2人の養女
バッカスの部隊は粛々と行動を開始しました。
国どころか世界が危機に瀕していると言っても、それでも粛々と、いつも通りにバッカスの戦士達は動き始めました。
「…………」
マーリンちゃんは観測部隊に所属し、進発した囮部隊の情報を整理し、墓守達の位置を妖精郷の地図にプロットしていきました。
解呪領域対策のおかげで魔術が行使しやすくなったとはいえ、解呪の影響がゼロになったわけではありませんでした。そのため、バッカス側は交信魔術補助のための有線回線も用いつつ、連絡を取り合っていました。
マーリンちゃんも他の人々と同じく、自分のやるべき事に取り掛かっていましたが――。
「マーリン」
「…………」
「まだ余裕があるでしょう。ちょっと、こっちを見なさい」
作業中のマーリンちゃんのところに、カヨウさんがやってきました。
マーリンちゃんはカヨウさんの言葉を無視しました。周囲の観測手や交信手は――カヨウさんがいつ怒り出すか不安で――ハラハラしつつ、チラチラとマーリンちゃんの様子をうかがいました。
マーリンちゃんは仲間に『こっちは大丈夫だから、ナスの士族長の応対をしろ!』と言われても、黙って作業を続けました。
「…………」
カヨウさんは黙ってマーリンちゃんに近づき、少女の肩に手を伸ばして叩こうとしましたが――途中でためらい、結局は手を引っ込めました。
ただ、言葉は投げかけ続けました。
「怒っていますか。私が、エルスのやった事を隠していたから」
「……聡明なナスの士族長サマなら、それぐらい聞かなくてもわかるでしょ」
少女は無視しようと思っていたものの、苛つくあまり、そう返しました。
周囲の魔術師達は一層神経を尖らせましたが、カヨウさんの表情は崩れませんでした。2人とも周囲の反応など気にせずに言葉を交わし始めました。
「まあいいんじゃあないんですか。あの人はカヨウ様の父親ですもんね。血は繋がっていなくても大事な人ですもんね」
「そういうわけでは――――いえ、そうですね。ええ、大事という言葉が、他の人間より多少、優先度が高いというだけなら、確かに大事なのかもしれません」
「あの人がやった事を職権乱用して、政府ともグルになって隠して、どんな気持ちでしたか?」
「…………」
「ホッとしました? それとも、いつバレるかヒヤヒヤしてました? いや、そんなのどうでもいい……それよりも、」
少女は頭を振り、振り返り、ナスの士族長を睨みつけました。
唇をキュッと噛んだまま振り返り、言葉を投げつけました。
「ボクを騙したくせに、どんな気持ちでいたんですか?」
「私は――」
「子供のボクには真実が重すぎるとか、秘密にしておく方が無難とか、いずれ話そうと思っていたとかそういう事を言おうとしてます? そういう綺麗事を言ってたら自分の心は軽くなって楽でしょうね。自分の心は」
「何を言っても言い訳にしか聞こえないと思いますが、マーリン――」
「全部言い訳ですよ、言って楽になるのは貴女達だけじゃないですか!」
「聞いてください。これだけは、知っておいてほしい事があります」
カヨウさんはゆっくりと言葉を伝えようとしました。
少女が叫んでも、何とか聞いてもらえるように、彼女なりに真摯な気持ちで伝えるべきことを伝えようとしました。
「貴女に真実を隠す事を決めたのは、私です。エルスも魔王達も、幼い貴女に嘘と真のどちらを話すか迷っていました。いや、エルスは自分が全ての責任を負う形で、貴女に恨まれる形で話を進めようとしていました」
「…………」
「それでも今の形になったのは、私が強引に推し進めた結果です。エルスも魔王も黙らせて、私が『こうすべきだ』という形で推し進めた結果です。私は、確かに、モルガンや幼い貴女より、身内の方を優先して――」
「はぁ」
少女は重苦しい溜息をつき、士族長の話を中断させました。
直ぐに続く言葉を言おうとしましたが、また溜息が出てきました。三度溜息を吐きそうになりましたが、それを飲み込んで少女は言いました。
「いいな」
「…………」
「2人は、血が繋がってなくても、ちゃんと親子なんだね。……いいなぁ……!」
少女は自身とカヨウさんを比べていました。
歳は違えど、どちらも養女という境遇。
血が繋がっていなくても、カヨウさんは養父の事を気遣っている。養父の力になれている。確かな絆で結ばれている。少女の目にはそう映りました。
少女も養母の事を気遣っているつもりでした。実際は迷惑をかけてばかりだと自覚しながらも、それでもいつか養母の力になりたいと思っていました。
モルガンさんが死に、それが出来なくなってしまってからは、せめて仇討ちぐらいはしてあげたいと考えていました。
しかし、養母が神を殺し、世界も滅ぼそうとしていた事で――その結果、自分も死ぬというのに計画を実行に移した事を知り、モルガンさんの愛がわからなくなっていました。
自分が一方的に慕っていただけで、娘ではなく、ペットのような扱いだったんじゃないかと思っていました。
でも、カヨウさんとエルスさんは違う。
自分達とは違い、ちゃんとした親子になっている。
少女はそう思いました。全ての真実を知らないがゆえにそう認識しました。
「ボクらと違って、あなた達はちゃんと親子になれてるんだ」
「何を言って……。モルガンは、貴女を大事にしていましたよ。愛していました。貴女を救って、自分の生活すら貴女のために変えて――」
「心が疲れてたんでしょ。だから、都合の良い愛玩動物が欲しかった」
「違います。そんなはずありません。モルガンは――」
「じゃあ、何で世界を滅ぼそうとしたのさ」
カヨウさんは咄嗟に魔術を使いました。
モルガンさんの名誉のために、自分達の会話が周囲に届かないよう遮りました。
「神様を殺せばボクも死ぬじゃん」
「それは――」
「大事なくせにボクも殺そうとした? 違うでしょ。別に大事じゃなかったから、計画決行までの暇つぶしにボクを飼ってただけでしょ!?」
「違います。絶対に」
「カヨウ様に何がわかるのさ! 父親とちゃんと通じ合って、愛されている貴女が何でそんな風に断言できるの!?」
「私は、別に、エルスとそこまで通じ合っていません。いつも振り回されてばかりです。今回だって私に相談もなく、あの男は……!」
「モルガンさんの気持ちを貴女が語れるわけないでしょ!? 何も知らないくせに何でも知ってるみたいに上から目線で話しかけてこないでよっ!!」
「はあぁぁ? 誰が上から目線だと? そもそもモルガンが『こう考えていた』と勝手に判断しているのは貴女でしょう!? 冷静さを欠いて、あの邪神の言葉に振り回されているのは貴女でしょう!?」
「っ…………。でも、モルガンさんが世界を滅ぼそうとしたのは事実なんでしょ!? ボクも殺すつもりだったって事は、事実じゃん!!」
「……モルガンの葛藤は、ある程度は理解できます。神がこの世界を支配している以上、最後は神に全てをひっくり返されるんじゃないかという不安を抱く事は、理解できます。彼女は余人より長く神の行いを見てきたのであれば、その絶望の深さからあのような事をしてもおかしくは――」
「わかってるよ! 神様の気まぐれで世界が滅びかねないって事は!」
「…………」
「生きていてもつらいことたくさんあるって、わかってるよ!」
「…………」
「仲間の事も助けたかったんでしょ。殺してでも助けたかったんでしょ。もう他に方法ないって諦めて、苦しませるより楽にしてあげようって――」
「…………」
「でも、ボクは生きたかったのに!」
生きていても喜びがなかった。そう考えさせられる家に生まれた。
それでも、モルガンさんと出会った事でその考えも変わった。
生きていたい。ずっとこの人と一緒にいたい。
そう思わせてくれた人が、世界を終わらせようとした。
自分も殺そうとした。
少女は神の望んだ通りの思考に陥っていました。
「所詮、ボクは愛玩動物だったんだ。家族にはなれなかったんだ……」
「そんなことありません」
「何の相談もしてくれなかったんだよ!? 愛してなかったんだよ、ボクのことなんて!」
「……家族だろうと、そういう事はあります」
「一言、言ってくれるだけでよかったのに。一緒に死んで、って……」
「…………」
「ボクは、それだけで幸せになれたのに……」
「…………」
カヨウさんはもどかしさを感じていました。
何を言えばいいのか、わからなくなっていました。
最初は非があるのは自分と言い、と父親や政府を庇い、自分だけが悪人になろうとしていました。
ですが、少女にとって一番大きな問題なのはモルガンさんの事だと気づき――もう何と言ってあげればいいのかわからなくなったのです。
「マーリン」
「もう、話しかけて来ないでください。そんな事してる場合じゃない」
「…………」
「もう作戦が始まります。ボクは、ちゃんと戦わなきゃいけないんです」
「……無理して貴女が参加する必要は……」
「メサイア倒さないと、世界が危ないんでしょ? ボクは、モルガンさんとは違う……全部諦めて、全部滅ぼそうとしたりなんか、しない」
「…………。マーリン、後で話をしましょう」
マーリンちゃんは魔術でカヨウさんの声を阻もうとしましたが、カヨウさんも魔術で対抗してきたため、失敗しました。
両耳を塞いで作戦に集中しようとしても、カヨウさんの魔術に逆らう事は出来ませんでした。
「エルスを交えて話をしましょう」
「…………」
「モルガンは絶対、貴女の事を我が子のように大事にしていました」
「…………」
「きっとそうです。私はそう信じています」
そう言い、カヨウさんは去っていきました。
作戦行動のための配置に戻っていきました。
「……ボクだって、そう信じたいよ……」
カヨウさんが去った後、マーリンちゃんはそう呟きました。
養母が世界を滅ぼそうとしたのが事実だとしても、それだけではない。
相手がどう考えていたとしても、自分が救ってもらえたのは事実。モルガンさんと一緒にいたいと思っていたのは事実。
今でも「生きていてほしかった」と思っていました。
けれど、モルガンさんは死んでしまいました。
悲劇を好む神に弄ばれ、悲劇を終わらせるために抵抗したものの、最後はエルスさんに殺されてしまいました。
死んでしまった以上、どう思っていたかなど確かめようがない。
愛の証明なんてできない。
だから、少女はいまあるもののために戦おうとしていました。
自分にはまだ友達がいる。自分にもまだ大事な人はいる。セタンタ君達の事はまだ信じる事が出来る。だから彼らのために戦うと決めていました。
「……ごめんなさい! 大丈夫です、ちゃんとやれますっ」
少女は自分の頬を叩き、気合を入れ直して周囲にそう言いました。
自分の仕事に向き合い、自分の事から目をそらしました。