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少年冒険者の生活  作者: ▲■▲
十章:なれ果てのメサイア
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言えない嘘



 時が経てば経つほど、幼いマーリンちゃんは変化していきました。


 ころころと笑うようになり、モルガンさんにもベタベタと接するようになりました。すっかり心を開き、夜はモルガンさんと一緒に寝るようになりました。


 来たばかりの頃は――それ以前から――丸まって寝る癖があったのですが、それはすっかりなくなっていました。


「モルガンさんっ、今日は、この本がいいっ」


「魔術の論文? それはちょっと……早いんじゃないなぁ……?」


「は、はやくないもんっ。ボク、これぐらいわかるもんっ」


 幼子はちゃんと喋れるようになっていました。


 血の繋がらない母親相手に、年相応の甘え方を覚えていきました。


 ただ、呼び方は「モルガンさん」というよそよそしいものでしたが――。


「……おかあさんって呼ぶの、恥ずかしかったんだよね……」


 マーリンちゃんはセタンタ君に対し、そう語りました。


 三角座りをしつつ、膝に口元を埋めながらそう言いました。


「本当のおかあさんじゃないから、本当に呼んでいいのかな……って思って」


「今は言えてるじゃねえか。おかあさんって、ちゃんと」


「…………。うん、今はね」


 幼子は養親の後ろをいつもついて回るようになりました。


 モルガンさん、モルガンさん、と舌っ足らずの声で名前を呼びました。


 これはなに? 今日はなにするの? などと、何でもかんでも聞きました。


 モルガンさんは雛鳥のように鳴くマーリンちゃんの事を慈しみました。ちょこちょこと後をついてくる幼子に気遣って歩き、毎日のように抱っこしました。


 何を聞かれても丁寧に答えました。少女の疑問に対し、パッと答えを提示するのではなく、物事の調べ方や考え方を教えていきました。


「マーリン」


「えへっ、えへっ」


「マーリン、おいで。抱っこしてあげる」


「うぇひひっ。抱っこ、される~! もっともっと、名前で呼んで~」


「うん。かわいいかわいいネコちゃんのマーリン」


「えへっ、えへっ! ボク、かわいいかわいいネコちゃんっ」


 幼子は、養親の優しい声色で名前を呼ばれる事を好みました。大好きでした。


 本当の名前は忌まわしい記憶ばかり蘇るため、モルガンに頼み、新しい名前マーリンを与えてもらいました。その名で呼ばれると、自分達が本当の母娘のように感じられる――そういう喜びをたくさん味わいました。


 マーリンちゃんは、過去の自分が猫のように喉元をくすぐられ、嬉しげに鳴いている姿を見て――それをセタンタ君に見られている事を意識し、赤面しましたが、「行かないで」と止めた手前、黙って見守りました。


 ただ、セタンタ君が見るのを全力で止める事もありました。


「ふにゃにゃっ! あははっ!」


「こ、こらっ! マーリンっ! ちゃんと身体拭かなきゃダメでしょ?」


「だってだってっ! くすぐったいんだも~ん!」


 マーリンちゃんが全裸でお風呂から飛び出し、リビングをドタドタと走り、その後をモルガンさんが――バスタオルを持って胸元を隠したモルガンさんが慌てながら追い回す光景を見せるのは全力で拒否しました。


「セタンタは見ちゃダメ!!!!」


「目がつぶれる」


「ボクの裸はいいけど、おかあさんのは絶対ダメ!!」


「……お前のお母さん、結構イイ身体してんなぁ……」


「ブッ飛ばすよ!?」


 普段はセタンタ君と平気で猥談を交わすマーリンちゃんですが、この時ばかりはキレました。キレつつ思いました。これが自分の母親を卑猥な目で見られる子供の気持ちか……と新たな感覚を得ました。


「フーッ! フーッ……! ちゃんと忘れた? 記憶から消した!?」


「表情がいいよな。困り顔で押しに弱そうなのが――目がつぶれる!!」


「おかあさんに色目使わないで殺すよマジで!!!!」


「なんだよーーーー! いつもこれぐらいの話してるだろーが!?」


「おかあさんはダメなのっ! ボクのおかあさんを性的な目で見ないでっ!」


 2人がじゃれあっている間も、時は過ぎていきました。


 母娘で仲睦まじく暮らしている家に、訪問者がやってくる時が来ました。



「ボク、モルガンさんのお手々、だいすきっ♪」


「私の手で良かったら、いくらでも――」


 母娘でイチャイチャとしていた昼下がり。


 家の扉が叩かれ、その音にビックリした幼子は「ぴゃっ!」と悲鳴を上げ、尻尾を丸め、ぷるぷる震えてモルガンさんに抱きつきました。


 モルガンさんは来客に対し、ほんの少しだけ警戒心を抱きましたが――魔術を使い、やってきた人物が誰か突き止めると、表情を緩めました。


「お客さんみたい。マーリンにも紹介したいから、一緒に来てくれる?」


「ぅ、うぅー……」


 幼子は怖がりつつ、モルガンさんに抱きつきながらされるがままになりました。


 そして、2人で客人を出迎えました。


 モルガンさんは片手を幼子に添え、落ちないように支えつつ、叩かれた扉を開けました。「いらっしゃい」と言いながら表情をほころばせました。


 出迎えられ、家に入ってきたのは、一見すると女性に見える人物でした。


 ですが、その声は酷くしわがれていました。


「いらっしゃい、エルス君。マーリン、この人はね――」


「うぅ~……!」


 モルガンさんに抱っこされた幼子は、訪問者を涙目で睨みました。


 自分と母親だけの空間に足を踏み入れようとしてくる訪問者に対し、恐怖心を抱きながら警戒の眼差しをぶつけました。


 来ないで。入らないで。やだやだやだ……と思っていました。


 訪問者は――アハスエルスさんは、その視線に気づき、踏み出しかけた足を止めました。行き場をなくした足を所在なさげに下ろし、苦笑を浮かべました。


 モルガンさんは2人のやり取りに気づかず――マーリンちゃんを自慢したい一心で――エルスさんに近づき、「可愛いでしょ」と見せびらかしました。


 幼子はエルスさんの顔を見るのが嫌で――母親を取られるのが嫌で――モルガンさんにしがみつき、首元に顔を埋めました。


 エルスさんは困り顔で幼子に挨拶し始めました。


「教導隊長とは、この頃から知り合いだったのか」


「まあね」


 セタンタ君の発言に対し、マーリンちゃんは肯定を返しました。


 頬を掻き、言葉を付け足しました。


「おかあさんと師匠は…………その……とっても、仲良しだったから」


 マーリンちゃんは手指をこすりあわせつつ、そう言いました。


 そう言ったマーリンちゃんの表情を見たセタンタ君は、微かに息を飲んだ後、「そうか」とこぼして視線をそらしました。


 そらした先にはモルガンさんと幼いマーリンちゃんがいました。


 エルスさんを家の中に招き入れたモルガンさんは、棚からカップを取り出しました。ただ、取り出されたカップは来客用のものではなく、使い古されながらも綺麗に磨かれたカップでした。


 それを使うのを見た幼子が、余計に表情を強張らせ、モルガンさんに抱きつく力を強める光景を見ました。猫の尻尾も絡め、強く抱きついていました。


「……師匠と初めて会うまで、用途のわからないものが色々あったんだよね。あのカップとか、歯ブラシ……とか」


「あー……」


「2人はとても仲が良かったんだと思う。節度あって大人しい人達だったから、ボクが見ているところでどうこうって事はなかったけどさ……。2人の間だけに流れる特別な空気があったんだ」


「…………」


「ボクはそれに直ぐ気づいた。んで、嫉妬しちゃった」


 間に割って入れるものでもないのにね、とこぼしたマーリンちゃんは何とも言い難い笑みを浮かべていました。


「嫉妬してる自分を第三者視点で見るのって、結構恥ずかしいね」


 モルガンさんがお茶を出した後も、幼いマーリンちゃんはモルガンさんの傍を離れませんでした。モルガンさんのお膝の上から離れませんでした。


 エルスさんの事を怖がりつつも――大好きなおかあさんを取られるのが嫌で――恐怖心を嫉妬心でねじ伏せ、ほっぺを「ぷくり」と膨らませてエルスさんを睨みつけていました。


 エルスさんの方は遠慮気味に幼子に接しました。


 モルガンさんの方は――2人の攻防に気づかず――上機嫌な様子でお茶の席を楽しんでいました。エルスさんにマーリンちゃんを紹介するのに夢中になっていました。


「師匠はボクが嫉妬してる事に気づいていても、指摘してきたりはしなかったんだよねー……。ただ、ボクと仲良くしようとはしてくれたりして……」


「母親の方はまったく気づいてなかったのにかー……」


「おっ、おかあさんは、ちょっと抜けてるとこあるだけだから。にぶちんなとこあるけど、皆に優しいから。……ま~、ガキンチョの時のボクは、その優しさを独占したいとか思ってたんだよね~……狭量だから~……」


 エルスさんはお茶会はそこそこにして帰ろうとしました。


 マーリンちゃんがひどく警戒している様子なので、気遣って帰ろうとしました。


 が、上機嫌なあまり、その辺の機微に気づけなかったモルガンさんに引き止められ、夕飯を一緒に食べる事になりました。


 それも、エルスさんが作る事になりました。


「マーリンも、エルス君の料理、楽しみにしててねっ。とっても美味しいから。ちょっと凝り性過ぎて時間はかかるけど」


「むぅ~……!」


「あはは……。お口に合うといいんだけど」


 エルスさんは慣れた様子で調理しました。


 人の家の台所だというのに、どこに何があるかよくわかっている様子でした。その事が幼子の神経に障りました。余計にほっぺを「ぷっくり」膨らませました。


 ただ、幼子は神経を尖らせすぎた所為で、疲れてしまいました。夕飯を食べた事で満腹にもなり、こっくりこっくりと船を漕ぐようになりました。


 モルガンさんに「もうねんねする?」と聞かれても、「やだっ」と言って起きてはまた船をこぐという事を繰り返していましたが――やがて「すぅすぅ」と眠り始めてしまいました。


 モルガンさんはマーリンちゃんをベッドに寝かしつけた後、微かな照明だけをつけ――お酒を出し――エルスさんとゆっくりとそれを飲み始めました。


 マーリンちゃんはハラハラした様子でそれを見守り始めました。


「あ゛ー! あ゛ーーーー! ぉ、おかあさんっ、目つきが『とろん』としてる……。ぼ、ボク相手には見せない、いやらしい顔つきになっちゃってるぅ……。おかあさんのあんな顔……み、見たくなかった……」


「嫌なら見るなよ……」


「あぁぁぁー……うぅぅぅぅぅー……」


 マーリンちゃんはオロオロしながら2人の様子を見守りました。


 セタンタ君の顔面にアイアンクローをキメながら目隠しをし、自分の口元に手を持っていってオロオロとしながら2人の様子をガン見しました。


 ただ、マーリンちゃんが危惧していたような事は始まらず――。


「これ見て~。マーリンが私を描いてくれたのっ」


「特徴がよく捉えられているね。観察眼が優れている子だ。色んな意味で……」


「ねっ、ねっ? そうでしょ? えへへ~っ……!」


 モルガンさんはお酒を飲みつつ、マーリンちゃんの描いた絵を自慢し始めました。のろけ話を語るように、養女の自慢を始めました。


「お前も愛されてるじゃねえか。ちゃんと」


「……うんっ」


 眩しい笑顔を浮かべ、愛娘の自慢をしているモルガンさんを見たマーリンちゃんは、はにかみました。


 モルガンさんとエルスさんの片手の手指が、絡むように繋がれている件に関しては黙認し、でれでれとした笑みを浮かべた母の様子を見守りました。


「……ボクの事も、愛してくれてたのなら……嬉しいなぁ」


「愛していたに決まって……。いや、愛しているに決まってんじゃねえか」


「うん……」


 モルガンさんが娘の自慢話を続け、エルスさんが穏やかな笑みを浮かべて相槌を打っていると、そこに「ふんふん」と鼻息荒く突撃してくる子がいました。


 幼いマーリンちゃんがベッドを飛び出し、突撃してきました。


 幼子が出てくると――さすがのモルガンさんも恥ずかしかったのか――慌てた様子でエルスさんと絡めていた指をほどきました。


「モルガンさんっ! ねんねっ! 夜ふかし、ダメだよっ!」


「あ、あらら~。マーリン、起きちゃった?」


「ねんねっ! ねんねっ!」


 ぷくぷくと頬を膨らませた猫系獣人の幼女がバタバタと走り回り、それを抱っこして捕まえた女魔術師があやす光景を、老魔術師は優しい目つきで見つめていました。


 しばし見つめた後、挨拶をして帰っていきました。


 モルガンさんは名残惜しそうな表情を見せましたが、幼子の方を優先しました。


「……ボク、おかあさんと師匠の邪魔ばっかりしてたんだ」


「…………」


「2人の付き合いは、ボクと出会うより前からのもので……。ボクじゃあ背伸びしても勝てっこないのにね。『大きくなったら、おかあさんと結婚する~!』とか言って、困らせたりもして……」


「邪魔だなんて、思われてねえよ」


 セタンタ君は本心からそう言いました。


 ただ、マーリンちゃんの養母への感情を危ういものだとも思っていました。


 幼いマーリンちゃんは、いつもモルガンさんにべったりとくっつくようになりました。その光景をセタンタ君は危ういものだと思いました。


 これはもう、懐くとかそういう次元のものじゃない。


 完全に依存している――そう考えました。


「セタンタも、ボクがおかあさんに『依存してる』って思った?」


 ぎこちのない笑みを浮かべた少女に対し、少年は否定の言葉を吐こうとしました。依存してるなんて思ってない、と言おうとしました。


 ですが、視線を泳がせた後、「ちょっとな」と言いました。


「まあでも、仕方ないだろ……。お前には、あの人が必要だったんだ」


「うん。でも、おかあさんにとってはどうかな?」


「同じだ」


「同じじゃないよ。ボクはおかあさんに助けてもらったけど、ボクはおかあさんのこと、なにも助けてあげられなかったもん。おかあさんにとって、ボクは絶対に必要な存在じゃないんだよ」


「ばか、子供相手にそんなもの、求められるはずがないだろ」


「でも、ボクはおかあさんの邪魔、いっぱいしてきたんだ」


 師匠エルスとの事だけじゃない。


 他にもいっぱい足を引っ張ってきた。


 少女はそう言い、景色が切り替わる中、モルガンさんの事を指差しました。


「おかあさん、いっつもボクと一緒にいてくれたんだ」


 少年少女が見ている過去の情景では、モルガンさんは常に家にいました。


 マーリンちゃんの事をずっと見守っていました。


「ボクひとりだと危なっかしくて、ボクがひとりでろくに留守番できなくて……怖がるから、ほとんどずっと一緒にいてくれた」


「…………」


「働き方だって変えなきゃいけなくなった。お金も……ずっと貯金を切り崩していた。それどころか、持ち物を手放す事だってあった」


 幼子は養母にすっかり依存していました。


 養母は幼子の心と身体を守るため、それまで続けていた仕事を辞めました。1人では育児と仕事を両立できなくなり、在宅で出来る事を始めました。


 ただ、在宅での仕事だけでは不十分でした。


 マーリンちゃんの言う通り、貯金を切り崩して生活していました。それでも、幼子相手にはつらい顔や悩んでいる顔は一切見せませんでした。


「親子なんだから、そんなの……」


「でもボク、おかあさんと血が繋がってないんだよ? 本当の子供じゃないのに、そこまでさせちゃったんだよ? 引き取った事、後悔してたかも……」


「そんなことねえよ……きっと」


 2人は書斎兼工房にいるモルガンさんの姿を眺めていました。


 外に働きに出れない分、隙間時間に作業をしていました。ただ、その隙間時間を見つけるのがなかなか難しい状態でした。


 幼子を昼寝させているうちに仕事しようにも、目覚めた幼子が傍にモルガンさんがいない恐怖から泣き叫び始め、慌ててあやしに行く光景が繰り広げられていました。昼に限らず、夜もそのような事がありました。


「おかあさんはとっても優秀な魔術師だったんだ」


 在宅で出来る仕事以外、断り始めたモルガンさんのところにはよく訪問客が来ました。なんとか都合をつけてくれないか、と頼みに来る人もいました。


 幼子がぷるぷると震え、壁の陰から見守る中、モルガンさんはぺこぺこと頭を下げ、申し訳無さそうに依頼を断り続けました。


「モルガンさん、カヨウ様にも気に入られているほど優秀でさ~……」


 ナス士族の長が直々に様子を見に来るほど、信頼されていました。


 仏頂面で威圧感を放っているカヨウさんが来ると、その気配を感じ取った幼子が机の下に隠れ、クッションをかぶって震え始めました。お尻は出しながら彼女なりに隠れているつもりでした。


「貴女が子供を引き取るなんて……何の気まぐれですか?」


「あはは……。まあ、ちょっと色々ありまして~」


 モルガンさんはナス士族の長相手でも物怖じせずに応対しつつ、ぬいぐるみを操作し、怯えている幼子をあやし始めました。


「いつまで育児に時間を取られているのですか。人を雇いなさい。いえ、ウチの士族に来なさい。保育のための人材も豊富にいます。貴女ほどの魔術師が子育てに時間を奪われるなど、バッカス王国の……いえ、世界の損失です」


「私はあの子にたっぷり愛情を注いであげたいんです。自分の手で……。少しでも長く、一緒にいてあげたいんです」


「……理解に苦しみます」


 カヨウさんは不機嫌そうに顔を歪めましたが、机の下から「びぇぇぇ……!」と泣き声が聞こえてくると、ちょっとギョッとしながら困り顔になりました。


「と……とにかくっ、ナス士族入りをよく検討しなさいっ! 待遇面に関してはここに記しておいたので、よく読んでおきなさい。質問や待遇交渉があったら私に直接問い合わせなさい。貴女が納得するまで付き合いますから」


 そう言い、資料を押し付けてそそくさと帰っていきました。


 その後も何度も足を運んできましたが――。


「マーリン、大丈夫。大丈夫よ。カヨウ様はそこまで怖い方じゃないから」


「びぇぇぇぇっ……! ひぃんっ……!」


「いつもイライラしてて、威圧感のある御方だけどね~……。あれで結構、エルス君に似て甘いところがあって……。あっ、あの人はエルス君の娘さんで――」


「わああああああああんっ!!」


「あぁぁぁ~……。な、泣かないで~……泣かないで、マーリン……」


 幼子は泣き叫びました。


 彼女は訪問してきた大人達の言葉を、魔術を使って聞き取っていました。


 キミの才能があんな子供の所為で腐っていくのは勿体ない。


 あんな子供なんて赤蜜園に預けてしまいなさい。口利きしてあげるから。


 正直に言えばいい。邪魔だろう、あの子。


 訪問者の中には、そう言ってくる大人達もいる事を知っていました。


 そう言われたモルガンさんは――さすがに表情を強張らせ、失礼な訪問客は追い払いました。在宅で出来る限りの手伝いはしましたが、幼子の影響で親交が断たれる事もしばしばありました。


 幼いマーリンちゃんの存在は、モルガンさんの生活を一変させました。


「ボクは、いっつもおかあさんの邪魔をしてたんだ」


 幼子は強い恐怖心を抱きました。


 大好きな母と2人で作る、2人だけの幸福な世界。


 それが薄氷の上に存在しているものだと考えていました。


 助けられたのは自分。


 母にとって、自分は絶対に必要な存在ではない。


 血も繋がっていない。


 繋がりがなければ、いつ捨てられてもおかしくない。


「やだっ、やだっ! やだぁっ!!」


「ま、マーリン……落ち着いて……」


「やだよぅっ! 捨てないでっ! 捨てないでぇっ……!」


「そんなこと、絶対にしない。……私は、貴女と……」


 モルガンさんは時折、言いよどみました。


 ずっと一緒よ――という言葉うそを言えず、言いよどみました。


 幼子は新たな恐怖心に突き動かされ、余計に依存し始めました。


「こわ……かったんだ……。また、捨てられるんじゃないかって……」


「…………」


「だから、余計におかあさんにベタベタし始めて……」


 幼子は1日の殆どを母の傍で過ごしました。


 母を繋ぎ止めるためには、よく見張っておくのが大事だと思いました。


「当然、それっておかあさんにとってスゴく邪魔なことで……」


 1人の時間が取れない。


 1日の多くを幼子に割かなければならない。


「ボクがいる所為で、おかあさんにいっぱい負担をかけた。お金のことだけじゃなくて、人間関係も壊した」


「関係を壊したのはお前じゃないよ。いつか壊れるような相手だったんだ」


 自分の存在に思い悩む少女を、少年は慰めました。


 ただ、幼子の事は慰める事も止める事も出来ませんでした。


 母との繋がりが希薄だと疑う幼子は、しばしば不安定になりました。


 自分が母の負担になっている事を自覚していたがゆえに――。



「ごめんなさい、ごめんなさぃっ……!」


「気に病む必要なんてないんだよ、マーリン……」


「生まれてきて、ごめんなさぃ……」


「そんなことない。貴女は生まれてきて良かったんだよ」


 くすんくすんと泣く幼子をベッドに寝かせ、女魔術師はその頭を撫でました。


「私のところに来てくれて、本当にありがとう……。血の繋がりなんかなくても、貴女は私の愛娘。とっても大事なかわいいネコちゃんだよ~……」


「ぅ、ぅぅーっ……」


 女魔術師は魔術を使い、幼子の精神を安定させていきました。


「お金の心配なんてしなくても大丈夫」


「でも……」


「嫌な大人の事も気にしないで。あの人達も、あの人達の考えがあるのだろうけど……私達の家族関係に口出しする権利なんてないもん」


「でも、でもっ……」


「嫌な人もいるけど、いい人もいるから。エルス君みたいに優しい人や、カヨウ様みたいに一見優しくないけど、性根はとっても優しい人もいるから」


「ぁ、あのおねえさん……こわいぃぃ……」


「うん、まあ、ね? ちょっと怖いところあるけど…………カヨウ様なんて裏から手を回して、家で出来る割の良いお仕事を回してくださってるから……。本人は『私は何もしてませんが?』とかしらばっくれてるけどね~……。99.9%ツンだけど、0.01%ぐらいツンの心を持ってるの」


「……よくわかんなぃ~……」


「ともかく、全然大丈夫ってことだよ~」


 モルガンさんは微笑みつつ、幼子の額にキスをしました。


 そして聞きました。


「楽しいことを考えましょう? 今日はどんな夢が見たい……?」


「……ボクが、大人になった夢……」


「え~? 子供って素敵なのに。大人って色々面倒だよ~?」


「で、でもっ、大人になったら……おかあさんの手伝い、できるかもっ……」


 苦笑するモルガンさんに対し、涙ぐんでいる幼子は言いました。


「おおきくなったら、モルガンさんのお仕事手伝うっ……」


「…………」


「ボク、いっぱい、やくにたつよ? もう、ジャマな子じゃなくなるよっ……。いっしょに、おしごとできたら……ずっと、いっしょに……」


「……そうだね」


 モルガンさんは努めて微笑み、幼子の顔を撫でました。


 まぶたを閉じさせ、魔術を使って眠りへといざないました。


「一緒にお仕事できたら、それはとっても素敵な事だね」


「がんばるから、捨てないで……。モルガンさん……ぼく、がんばる、から……。魔術、もっと、いっぱい……使えるように、なって……」


「……がんばらなくてもいいんだよ」


「ぁ、ぅ…………ぅぅ……」


 幼子は強制的に眠らされました。


 ただ、この日は何の夢も見ませんでした。


 モルガンさんは幼子に求められた夢を、見せる事が出来ませんでした。



「……おかあさん」


 マーリンちゃんは養母に近づきました。


 声をかけても届かなくても、声をかけずにはいられませんでした。


 養母の様子がおかしい事に気づきました。


 モルガンさんは幼子を寝かしつけた後、ふらふらと寝室を出ていきました。


 逃げるように書斎に向かい、そこに閉じこもり、うずくまりました。


「お、おかあさんっ……?」


「……んなさいっ……」


「えっ?」


「ごめんなさい、ごめんなさいっ……ごめんなさいっ……」


「ど、どうしたのっ……?」


 モルガンさんは口元を抑え、嗚咽を漏らしました。


 ぽろぽろと涙をこぼし、くぐもった声で謝罪の言葉を吐き続けました。


「……おかあさん、泣かないで……」


 少女は母の背を撫でました。


 その手がすり抜けてしまっても、撫でるように手を動かしました。


 そうしていると、母の姿が消えました。


 切り替わっていく周囲の景色と共に、自分と少年以外の全てが消失しました。



「また、時間が進むのか……?」


 少年は表情を強張らせ、少女の肩を抱き寄せました。


 今までと様子が違う事に気づき、周囲をよく警戒しました。



「今度はやけに長い――」


 長い長い変化が終わった後も、少年少女はモルガンさんの家にいました。


 ただ、場所は書斎からリビングへと移っていました。


 そこで繰り広げられる光景を見て、少女は再び顔面蒼白になりました。




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