召喚
フェルグスさんがティアマトのブレスを跳ね返すほんの少し前。
首都66丁目・6号ゲート地下に作られた異空間でも、決着がつこうとしていました。
「がッ……! はッ……?!」
ナスの士族長は胴体を深々と斬り裂かれていました。
彼女が受けた傷はそれだけでしたが、斬り裂かれた際に敵の血を体内に送り込まれ、それによって身体を内側から破壊されていきました。
「は……ハ、ぁ゛…………」
ナスの士族長の敵は――靴屋は、彼女以上にボロボロの状態でした。
全身を石の槍に貫かれ、針鼠のような有様になり、さらには身体の大半がナスの士族長の魔術で石化していました。満身創痍の状態でした。
不死の呪いで再起したとはいえ、ほんの数分の間に100回以上殺されていましたが――それでも軍配は靴屋側に上がりました。
「ありがとう」
靴屋は剣の神器から血を滴らせつつ、娘に感謝を伝えました。
「殺害ではなく、捕縛に切り替えてくれなければ……俺の負けだった」
ナスの士族長は――カヨウさんは、最後の最後まで感情に振り回されました。
感情に振り回されても、相手が二振りの神器を使っても、それでも圧倒的な実力差で最後の最後まで主導権を握っていましたが――父親の魂が神器使用の副作用で砕けてしまうのを恐れ、殺さずに捕縛して止めようとしました。
その判断が勝敗を分けました。
「エル、す……! エル、スッ……!!」
「すまない。……また後で会おう」
吐血しながら手を伸ばしてくる娘を見て、父親は跪いて彼女の頭を撫でました。
撫でながら流体操作魔術を起動し、神器の力も借りて殺しました。
殺害する事でナスの士族長を無力化した騒乱者は、崩壊していく異空間を神器で切り裂きつつ、迫る光を防ぎにかかりました。
墓石屋を屠りながら飛んできた打ち返しのブレスは、靴屋が振るう神器によって一瞬で消し去られる結果に終わりました。
靴屋は水を操り、ナスの士族長の死体を包み込み、自分の傍に置きながら神器を握る手に力を込めました。
片方は士族長との戦いで破損していたものの、もう片方は担い手の命に従い、周辺を強力な解呪領域で乱し始めました。
『おぉ、■■■。すまん、抜かれた』
靴屋の傍らの瓦礫の下から声が聞こえました。それは新しい端末で蘇った墓石屋の声でした。彼は靴屋を本当の名前で呼びつつ、靴屋に手伝われながら瓦礫の下から出てきました。
『ゲートは、破壊されたか?』
「いや、ギリギリだけど防御した。守り通したよ。もうタイムアップだ」
『そうか。やり遂げたのか、吾輩達は……』
騒乱者達が守った首都66丁目・6号ゲートからは、「守った」とは言い難い破滅的な音が響き始めていました。巨大なガラスが徐々に割れていくような音が響き始めていました。
単に音が響くだけではなく、大地を揺らしていました。
震源地は6号ゲート。
その揺れは首都全域に届きつつありました。
「まだだ。ここからが本番だよ」
『そうか。そうだったな』
破滅的な音が響く中、墓石屋はどこかホッとした様子で呟きました。
そして、靴屋に視線を送って――。
『吾輩は先に行ってるぞ。バッカスの戦士達の魂は、この端末に置いていく』
「わかった」
『頼むぞ。吾輩達を、終わらせてくれ』
そう言うと、墓石屋の身体は糸の切れた人形のように五体を投げ出し、その場に崩れ落ちました。
靴屋はその様子を一瞥もせずにいましたが――崩れ落ちた墓石屋の端末を、魔術で操作した水塊で抱きとめ、士族長の身体と同じように保護しました。
『エイ。こちらに戻ってこれるか?』
靴屋はバッカスの戦士達がこの場にやってくるのを感じ取りつつ、離れた場所で戦っている仲間に連絡を取りました。
連絡は返ってきましたが――。
『悪い、センセイ。転移機構も神器も破壊された』
戦争屋は満身創痍でした。
対して、騎士団長は未だ健在。
衣服が焼け焦げ、煤だらけになっていましたが、それでもこの場に現れた時と変わらない威風堂々とした様子で立ち回り続けていました。
戦争屋は騎士団長の攻撃から何とか逃げ回りつつ、言いました。
『あとで、合――』
『エイ? エイ、応答してくれ。エイ』
戦争屋との連絡はそれで途絶えました。
靴屋は彼の身を案じつつ、首都中心部で戦っている運送屋にも連絡を取りました。運送屋に「バッカス王国に投降しなさい」「計画は成功だ」と知らせました。
運送屋だけではなく、バッカス政府にも用意していた文章を送付しました。
「…………」
「動くな!」
「両手を上げて跪け!」
仲間に連絡を取っていた靴屋のところに、バッカスの戦士達がやってきました。
魔物の軍勢を何とか突破してきた一団は、靴屋に矢や銃口を突きつけましたが――強力な解呪領域が展開しているこの場で靴屋を制圧するだけの力を持っていませんでした。彼らも靴屋もその事をよく理解していました。
「勝手な話だけど、これ以上の戦闘は無意味だ。ただ、投降はしない」
「もう勝ったつもりか!?」
「いいや、勝ったとか負けたという話じゃない。もう俺達はこの場での目的を達成した」
靴屋がそう言った瞬間、彼の背後にあったゲートが爆発しました。
爆発の光は騒乱者だけではなく、バッカスの戦士達もあっという間に包んでいきました。ただ、彼らは爆風で吹き飛ばされる事はありませんでした。
逆に、爆心地に引きずり込まれていきました。
首都66丁目にいた人々は、敵も味方も建物も瓦礫も関係なく、爆発の光に飲み込まれて跡形もなく消えていきました。
爆発は……一見、爆発のように見える現象は首都66丁目とその周辺の街並みをゴッソリと削り取り、内側に向けて一気に収縮して消えていきました。
何もかもが消えた後、バッカス政府は爆心地に人影を見つけました。
微かに土埃が舞う中、爆心地に近づいたバッカスの部隊は肉眼でその人影を目撃する事になりました。
彼らが見つけたのは、赤ん坊ほどの大きさの生物でした。
ただ、人らしからぬ姿の赤ん坊でした。
肌は陶器のように真っ白で、ところどころにヒビが入っており、そのヒビから赤い光が漏れ出していました。
明らかに異常な存在でしたが、爆発の外側から様子をうかがっていたバッカスの戦士達は攻撃できずにいました。見た目は赤ん坊に似通っていたために。
『本部、爆心地に赤ん坊らしき姿が見える。あれは……まさか、魔物か?』
『撤退。いま直ぐ撤退してくれ』
現場の部隊は本部の交信手に連絡を取ったつもりでしたが、応答したのは近衛騎士隊長でした。彼は首都66丁目の部隊に即時撤退を指示しつつ、自身は現場へと走っていきました。
そう指示されたものの、即時撤退の命令を聞かず、踏みとどまってしまった部隊は――。
「…………?」
赤ん坊の目が開く瞬間を目撃しました。
体表のヒビが一斉に開き、そこから淡く光る赤い瞳が覗いたのを見た瞬間――。
「なん――――なんだァッ!?」
「おい、お前、頭に赤ん゛坊が生え――」
「いや、そういうお前の口のな゛――」
目撃者の身体に「異常」が起こりました。
それは連鎖的に広がっていきました。首都66丁目を中心に。
それと共に赤ん坊の笑い声も広まっていきました。輪唱のように。
バッカスの戦士の叫び声や悲鳴と共に、首都を飲み込んでいきました。