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お盆休みが……終わる
「忍者かアイツは……」
『砲』で飛翔した時と違い、音も無く消えた明志をソルはそう呟いて見送った。
そして、そう遠くない内に自分達もあの程度は容易く出来るようになっている事を求められているだろう事を察していた。
「で、掌なら何処を差しても良いってわけじゃないんだろうな」
「そうだろうね、物言いから察するに、血管を差さなきゃ駄目だろう」
赤坂の言葉は予想出来た事であり、掌をしげしげと見つめる。
この薄く青くなってる所を狙ってぶっさせと。
紙で綺麗に梱包された針をしげしげと見てから改めて思ったことを口にする。
「明志にはああ言ったけど、自傷行為って結構抵抗あるもんだな」
「まあリスカする様な奴の気持ちは私達からすると理解できない凶行だしね」
「だよなぁ」
自分で自分に痛みを与えるとか意味が分からなかった。
昨日の窒息寸前状態だって別に気分が良かった訳じゃないが対外的要因が理由の苦痛に対してなら結構無理が効いた。事実、死に掛けであっても明志の言葉に倣って『魔素呼吸循環法』を会得出来ているのだから。
その後の醜態にしたって我慢しろと言われれば、した。
ソルからして見れば魚を差し出されたのはヨシの合図で、空腹に身を任せてかぶりついたのである。
何がそこまで明志の失望を買ったのかは分からないが、求められているのは間違いなくタフネスだろう。
明志は、魔殿がどういうものなのか知っている。
何処で得た知識かは分からないし本人は隠そうとしているみたいだが、物言いが明らかによく知っている奴のそれだ。明確にどういう奴が敵だと言うのを定めた上で事前準備させようとしている。
死ぬという言葉を幾重にも重ねておきながら絶対に死なせまいとする意志が見え見えだ。
テレビの中の騎士がたった一日で塵屑に思えて仕方ない。
皆の為に魔物戦いますよーなんて笑顔でインタビューに答えるアイドル面のアイツ等からは、そことは縁遠い所にいる筈の明司の憂いの百分の一も感じられなかった。
自分が死ぬなんて少しも思ってない、魔殿を舐め腐っている。
ソル自身、魔殿がどんなものなのかなんて知らない。
だけどたった一日で考えを大きく変える位、憧れた筈の奴等は薄っぺらだし同年代の少年は狂的なまでに真摯だ。
――――騎士になるぞ!
そう安易に口にした言葉を撤回したかった。
なる事を止めたくなった訳じゃない。自分一人で騎士になって、向う見ずを呪いながら一人でおっちぬべきだったのだ。
薄っぺらですっかすかな言葉をあの乗り気じゃなかった友達に投げ掛けた自分を、それこそ針一本血管にぶっ刺す位じゃ気が収まらない位許せなかった。
誘うべきじゃなかった。
どんなに有益であっても、渋った時点で引くべきだった。
どうしてもならしょうがないと言った明志の顔は死に場所を決めた奴のそれだと、死にかけてみて理解して、決意がまるで足りていないと思い知らされた。
ソルは言葉を撤回したりなんかしない、諦めたりなんかしない。
それは侮辱だ、自分達の言葉で決めた友達へのこの上ない侮辱に他ならない。
故に薄っぺらな分かってなかった男の発言を、英雄誕生のきっかけに変えてやると決めたのだ。
「けど前に進まなきゃいけないんだし、やるしかねーけど」
「そうだね、互いが互いを刺しても良いけど、また自傷前提の稽古が無いとは限らないんだし」
何が出世払いだ笑わせんな、命の対価なんて有りはしねぇ。
最低でも、自分が未熟故に庇われて明志が死ぬなんて事だけは有り得ない。
そんな結末だけは許容できない。
「じゃあ……行くぞッッ!」
「同時にやる意味は無いけどね」
「何言ってんだ! どっちが早く出来るか競争に決まってんだろッ!」
「……へぇ、でも『流』の制御は私の方が上だったけど」
「そうだな、だからこれは俺が勝つッ!」
「わかったよ、じゃあ競争だ」
針を袋から取り出し、力を入れ過ぎて掌を貫通させない様に深く握る。
細菌とは無縁な綺麗な針だ、消毒液とかそういう理解の及ぶ物ではなく、魔法によって清潔を保たれているだろう事は針が入れられた紙袋に刻まれた呪印を見ればそれがどういうものかは別にして一目瞭然だ。
「罰ゲームとか付ける?」
「じゃトータルで負けた方は好きな奴に告るっつー事で」
「…………ソルって色恋とか分かるの?」
「舐めんな。俺は幼稚園の頃から亜里沙に首ったけだ」
家が近所で、それこそ赤ん坊の頃からの付き合いだった。
誰もが羨む絶世の美女ろいう訳じゃない、何処にでもいる田舎者の村娘。
しかしソルにとってはずっと一緒に居て欲しいと思う女の子である。
小さい村だ、関係性を拘らなければずっと繋がりは消えないだろうが一歩進んだ関係になりたいと思う歳になったのだ。
「えぇ!? そうだったの!?」
「この鈍感野郎め、明志なんて微笑まし気に遠目で眺めつつ背中を押してくれてんだぞ」
具体的に言うなら初恋の孫を見守るおじいちゃんみたいな目だけれども。
あいつは何であんな達観した目をしているのだろう、色恋沙汰に興味がないというよりは、色恋沙汰はもういいかなと思ってる奴の立ち振る舞いである。
見る分には良いけれど、自分でやる程の元気はない的な。
「……でも亜里沙ちゃん、私にご執心だけど」
「ぶっ飛ばすぞお前!? てかそういうお前はどうなんだよ!」
亜里沙が、というより同年代の女子の大多数が綾小路に首ったけである。
金持ちでイケメンで気遣いが出来て弱点が無い。
ソル自身、そこまで色事に興味がある訳ではないが、幼少期から続くほのかな恋心を抱く相手が目の前のイケメンに掻っ攫われる様は気分が良い訳ない。
明志じゃあるまいし笑いながら凄いなーなんて言える訳がねぇ。
「私かい? 別に負けないし関係ないんじゃないかな」
そして、これである。
負ける気なんて欠片も無いという立ち振る舞い。髪をかき上げキラキラ笑う。
明志にはいずれ必ず追いついて見せるが、現段階でほぼ互角なコイツは絶対ぶち抜くと決めていた。
必要だから声を掛けたが、恋愛云々を別にしてもソルは綾小路を快く思っていない。
何故ならいけ好かないから。
「――――上ッ等だァ! テメェの為にロマンティックな舞台を用意してやっから覚悟しやがれ!」
「それは良い。そのまま君の告白場所に転用出来るから無駄にならない」
売り言葉に買い言葉で互いに火が付いた所でおのずと掌へ視線が行く。
そしてそれは綾小路も同様だ、水と油というより火と油。
掛け合わせたら燃えるのみである。
「じゃあ今度こそ行くぜ」
「いっせーの!」
そうして二人揃って針を掌に振り下ろした。