表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異説・東方紅魔郷  作者: 小湊拓也
5/9

第5話 魔法少女たち

原作 上海アリス幻樂団


改変、独自設定その他諸々 小湊拓也

 大型の書架が無数、整然と配置され、いくつもの区画や十字路を形成している。

 そんな光景が、際限なく広がっているのだ。

 図書館であった。

 紅魔館という、気軽な立ち入りを許さぬ施設の地下に広がる大図書館。

「人に読ませる気がないって事だよな、まったく」

 魔理沙は箒から降り立ち、書架を物色していた。

 隙間なく並んだ分厚い書物を1冊、抜き取り開いてみる。

「まあ、でもアレか……普通の人間が、こんなもの読まされてもな」

 魔導書であった。魔法使いにしか、読めぬ書物である。

 すでにこの世から失われているはずの言語で、魔法の使い方が記されているのだ。

 気になる部分を、魔理沙は何箇所か抜き出し、小声で音読してみた。

 キラキラと輝く光の塊が、出現してすぐに消えた。

 魔力の光弾。

 これが昨日は無数、湖上に出現して五色の弾幕を成し、魔理沙を大いに苦しめてくれたのだ。

「ふむ、弾幕の撃ち方・初級編ってところかな。チルノに読ませてやりたいぜ。基本から学び直せばアイツとんでもない弾幕使いになれるぞ。まずは字を読むところから」

「冗談を言わないで」

 ふわりとした気配が、言葉と共に魔理沙の背後を通り過ぎて行く。

「ただでさえ手に負えない妖精という生き物に、魔法という力を持たせたら……一体どれほど恐ろしい存在となるか、貴女は魔法使いのくせに想像力が働かないの」

「ほう。妖精って連中を随分、高く評価しているんだな」

 魔理沙は振り向いた。

 細いが、どこかふっくらした感じの人影が1つ、書架で形成された十字路をふわりと曲がって行く。

 細腕で魔導書を抱えたまま、魔理沙は追った。

「そうだよな。よそ者が幻想郷で暮らしていこうと思ったら、まず妖精とうまくやってく必要がある……出来れば人間と仲良くする努力もして欲しいぜ。太陽を隠す、なんて事はしないでさ」

 十字路に立ち、見回してみる。

 ふわりとした人影は、どこにも見えなかった。

 ただ、声は聞こえる。

「どうでも良いけれど。本は、きちんと元の場所へ戻しておくように」

 寝間着、のようにも見える衣服の裾が、魔理沙の視界の隅をかすめた。

「私がこの世で、最も生かしてはおけない存在……それは書物を盗んで行く輩よ」

「盗みはしない、借りてくだけだ。ここは図書館だろ? 本、貸し出してるんだよな」

 ふわりとした寝間着のようなものに身を包む、細身の人影を、魔理沙は追った。

 書架と書架の間を覗き込んでも、しかしその姿は見えない。

 見えぬ何者かに、魔理沙は声をかけ続けた。

「これ、お前が書いた魔導書だよな? 私、読んでみたいぜ」

「……読めるのね、貴女」

 ナイトキャップのような被り物から、豊かな紫色の髪がふんわりと溢れ出している。

 書架の陰で、その髪が揺らめいた。

「私の書いた魔導書から……鍵を、読み取る事が出来るのね」

 鍵。魔理沙が先程、小声で音読した部分である。

 魔法を使うための鍵、すなわち呪文だ。膨大な文章の中に散りばめられており、それを読み取って唱えるだけで魔法が発動する。無論、いささか魔法を学んだ程度の人間に読み取れるようなものではない。

 魔導書と呼ばれるものは大抵、そのようになっている。

「人間にしては油断のならない……いえ。貴女、本当に人間なのかしら?」

「普通の人間の魔法使いだぜ」

 書架の陰を、魔理沙はすぐさま覗き込んだ。誰もいなかった。

「魔法使いはね、魔法が使えるという時点で、もう人間ではないのよ」

 涼やかな声が、魔理沙の耳元を微かに撫でる。

 ふんわりと香る紫色の髪が、傍らで揺らめいた、ような気がした。

 いくらか慌てて、魔理沙は振り向いた。やはり誰もいない。

 声だけが、広大な図書館のどこかから聞こえてくる。

「人間が……魔法を使える生き物を、同じ人間と思ってくれるとでも?」

 迫害されたのか。

 その問いかけを、魔理沙は飲み込んだ。だが読まれた。

「別に迫害を受けたわけではないのよ。人間どもに私を迫害する力なんてないもの」

 ふわりとした人影が、またしても魔理沙の背後を横切った。

「私は、ただ……人間の友達が出来る前に、レミィと友達になってしまっただけ」

「レミィ……レミリア・スカーレットか」

 あの恐るべき吸血鬼と、霊夢が今1対1で戦っている。それを魔理沙は忘れてしまうところであった。

「なあパチュリー・ノーレッジ。魔法の何たるかについて、お前とじっくり語り合いたいとこだけど今日はあんまり時間がない」

「私の名前を……小悪魔が、勝手に教えてしまったのね。まったく、もう」

「あいつは本当に、お前の事を尊敬してるし心配もしている。だから怒らないでやって欲しいぜ。ああ、ちなみに私の名前は霧雨魔理沙だ。それはともかく、レミリア・スカーレットの弱点を教えてくれ」

「レミィの弱点? 言っておくけれど、あの子は弱点だらけよ」

 さらりと伸びた紫色の髪が、魔理沙の目の前で揺れた。

 目で追っても、パチュリー・ノーレッジの姿はすでに消えている。

「五百年も生きているくせに子供っぽくて考え無しで、後先考えず思いつきだけで行動するし」

 遠くにある書架の陰で、寝間着のような服の裾がゆったりと揺れた。

「人使いも荒くて、その思いつきだけの行動に私たちを巻き込むし」

「紅茶は、お砂糖をたっぷり入れないと飲めないし」

「水が苦手で、お風呂は咲夜と一緒でなければ入れないし」

 広大な地下図書館のあちこちを、パチュリーは歩いている。

 全てを無視して、魔理沙は天井を見上げた。

 書架の海を見下ろすように広がる空間に、幻影ではないパチュリー・ノーレッジは佇んでいた。紫色の髪とゆったりした衣服をふわふわと揺らめかせ、宙に浮いている。その細い身体は確かに、空気よりも軽そうではある。

「他にも色々あるけれど、聞きたい?」

 強風が吹けば飛んで行ってしまいそうな魔法使いの少女が、しかし得体の知れぬ威圧感を降らせ、魔理沙を図書館の床に押さえ付けていた。

「遠慮は要らないのよ? レミィの事なら何でも教えてあげる。この紅魔館で、あの子の事を2番目によく知っているのが私だから」

「1番は、あの十六夜咲夜か? まあ、そんな事はどうでもいい……私、わかったぜ」

 魔理沙は言った。

「どうやら、お前を叩きのめして口を割らせるしかないって事。ま、最初からそのつもりだったんだけどな」

「昨日は、随分と派手な御挨拶をいただきまして」

 言葉に合わせて、パチュリーが繊手をかざす。

 魔導書が、魔理沙の細腕から離脱して宙に浮いた。

「いずれ、こちらから挨拶に出向かなければと思っていたところ。わざわざ来ていただいて恐縮ね」

「気にするな。お前、身体が弱いんだろ? 私の方から何度だって出向いてやる」

 何十冊。いや何百冊もの魔導書が、あちこちの書架から抜け出して宙に浮き、見えざる手によってパラパラとめくられてゆく。パチュリーの周囲でだ。

 鳥たちが羽ばたく様、に似ていなくもない。

 魔理沙も箒にまたがり、ふわりと飛翔・滞空した。

「……お前に、会いたかったからな」

「ありがとう。だけど私はもう会いたくない……貴女との会話は、これで終わりよ霧雨魔理沙」

 全ての魔導書の『鍵』が、発動していた。

 鳥の大群にも似た魔導書たちが、一斉に光弾を放出する。

 色とりどり、美麗な弾幕の海が押し寄せて来る。

 魔理沙は一瞬、夢見心地になった。

「ああ畜生……本当に、綺麗な弾幕だぜ……」

 逃げられるものではない。だから魔理沙は、箒を駆って突入した。

 無数の光弾が、全方向から荒波の如く魔理沙を襲う。

 密集と散開を繰り返す、弾幕の波濤。箒で突入可能な空間が、生じては消え、また生ずる。

 あからさまな散開の先で、回避不可能な密集弾幕が渦巻いていたりもする。

 そういった罠を見抜きながら、魔理沙は箒の速度を上げた。見抜いた、つもりではある。

 高速で密集しつつある弾幕。その狭まりゆく空間に、魔理沙は突っ込んだ。

 そして、抜けた。

「おうっ! ……っと……ッ!」

 とっさに魔理沙は、箒ごと身体を傾けた。

 凄まじく熱い、あるいは冷たいものが、顔面の傍らを超高速で通過する。並の人間であれば、こうしてかすめただけで焼け死ぬか、凍り付いて砕け散る。

 パチュリーの魔力が、レーザー光と化して迸ったものだ。

「わざわざ狭い所から抜け出して来る、だろうと思っていたわ」

 言いつつパチュリーは、己の周囲に魔法陣を展開させている。そこから幾状もの魔力レーザーが噴出し、魔理沙を襲う。

「そこを狙った、つもりだけど……貴女、よくかわすものね。場数を踏んでいるのかしら」

「霊夢を相手にな、割としょっちゅう弾幕戦をやらかしてる。あいつ、すぐ怒るんだよ。はっきり言って、お前んとこのお嬢様より凶暴だぜ」

 応えながら魔理沙は小刻みに箒を操り、角度を制御し、魔力レーザーを回避し続けた。

「お前も加わってみろよ。遊ぼうぜ、私たちと一緒に!」

 魔理沙の周囲に、何本ものマジックミサイルが生じて浮かぶ。水晶球が、旋回しながら光を孕む。

 全てが、一斉に射出された。

 マジックミサイルの嵐が、パチュリーに向かって吹き荒れる。

 水晶球から放たれたレーザー光の豪雨が、空間を切り裂きながらパチュリーに降り注ぐ。

 全て、命中した。

 突然、パチュリーの眼前に浮かんで盾となった幾つもの何かに、だ。

 砕け散った有機物の破片が、宙を舞いつつ焼け焦げ崩れて灰となり、さらりと漂う。

「何……」

 魔理沙は息を呑んだ。

 自分は今、何を撃ち砕いたのか。

 おぞましい、手応えのようなものが感じられる、ような気がする。

「何だ……何だよ、それ……」

 呆然と、魔理沙は見つめた。

 苦しげに蠢き震えながら、パチュリーを護衛する形に浮揚するものたちを。痛ましいほどに醜悪なものの群れを。

 人間だった。

 人間の形は、すでに失われている。尊厳というものが人間に生まれつき備わっているのだとしたら、それを根こそぎ奪い取られた有り様である。

 それでも、人間であった。

 人間以外の生き物……妖怪も、妖精も、鳥獣や魚に虫、植物であっても、どれほど尊厳を奪われたところで、ここまで醜悪にも無様にもならない。魔理沙は、そう思った。

「ま……ま、まままマジ? や、や、ややややや」

 パチュリーの周囲で、肉質の防護壁を形成しながら、その人間たちは声を発した。

「やっちまっていいんスかああ……あんな事とか、こんなコトとかぁ……」

「こここここんとこ風俗も行けなくてぇ……溜まりまくってんすよォ俺。ぶぶぶちまけてイイんすかああああ」

「じっ嬢ちゃんよォー、抵抗してくれていいんだぜえぇぇ……その方が燃えっからよぉおおおおお」

 うわ言、のようであった。この人間たちは、悪夢にうなされているのだ。もはや覚める事のない悪夢に。

「お前ら……」

 魔理沙は語りかけた。もはや届かぬ言葉であった。

「言っただろ……博麗神社には、近付くなって……」

「その通り。外の世界の博麗神社で、咲夜が拾ってきたものよ」

 パチュリーが語る。

「レミィは血しか飲まないから、残り物を私がもらい受けたの。盾にするだけではなく、こんな事も出来るわ」

 無数の魔導書が、光弾を吐く。魔法陣から、レーザーが迸る。

 人間が1体、いや2体、うわ言を漏らしながら縮んで干からび、ひび割れ、崩れて散った。

 襲い来る弾幕とレーザーを回避しながら、魔理沙は呻く。

「お前、そいつらの……生命力を」

「魔力に変換しているのよ。私自身は何も消耗する事なく、攻撃魔法を使い放題」

 そこでパチュリーは、小さく咳をした。

「……身体の弱い私の負担を、少しでも軽減するためにね、この汚物たちには役立ってもらうわ。ああ心配しないで。幻想郷の人間を、こんな目に遭わせたりはしないから」

「外の世界の人間なら……どう、扱ってもいい……お前、本気でそう思ってるのか」

 声が震えるのを、魔理沙は止められなかった。

「人間を……何だと、思ってる……?」

「霧雨魔理沙……貴女もね、百年ほど生きてみれば、わかると思うわ」

 もう1度、パチュリーは咳をした。

「私たち魔法使いにとって、魔法を使えない普通の人間が、どれほど卑小で取るに足らない存在であるか。せいぜい実験動物としての価値しか見出せなくなる……魔法の探究を続けてゆくうちにね、貴女も絶対そうなるわよ」

「なるもんか……私は、人間の魔法使いだぜ……」

 大量のマジックミサイルが、魔理沙の周囲に浮いた。

「死ぬまで、ずっとそうだ。お前の言うようになんて絶対、なるもんかよ!」

 それらをパチュリーに向かって放つ事が、しかし魔理沙には出来なかった。

 何体もの人間が、蠢き、呻きながら宙に浮かび、全方向からパチュリーを防護している。

「まさかとは思うけれど」

 人間たちを盾にしながら、パチュリーは言った。

「人殺しはしたくない、とでも? 今や人間の残骸でしかない、この輩に対して……そんな認識を抱いてしまうのね」

「……やめろよ、お前……そんな事……」

 マジックミサイルの群れを虚しく浮遊させたまま、魔理沙は声を震わせた。

「こんな事……お前がやっていい事じゃないだろパチュリー・ノーレッジ……お前ほどの、魔法使いが……」

 魔理沙は、涙を流していた。

「お前みたいに、綺麗な弾幕を撃てる奴が……こんな事、しちゃあ駄目なんだよぉお……っ!」

「その押し付けがましさ……私の一番、嫌いなもの」

 美麗な弾幕の荒波と、神か天使の剣を思わせるレーザー光が、魔理沙を襲う。

「貴女すぐに死ぬでしょうけど覚えておきなさい。私に押し付けがましくしていいのはね、レミィだけよ」

 涙を拭いながら魔理沙は箒を駆り、レーザーをかわしながら弾幕の隙間に突入した。

 今は、冷静さを保つべき時だ。

 人間が、また1体、干からびて砕け散った。生命力が、全て弾幕生成のための魔力となって吸い出されたのだ。

「ああ、まったく……何て粗悪な生命力……」

 嘲けりつつ、パチュリーはまたしても咳き込んだ。細い身体が、人間たちに護衛されながら苦しげに痙攣する。

「……本当に、身体が弱いんだな。お前」

 魔理沙の呟きが、パチュリーに聞こえたかどうかはわからない。

「その、ひ弱な体力と化け物じみた魔力を使って……今、何をやっているんだパチュリー・ノーレッジ」

 咳き込み震えるパチュリーの細身から、魔力が立ち昇っている。

 この地下図書館へ突入した時に感じられた、強大な魔力。禍々しくも野蛮さとは無縁の魔力。

 そんな魔力を用いて、パチュリーは今、何かをしている。

 魔理沙を迎撃するための攻撃魔法に、人間たちから搾取した魔力を注ぎ込みながら、パチュリーは自身の魔力を別の何かに用いている。

「あのレミリア・スカーレットも、とんでもない魔力の持ち主だけどな……あれは本当、破壊にしか使えない魔力だぜ。1度喰らって、よくわかった。だからな、おかしいとは思ってたんだ」

 眼前に、ふわりと八卦炉を浮かべながら、魔理沙は言った。

「あの吸血鬼のお嬢様、ものを破壊する事なら多分いくらでも出来るけど、ものを作り出す事は出来ない……例の紅い霧、発生させているのは、だからレミリアじゃあない。お前だよパチュリー・ノーレッジ」

 小さな八卦炉から、ちろちろと細い炎が噴出する。

 魔理沙は見据えた。パチュリーを、そして彼女の周囲で防壁となっている人間たちを。

 彼らを救う手段が、魔理沙にはない。

 彼らのために出来る事など、ありはしないのだ。

 謝罪の言葉が胸中に浮かぶが、それを魔理沙は押し潰した。

 謝って済ませる。これほど、傲慢な行いはない。

 謝る代わりに、だから魔理沙は、今から自分に殺される者たちの惨めに蠢く様を、じっと見つめた。

 そして叫んだ。

「…………マスタースパァアアアアアアクッ!」

 蛇の舌にも似た細い炎が、龍の如き爆炎に変わった。



 破裂した臓物を引きずり出され、代わりに新しい臓物を無理矢理に押し込まれる。麻酔も無しにだ。

 そんな感じの激痛が、霊夢の体内で暴れ蠢いた。

「ぐっぶ……げぇええええ……」

 血を吐き、のたうち回りながら、霊夢は呻いた。

「ま、まさか……これほどとは……魔理沙の奴、よくまあ2回も我慢したわね……私、もう2度と飲みたくない……」

 空になった小瓶が、石畳に転がる。

 紅魔館の、庭園とおぼしき場所である。誰かが丹念に手入れをしているのだろう。あちこちで、色とりどりの花が良い感じに咲いている。

 そんな上品な風景の真っ只中へ、霊夢は墜落していた。小瓶の中身を飲み干しながらだ。

 そして今、美しい庭園を血で汚しながら、のたうち回っている。

 空中でも、色とりどりの花が咲いているかのようであった。

 七色の光球たちが煌びやかに乱舞して、様々な方向からレミリア・スカーレットを直撃したところである。

 夢想封印。

 光の爆発が咲き乱れ、虹の破片のようなものがキラキラと舞い散り消えてゆく。

 そしてレミリア・スカーレットの一見、無傷の姿が露わになった。

「……やって、くれたわね博麗霊夢……」

 空中から霊夢を見下ろしながら、吸血鬼の令嬢は美しい牙を剥く。微笑んでいるのか、激怒しているのか。

「……砕け散りそうな身体を、繫ぎ止めるのが精一杯だったわ。私に……これほどの攻撃を、叩き込むとは……」

「少しくらい……わかって、くれないかしらね……」

 腹を押さえ、よろよろと立ち上がりながら、霊夢は言った。

「あんたみたいな化け物に、24時間元気でいられたら……弱い人間としては、たまったもんじゃないのよね。いいじゃない、それだけ強いんだから……太陽という弱点を受け入れて、昼間は大人しく寝てなさいよ」

「眠らせて御覧なさい、この私を」

 レミリアの眼光が、地上の霊夢に向かって禍々しく燃え上がった。

「面白い薬を持って来ているようね。いいわ。能力、道具、悪運……持てるもの全てを使い果たしながら、私に抗いなさい博麗霊夢。ことごとく叩き潰してあげる。それが紅魔館の主の戦い方よ」

「なめた事を……ッ!」

 霊夢は激昂した。

 直後、いくらかでも冷静になれたのは、足元に微かな震動を感じたからだ。

 紅魔館の地下で、何かが起こっている。

 震動の伝わらぬ空中で、しかしレミリアも、何か不穏なものを感じ取ったようだ。

「パチェ……?」

 人名らしきものを、呟いている。

 そんなレミリアの小さな身体が、空中で翼を広げたまま光に包まれた。

 天使か何かが降臨する様に似ていなくもない、と霊夢が思った、その時。

「ぐっ……ぎひッ、ひぎゃああああああああああああ!」

 天使のようだったレミリアが、悪魔のような悲鳴を上げていた。

 光が、吸血鬼の少女の小さな身体を、包みながら容赦なく灼いている。

 日光だった。

 天空を支配していた紅い霧が、薄れてゆく。

 幻想郷の住民にとって、幾日ぶりの太陽であろうか。日光が、薄膜のようになった紅い霧を穿ち、切り裂き、蹴散らして地上に降り注ぐ。

 そして、レミリアを襲う。

 傲然と空に佇んでいた吸血鬼の少女が、小さな全身から白煙を立ちのぼらせながら墜落し、先程までの霊夢の如くのたうち回った。

「ぎゃうっぐ、ひぎいぃ! ぱっパチェ、一体どうしたのパチェぐぎゃああああああああっ!」

 人外の少女の白い肌が、白煙を噴射しながら焼けただれてゆく。肌だけではなく肉も、そして骨までもが灼け崩れてゆくのは時間の問題であろう。

 そうなる前に、とどめを刺してやろう、と霊夢は思った。

 お祓い棒をかざし、歩み寄って行く。

「……何をっ……しているの、博麗霊夢……!」

 焦げ臭い白煙をまといながら、レミリアは立ち上がっていた。

「この私に……レミリア・スカーレットに、とどめを刺す好機なのよ! さあ攻撃をなさい、仕留めきれなければお前が死ぬだけの事!」

 白煙の中で、吸血鬼の紅い眼光がギラリと燃え上がる。

 受け止めながら、霊夢は言った。

「……命乞いなら、聞いてあげなくもないわよ」

「私を誰だと思っている! 紅魔館の主、永遠の紅き月、夜魔の女帝たるレミリア・スカーレットを一体何だと思っている!」

 吼えながら、レミリアは翼を広げた。大量の灰が、舞い散った。

 焼けただれて骨格の露出した翼。もはや空は飛べない。

 それでも霊夢は一瞬、空の上から見下ろされているような錯覚に陥った。

 それほどの威圧感を、白煙と共に漂わせながら、レミリアは空を睨む。紅い霧の消え失せた、晴れ渡る空を。

「忌々しい太陽……! 私は、お前を恐れてなどいないわ。お前が恐くて紅い霧に隠れていたわけではない! 霧が晴れた今、よく見ておくといいわ。このレミリア・スカーレット、最後の戦いを!」

 半ば白骨化した翼が、激しく羽ばたいて灰を散らせる。

 それと共に、真紅の宝珠にも似た光弾が無数ぶちまけられて霊夢を襲う。

「死出の旅路よ、さあ共をしなさい博麗霊夢!」

 吸血鬼の少女の愛らしい片手が、骨を露出させながら真紅の光を握っている。

 巨大な、光の槍であった。

 霊夢は跳躍・飛翔して真紅の宝珠たちを回避したが、光の槍は空中にまで伸びて来て一閃した。

「くっ……!」

 燃え盛る魔力の塊が、超高速で眼前を通過する。

 霊夢は辛うじてかわし、距離を取った。上空への逃走に等しい回避だった。

 地上では、優美な人影が1つ、レミリアの傍らに着地して日傘を開いたところである。

「ここまでにいたしましょう、お嬢様……お前もです、博麗の巫女よ」

 十六夜咲夜だった。

「このまま立ち去るならば、追いはしない……戦うならば私がお相手しましょう。今のお前の消耗しきった霊力で、私の時間停止を解除出来るかどうか」

「余計な事を……と、言いたいところだけど。よく来てくれたわ、咲夜」

 崩壊しかけた吸血鬼の少女が、日傘の下で咲夜の抱擁に身を委ねる。

「……パチェは?」

「図書館には美鈴が向かいました。申し訳ありません、私たちが……あの霧雨魔理沙を取り逃がし、パチュリー様のもとへ」

「霧雨魔理沙は……下手をすると、そこにいる博麗の巫女以上の曲者よ……ふふっ。私たち全員、見事に出し抜かれてしまったわね」

 日傘による陰影の中で、レミリアの両眼が紅く燃え上がる。

 よくは見えないが、愛らしい美貌は無残に焼け崩れ、頭蓋骨が剥き出しになっているのではないか、と霊夢は思った。

「……本当に気に入ったわ、博麗霊夢。また、いつでも紅魔館へ遊びにいらっしゃい……次は、殺してあげる」

「待ちなさい……!」

 霊夢がそう言いかけた時には、レミリアも咲夜も、すでにそこにはいなかった。

 間違いなく、時間を止められた。

 弱々しく、霊夢は着地していた。

 咲夜の言った通り、消耗しきっている。落下速度を制御するのが精一杯だ。

「……レミリア・スカーレット……」

 がくりと膝から崩れ落ちそうになりながら、霊夢は呻く。

 そして、紅い霧の失せた空を見上げる。太陽の蘇った、晴天を。

「……あんたと戦う理由、無くなっちゃったわけだけど……でも、あんたがとんでもない危険物なのは間違いなくて……」



 浮遊していた人間たちは全て、跡形もなく消滅していた。

 パチュリー・ノーレッジは、図書館の床に墜落し、倒れている。

 己の全魔力を、防御に注ぎ込んだのであろう。外傷は見当たらない。

 無傷の細身を、しかしパチュリーは痛々しく痙攣させ、咳き込んでいる。

「うっく……けほっ……」

 微かに飛び散った吐血の飛沫を、魔理沙は見逃さなかった。

「……駄目だぜパチュリー。あんな連中の生命力じゃ、大した魔力にはならない」

 声をかけながら、魔理沙は歩み寄った。

「それで、あれだけの弾幕を作れるんだからな。やっぱり凄いよ、お前。だけどもうやめよう、あんな事」

 パチュリーが魔理沙を睨み、何かを言おうとして咳をした。微量の鮮血が、飛び散った。

 安直な労りの言葉がいくつか脳裏に浮かんだが、それらを口に出す事が魔理沙には出来なかった。

 口籠もったまま、魔理沙は横に跳んだ。

 鋭利な弾幕が飛んで来て、魔理沙の足元をかすめ、図書館の床を直撃する。

「パチュリー様!」

 小悪魔だった。

 背中の小さな翼を忙しなくはためかせながら、走り寄って来てパチュリーを背後に庇う。

「パチュリー様には近付かせない! 次は私が相手よ、白黒の魔女!」

「やめなさい小悪魔……」

 パチュリーが、どうにか言葉を発した。

「……貴女の、勝てる相手ではないわ」

「パチュリー様……」

「……なあ小悪魔、やっぱり駄目だ」

 魔理沙は言った。

「あの薬、パチュリーが飲んだら間違いなく死ぬぜ。だからな、ゆっくり休ませてやれよ」

「……どこへ行くの、霧雨魔理沙」

 背中を向けた魔理沙に、パチュリーが弱々しく声を投げる。小悪魔に助け起こされながらだ。

「私に……情けを、かけようとでも」

「お前は力尽きたんだ。もう、紅い霧も消えてるだろう」

 箒を担いで歩み去りつつ、魔理沙は振り返らず答えた。

「お前とも、それにあのお嬢様とも、戦う理由はなくなった……だからなパチュリー、何度も言うけどゆっくり休め。出来るだけ、健康を取り戻せ。私は、万全のお前と戦ってみたいんだぜ」

「パチュリー様が健康になったら、お前なんか勝てはしないよ霧雨魔理沙」

 紅美鈴が、魔理沙の眼前に立ち塞がっていた。

 右腕でチルノを、左腕で大妖精を、抱えたままだ。

「咲夜さんや……お嬢様だって、勝てるかどうかわからない。けど今はパチュリー様、貴女の負けです。だから大人しくしていて下さい」

「次はお前が私の相手ってわけか、武術妖怪」

 さりげなく、魔理沙は後退りをした。近い間合いで勝てる相手ではない。

「もうお前と戦う理由もない、だから見逃してくれないかなあ。私、霊夢と違って腕っ節は全然なんだぜ」

「遠慮せず弾幕をぶつけてこい。全部かわして、かわせなかったら受けて、最後はお前をぶちのめす。パチュリー様が血を吐くまで頑張ったのに、私が戦わずにいられるわけないだろう」

「……もう、やめて下さい」

 美鈴の左脇で、大妖精が声を発した。

「紅い霧は消えました。私が戦ったわけじゃないから偉そうな事は言えませんが、紅魔館の方々の負けだと思います。お願いですから、もう大人しくしていて下さい。厄介事を起こさないで」

「そうだぞ美鈴。悪い事はやめて、みんな仲良くしよう」

 美鈴の右脇で、チルノが言った。

「ここのお嬢様とは、あたいが話つけるよ。幻想郷のみんなと仲良くするようにってね。さあ美鈴、案内しておくれよ。この奥にいるんだろう?」

「……? お前も見たろチルノ。ここのお嬢様は今、外で霊夢と戦っているんだぞ」

 魔理沙の言葉を、チルノは一瞬、理解出来なかったようである。

「え……あれが、お嬢様なのか? うーん」

「おいこらチルノ、失礼な事を言うな」

 美鈴が、豊かな胸を押し付けてチルノを黙らせた。

「うちのお嬢様、確かに見た目は小さくて頼りないけどなあ」

「待ちなさい美鈴」

 パチュリーが青ざめている。いくらか血を失ったから、というわけではなさそうだ。

「……レミィは、無事なの……?」

「太陽が出ちゃいましたから、無事って事はないと思います。でも咲夜さんが行ってくれました」

「そう……それなら、最悪の事態にはならないわね……」

 安堵しつつパチュリーは、チルノを見据えた。

「……もう1つ。そこの妖精、答えなさい。この奥に、この図書館の先に……一体、何がいると思うの。何故」

「え……い、いるんじゃないのか、お嬢様が」

 美鈴の胸に顔面を圧迫されながら、チルノは言った。

「あたい、てっきり……」

 その時、図書館が揺れた。魔理沙は、そう感じた。

 地下図書館が、いや紅魔館全体が、崩壊してゆく。魔理沙は、そう感じた。

 自分の身体が、粉々に砕け散った。魔理沙は、そう感じた。

 全て、錯覚である。幻覚と言ってもいい。

 滅びの幻覚を生み出すほど禍々しい気配が、激しく渦巻き、押し寄せて来たのである。

「何事……!」

 美鈴も、同じものを感じたのだろう。チルノと大妖精を解放して背後に庇い、身構えている。

 小悪魔は、パチュリーを抱き支えているようでいて、パチュリーにしがみついているようでもある。

 チルノ1人だけが気付いていたものを今、この場にいる全員が感じていた。

 地下図書館の、奥。あるいは、さらなる地下。禍々しい気配の根源が、そこに在る。そこに居る。

「霧雨魔理沙……私を殺さないなら、早急にここから立ち去りなさい」

 パチュリーの声が、咳で震える。

「早く……!」

「……そう、か……これか……」

 息を呑みながら、魔理沙は呻いた。

「お前が、ひた隠しにしている……レミリア・スカーレットの弱点ってのは……」

「何……一体、何なんですかパチュリー様……」

 美鈴が、悲鳴に近い声を発している。

「この奥に、何かいるんですか。こんなの私も知りませんよ! おい逃げろ、チルノと大妖精!」

「お前ら……何なんだよ……」

 魔理沙も、同じような声を出していた。

「ここで……この紅魔館の地下で、お前ら一体……何を飼っている……? どんな化け物を、幻想郷に持ち込んだ? おい……」

「化け物……違うよ魔理沙。いや、確かにそうかも知れないけど……」

 チルノが、図書館の奥、禍々しい気配の根源へと向かって、ふわりと飛び立った。

「逃げちゃダメだ美鈴。この子は……この子は……」

「チルノちゃん駄目!」

 大妖精が、チルノにしがみついた。

 妖精2人に、魔理沙はぽつりと声をかけた。

「……逃げるぞ、お前ら」

 箒にまたがり、飛翔する。美鈴に、パチュリーと小悪魔に、そして紅魔館のさらなる奥深くに存在する何者かに、背中と尻を向けてだ。

 2人の妖精が、ついて来る。未練を残して何度も振り向くチルノを、大妖精が半ば無理矢理に引き連れて飛翔する。

 それを確認しながら魔理沙は、箒の速度を上げていった。

 禍々しい気配が、急速に後方へと遠ざかって行く。

 気配の根源が出現する、事はどうやら無さそうであった。少なくとも現時点では。

 だが魔理沙は、冷や汗すら凍り付いていた。

「駄目だ……これは、駄目だ」

 完全なる逃走、だが恥とは思わなかった。

 逃げても恥にならぬ相手というものは、確かにいるのだ。

「霊夢、お前でも、これは……どうかな……」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、また幻覚が見えた。

 紅魔館の、さらなる地下の奥深く。

 その暗闇の中で、光が点った。

 小さな宝石のような、七色の煌めきだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ