お手をどうぞ、お嬢様(3/3)
「さあ、行こう」
ユベロが部屋の外に出る。私もせかせかとした動きでそれに続いた。
でも、十歩と歩かないうちに問題が発生してしまう。
一歩踏み出せばグラグラ、もう一歩足を進めてヨタヨタ……。足元が異様に不安定だったんだ。ヒールのついた靴って、こんなに歩きにくいものなの!?
ちょっと移動するだけならまだしも、これじゃあ案内が終わるまでに、百回くらい転んじゃいそう! こんな靴を普段から履いてる貴族の女の人って、どんなバランス感覚してるんだろう……?
「……何してるの、ナディアさん」
仕方なく廊下の壁に手のひらとお尻をぴったりとつける格好でカニ歩きしていると、ユベロが不思議そうに尋ねてきた。
「スパイごっこ?」
「ち、違うよ!」
私は足元に視線をやった。
「こうしないとひっくり返っちゃいそうなの! ヒールが高くて歩きづらいから……」
「あっ……そうか。ごめんね、気付けなくて」
ユベロが私に向き直った。
「お手をどうぞ、お嬢様」
ものすごくスマートな仕草で手を伸ばしてきたせいで、私は何も考えずに自然に彼の手を取ってしまった。これってもしかして、『エスコート』ってやつ?
「ゆっくりでいいからね」
そう言って、ユベロは速度を落として歩き始めた。慣れない靴を履いている私でも、ついていきやすいくらいの速さだ。
そうされながら私は、心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じずにはいられない。
だってこんな、いかにも『女の子』って扱い、されるの初めてだったから。
体が熱くなってくるようなおかしな感覚にどぎまぎしてしまう。もしかして私……ときめいてるの? 相手は敵なのに?
そんなの、絶対に変だよ!
そうは思ってみたけれど、今さら繋いだ手を振りほどくのもおかしい気がして、結局はズルズルと流される形でユベロにエスコートされてしまう。
お陰で、せっかく案内してもらっていたのに、その内容がまったく頭に入って来なかった。それに時間の流れもかなり速く感じてしまって、ユベロがやって来たのはお昼過ぎくらいだったのに、いつの間にか夕方になってしまっている。
そんなふうに荒ぶる心の内とは裏腹に、体はこの格好にどうにか慣れてくれたらしい。もう高いヒールでも転ばないし、エスコートなしでも歩けるようになった。
そのことに気が付いたユベロがやっと距離を取って歩いてくれるようになって、私はこわばっていた肩の力をようやく抜くことができた。
「どう? ちょっとは貴族っぽい体験、できたかな?」
部屋まで送ってくれたユベロが、笑顔でそんなことを尋ねてくる。
「う、うん!」
正直に言って案内内容なんかほとんど聞いていなかったし、ドレスを着ていたのも『貴族について知るため』という目的があったことすら忘れかけていたけど、私はそんな様子はおくびにも出さないように注意しながらバカみたいに首を縦に振った。
けれどそんな私に、ユベロが困った質問をしてくる。
「どこが一番良かった?」
「え、ええと……」
今さら『何も聞いてなかった』なんて言えない雰囲気になってしまっていたから、私は冷や汗をかいた。そして、必死に知恵を振り絞りながら「お庭……」と言う。
「えっと……その……と、遠くに王宮が見えて……良いな、って……」
本当はわざわざ庭に出なくても、この部屋の窓からでも王宮は見えるんだけどね。
だけどユベロはそんなごまかしには気が付かなかったようで、「この離宮も良いところだけど、王宮も綺麗なんだよ」と嬉しそうに言った。
「……ああ、そうだ。明日は王宮へ行こうか?」
「王宮へ? 入って良いの?」
意外な提案に私は驚いてしまう。ユベロは「僕と一緒なら大丈夫だよ」と言った。
「でも、もし誰かと鉢合わせたら色々と危ないかな? うーん……。建物の中には入らないで、あんまり人気がない庭の見学だけにするべきかも。もし人がいたとしても、ナディアさんが仮面か何かをつけていれば、正体を見破られる確率も下がるだろうし……」
「仮面? そんなのつけてたら、逆に怪しまれない?」
「平気だよ。前例もいるしね」
前例? 他にも仮面の人がいるってこと? 宮廷で流行ってるファッションとかなのかな? まあ、おかしくないなら別に良いんだけど……。
「じゃあ決まりだね」
ユベロが朗らかに言った。
「今日と同じ時間に迎えに来るよ。そのときまでに明日のドレス、選んでおいてね。クローゼットの中に入れておいてもらったから」
別れの挨拶をして、ユベロは帰っていった。彼がいなくなった後、私はクローゼットの扉を開ける。
「はあ……」
そこに広がっていた色とりどりの服に、感嘆のため息が出る。こんな贅沢、して良いのかな? って考えてしまうけれど、素敵な服を前にして高ぶっていく気分はどうやっても止められそうになかった。