最終話 神々が恋した幻想郷
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
踏み込んだ脚が、がくりと折れ曲がった。
膝に力が入らない。疲労もダメージも、限界である。
紅美鈴は、無様に尻餅をついていた。
ほぼ同時に、凄まじいものが頭上を通過して行く。
光の剣。フランドール・スカーレットによる、横薙ぎの斬撃。
尻餅が、回避になっていた。
このような偶然ではなく、自力でかわせるようになるまで、自分は果たして生きていられるのだろうか、と美鈴は思う。
「……私もね、悪運の強さだけは咲夜さんに褒めてもらえるんですよ」
無理矢理に微笑みながら立ち上がり、後退しつつ身構える。
光の斬撃が、なおも立て続けに襲いかかって来る。
美鈴は気力を振り絞った。両手が、気の輝きを帯びた。
光まとう左右の手刀で、光の剣を受け流す。捌く。
捌く角度を僅かにでも誤れば、美鈴の両手は砕けて消える。
歯を食いしばりながら、美鈴はさらなる後退を強いられていた。
フランドールが、ただひたすら光の剣を叩きつけて来る。
可憐な美貌には、相変わらず表情がない。
美鈴に対し、特に敵意も憎悪も燃やす事なく、人形のような少女は機械的に荒れ狂って剣を振るう。
弾幕の塊でもある刃が、様々な角度から美鈴を切り刻みにかかる。
荒れ狂う斬撃を、刺突を、かわし、受け流し、捌きながら、美鈴は思う。
人形が暴れている、と。
この少女が人形ではなくなるのは、レミリア・スカーレットに対してだけなのだ。
愉しげに、幸せそうに微笑みながら、フランドールは姉レミリアを叩きのめし引きちぎっていたものだ。
(……あれは、恐いですよねレミリアお嬢様。恐くて、痛くて……だからもう、紅魔館に戻って来ちゃあダメですよ)
この場にいない令嬢に語りかけながら美鈴は、さらに1歩、後退を強いられた。
後退した左足が、地面を踏み損ねた。
下半身の疲労が、やはり限界に達している。美鈴は、よろりと転倒していった。
よろめきが、転倒が、またしても回避になった。
フランドールの小さな左手が、美鈴の腹部の辺りをかすめたところである。
転倒があと一瞬でも遅れていたら、少女の愛らしい五指は、美鈴の身体に突き刺さっていただろう。
藤原妹紅の死に様が、美鈴の脳裏に蘇った。
「さすがに……妹様、それを喰らって差し上げるわけには」
いくらか勢いの余ったフランドールの身体を、美鈴は抱き締めた。もろともに転倒していた。
「いきませんよ……って、まあ私が自力でかわしたわけじゃあ、ないんですけどね。またしても悪運発動です」
人形のような少女の、小さな身体の感触を、美鈴は全身で受け止めていた。柔らかさを、可憐さを。
この小さく可愛らしい肉体は、しかし恐るべき破壊の妖力の塊なのだ。
「凄い……可愛いですよ、妹様。こんな、とんでもない破壊力なのに……」
倒れたまま美鈴は、フランドールを抱き締めていた。
「こんな、馬鹿みたいに強い妖力の塊……普通はね、出来損ないのドラゴンみたいな、でっかくてグロテスクな化け物にしかならないんです。だけど妹様は、こんなに小さくて可愛い……うっぐ」
フランドールが、美鈴の身体を踏みつけて立ち上がった。
澄んだ、真紅の瞳が、美鈴を見下ろしている。感情のない、人形の眼差し。
可愛い片足が、美鈴の鳩尾を圧迫している。
このまま自分は死ぬのか、と美鈴は思った。
「ねえ妹様……殺す時くらいは、ちょっとでも感情剥き出しにしてみません?」
そんな美鈴の言葉に、フランドールは応えない。美鈴を、もはや見てもいない。
人形の美貌が、夜空を見上げていた。
きらきらと、青く冷たく輝くものが、そこに浮かんでいる。
「や、やあ……あたい、あんたとお話してみたかったよ」
氷の弾幕をまとった、チルノである。
美鈴は、目と耳を疑った。
「と、とりあえず、美鈴をいじめるのは、やめて欲しいな」
「チルノ……馬鹿お前、何やってる! 来るな、帰れ!」
叫ぶ美鈴を踏みつけたまま、フランドールは氷の妖精を見上げている。
(くそっ、今日は確かに悪運続き、だけどこんな悪運は求めていない!)
おかしな命拾いが、今日は続いている。
自分の、幸運が高まっている。あるいは、不幸が取り除かれている。
そんな、わけのわからぬ現象が起こっているのか。そうでなければしかし自分など、とうの昔にフランドールに殺されている。
思いつつ、美鈴は見た。いや、目の錯覚であろうか。
凄まじい勢いで回転する人影が、視界をかすめたような気がしたのだ。
(お前……私の不幸を、吸い取っているのか……)
いるのかいないのかもわからぬ何者かに、美鈴は心の中で怒声を浴びせた。
(だけど……私の代わりに、チルノが死ぬ……そんな幸運なら要らない、帰れ!)
口では、別の事を叫んでいた。
「妹様、そいつはただの馬鹿妖精です! そんなの構ってないで、さあもっと私と遊びましょう! もっと私を踏んづけて下さい! いやまあ本当は咲夜さんに踏んで欲しいですけど、ってそうじゃなくて馬鹿チルノとっとと逃げろぉおおおおおおッ!」
「あ、あたいには美鈴の方が馬鹿に見えるぞ……」
「全く同感だぜ!」
そんな言葉と共に、星が飛んで来た。
流星そのものの弾幕が、フランドールを直撃していた。
美鈴は、踏みつけから解放された。
吹っ飛んだフランドールが、ふわりと着地する。宝石を生らせた枝、とも言うべき翼が、軽く羽ばたく。
白黒の装いをした少女が、箒にまたがったまま高度を下げて来たところである。
「おい脳みそ筋肉門番。そいつと1対1で戦うなんて、チルノ以上の考え無しだぜ」
「霧雨、お前! 何でチルノを止めなかった!」
「……チルノちゃんは、止められません……」
大妖精が、霧雨魔理沙にすがりついている。
「フランドール・スカーレット……だったな確か。改めて自己紹介をしておく。霧雨魔理沙だ」
魔理沙はひょいと帽子を取り、また被った。
「お前さんを、紅魔館の外へ遊びに行かせるわけには、まだいかない。だから遊びに来てやったぜ」
「……一番の大馬鹿者は、貴女よ」
パチュリー・ノーレッジが、いつの間にか傍にいた。
「部外者は帰りなさい。フランに関しては全て私たち紅魔館が責任を負うと言わなかったかしら?」
「この、ぼろぼろの紅魔館がか」
魔理沙の言う通り、今の紅魔館は崩壊しきって廃屋も同然……いや、いくらかは外観を取り戻している。
美鈴があれから毎日地道に、妖精メイドたちと共に修繕修復を進めているのだ。
そんな紅魔館を取り巻くように、雨は降り続いている。
魔理沙が、気遣わしげに言った。
「パチュリー、お前……起きて、動いて、大丈夫なのか?」
「死にかけの病人というわけではないのよ。まったく、今は美鈴の方が死にそうじゃないの」
フランドールとは比べようもなく非力な細腕が、美鈴を重たげに抱き起こしてくれた。
その様をもはや一瞥もせずにフランドールは、空中で魔理沙と対峙している。
「なあパチュリー……私、霊夢に言ったんだ。紅魔館の連中とは、ちょっと時間かけて付き合わないと駄目だってな」
箒を滞空させたまま、魔理沙は言った。
「言いっ放しで、あとは博麗の巫女に丸投げ……なんてのは格好悪い。だからな、首を突っ込ませてもらうぜ」
「ぐえええぇぇぇ……」
悲鳴を漏らしながら、博麗霊夢は目を覚ました。
布団の中で、凄まじい圧迫感が身体に巻き付いている。肋骨が、メキメキと音を立てている。
子泣き爺にでも抱きつかれると、こんな感じになるのかも知れない。それが本日の博麗霊夢、最初の思考であった。
博麗神社の早朝である。空は、まだ暗い。
布団の中で霊夢に抱きついているのは、子泣き爺ではなかった。
「れ、レミリア……ちょっと起きなさい、放しなさいってば、うぐぐぐぐぐ……」
白い浴衣を着せられた吸血鬼の少女が、霊夢の身体にガッチリとしがみついている。
可愛らしい両の細腕が、メキメキと容赦のない圧迫を加えてくる。
裕福な暮らしをしているとは言い難いが、布団が1人分しかないわけではない。来客用の布団は、近くに敷いてある。
そこからレミリアは這い出して、霊夢の布団に潜り込んで来たのだ。
そして今、博麗の巫女を圧殺せんとしている。
霊夢は、レミリアの柔らかな頬をつまんで引っ張った。丸みのある可憐な美貌を、左右に引き伸ばした。
「起きなさい、こら!」
「うー……」
霊夢に引き伸ばされたレミリアが、涙ぐんだまま目を覚ます。
「れ、霊夢……助けて……フランが、私をいじめに来るの……」
「あの化け物はいずれ何とかしなきゃいけない。だけどね、その前にあんたに殺されちゃうとこだったのよ。まったく、この馬鹿力は」
吸血鬼の怪力をどうにか振りほどいて、霊夢は上体を起こした。
レミリアが、丸まりながら擦り寄ってくる。
その頭を、霊夢は軽く撫でてやった。
「……あんただって充分、化け物だとは思うけど。あの妹には勝てない、か」
「……私……昔から、何をしてもフランには勝てなかった……」
レミリアが呻く。
「スカーレット家の家督を、紅魔館を……だけど私は、あの子に譲ってあげる事が出来なかった……」
「……あんたの方が、お姉ちゃんだから?」
「せいぜい嘲笑うといいわ! 私がフランを上回っているのは……年齢だけ……」
「……紅魔館、取られちゃったわね。あの妹に」
容赦なく、霊夢は言った。まあ、受け入れてもらわねばならない現実である。
「今後どうするかは、ゆっくり考えればいいと思うわ。ここにいたければ、いてもいいし。ただ私を絞め殺すのは禁止よ」
「私……飼われているのね……敵である、博麗の巫女に……うっく、うぇえええ……」
レミリアが泣きじゃくる。
「わかっているわ! 咲夜も、パチェも美鈴も……私を守るために……あんな事を……」
「そう、なのかしらね」
「私……あの子たちに、あんなに心配されるほど……情けない当主……」
「まあ、情けない自分っていうものを見つめ直すのもいいんじゃない。あんたも……私も、ね」
空が、うっすらと明るくなってきた。
レミリアを残して、霊夢は布団を出た。
「霊夢……」
泣いているレミリアに、霊夢は布団を被せた。
これからの時間帯レミリアは、こうしているしかないだろう。
かつて紅魔館の天井の一部であった巨大な瓦礫を、ひょいと担ぎ上げながら、紅美鈴が至極もっともな事を言った。
「ねえ咲夜さん……大工さんとか、雇いましょうよ」
「人里で募集をかけてみたのよ。集まらなかったわ。1人も、来なかった」
咲夜は溜め息をついた。
「紅魔館は……嫌われているし、恐れられてもいるわね」
「まあ自業自得ですよね、私たち」
「いいわ。妖精たちが、よく働いてくれるようになったから」
美鈴と共に、咲夜は紅魔館のエントランスホールを見渡した。
妖精メイドたちが、整然と瓦礫を運び出し、まだ使えるものと捨てるべきものを選別し、道具を用いて壁や柱を修繕し、それが済んだ場所を清掃している。
もちろん、炊事や洗濯といった通常業務をこなしている者たちもいる。
「この子のおかげでしょう、咲夜さん」
妖精メイドの1人を、美鈴が捕獲して抱き寄せた。
「いや本当、お前が来てくれたおかげで助かってるよ」
「えっ、あの」
「私が頭ごなしに命令しても、のらりくらりと怠け続ける妖精たちがね……何故か、貴女の言う事だけは聞く」
言いつつ咲夜は、その妖精メイドの、緑色の髪の房をそっと撫でた。
「大したものよ、貴女。伊達に大妖精なんて呼ばれていないわね」
「あの、私……どうして、こんな……」
「いいじゃないか。メイド服、似合ってるぞ」
美鈴に頭を撫でられながら、大妖精は困惑している。
「どうして、私が……」
「貴女がメイドとして、とても有能だからよ」
咲夜は即答した。
「有能なメイドはね、紅魔館で働くしかないのよ。貴女に拒否権はありません。持てる優秀さを余すところなく発揮して、お嬢様にお仕えするように」
「お嬢様とは……あちらの御方、ですか?」
大妖精が、ちらりと見上げる。
フランドール・スカーレットが天井付近を飛行し、この場にいる全員の頭上を、視界を、超高速で横切って行く。
1人の妖精を、ぬいぐるみのように抱えてだ。
「大ちゃーん!」
チルノだった。
大妖精が、泣きそうな声を漏らす。
「……チルノちゃんは……どうなっちゃうんですか? これから……」
「心配するな、取って食われたりはしない。妹様にその気があれば今頃チルノは、とっくに生きてはいないさ」
美鈴が言った。
泣き叫ぶチルノを、可憐な細腕でガッチリと捕らえ運びながら、フランドールは少しも楽しそうではない。相変わらずの、人形の美貌である。
表情も感情も見せる事なくフランドールは、チルノを決して手放そうとしないのだ。お気に入りの、ぬいぐるみのように。
「あの氷の妖精に、メイドの仕事は全く期待出来ない……だから、ああして妹様の玩具でいてもらう事にしましょう」
「そんな!」
「なあ大妖精、チルノならきっと大丈夫だ。妹様が、ぶちのめしたり引きちぎったりなさるのはな、レミリアお嬢様に対してだけだよ。まあ私も随分やられてるけど」
美鈴が笑う。
彼女を手当てしてやるのも、咲夜の日課となりつつあった。
「妹様は、妖精相手に弱い者いじめをなさるような方じゃあない。私それだけはわかってきたよ」
「美鈴、貴女……妹様に毎日鍛えられて、少しは強くなった?」
冗談めかして、咲夜は訊いてみた。
「とんでもなく頑丈なのは、以前から知っていたけれど」
「そうですね……どうでしょう。試してみないと、わかりません」
美鈴は、天井を見上げた。
「今なら、お前と……少しはましな戦いが出来るかも知れないんだぞ、藤原妺紅……」
「チルノも大妖精も、紅魔館の連中に捕まっちまった」
魔理沙の口調は、それほど深刻なものではない。チルノも大妖精も、深刻な状況下にいるわけではない、という事だ。
「私は1人、無様に逃げ帰ったわけなんだぜ」
「……あれを相手に、あの薬も無しに、生きて帰って来られた。それ以上を望んだら罰が当たるってもんよ」
霊夢は言った。
博麗神社。
境内の掃除をしているところへ、霧雨魔理沙はふらりと現れた。現れるなり、賽銭箱にもたれかかって座り込んだ。
細く嫋やか、に見えて意外と強靱な二の腕に、包帯が巻かれている。
霊夢は訊いた。
「……もしかして魔理沙、傷だらけ?」
「だいぶ良くはなったんだけどな」
魔理沙は微笑んだ。重い笑顔だった。
「なあ霊夢……あのフランドール・スカーレットってのは、正真正銘の化け物だぜ」
「知ってる。私だってね……あの薬が必要なくらいには、ぶちのめされたのよ」
屈辱そのものの戦いを、霊夢は思い出していた。
霊力の全てを、防御に注ぎ込まなければならなかった。回避も出来なかった。
恐怖に縮こまって、固い防御の中に逃げ込んでいたも同然である。
「本当に……私、レミリアを馬鹿に出来ないわね」
「そのレミリアは?」
「昼間だもの。お布団被って、うーうー言ってるわよ」
「すっかり小動物になっちまったんだなあ」
「今のレミリア……下手したら、チルノやルーミアにだって勝てないわね。とても、あの妹の相手になんてならない。だから、次は私が」
「バカな事は考えるなよ霊夢。お前は、まずここでレミリアを守ってやらなきゃ」
魔理沙は言った。
「あのフランドールがな、幻想郷を滅ぼすために暴れ始めたってんならともかく……今はパチュリーが雨を降らせて、あいつを紅魔館に閉じ込めてくれている。そこへわざわざ手を出したって、いい事なんて何もないぜ。私、それを体感してきたばっかり」
「…………」
箒を握り締めたまま、霊夢は俯き、微かに唇を噛んだ。
そこへ、声をかけられた。
「……隙だらけよ、博麗の巫女」
十六夜咲夜が、いつの間にか、そこにいた。
「私が今、声をかけずにナイフを投げていたら。貴女、かわせたかしら?」
「お前……今、時間止めた…?」
魔理沙が息を呑み、咲夜が冷笑する。
「普通に石段を歩いて登って、鳥居をくぐって来ただけよ。声をかけるまで、貴女たち2人とも、私に気付きもしなかった」
「……呆けてたのは認めるぜ。畜生、私お前に殺されてたな今」
「妹様を相手に生き延びた貴女たちを殺すのは、至難の業でしょうけどね……傷の具合はどう?」
「大した事はない、事もないけど何とか動けるぜ。お前ら、チルノたちを虐めてないだろうな」
「怠け者の妖精たちに、勤労の美徳を教えてあげているだけよ」
じろりと、霊夢は咲夜を睨み観察した。
紅魔館のメイド長は、雨が降っているわけでもないのに傘を手にしている。
雨傘、ではなく日傘であった。
「……ちょうどいいわ。お肌の弱いお嬢様が中にいるから」
霊夢は言った。
「それ差して、一緒にお散歩でもしてあげなさいよ」
「……この傘は、太陽が吸血鬼の肉体にもたらす悪影響を完全に遮断するもの」
吸血鬼以外の生物にとっては無用の長物である傘を、咲夜が差し出してくる。
「博麗の巫女……これを、貴女に託します。不要であれば捨てて下さい」
「要らないから、捨てたの?」
とりあえず受け取りながら霊夢は、間近から咲夜を見据えた。
正面から、咲夜が睨み返してくる。
「……もちろん。偽りのカリスマなど、私たちには必要ありません」
霊夢に傘を押し付け、咲夜は背を向けた。
歩み去って行く後ろ姿に、霊夢は声を投げた。
「あんたたちの三文芝居……レミリアはね、とっくに見抜いているわよ?」
咲夜は立ち止まらず、鳥居をくぐり、石段を降りて行く。
見送りつつ、魔理沙が言った。
「……散歩にでも、連れ出してやるか?」
「外に出る勇気が、あいつにあるんならね」
ちらりと、社務所の方を見る。
出る勇気など、なければないで一向に構わない。霊夢は、そう思う。
引きこもっている者を外に出さなければならない理由など、どこにもないのだ。
天国と地獄が本当にあるのだとしたら、俺は死後、間違いなく地獄へ落ちる。
常日頃そんな事を思いながら俺は、人に金を貸し、返せない奴を売り飛ばしたり埋めたりしていた。もはや生き方は変えられなかったのだ。
思った通り俺は、幻想郷という地獄に落ちた。
森川も戸塚も死んだ。生きているのは俺1人……いや、この状態を果たして生と呼べるのか。
死よりも無残な状態で、俺はしかし今、実は地獄ではなく天国にいるのではないか。
そう思えたのは、とてつもなく綺麗な声が聞こえたからだ。
「あの子の封印を解いたのね、藍」
「申し訳ございません……どうやら時期尚早でありました」
「いつかは、解かなければならなかった封印よ」
俺は何人もの、可愛い事は可愛いが好みには合わない娘たちを見てきた。
全員、この幻想郷という地獄に棲まう鬼だった。可愛い女の子の皮を被った、身の毛もよだつ化け物の群れであった。
だが今、俺の目の前にいる、この女性は違う。
目の前と言っても、俺は今や目が見えない。
それでも、はっきりとわかるのだ。この女性は、美しい。
「あの子をね、ずっと閉じ込めておくわけにはいかないのだから」
美しいのは、声だけではない。
俺の、好み……否、そんな下劣な言葉で言い表す事は出来ない。
地獄へ落ちるような生き方を続け、本当に地獄へ落ちた。
地獄の底で、俺はこうして女神と出会う事が出来たのだ。
いや、出会えたとは言えないだろう。女神は俺を、見てもいない。
構わなかった。
宇宙で最も美しい存在が、目の前にある。それだけでも、こんな地獄へ落ちた甲斐があったというものだ。
「しばらくは静観なさい。あの子がその気になれば幻想郷は血の海に変わるけれど、そんな事をする子ではないわ」
「そう、なのですか?」
「スカーレット姉妹は、どちらが欠けてもいけない。共に、この幻想郷に必要な存在」
ちらりと、美しい視線を感じた。女神が、ようやく俺を見てくれた。
「ところで藍……それは、何かしら?」
「紅魔館の奥で発見いたしました。御覧の通り……いえ、御覧になっただけでおわかりかどうか」
「……わかるわ。外の世界の人間ね」
女神が、溜め息をついたようだ。
「博麗神社の結界にはね、どうしても一箇所……何度引き直しても薄くなってしまう部分があるのよ。ある程度の力があれば、普通に出入りが出来てしまう。外の世界での人間狩りを愉しむような者たちも現れてしまう」
「……正直に申し上げますと、気持ちはわかります。外の世界の人間どもは皆ことごとく狩り殺したくなるような輩ばかりでありますから」
人間狩りなら、俺も大いにやった。
借りた金も返せないような連中は、狩るしかなかったのだ。
「貴女はそうよね藍。もしも外の世界に、猫や狐を虐めるような人間がいたら」
「外の世界、幻想郷、関わりなく皆殺しにいたします。そのような輩」
「ねえ藍、貴女はとても強いわ。貴女から見た人間は、人間から見た小動物と同じ……良くても上から可愛がるだけ、悪ければ虐めて殺す対象になってしまう。それはまあ仕方のない事なのだけど」
女神が、俺の近くへ来てくれた。
匂いでわかる。
香水の類で自分をごまかすような女しか、俺は相手にした事がなかった。
この匂いは、本物だ。女神の、本来の芳香。
もはや目の見えない俺にとって、彼女の外見など、どうでも良かった。もしかしたら不細工なのかも知れないが構わない。
この香りは、女神の存在そのものの美しさを証明するものだ。
「……本当は、駄目なのよ藍。人間を、あまり虐めては駄目」
女神の涼やかな声が、俺の聴覚を優しくくすぐる。
女神の芳香が、俺を包み込む。
「特に、外の世界の人間はね……皆かわいそうなのよ。穢れなければ生きてゆけない世界、だから人は罪を犯す。生きている限り、体内に罪を溜め込んでゆかざるを得ない」
身体のどこかから、俺は涙を流していた。目は見えないが、涙腺は生きている。
もしかしたら、涙ではなく小便かも知れない。悦びのあまり俺は今、小便を垂れ流しているのか。
そんな、この上なく無様な俺の有り様に、女神は憐れみの眼差しを注いでくれる。優しい言葉を、投げかけてくれる。
「外の世界の人間たちは皆、罪悪の詰まった袋なのよ……」
幻想郷が、夏草の緑色から稲穂の黄金色へと、模様替えを遂げつつある。
あの紅い霧で日照の遮られる期間が、もう少し続いていたら、ここまで見事な黄金色を今こうして見渡す事が出来ていたかどうか。
「あっ博麗様、その節はどうも」
小径で、1人の農民が声をかけてくる。博麗霊夢は、軽く会釈をした。
「良かったわ、ちゃんと作物が実って」
「博麗様のおかげでございますよ」
「私なんかより、秋神様にちゃんと感謝をしないと駄目よ」
自分はただ、紅い霧をもたらしていた吸血鬼と戦い、これを仕留め損ねただけだ、と霊夢は思う。
「……それとね、魔法の森の霧雨魔理沙にも感謝をしなさい。紅い霧は、あの子が止めたようなもの」
「そこが信じられんのですよ博麗様」
別の農民が、会話に加わってきた。
「あの手癖の悪い娘っ子がねえ、博麗様のお知り合いで、しかもお役に立っているなんて」
「……そう思われるのは本人の自業自得なんだけど」
霊夢は軽く、頭を掻いた。
「まあでも本当、根は悪い奴じゃないのよ」
「箒で空飛びながら、リンゴやら桃やら勝手にもいで行ったりしなけりゃねえ」
農民の1人が溜め息をつき、ちらりと視線を動かした。
「ところで博麗様、その子は?」
1人の小さな女の子が、霊夢の傍らで、日傘に隠れるようにしている。
あの大きな翼は、どうやら体内に収納しておく事が出来るようであった。
それは救いではあるが、と霊夢は思う。この少女が、夏の日照を遮っていた犯人であると農民たちに知られたら、あまり良い事にはならないような気がする。
だから早々に、会話を切り上げる事にした。
「ああ、ちょっと訳ありの子。博麗神社で預かる事にしているのよ。引きこもり気味の子で、外に出る訓練をしているところなんだけど、そろそろ限界だから帰るわね」
農民たちに別れを告げ、少女を伴って歩き出す。
しばらく歩いたところでレミリアが、ぽつりと言った。
「……誰が、引きこもっているのよ」
「別に、おかしな話じゃないでしょ。吸血鬼は、昼間は引きこもっているもの……まあ、そろそろ夕方だけどね」
秋晴れの空を、霊夢は見上げた。日は傾きかけている。
夕刻の日光を遮るための日傘を、レミリアは自分で差していた。かつては瀟洒な従者に持たせていた日傘。
レミリアが、十六夜咲夜から何らかのメッセージでも受け取ったような気になっているのかどうかは、わからない。
とにかく吸血鬼の少女は、見回しながら言った。
「……幻想郷は、良い所ね」
黄金色の田園風景と紅葉との取り合わせに、レミリアは感銘を受けているようである。
「私、幻想郷の支配を諦めたわけではないのよ。この美しい郷を、いずれ必ず私のものにして見せる」
「ほほう」
「私を生かしておいた事、後悔させてあげるわ博麗霊夢。お前もやがて私の足元にひれ伏す事になる! せいぜい命乞いの内容でも考えておきなさい。出来栄え次第では、死なない程度に血を吸うだけで許してあげない事も」
「むっ……出たわね、フランドール・スカーレット!」
霊夢はお祓い棒と呪符をかざし、身構えて見せた。
レミリアが、丸くなった。
霊夢の足元で、頭を抱え身を丸め、震えている。完璧な防御の姿勢であった。
「……ごめんねレミリア、本当にごめん。今のは私が悪かったわ」
霊夢は、日傘を持ってやった。
レミリアは、泣き震えている。
「……殺して霊夢……私を、殺してよう……」
「そんな事言わないで、機嫌直して。ほら帰るわよ」
しゃくりあげるレミリアの手を、霊夢は握った。
この小さな手が、死の弾幕をばら撒き、光の槍を振るい、先程の農民たちなど秒もかからず虐殺してのける。
幻想郷にとって危険な怪物である事に違いはない。それを霊夢は、忘れまいとしている、つもりではいた。
「ねえレミリア。私に殺して欲しかったらね、あの紅い霧以上の事を今すぐ何かやらかしてみなさい。10秒以内。9、8、7……はい時間切れ」
帽子の上から、霊夢はレミリアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「あんたはね、博麗の巫女に殺してもらう資格を失いました。この話はおしまい、以後一切口にしないように」
「うぅ……」
レミリアが、泣きそうな声を漏らす。
「霊夢、私はお前が許せない……フランも許せない……だけど、それ以上に無様な自分が許せない……」
「許してあげなさいよ。私もね、あんたたち危険物姉妹を結局は仕留め損ねた自分を……しょうがない、許してあげる事にするから」
「人間は……図太いわね。そういうところだけは、羨ましいわ」
言いつつレミリアは、俯いていた顔をふと上げた。
前方から1人、歩いて来る。農民か。行商人か。
少女だった。足取りは、ふらふらと弱々しい。
リボンで飾られた長い髪が、どろりと重そうである。その重みに耐えかねているかの如く、その少女は俯いていた。顔が見えない。
見るからに体調の悪そうな、その少女を、レミリアは放っておかなかった。
「ちょっと、そこのお前……」
「駄目」
霊夢はレミリアの手を強く握ったまま、すたすたと足を速めた。
「見ないで。気付かぬ振りをしなさい、レミリア」
「で、でも……」
俯き、前を見ずに歩く少女と、擦れ違った。
今にも転びそうな足取りで歩いていた少女が、転倒した。
レミリアが、霊夢の手を振りほどいた。
「あっこら、ちょっとレミリア……」
霊夢が慌ててかざした日傘の下で、レミリアが少女を助け起こす。
「お前、しっかりしなさい。大丈夫なの……」
「………………厄…………」
レミリアの可憐で力強い細腕の中、少女はどろりと顔を上げた。
どろどろと溶けかかったような顔が、至近距離からレミリアに微笑みかける。
「……とっても高貴で、上品な厄が……あなたから、とめどなく溢れ出しているぅ……ちょうだい、ねえ、私にちょうだぁあああい」
「ひぃいいいいいいいいい!」
どろりとした少女に抱きつかれて、レミリアは悲鳴を上げた。
よくよく見れば、顔が溶けているわけではなかった。
どろどろとしたものが、顔に、髪に、全身に付着しているのだ。垢でもなく泥でもない、もっと穢らわしく禍々しい何かが。
「また、とんでもない量の厄を拾って来たものねえ」
霊夢が、呆れている。
夕刻の博麗神社。
縁側にレミリアは、その少女と一緒に腰掛けていた。
無論レミリアとしては、一緒は御免被りたいところである。どろりとした少女が、離れてくれないのだ。
日傘を、広げて持ってくれている。まあ親切ではあるのかも知れない。
青ざめ震えるレミリアを助けてくれるでもなく、霊夢は言う。
「ちょっと人里を歩いたくらいじゃ、そこまでにはならないでしょう。まさか無縁塚の辺りをうろついていたの?」
「冗談でしょう。私が求めるものは生ける人々の厄。死霊怨霊の類ではないわ」
どろどろとした穢らわしいものが、少女の肌に、体内に、どうやら吸い込まれてゆく。
「私ね、例のあの紅魔館というお屋敷にいたの。あそこは……素晴らしいわ。まるで厄の大海……上質の厄が、とろりとろりと美味しく渦巻いて、ああ……」
厄というものであるらしい穢れの中から、ぬらりとした美貌が現れる。
「ねえ貴女、紅魔館のお嬢様なんですって? 道理で……この、芳醇な厄……」
「れっ霊夢、一体何なのこの妖怪はああぁっ!」
「妖怪じゃないわ。まあ妖怪みたいなものだけど……一応、神様よ。厄神様」
「鍵山雛と申します。よろしくね? 厄の塊なお嬢様」
ぬらりとした美貌が、微笑んだ。
たっぷりと厄を吸収した肌が、髪が、邪悪なほど美しい色艶を帯びる。
これほど美しくおぞましい女性を、レミリアは見た事がなかった。
「厄神様を見かけたらね、見て見ぬ振りをしなきゃいけないのよ」
溜め息混じりに、霊夢が説明する。
「うっかり構うと、厄をもらっちゃうから……でもねえレミリア。あんたって結局、見て見ぬ振りが出来ない奴なのよねえ」
「優しいのね、貴女……」
鍵山雛が、ぬるりと擦り寄って来る。
レミリアは青ざめ、総毛立ち、泣きじゃくった。
「恐い……幻想郷、こわぁい……」
「厄、もらっちゃったわねレミリア。しょうがない、ちょっとお祓いをしてあげましょうか巫女らしく」
社務所の庭で、霊夢が立ち構える。
ぬるぬるとレミリアに頬擦りをしながら、鍵山雛が嬉しそうな声を発した。
「博麗の巫女の……神降ろしの舞が、見られるのね?」
「ここは貴女も含めて幻想郷の神様たちを、十把一絡げにお祀りしている神社……私の舞じゃあ、せいぜい貴女と同格の神様しか呼べないけど、厄払いくらいは出来るでしょ。どうでもいいけどレミリアに厄を擦り付けるのはいい加減やめなさい」
言ってから、霊夢はひとつ咳払いをした。
「……それでは、いってみましょう。博麗神社、秋の神楽舞。稲田姫命も御照覧あれー」
お祓い棒が、ふわりと舞い上がる。
袴状のスカートを軽快にはためかせて、霊夢が敏捷にステップを踏む。
それは、神楽舞という言葉から想像する事の出来る厳かさ、雅やかさとは最も縁遠い舞踏であった。
霊夢は黒髪を舞わせ、しなやかな胴を捻り、時折フィンガースナップを鳴らす。
音楽が、聞こえて来そうな舞である。それも雅楽の類ではない。美鈴あたりが喜んで踊り出しそうな、軽やかで楽しげな曲。
レミリアは目を擦った。幻覚が見えた、ような気がしたのだ。
霊夢の左右で、2人の少女が踊っている。
霊夢と同じように軽快なステップを踏み、柔軟に細身を捻り、指を鳴らし、素早く左右入れ替わったりもする。
「ほら、貴女にも見えるでしょう」
鍵山雛が、レミリアの耳元で囁いた。
「私の友達の、神様たちよ」
「え……あれが、神様……?」
どこかの村娘にしか見えない2人の女神が、霊夢に合わせてピタリと動きを止める。
紅葉の髪飾りと、葡萄が生った帽子。そう分類出来る。
「うっぐぐ……この踊りを見せられると、ついつい出て来てしまう」
葡萄の帽子の少女が、悔しげな声を漏らした。
「博麗の巫女、一体何の用で私たちを呼び出したの!? どうせまたお祭りの見世物とかでしょう! いいわ。農民ども、私たちをちやほやしなさぁーい!」
「落ち着いて穣子。お祭りなら、雛がいるわけないでしょう」
「あらぁ静葉ちゃん、相変わらず酷いこと言うのねえ」
雛が微笑みかける。穣子と呼ばれた少女が、睨み返す。
「ちょっと雛、その子は何よ。人里からさらって来たんじゃないでしょうね? あんたが拾っていいのは雛人形だけ、生身の子供を持って来たら駄目でしょうが」
「待ちなさい穣子……」
静葉と呼ばれた方の少女が、じっとレミリアを見つめてくる。
「……この子、妖怪ね。それも天狗、いえもしかしたら鬼にも匹敵し得る大妖怪。博麗の巫女なら、命懸けで退治しなければならない相手ではなくて?」
「命懸けで戦ったつもりなんだけど退治し損ねたのよ。で、今は休戦中」
霊夢は言った。
「紹介するわねレミリア。幻想郷の、秋の女神様たちよ」
「ふうん、レミリアさんって言うのね。私は秋穣子。豊かさと稔りの象徴よ」
「寂しさと終焉の象徴……秋静葉です。穣子の姉よ」
「姉……」
それは、レミリアの心に突き刺さる単語であった。
「お前……貴女たちは……姉妹、なの……?」
「そうよ、姉妹。ふふっ、生まれながらの腐れ縁ね」
静葉が、続いて穣子が笑った。
「腐れ縁なんて、らしい御言葉ねえ。まあ、終焉と腐敗を司るお姉様が土を肥やして下さるからこそ、秋の実りがあるわけで。感謝はしているのよ?」
「土だけで、作物は実らないわ。太陽の光がないと」
ちらりと、静葉がレミリアを見据える。
「……正直にお言いなさい。この夏、紅い霧で日照を遮っていたのは貴女でしょう? あれがもう何日か続いていたら、今年の収穫が一体どうなっていた事か」
レミリアはしかし、もはや聞いてはいなかった。
「姉妹……うぐっ、ひっぐ……うぇええええ……」
レミリアは、泣き出していた。
「はい、お芋が焼けたわよ」
「…………あり、がとう……」
秋穣子が差し出した焼き芋を、レミリアが小さな口で熱そうにかじり取る。
「……甘い……あまぁい……甘いよう……」
涙ぐむレミリアを、雛が愛おしそうに撫でている。
「ああん素敵、極上の厄が際限なく溢れ出して来るわぁ」
「いいから。あんたも厄ばかりじゃなく、たまにはちゃんとした食べ物を食べなさい」
雛の口に、霊夢は有無を言わさず焼き芋を突っ込んだ。
そうしながら、己の分の焼き芋を喰らう。心地良い熱さと甘みが、口いっぱいに広がった。
「……絶品ね、相変わらず。この神社で売り捌きたいくらいだわ」
「お姉様の焼いたお芋は最高でしょう。うふふ、上手に焼き芋を作る程度の能力よ」
「……いいのよ、無理に褒めどころを探してくれなくても」
秋静葉が微笑んだ。その笑顔が、レミリアに向けられる。
「秋の実りを味わいなさいレミリア・スカーレット。貴女が台無しにするところだった幸せをね、ようく味わうのよ。秋に作物が実る。そんな当たり前の事に幸せを見出せるようになれば……貴女の厄なんて、いつの間にか消えて無くなっているでしょう」
「え……この子の、芳醇な厄が失われてしまうの? それは悲しいわ静葉ちゃん」
「鍵山雛……」
レミリアが、辛うじて聞き取れる声を発した。
「お前、紅魔館にいたのよね……咲夜は、元気だった? 美鈴は? パチェは大丈夫? ねえ……フランは」
「安心なさいな、お嬢様。私がね、これでもかというほど厄を吸収した紅魔館……不幸な事なんて、絶対に起こらないわ。ところで穣子ちゃん、お芋はもうないの?」
「博麗の巫女が全部食べちゃったわよ、もう」
「神様なんだから、もっと私にお恵みしなさい」
「……その分、働いてもらう事になりそうね。もう少ししたら貴女には」
言いつつ静葉が、博麗神社境内を見渡した。いや、幻想郷の秋の風景を見渡している。
霊夢は訊いた。
「……どういう意味?」
「何となく感じた事よ。秋なんて、もうすぐ終わる。その後は冬」
この場にいる、誰にも見えないものが、秋静葉にだけは見えているようであった。
「今年の冬はね、長くなりそうよ……」