姉の二度目の死(1/1)
正午になる少し前。ユベロに言われたとおりに、私はルシウス第一王子の離宮にやって来た。
――離宮の建物の中には使用人とかがいっぱいいるからね。
私はユベロの言葉を思い出す。
――彼らに見つかっちゃダメだよ。絶対に面倒なことになるからね。後、リリーさんの部屋の前には衛兵も立ってるから、普通に訪問したって取り次いでくれないと思うよ。
宮廷の慣習とか私にはよく分からないけど、ただのお世話係に護衛をつけてるなんて変な話だ。お姉ちゃん、ルシウス王子に歪んだ執着心とか向けられてるんじゃないのかな?
そう思うとますますお姉ちゃんの身が心配になってくる。私はユベロに教えてもらったお姉ちゃんの部屋を、ルシウス王子の離宮の庭からこっそりと見つめた。
……三階か。
壁をよじ登るのは無理だけど、運の良いことに建物の近くには木が生えていた。しかもその枝は、お姉ちゃんの部屋の窓の近くまで伸びている。
これを利用しない手はない。私はミニドレスの裾をからげて靴を脱ぎ、木の幹に手をかけた。小さい頃から木登りは割と得意な方だから、これくらいは楽勝だ。
特に苦労することもなく目的地まで辿り着き、お姉ちゃんの部屋のバルコニーに降り立つ。大きく深呼吸して、カーテンのかかった窓ガラスを二回、コンコンとノックした。
でも、反応がない。……まさか留守?
焦った私は、今度はもっと大きな音でガラスを叩き、「お姉ちゃん!」と呼びかけた。
その甲斐あったのか、カーテンが開く。私とお姉ちゃんは、ガラス一枚を隔てて向かい合った。
やっぱりイスメラルダお姉ちゃんだ!
近くで彼女を見た私は確信した。仮面なんかしてたって私にはちゃんと分かる。
「お姉ちゃん、ここを開けて!」
私は窓に手を当ててガタガタと揺らした。興奮で体がどんどん熱くなっていく。
「お願い! 話がしたいの!」
お姉ちゃんは突然の窓からの訪問者にびっくりしているらしかったけど、私があんまりにも必死だったからなのか恐る恐るといった手つきでカギを開けてくれた。
私は室内に転がり込み、つけていた自分の仮面を放り出してお姉ちゃんに抱きつく。
「会いたかった、イスメラルダお姉ちゃん!」
視界がにじんでいく。頭の中にお姉ちゃんとの色々な思い出が浮かんできた。
豪商の館で初めて会ったときのこと。読み書きすらできなかった私たちに字を教えてくれたこと。解放軍を立ち上げると言って聞かなかったお兄ちゃんの身を案じて、泣きながら反対していたこと……。
どれもかけがえのない時間だった。
「……あなた、誰?」
感極まっている私とは対照的に、お姉ちゃんは混乱しているみたいだ。私は目元を乱暴にこする。
「ナディアだよ」
私はお姉ちゃんの体を抱きしめる腕に力を込めた。
温かくて柔らかくて……お姉ちゃんは全然変わってない。半年前に別れたときそのままだ。
もう二度と手放すもんかと私は決意を固くする。
「お姉ちゃん、本当に嬉しい……!」
私は鼻をすすりながらお姉ちゃんの仮面を半ば無理やり剥ぎ取った。
現われたのは肌が白い美女だ。金の瞳は長いまつげで覆われていて、鼻筋がすっと通っている。
よく知っているイスメラルダお姉ちゃんの顔を間近で見て、私はますます歓喜した。
「……あなた、わたしの妹なの?」
お姉ちゃんは突然仮面を取られたことに驚いてはいるらしかったけど、それをとがめるどころじゃないみたい。目をパチパチとさせながら、近くの姿見に目をやった。
「……全然似てないけど」
私も鏡に視線を移す。
黒髪と金の目のイスメラルダお姉ちゃんに対し、私は髪も目も栗色だ。それにお姉ちゃんみたいにすごい美人ってわけでもない。ちょっと垂れ目で、鼻や口が小さい感じの顔立ちだ。
スタイルだって、お姉ちゃんは手足やウエストはほっそりしているのに胸が大きい素敵な体付きだったけど、私なんか寸胴ぎみの幼児体型だし……。確かに姉妹には見えないよね。
だけど私たちの間にある結びつきは、顔かたちとは全然関係ない。血の繋がりを越えたものが二人には存在するって、私にはちゃんと分かっていた。
「お姉ちゃん、話は聞いたよ。記憶がないんでしょう?」
私はお姉ちゃんの頬を撫でる。今のお姉ちゃんは自分が何者なのか知らないんだ。そのせいで敵に囲われる羽目になってしまったなんて、不憫で仕方なかった。
「きっと戦いに巻き込まれたショックが原因だよね。でも大丈夫だよ。私がお姉ちゃんを本当にいるべきところへ連れて行ってあげる。そうしたら、すぐに何もかも思い出すよ」
「わたしのいるべきところ?」
「解放軍だよ!」
私はお姉ちゃんの手を握る。
「お姉ちゃんの本当の名前は『イスメラルダ』! 私とデゼルお兄ちゃんの大切な家族だよ! それで、一緒に解放軍のメンバーになったんだ!」
「わたしが、解放軍の……」
不意にお姉ちゃんは頭を押さえてよろけた。私はびっくりして「どうしたの!?」とお姉ちゃんの肩を掴む。
「気分が悪いの!? やだ! 死なないで、お姉ちゃん……!」
「……平気よ」
震える私の手を、お姉ちゃんは自分の肩から引き剥がした。
「ちょっと頭が痛くなっただけ。もう大丈夫だから……」
そう言いつつも、お姉ちゃんはまっ青な顔になっていた。私は心配になってお姉ちゃんの背中をさする。
「お姉ちゃん、体の調子が悪いんだね。こんなところにいるからだよ。早く解放軍へ帰ろう? ルシウス王子の傍にいても良いことないでしょ?」
「……そんなこと、ないけど」
それまで私の勢いに気圧されていたお姉ちゃんが、初めて反抗的な声になった。その変化に戸惑いつつも、私は「嘘だよ」と首を振る。
「ルシウス王子は悪い奴だもん。お姉ちゃんが美人だからこうして離宮に置いて愛人みたいに扱ってるだけで、飽きたらすぐに捨てられちゃうよ! だから早く……」
「ルシウス様はわたしに指一本触れないわ」
お姉ちゃんは怖い顔で私を睨んできた。そして、距離を取るように少し後退する。あからさまにこっちを拒絶する態度に、私はショックを受けないわけにはいかなかった。
「ルシウス様はお優しい方よ。何も知らないのに適当なこと言わないで。それにわたしは、あの方になら何をされたって良いわ」
「な、何でそんなこと言うの!?」
私は頭が真っ白になるくらいの衝撃を受けた。
「変だよ、お姉ちゃん! ねえ、早く解放軍に帰ろう? イスメラルダお姉ちゃんは騙されてるんだよ!」
「わたしはどこへも行かないわ」
お姉ちゃんは頑として譲らなかった。さっき私に剥がされて、今は床に転がっている仮面を身につける。
「それからわたしの名前は『リリー』よ。『イスメラルダ』なんて知らないわ」
悪い夢を見ているような気分だった。
チャニング領での戦いで、イスメラルダお姉ちゃんは死んだと思い込んでいた。だけど、それは間違いだった。少なくとも、数時間前までの私はそう考えていた。
だけど私のよく知るイスメラルダお姉ちゃんは、事実あの戦いで死んでしまっていたんだ。後に残されたのは、仮面の白百合姫、『リリー』だけだった。
絶望が広がっていく心の奥底から、憎悪が生まれてくる。
二回もお姉ちゃんを奪った憎い敵。絶対に許さないと私は誓った。