、ありがとう!」
私は天井に向かって大声を出した。魔法で鉄格子を壊し、通路の外に飛び出す。運良く誰にも鉢合わせずに外に出ることができた。
さっきまで薄暗いところにいたせいで、太陽の光が眩しく見える。私が目を細めながら上を見つめていると、何かがこっちへと飛んでくるのに気が付いた。
「あ、あれって……」
私は口を開けてしまう。真っ白な毛並みと気高い青の瞳。私が王宮の庭で見たペガサスだった。
ペガサスは私の目の前に降り立つと、膝を折った。乗れってことなんだろう。ペガサスは聖獣。きっと神様が私を助けるために遣わしてくれたんだ。
「聖都へ!」
私が背中に乗ると、ペガサスはいななきながら助走をつけ、空へと飛び立った。私はその首にしっかりと捕まる。
間に合え、間に合えと、心の中で強く念じていた。さっきの私の祈りは神様に届いたんだ。それならこのお願いだって、きっと叶うはずだった。




