残ったものは、憎悪と傷跡(2/2)
「当時から各地で悪政に不満を募らせた平民たちが、貴族の館なんかを襲撃する事件が頻発していたんだ。……夏の離宮もその襲撃先に選ばれた。暴徒と化した平民が城の中に流れ込んできたんだよ。家族で過ごす夏の休暇って感じだから、離宮には十分な兵を置いていなかったせいだろうね」
ユベロはゆっくりと首を振った。
「そのとき父上は公務が立て込んでいて王都に残ってたし、僕はちょっとした夏風邪をこじらせて保養地にいた。離宮には母上と兄上だけがいたんだ。そして……二人は平民に捕まった」
「……ルシウス王子たち、人質にされたの?」
「……違うよ」
ユベロの顔は本当に苦しそうで、これ以上は話したくないみたいだった。でもその表情には、このことを伝えておかないといけないという義務感も漂っていて、私は話をやめさせることができない。
「彼らの目的は復讐だった。とにかく王族をひどい目に遭わせないと気が済まないって思ってたんだよ。だから……そのとおりにした」
不意に、辺りに鉄さびの匂いが立ちこめてきたような気がする。胃がムカムカしてきて、私は思わずお腹を押さえた。
「僕は直接見たわけじゃないから、詳しいことは知らないけど……兄上はこう言っていた。『平民たちは笑いながら私の顔をナイフで切り刻み、それを見て泣き叫ぶ母上を惨殺した。私の目の前で』」
「あっ……」
私は思い出した。この話、知っている、と。
まだ私が豪商に拾われる前、お兄ちゃんと一緒に貧民街で最悪の暮らしをしていたときのことだ。
――ナディア、さっきゴミを漁りに行ったら、清掃員の噂話が聞こえてきたぞ!
お兄ちゃんは顔を輝かせていた。
――平民たちが悪い王妃と王子をやっつけたんだって! すごいなぁ……! 平民だってやればできるんだ! ボクもいつか、悪い奴らを懲らしめてやるぞ!
お父さんとお母さんを失ってしまってから暗い顔ばかりしていたお兄ちゃんが、すごく喜んでいた。私はそのことが何よりも嬉しくて、「私も手伝う!」と言ったんだ。傷つけられた側のことなんて、何にも考えずに。
「兄上は隙を見て何とか逃げ出せたけど、長い期間の治療が必要な状態だった。やっと面会が許されたときの兄上は、顔に厚い包帯を巻かれていて……。それが取れたときには、昔の面影はなくなっていた。顔もそうだけど、中身もね。兄上は自分の顔に残った傷跡を人に見せては、『平民は人間の皮を被った獣だ』って言うようになったんだ。……これ以上説得力のある言葉もないよね?」
ユベロは話を締めくくった。私は喉に物が詰まってしまったみたいに言葉が出てこなくなる。それでも、やっとのことで声を絞り出した。
「ルシウス王子は平民を憎んでるんだね」
彼の頑なな態度の意味が分かってしまって、私は胸の痛みを覚えずにはいられない。
私だって貴族や王族が憎いと思ってた。けれど、残虐極まりない方法で苦しめてやっても良いなんて感じたことは一度もなかった。
だから私には、ルシウス王子の気持ちが分かってしまったんだ。自分の顔を笑いながら傷つけられ、お母さんを目の前で殺されたりしたら、私だってその犯人たちを獣だと思うだろう、って。
「根絶やしにしちゃいたいって思っても……仕方ないよね」
「……そうかもね。でも、兄上は強い人だよ」
ユベロは額に手を当てた。
「兄上も根本的に考えてることは僕と同じなんだ。やられたらやり返すなんて負の連鎖は、もう終わりにしたいと思ってる。ただ、その方法が違うだけで……。兄上は平民を完全に王侯貴族の支配下に置くつもりなんだよ。恨みや憎しみを自分の奥底に押さえ込んで、平民たちを機械の歯車みたいに扱おうと思ってるんだ。手入れはされてるけど自由も権利もない存在。そうなるのが獣にとっても幸福だろうから、って」
「……それって正しいことなの?」
私は顔をしかめた。ユベロは「僕はそうは思わないよ」と言う。
「でも、僕の提案……平民と和解しようっていう考えは、兄上にとっては理解不能なものなんだよ。獣と人間の間に話し合いが成立するわけないんだから」
ユベロは困ったような目で私を見た。
「ナディアさん……僕、軽率だったかもしれない。君のことを身を挺して庇わなきゃよかったかも……」
「えっ……」
「兄上は家族を大事にしてるからね。僕たちの父上が病気になってしまった原因は、母上と兄上の身に起きたことに衝撃を受けたからだ。兄上は平民に家族の平穏をどこまでも乱され続けた。その上僕が平民に必要以上に入れ込んでいるなんて分かったら、何をしでかすか……。強硬手段に出てもおかしくはないかもしれない」
「きょ、強硬手段って……?」
「色々考えられるよ。解放軍を何が何でも全滅させようとするとか、君を明日にでも断頭台に連れて行くとか……」
ユベロが挙げたのはもしもの話だ。でも、私は背筋が冷たくなる。ただでさえ今解放軍は戦力が低下しているのに、こんなところを王国軍に攻め込まれたらひとたまりもない。
焦った私はユベロの肩をきつく揺さぶった。
「何とかできないの!? 妨害工作とか!」
「落ち着いて、ナディアさん」
軽くパニックになりかけている私をユベロはなだめる。
「兄上だってそうすぐに行動を起こせるわけじゃないよ。王子って言っても、何でもかんでも好き勝手にはできないからね。父上が伏せってる今、この国を動かしているのは大臣たちだ。まずは彼らの説得から入らないと」
「……でも、だから安心ってことじゃないんでしょう?」
私は難しい顔になった。
「大臣たちは貴族だよね? しかも、平民を苦しめてる悪い貴族だよ。あの人たちは解放軍を邪魔だと思ってるんだ。ってことは、ルシウス王子に賛成するに決まってるじゃん」
「確かにね。でも、事はそう単純じゃないっていうか……」
ユベロは腕組みする。
「大臣たちは兄上と平民の扱い方の件で色々揉めてるからね。大臣は平民からは限界まで搾り取るべきだって考えてるみたいだけど、兄上は『家畜は生かさず殺さず』って主張してるし……。そういう背景があるから、今回利害が一致したって言っても、簡単に兄上に協力はしない……かもしれない」
それって、希望的観測ってやつじゃないの?
私は奥歯を噛みしめる。解放軍のメンバーの命を保証しているものが大臣とルシウス王子の仲の悪さだなんて、なんとも頼りない話だ。もっと確実に皆の身の安全を守れる何かを見つけないといけない。
「……手はないか考えてみるよ」
ユベロはそう言ってくれたけど、私は安心できなかった。
だってルシウス王子でさえ勝手なことはできないのに、第二王子のユベロが好きに振る舞えるわけないもん。そのくらい、政治に疎い私にだって分かる。
でも今は彼の言葉を信じる以外になくて、悔しいけれど私は黙って頷いておくことにした。




