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そのきっかけは小五の社会の授業だった。
内容は日ノ本史で、戦国武将が魔殿と如何にして戦ったかというものだ。
魔殿と戦うと言うのは比喩表現でも何でもない、魔殿は明確な敵意を持って日ノ本の民に襲い掛かり、日ノ本の歴史はこれと切り離して語れない位長い期間これと戦っていた。
『魔殿』というのは端的に言ってしまうと魔物の巣だ。
『魔なる者共の巣食う宮殿』を縮めて『魔殿』で、ネストは侮蔑の意味も籠った呼称だ。
だから有り得ざる事だがもしも魔殿との融和が成った日には差別用語として登録される事になるだろう。
閑話休題。
その性質は千差万別。前触れ無く突如として出現する事と、必ず一体魔物の王が存在する事以外に一貫性が無く、地域によって出現頻度もまるで違う。
研究者曰く、『魔殿は此処と違うルールを持つ小さな別世界』であり、何故魔物が人間を襲うのかは生存本能に由来するのではないかという事らしい。
実際、魔殿によっては物理法則とかが全く違うのもザラにあるらしい。
日ノ本の魔殿に関して言えば、世界のルールにそれ程の差は無い。
が、その脅威度は世界的に見ても最恐。
紀元前より存在し、今日に至るまで打倒出来ていない世界唯一の魔殿である。
日ノ本での戦いの始まりは縄文時代に遡る。
邪馬台国の女王であった卑弥呼がその脅威を予知した。
それは昭和初期に至るまで猛威を振るう、今でいう所の『魔殿』であり卑弥呼が建国の大義として掲げた脅威。
名を、『天津・穿チ貫ク鎗搭』という。
333mにも及ぶ巨塔が突如大地より出現したのは卑弥呼の予言から三年後の事。
脅威を予知し、事前に備えて尚魔殿より這い出る魔物共との戦力差は歴然だった。
戦いは常に防衛だった、攻めに転じるなんてとても出来ないジリ貧状態だった。
出現した『天津・穿チ貫ク鎗搭』と距離がある土地に国を構えていた為に何とか食らいつけている状態で、卑弥呼を含む数人の英雄が居なければ現代の日ノ本の状況は存在しなかったと言われている。
日ノ本の民はそういう絶望的な戦いを、弥生、古墳、飛鳥、奈良時代と続け、平安時代に漸く攻撃に転じるに至る。
その要因は、武士の出現である。
理由は現代においても解明されていないが、一万年以上の時を経て、それまでの時代で英雄と持て囃された戦いの素養を持つ人間が大勢生まれたのだ。
大きな力を持つ一個人だった英雄が群れを成し、今迄蹂躙されるばかりだった魔物を領土を拡大した。
しかし、それでも『天津・穿チ貫ク鎗搭』には敵わない。
その巨塔に近づけば近づく程に魔物共は力を増し、今迄脅威に思っていた奴らが相手からして見れば下っ端に過ぎないと知らしめられた。
だが、戦っている武士という人種はそこで諦められないからこそ過去で英雄と呼ばれてきた。
俺じゃ勝てない? じゃあ次だ。
後へ繋げ、今迄ずっとそうしてきたように、俺達は絶滅するまで負けじゃない。
俺が死んでも、俺の子供がお前を殺す。
それはある種呪いであり、祝福だった。
ヘドロのような憎悪とマグマの様な決意を汲み取る様に、武士の子は武士だった。
故に武士の中から更に特出する存在が出現するまでに今度は百年すら待つ必要は無く、室町時代中期からはそういう超越者達が各々国を立ち上げて『天津・穿チ貫ク鎗搭』に挑むに至る。
超越者のが多く出現した江戸時代までの期間を、戦国時代と呼び、俺が今正に剥げ散らかった教師からご高説賜ってるのはこの辺の歴史の事。
歴史の授業は究極的に何処まで行っても『人類は魔殿と勇敢に戦いました』に収束され過ぎてて退屈が極まっており、少し前までは机に片肘ついて半分位寝てた位だったが話が戦国時代に差し掛かった辺りで頭に得も言われぬ不快感が現れ始め、今日の授業で漸くその理由が氷解する
(あ、僕転生してたわ)
フラッシュバックする欠片も記憶に無い筈の景色や人、知識。
自分では無い筈の男一人の人生が自分の事であるという感覚と懐かしさからくる焦燥感が十年弱しか生きてない脳内を満たしていく。
ただ、タイミングが社会の授業中で昨日見た携帯小説が異世界転生モノだったから中二病に目覚めただけの可能性も否定できない、言ってしまえばただ白昼夢を見ただけ的な。
普通に考えて、そっちの可能性の方が高い。てか間違いなくそっちだろ。
魔法とか当たり前に存在する世の中だけど、輪廻転生とか実証されてないし前世の記憶持ちとか聞いたことも無い。
個人的な主観でモノを言わせてもらうなら、こういう考え方を出来るのは俺が10年弱で培った常識を踏まえた上で、前世の精神年齢でモノを考えているから安易に周囲へ言いふらそうとか微塵も思わないし、軽率な立ち振る舞いで忌み子扱いは避けたいよ考えている訳なのだけれども。
少なくとも十秒前までの俺なら間違いなくかましてたと断言できる。
(でも、本当に転生とかいう素っ頓狂な状況になったか確かめるにはどうしたら良いだろう?)
取り敢えず、授業中に出来る事は無い……というかやるべきじゃない。
あくまで主観でモノをいうけれど、勉学に勤しめる環境が整っていて勉学に勤しまない馬鹿はくたばれば良いと思う。
つまり、二十秒前迄の僕はくたばれ。
そんな訳でその日の放課後、友人達の誘いを断り一人になれる森の中で解明手段の模索を再開する。
ちなみに、授業内容は前世の僕も頭はよく無かったのでどれもこれもちんぷんかんぷんだった。
今更聞く姿勢を取ったとて、元々碌に授業を聞いていなかったせいで真面目に授業を聞いても何が何だか全然分からなかったのだ。
教科書を一ページ目から読み返さなきゃ駄目そうな勢いだけれど、下手すると年単位で遡らなきゃ駄目かもしれない。
閑話休題。
(取り敢えず、僕が何の予備知識も無く出来ない筈の事が出来れば転生したって証明になるのではないだろうか?)
また主観になるけれど、僕からすれば本来出来る筈の事が出来なくてもやるというか気持ち悪くて仕方がないので、それの解消になるから一石二鳥だし、別に悪い事をする訳でも無い。
そんな訳で、コンビニで少年誌を買う位の気軽さで生死を彷徨うレベルの修行を開始した。
その修行のえげつない所は、やり方が廃れたのか周囲が行動の意図を理解出来ず、危険であると分からないせいで止められる事の無い事だ。
食べている時も、寝ている時も、授業を受けている時も、二十四時間所構わず特殊な呼吸法の訓練を行いつつ、出来る筈でも体が知らない動作の反復や、今と昔の体の相違点を洗い出し。
一歩間違えれば死ぬ様な事を血反吐を吐かない事で周囲を誤魔化して繰り返す事三年。
恐らく赤坂達に見られたのはこの辺だろう。
(僕は、転生した)
そう確信に至る。
前世と比較して能力的に遜色が無いどころか、終生で培った経験を持ったまま肉体が若くなったので間違いなく今の方が強い。
ここまで長かった、途中何度もここまで出来れば転生したって言えるよな? とか思って何時辞めてもおかしく無かったのにここまでちゃんと頑張った。
なんで途中日和そうになったかと問われれば、必要性が無いからだ。
現代社会に置いては武士だからと言って『魔殿』に挑む必要は微塵も無く、俺自身その気がない。ある程度出来るようになった段階で出来る筈の事が出来ない事による不快感はほぼ無くなっていたし、死ぬ思いをしてまで全盛期の力を取り戻す必要が何処にあるというのか。
いや、実際無いのだ。だから綾小路も勘違いした。
でも、やり切った。
学校の勉強にも、漸く追いついた。
そう結論づけたのは中二の夏休み、宿題を正解率は兎も角初日に内に教科書とノートとにらめっこしながらだが終わらせる事が出来た時だった。