【中】
駐輪場の自転車を取り家路につく。辺りはもうすっかりと日が暮れていて街頭がポツポツと控えめな光を放っている。
いつも通りの、見慣れた光景。
けれどその中に、異物はあった。
それは昨日までは無かった筈の不気味な黒い鳥居。
神社には人間の理解の埒外の存在が祀られるものだけれど、この見た事のない神社は埒外の更に埒外……言うならばこの世界の深淵そのものが棲んでいるような気がした。
何となく興味を惹かれてそちらに向かうとそこには『鳴海神社』と書いてある事が分かった。
覚えのない名前に眉を顰めていると、先程と同じ声が聞こえて来る。
『いらっしゃい、雨宮静香。ようこそ、『鳴海神社』へ』
その瞬間、ザァッと生暖かい風が吹いた。
『僕は鳴羅門火手怖。この『鳴海神社』に棲まう笑いの神様さ』
気付けば目の前に一人の中性的を突き詰めたような人物が立っていた。
その美貌をレオナルド・ダヴィンチが見たならばきっとモナリザのかわりにこの人物の絵を描いたに違いない。
「鳴羅門……火手怖?」
『そうさ。僕が君の神様だよ』
そう言うと鳴羅門火手怖は薄く笑う。
ずっと夢見ていた私だけの神様。その到来に身体が喜びに打ち震えた。
これで少し生き易くなるのかな、と。
『今日はね、生き辛そうな君の為に撮っておきのプレゼントを用意したんだ。受け取ってくれるかな?』
一も二もなく首を縦に振る。すると私の神様は笑みを深めながら私の手に自分の手を重ねた。
『これが僕から君へのプレゼントさ』
私の手に乗っていたのはーー一つのスイッチだった。
しかもボタンの部分にはアニメで時たま見かける所謂『自爆スイッチ』に酷似したドクロマークのプリントがされており、何とも気が抜ける見た目をしている。
『これは『自罰スイッチ』。僕が君の人生を楽しいものにすべく生み出した特注品さ。僕の加護とかを色々ありったけ詰め込んだ逸品だよ』
どうやらこの手の中にあるものはとても凄いものらしい。
けれど、『自爆』では無いのが気になった。
『ああ、『自爆』じゃないよ。勿論ね。これはもっと良いものだ。これはねぇ……押すと、死を疑似体験出来る代物なんだ』
「死を……疑似体験?」
『そう。試しに一度押してみてよ。話はそれからだ』
促されるままドクロマークを強く押し込む。
すると、身体が一気に冷えて、心臓が握り潰されたみたいに苦しくなって、全身が痺れて動かなくなってーー。
「ッ!?」
しかしそれは一瞬の事。
次の瞬間には元に戻っていた。身体は傷付いていないし、心臓の音がうるさい事以外はいつも通りになっている。
『どうかな。一瞬だけ死んだ感想は』
「私……死んだの?」
『そ。君は一度『死』を体験したんだ。まぁ、体験しただけだから死んでは無いんだけど。どうだい? 『自罰スイッチ』君にピッタリだと思うんだけどなぁ』
「どう言う事……ですか?」
『君、いつも『生きていて御免なさい』って思ってるよね。生きている事そのものを罪だと思っているよね。だから僕は罰を用意したのさ。君が自分を許せるようにね。罰を受ければ罪は許される。つまり、死にたくなったらこのボタンを押せばいつでもどこでも君は死ねるんだよ』
罪には罰を。それは酷く当然な事だ。そして理解する。嗚呼、私にはこれが足りなかったのだと。
『気に入ってくれたみたいだね。ただそれはクオリティにこだわるあまり半年しか効果が持続しないんだ。だから半年が過ぎたらまたここにおいでよ』
「は、はいっ!」
生まれて初めてだった。生まれて初めて何かを楽しみにした。
きっとこのスイッチがあれば私の生活は劇的に変わる事だろう。
無能な私でも、生きる気力が沸いてくる筈だ。きっとそうなる。
『それじゃあ、その時が来るのを楽しみにしておくよ。じゃあね、雨宮静香』
そう言うと私の神様はケタケタと心底楽しそうに笑った。




