第一王子の動揺(1/1)
頭が痛い。
ナディアと名乗る謎の少女が帰っていった後、わたしはベッドに身を投げてぼんやりとしていた。
――お姉ちゃんの本当の名前は『イスメラルダ』! 私とデゼルお兄ちゃんの大切な家族だよ! それで、一緒に解放軍のメンバーになったんだ!
少女の言葉が頭の中でグルグルと回っている。
「……解放軍にいた。わたしが……」
額を押さえながら呟く。ふと、見知らぬ光景が頭の中に蘇ってきた。
――お父様、その子たちは誰?
広い食堂で汚い身なりの二人の子どもが食事をしていた。出された料理を手づかみで一心不乱に食べるその様子は客人という感じでもなかったから、わたしは疑問に思って近くにいた男性に尋ねる。
――かわいそうに、行き倒れになっていたんだよ。ご両親を亡くして、帰る家もないんだとか。
男性はわたしの頭をそっと撫でた。
――だから、しばらくうちに置いてあげようと思うんだ。仲良くできるね?
――もちろんよ!
わたしは二人の子どもに笑顔を向けた。
――わたしのこと、お姉ちゃんだと思ってね。わたしの名前は……。
「……イスメラルダ」
そう呟いた途端に、頭がズキズキと痛みだす。
バカなことは考えるなって言ってるのかしら? それとも……?
大きく息を吐き出して、わたしは立ち上がった。ドレスの裾を捌きながら部屋を出る。
「ああリリー、ちょうどよかった」
探していた人は離宮の玄関ホールにいた。どうやらチャニング財務大臣と話をしていたらしい。彼はわたしの姿を認めると、一礼して去っていった。
「実はこれから大臣たちと税の引き上げについて会談をすることになったんだ。だから今日の昼食は一緒にとれな……」
「ルシウス様、わたしは平民なのかもしれません」
唐突な告白に、ルシウス様は固まってしまった。わたしは頭を押さえながら続ける。
「わたしは解放軍にいたんです。それで、それで……」
頭の中に様々な光景が浮かんでくる。
荷馬車に揺られながら仲間と談笑するわたし。のどかな日だった。武器を手にした者たちが突然襲いかかってくるまでは。
悲鳴と血しぶきが上がる中、重傷を負ったわたしは必死に逃げた。けれど、ある村の入り口で意識を失ってしまう。
目が覚めたとき、わたしは見知らぬ部屋に寝かされていた。どうやら村人に保護されたらしい。
でも村人はわたしなんかより、もっと別なことが気がかりみたいだった。
チャニング大臣の屋敷に招かれていた第一王子。彼が大臣と一緒に戦闘のあった場所の視察をすることになって、通りがかりにこの村に立ち寄るかもしれない。村人たちは心配そうにそんなことを話していた。
そして、わたしはその村で第一王子と出会った。それで……。
「リリー、あなたは貴族だ」
きっぱりとした口調にわたしは我に返る。ルシウス様が血の気の引いた顔でこっちを見ていた。
「誰にそう言われた。誰があなたにそんなことを吹き込んだ」
声が震えているルシウス様を目の当たりにして、蘇りつつあった記憶は、またしても霧の彼方に消えてゆくようにぼんやりと形のないものに変わってしまう。
ルシウス様は何かに怯えているみたいだった。わたしの発言が彼を困らせてしまったのだと分かって、罪悪感を覚えずにはいられない。
「……知らない子です」
わたしはルシウス様から目を離す。
「栗色の髪と目の少女でした。多分、十二歳くらいの。わたしの妹だって言ってましたけど……」
「栗色の髪と目……? まさか……!」
ルシウス様は心当たりがあるのか、愕然とした表情になった。
「ああ、なんてことだ! やはりあのとき……」
金の髪を掻き上げたルシウス様は、踵を返して走り去っていく。わたしはその背中を黙って見送った。
わたしには過去がない。それなのにルシウス様の傍に置いてもらっていることを、いつも引け目に感じていた。
だからわたしはよく、自分は何者なんだろうって想像していた。でも、そんな話題を出す度に、ルシウス様は「そんなことは気にしなくていい」と言っていた。「あなたは貴族の令嬢だ。私にはちゃんと分かってる」って。
そして、わたしが自分の正体を知るための行動を取ろうとすると、決まって止められた。「無理に思い出そうとすると、かえって失われたものを取り戻すのは難しくなるから」らしい。
「ルシウス様……」
一体どうするのがあの方のためになるんだろう。
でも、考えても何も分からなくて、わたしは悶々とした気分でまた痛み始めてきた頭を押さえているしかなかった。