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これは僕、瀬良明志が家の縁側で寝そべり風に当てられた風鈴の音色を聴き扇風機に当たりながら、夏とか長期休暇とか平和とかを一身に満喫していた時の事。
玄関の方でインターフォンが鳴ったけれど、今日は偶然にも僕一人しか家にいなくて本当は出なきゃいけないんだけど此処から一歩も動きたくなかったので居留守を決め込んで再度微睡に身を任せようとしていたら、聞き覚えのある声に叩き起こされた。
「騎士になるぞ!」
不快さを隠さず、訝し気に目線だけを庭へ向ければ傾いた髪型の友人が眼前で仁王立ちしている。
「なれば……」
それだけ言って目を閉じた僕は何も悪くないと断言できる。
何故ならそういう意思表明は僕に対してではなくご両親にすべき事だからだ。
「明志もやるぞ!」
「はぁ……? 何でさ、やんないし……」
いやまあそれと同時に、主語が無くともこれが勧誘であった事は何だかんだ長い付き合いなので分かっていたけれど、此方の全く興味がそそられていない様を見てその気が無い事を察し、無言のままに立ち去ってくれる事を期待してみたが案の定無駄だった。
この、空気の読めない傾奇者は矢神ソル。
因みにソルは漢字にすると『太陽』で名前まで傾いている、読めんわ。
由来はその真っ赤な赤髪らしいが、それなら普通に『たいよう』で良かったのではと思うが、彼のご両親的には譲れない拘りがあるらしいし、生れてからずっとその名前なので本人も気にしちゃいない。
ところで、子供として括られる人間が村全体で十六人しかいないこのド田舎において同年代は皆友達みたいな風潮があるけれど、それは間違いだと思う。
どんなに小さいコミュニティーでも、馬の合わない奴は合わないのである。例えば目の前のソル見たいに常時興奮状態が持続してるような奴にはついていけない。
だけどなんか相手さんは友好的というかぐいぐいくるというか……そういう事ってあるよね。
「聞いて驚け、俺の将来設計は……完璧だッ!」
「その前に僕の話聞けよ……」
そもそも露骨に聞く気がありませんよーって風に縁側に寝そべったまま目も半開きな僕の心に響く言葉なんてあるだろうか? いや無い(反語)。
「まず俺達で騎士になるだろ? 魔物をぶっ倒しまくるだろ? ゆくゆくは魔殿を討伐し、英雄になるッ! ……サイコーだろ?」
「お、おぉう……」
言葉が出なかった。
それ、将来設計じゃないよ。
「どうだ、この話……乗るしかないだろうッ!」
「やだよ」
「何……だとッ……!?」
一欠けらも乗り気なところを見せてないのに驚愕されたでござる。
「一体何が、不満なんだッ!」
「端的に言うと、騎士になるのがもう嫌。何が悲しくてこの平和な世で態々命懸けのお仕事に就かなきゃいけないのかがもう謎。僕はこの村で畑を耕しながら縁側でぐーたらする一生を送るって決めてるんだ」
「中学生の癖に仕事に疲れて田舎に帰って来たサラリーマンみたいな事をいうんじゃねぇ!」
『騎士』
これは西洋で過去に魔殿と戦う事を生業としていた人たち、自由騎士を語源とする現代の日ノ本における魔殿に挑む変人を社会的な立場とした呼称だ。
日ノ本の業種なのに騎士とは西洋被れも甚だしいと思うけれど、昨今は片仮名言葉の業種もわんさかあるようなので別段おかしい事でもないのだろう。
この業種、自転車操業で命懸けの殺し合いをさせられる軍隊よりも危険で給料も安定しないブラックオブブラックなやりたがる奴の気が知れないアレである。
でもマスメディアに踊らされたアホしかやらないのかと問われればそんな事もなかったりするんだよな……。
「……フッフッフ、それに口じゃそう言うだろうとは思ってたが俺は分かっているぞッッ!」
絶対何も分かってないと思う。だってやる気が無いのを全身で表現する現代アートになってるのに勧誘を止める気配が微塵もないし。
「明志も本当は騎士になろうと考えている事をッッッ!」
やっぱり何も分かってなかった、なりたくないわ。
「証拠は既に上がっているぞ。――そうだろ、綾小路ッッッ!」
綾小路、お前もか
何処に隠れていたのか――――いや、僕が碌に目を開けず、目の前のソルしか視界に居れていなかっただけか……いや、それは兎も角。
綾小路が居るなら仕方がないので体を起こし、庭全体を見回せるくらい視野を広げてみれば何時も通りの超絶イケメンっぷりでそこに居た。
「おはよう、明志」
「……おはよう、綾小路。……で? 証拠って何さ」
綾小路紫苑、日ノ本の人間では珍しい金髪紫眼で、背に少女漫画的表現の薔薇を幻視する程の美少年である。名前の由来はその菫色の瞳だと聞いた。
家はこの辺一帯の大地主で、政界での強い影響力を持つお家柄らしい。
僕の勝手なイメージだが、絵本の中の王子様っていうのはきっとこんな感じなのだろうと思う。
品行方正、眉目秀麗、成績優秀、スポーツ万能。当たり前の様に女性受けが良く、これで彼女が男であったら二児であっても次期当主は彼女になっただろうともっぱらの噂だ。
「実は森で君が剣の稽古をしている姿を偶然目撃してしまってね」
「…………。……偶然?」
「偶然だとも」
確かに僕が森で木刀を振るっていた時は有った、けど安全面を考慮して偶然人と出会うような浅い所ではやってない。
まあ是が非でも見られまいとしていた訳でもないので周囲警戒は怠ったけれど、それでもあの広い森の中で見られるとしたら俺の後を付けるしか手はない。
「……まあいいや。それで、それがどうしたの」
「いやいや、あれだけ苛烈な訓練を毎日の様に熟す目的なんて限られているだろう?」
「ズバリ! 騎士になる為の修行ッッ!」
「いやあれは……」
理由を言語化出来ずに口ごもる。
いや、端的に言う事は容易いのだけれどもそうすると間違いなく頭のおかしいやつ扱いを受けるので言いたくないというのが適切な表現だろうか。
「……あれはそんなんじゃない、なんやかんやあっただけだ」
「なんやかんやあっただけ」
「そ、そう。なんやかんやあっただけなの」
だから、説明が成り立たなかったのは致し方ない。
そう、致し方ないのである。
「それに僕はこの縁側ぐーたら生活を止める気はない。わるいけど縁側の無い所で生きる気はないんだ」
日ノ本最大にして唯一の魔殿は都心であるトウキョウにある。
そんな所で暮らすとなれば否応なく家賃が比較的安いアパート暮らしとなるだろう。
僕はそんな所で暮らすより、此処で畑を耕しながら縁側でぐーたらしたい。
「そう言うだろうとは思っていたよ、故にその点に関しては何の心配も無いと言っておこう」
「え」
「最近、トウキョウに住んでいたうちの親戚が一人亡くなってね。妻子のいないその人の家を親が処理する事になって、そこを使わせて貰う事の許可を取った」
「そうなんだ……」
「実物を見てはいないけど、平屋で3人でルームシェアするにしても十分な広さがあり、縁側もちゃんとある。ご老人の独り暮らしで、庭とかは荒れ放題らしいが、立地は悪くないし管理費も当分は親が持ってくれる。騎士になって稼いだら最終的にはそこを買い取っても良いだろう」
「ほぉん……」
「そこまで駅近、とはいかないらしいけど、コンビニ位は普通に近場で揃ってるらしいよ? 明志の好きなコンビニスイーツが手近になるのは魅力的なんじゃないかな?」
「おぉぉ……!」
クッ……! 流石綾小路汚い。親のコネと僕の習性を100%利用した完璧な布陣を用意してやがった……!
住処というのは、動物にとって重要なものだ。
今より更に条件の良い所に引っ越せるとなれば引っ越したくなる性を持ち、それだけで将来を決める選択をしてしまっても何もおかしくはない、言ってしまえば恋愛と同列の欲求としても過言ではなかろう。
コンビニまで自転車で二時間という立地を脱却し、尚且つ縁側がある。
あまつさえカラオケとかも普通に行けるようになっちゃうかもしれない。
少なくとも僕にとっては無視できない条件だ。
「加えて明志には、庭弄りと縁側の独占権をあげようじゃないか」
「うぐぅ……! 綾小路まで何でそんなに乗り気なんだ……てっきりソルの思い付きに付き合わされてるだけだと思っていたのに……!」
「まあ誘われたからっていうのは否定しないよ。だけど元から興味もあったしね、この辺には高校もないからどの道出なきゃいけなかったし」
「……けどソルと二人は不安だから僕を巻き込もうって?」
「いやいや、そんな浅い理由じゃないよ。明志を引き込めないなら騎士になるのは二人揃って諦める、少なくとも私はそういう気持ちでここにいるよ」
「え」
「言っただろう? 明志が剣を振ってる姿を見たって。なろうとする段階であの位出来なきゃお話にならないって現実を私達はもう理解してるのさ」
剣を振っている所、という表現だったからてっきり素振りしている所を見られたのかと思っていたけれど、どうやら思いの外ガッツリ見られていたらしい。
「俺は、いや俺達は騎士になるッッ! だから明志にはその為の修行を付けて欲しいと思ってるッ!」
「期間は中学卒業までの後一年半を見てる。明志は私達に才能が無いと思ったらそこで切り捨てて貰って構わないし、授業料は何らかの形でちゃんと支払うよ」
「出世払いでなッッッ!」
二人の目には決意が宿っていた。
軽い気持ちでは言っていない、僕が断れば綾小路は間違いなく騎士になるのを諦めるだろうし、ソルでさえも考え直すかもしれない。
決意させたのは恐らく僕の安易な行動だがしかし、本来であれば何の責任にも繋がらない自己責任の範疇に納まるもので、僕の今後を左右させるには足らないものだ。
故に、僕は尋ねる。
「――どうしても?」
二人をまっすぐに、ちゃんと見る。
少しでも躊躇いがあったなら一時の感情と切って捨てて、今日という日は何事も無い何時も通りだったと何も無かった事にして縁側でぐーたらするのを再開できるように。
しかし。
「どうしても、だッ!」
「どうしても挑戦したい、それで死んだって本望だ。いいや、むしろ僕は魔殿で死にたいとさえ思ってる」
それを嘲笑う様な即答と決意。
こうなってしまっては眩しさに目を細めながら、僕はこう答えるしかない。
「……どうしてもならしょうがないなぁ」
嫌々も嫌々だ。何が悲しくてあの地獄へ行かねばならないのか疑問でしょうがない。
しかも大義すらない金の為に。人が価値を認めなければ紙切れや金属片でしかない物への対価には見合わないと少なくとも僕は思うし、本当はトウキョウでの住処なんてどうでも良い位行きたくない。
ただの学校の同級生でしかない奴等のお願いを聞いて死地へ赴くなんてどうかしている。
しかし、僕を年長者としたならどうだろうか。
子供達が僕の行動に感化され、将来を見据えた。しかしながら僕はそんなものは知らんと切り捨てる。
否だ。そんな事、罷り通りはしないだろう。
「……分かった、良いよ。今から中学を卒業するまで僕の課す稽古を熟して、僕が二人のご両親に自信をもって彼等は立派な武士だから何の心配もいらないと胸を張れるようになったなら。僕は二人と一緒に騎士とやらになる」
ソルが雄叫びを上げ、綾小路から歓声が漏れる。
二人の目から見て僕はちゃんと決めたように見えているだろうか。
例え見えていなくても、僕は決めた、ちゃんと決めた。
僕はもう一度、『魔殿』と戦う。
「……そういえば聞きたかったんだけど、明志は一体どこであんな動きを教わったの?」
「……通りすがりのおじさんから習った」