終末のメサイア
エルスさんの魂は、魔術師達の尽力むなしく、確実に死に向かいました。
彼はメサイアを構成する墓守の1人でした。
他の墓守達とは違い、製作者である神の意向により、メサイア本体には縛られない単独行動を可能としていました。
メサイアと妖精郷システムの力を背景に不死の力を手に入れ、メサイアが健在な限り、何度でもその場で蘇る事が可能でした。
ですが、その本体が討伐された。
不死の呪いが魂まで根付いていたエルスさんも、他の墓守達と同じく消滅の危機にありました。
他の墓守達のように激痛に苛まれ、自我崩壊には至っていなかったものの――影響が無かったわけではなく、いずれは他と同じ怪物になるという状態でしたが、それはメサイア消滅で何とかなりました。
ただ、命はもう持たない。
単独行動可能な事や、バッカスの魔術師達が必死に延命措置を施した結果、まだ何とか生きていましたが……彼の魂は砂時計の砂のように、確実にこぼれ落ちつつありました。
妖精郷から出てきた後、彼は意識を手放し、気絶していましたが――魔術師達の処置で何とか一命をとりとめました。
深刻な状況ですが、彼は対話を望みました。
まだ伝えなければいけない事があると考え、後処理に追われている人物達が来るのを待ちました。その人達が来るまでの間、旧知の人間と顔を合わせていました。
『やあ、センセイ。具合はどうだい?』
『まだ元気だよ』
『よく言うよ、まったく……』
病床のエルスさんを見舞ったエイさんは、エルスさんが自分の舌では喋れず、交信魔術で喋っているのに『元気だよ』と返してきた事に呆れました。
死に身体なのは、エイさんも同じですが――。
『そういうキミの方は、大丈夫なのか?』
『大丈夫ではないけど、死に損なった。セタンタの所為で』
『良いことだ』
『まったく、冗談じゃないよぉ……。気まずいったらありゃしない』
エイさんは、メサイア討伐が成功したらどうなるか、よく知っていました。
それでも、過去の後悔を少しでも拭うために――エルスさんが「そうしたい」と言ったために、恩人の秘密を抱えて戦いに挑んでいました。
『この質問は前にもしたけど、センセイの魂は――』
『この状態は、さすがの神様でもどうしようもない』
『そっか』
『キミは長生きしてくれ。何とか……』
『やだよ。もうウンザリ~。神に媚びへつらって延命してもらうのも、無し』
エイさんは五体満足であれば、舌を出して肩をすくめていた気分になりつつ、神の力で生きながらえるのは拒否しました。
そもそも、センセイと違って僕はどうでもいい存在と思われているから、お声がかかる事も無いだろうね――と思いつつ。
『ただ、まあ、もうちょっと足掻いてみますよ』
『うん』
『ちょっとねぇ……昔、助けたガキと会う約束してまして……。そいつとか、他の奴らと、ちゃんとお別れしろって……セタンタに怒られましてねー』
残される奴らの事も、ちゃんと気にかけてくれ。
アンタだっていい大人だろ――と怒られた。
その時の事を思い出しつつ、エイさんは心中で苦笑いしました。
機械の身体になった今では、表情や身振り手振りで感情表現がしづらくなっていましたが――それでもエルスさんには伝わっていました。
声色や雰囲気だけで伝わっていました。
エルスさんの身体も、真っ白になって、カサカサに乾いて、いまにも全身が崩れてきえそうになっていますが――まだ生きようとしてくれているエイさんに向け、微かに笑いました。
申し訳無さを感じながら――。
『……エイ。巻き込んでしまって――』
『うるさい。これだよ、まったく……。アンタには子供扱いされるわ、セタンタには大人扱いされるわ……。対応の温度差で風邪引いちゃうよ』
『俺にとって、キミは何歳になっても子供だよ』
『ハー、ヤダヤダ』
死期が近い2人は、他愛のない話で盛り上がりました。
しんみりとした話をするのを嫌がったエイさんが、会話をリードしました。エルスさんもそれを察し、それに付き合いました。
『さて、そろそろ行ってくるよ』
『うん。頑張って。大人としての責務を果たしてきてくれ』
『そりゃセンセイも、だろ?』
『ははは……。み、耳が痛いね……』
『僕は反面教師になるぐらいしか出来ないよ。まあ……とりあえず、安心してくれ、センセイ』
『うん?』
『僕は死ぬけど、アンタよりは長生きしてみせる。必ず』
『…………』
『センセイを、もう、見送る立場には立たせない。絶対に』
エルスさんは笑おうとしました。
しかし、上手く笑えず、代わりに頷きました。
『うん。ありがとう……』
『お互い、死後の世界で再会できるように祈ってようよ』
『死後の世界、か』
そんなものはない。
神はそう言っていました。そんなものは観測できなかった、と。
バッカス政府ですら、死後の世界の存在を観測出来ていませんでした。
ですが、騒乱者は「きっと存在する」と思う事にしました。
彼にとって、それが最後の希望でした。
『神だって完璧じゃない。神が観測出来ていないだけで、死後の世界も存在しているかもしれない。そこにはきっと、皆も待っている』
『……行ったら叱られそうで、怖いなぁ』
『ハァ? センセイを叱るような馬鹿がいたら、僕がブン殴ってやるよ』
『またそういう物騒なことを……』
『再会できたら、久しぶりに飲もう。皆いっしょにさ』
老魔術師が頷くと、エイさんは嬉しそうに『約束だよ』と言いました。
『それじゃ、そろそろ行くよ』
『うん』
『またね、センセイ』
『ああ、また会おう』
エイさんが去った後、エルスさんは目をつむりました。
「…………」
相手には見せないようにしていましたが、会話するだけでも酷く疲労するほど、彼は疲れ切っていました。
本来、疲労など治癒魔術で取り除けるものですが、身体と魂の維持すらおぼつかない状態では、痛みを取り除く程度の事しか出来ませんでした。
彼はゆっくりと意識を手放していきました。
そのまま、しばらく意識を失っていましたが――。
「…………」
誰かが「ぎゅっ」と手を握っている感触で、目を覚ましました。
霞む視界の中、目をよくこらして見ると、手を握ってくれているのはカヨウさんだと気づきました。エルスさんが起きたのに気づくと、カヨウさんは「ぷいっ」と視線を逸しましたが、それでも手を握り続けました。
手を握りながら、魔術を行使し続け、老魔術師の身体を必死に維持し続けていました。絶対に離さない、といった様子で。
「身体の調子はどうですか?」
『悪くないよ。すこぶる元気』
ナスの士族長は表情を歪め、「嘘ばっかり」「貴方はこんな状態になっても嘘ばかり重ねるつもりですか――」と言いかけましたが、ゆっくりと深呼吸をして悪態を飲み込みました。
「…………。そうですか、それは、良かった」
『今日はなんだか、カヨウが優しいね』
「うるさい」
努めて優しく振る舞おうとしたカヨウさんが、直ぐにいつもの調子に戻ったのを見ると、エルスさんは少し嬉しくなりました。
嬉しいから笑おうとしましたが、上手く笑えませんでした。
せめて手を握り返そうとしましたが、それすら出来なくなっていました。
それを察した娘は、ポツポツと語り始めました。
「……喧嘩になるような事を言わないよう、努めています。察してください」
『そうか。大人になったね。すごいね』
「当たり前の事です。……取り返しがつかなくなるかもしれませんから」
『でも、いいよ、いつも通りで。いつも通りのキミで――』
交信を返そうとしたエルスさんでしたが、咳込み、言葉を切りました。
表情を強張らせたカヨウさんが素早く魔術を行使する中、エルスさんは『大丈夫』と何とか声を絞り出し、カヨウさんとは逆方向を見ました。
そこに、「ちょこん」と座っている弟子に視線を送りました。
『話を、しよう。そういう約束だ』
「……無理しなくてもいいよ?」
マーリンちゃんは遠慮気味にそう言いましたが、エルスさんは彼女の気遣いをやんわりと押しのけ、言葉を続けました。
『マーリン、私はキミの大事な人を……モルガンを殺した。彼女の仇だ』
「……それは、モルガンさんが世界を滅ぼそうとしたからでしょ? 師匠はそれを止めようとして、モルガンさんが、神様の玩具にならないように――」
『私の事はいい。それより、大事な話がある』
エルスさんは自分の早とちりを思い出しつつ、語りました。
『モルガンはキミを愛していた』
「……そう」
『これは、慰めの言葉を吐いているわけではない。事実だ』
「…………」
『彼女がキミにたっぷりと愛情を注いでいた事は、普段の振る舞いからわかっていたはずだ。神様が用意した嘘じゃない。キミ自身が感じたものを信じてほしい。……神様に見せられたものを信じないでほしい』
「…………?」
『モルガンは、確かに世界を滅ぼそうとした』
ただ、失敗した。
『神様を殺すまで、あと一歩のところまで迫っていた』
神に泳がされていたとはいえ、その喉元に刃が届いていた。
『けど、キミを愛していたから、彼女の計画は失敗した』
「え? えっ……? どういう、こと……?」
『あの日、私がモルガンを殺したあの日……』
老魔術師は目をつぶり、言葉を続けました。
目に焼き付いている光景を、言葉として伝えました。
『そもそも、私は彼女に敗北した』
「え?」
『彼女は、自分が神様に泳がされている事を知っていた。知っていたが、その上で、神様の想像の上を行った。俺を倒したんだ』
少女は、自分が神器の夢で見た光景を思い返しました。
彼女が見た光景では、モルガンさんは敗北していました。
エルスさんを倒せず、苦し紛れに神を襲おうとして、後ろから刺された。
そんな光景を神に見せられたのです。