楽しいパーティーのために
1人の少年が悲しみに暮れていても、氷船は再び海に出ていきました。
西方諸国北側航路に戻った氷船・アワクムは不調でした。
最初のティアマトとの遭遇による損壊は修理済み。ですが、エルスさんがティアマトにトドメを刺すためにアワクムのコアを使い、無理をさせた事で機関部に不調が発生していました。
航行不可能になるほどでは無いのですが、バッカス王国に帰ったら機関の分解点検修理を行わなければいけない状態になりました。
そうなる事は目に見えていたため、エルスさんにコアを使ってティアマトを凍らせるのは反対だと言っていた機関士さん達はカンカンでした。
エルスさんはペコペコと平謝りし、機関に負担をかけないためにも急ぎバッカスに帰るために尽力する事になりました。自身の魔術を使い、海水を操って船を押し、本来の速度より高速で航行させる事になりました。
そんなトラブルがありながらも船は予定された航路を進み始めました。
教導遠征だけではなく、集団亡命支援作戦も続行しつつ進みました。
再開した作戦は滞りなく進んでいきました。
亡命者達が待つ地域に辿り着いた作戦参加者達は、ティアマトの起こした混乱に乗じて素早く任務を遂行していきました。
バッカスに亡命する人々は今回の事件で――ティアマトが暴れた際にティアマト配下の魔物に殺されたと偽装し、逃す事になりました。
マティーニ北方で回収したティアマト配下の魔物の死体に必要な処置を施し、家屋等にも偽装のための破壊工作が一夜のうちに行われました。
最も難儀すると考えられていた「魂のラインメタル保管」に関しても、大きなトラブルは発生せずに終わりました。
一度死ぬ必要があるという事には難色を示す人も多かったのですが、ベオさんが説得に走りました。「若」「若様」と言い、ベオさんに敬愛の視線を向けた人々はベオさんの説得で従ってくれました。
夜陰に乗じ、航行中のアワクムに亡命者全員分の魂が収納されたラインメタルが積み込まれていきました。作戦参加者が拍子抜けするほどつつがなく作戦は進行しました。
「これ全部に人の魂が入ってるんだー……」
マーリンちゃんは船内に格納されたラインメタルの山を見上げ、そう言いました。
そして感嘆の息を漏らしつつ、そっとラインメタルに触りました。
その脇にいたエルスさんは「こら、突かない」と言ってマーリンちゃんの腕を掴み、余計な事をしないように咎めました。
マーリンちゃんは師にたしなめられ、口を尖らせました。「イタズラなんてしないのに」と言いつつ、ちょっぴりふてくされました。
「あ、そういえば全部のラインメタルは使わなかったんだよねぇ?」
「ええ。余裕を持って多めに持ってきましたから」
「じゃあ、2、3個ぐらいもらってもバレないよねー」
「やめなさい」
いたずらっぽい笑みを浮かべたマーリンちゃんは、師に頭を叩かれました。
ぺちんと叩かれてもあまり堪えていないマーリンちゃんは、腰に手を当て、再びラインメタルの山を見上げました。
船にどんな衝撃が走っても壊れないよう、厳重に保管された使用済みのラインメタルを見上げつつ、唸りました。
「でもホント、びっくりするほど上手くいったよねー」
「そうですね。一時はどうなる事かと思いましたが、集団亡命支援作戦は上手くいっていますね。バッカスに帰り着くまで成功とは言えませんが」
「ボク、もっと揉めると思った。騒乱者とかの横槍がなくてもね」
マーリンちゃんは、ふわりと浮かび上がりつつ、言葉を続けました。
「ラインメタルに収納されるって事は、一度死ぬって事じゃん。亡命者さん達もよくすんなりと了承したよね~」
「そこはベオ様の人徳ですね」
「ふーん……。さすがイイとこのお坊ちゃまと言うべきか……」
「そういう枠には収まらない方ですよ」
「上半身裸なのにね」
「マーリン、服装は人それぞれです」
エルスさんは「服装で人を判断してはいけません」「カンピドリオ士族など全裸ですよ」と言い、マーリンちゃんをたしなめました。
マーリンちゃんは師の言葉に頷き、「下半身隠しているだけまともなんだ」と納得しつつ、エルスさんに問いかけました。
「そーいえば師匠、バッカスに帰ったらどうするの?」
「…………」
「ボク、カヨウ様に『出頭してきなさい』って言われてんだよね。師匠も呼ばれてたよ? どーする? 何か話があるみたいだけど」
「うーん……」
「まあ師匠は仕事あるよねー。この作戦が終わっても、マティーニでやりあった騒乱者達の追跡とかやる予定なんでしょ?」
「そうですね……」
エルスさんは少しボンヤリとした様子でそう答えました。
「だよね。騎士様を連れ戻せてないもんね」
「はい。……彼女を今回の作戦に参加するよう推したのは私です。私が彼女を推薦していなければ、こんな事にはならなかった」
「師匠の責任じゃないって。悪いのは騒乱者。そうでしょ?」
マーリンちゃんは師の頭をポンポンと叩いた後、軽く撫でました。
「ボクも当然手伝うから、一緒に騎士様を助けよう!」
「カヨウ様に呼び出されているのでは?」
「うっ……! し、師匠も呼び出されているんだから、その師匠を手伝うためについていく以上は出頭できないのは仕方ないネ。師匠が責任取ってね」
「その言葉が彼女に通用すればいいですね」
「うぅー……! 通用しなさそ~……!」
「教導隊長。ちょっといいですか」
保管庫入り口の壁を「コンコン」と叩きつつ、機関士長が話しかけてきました。
エルスさんはちょっと表情を引きつらせつつ、おずおずと機関士長に近づき、不調のコアの件について話し合いを始めました。
マーリンちゃんは「一緒に怒られたくない!」と思い、さりげなくエルスさんから離れ、保管庫の中をフワフワと飛びました。
飛んでいると、同じく保管庫内にいた女性の姿を見つけました。
「エレイン様~」
「マーリンちゃん」
保管庫の一角を見つめ、黙っていたエレインさんはマーリンちゃんの呼びかけに応じて振り返りました。
そして、浮遊しているマーリンちゃんに手を差し伸べました。
差し伸べられた手を取ったマーリンちゃんは軽く引っ張られ、エレインさんの頭の上に覆いかぶさる姿勢で止まりました。
「なーに見てるの?」
「皆が欲しがっている物品ですよ」
エレインさんが視線を向けた先には、楽器のようなものがありました。
ただ、それは専用の保管器具に鎮座し、厳重に保管されていました。楽器用の保管器具というには巨大で物々しい保管器具に「ちょこん」と据えられていました。
これこそが、ベオさんが政府との取引に使った物品でした。
「これが神器かー……。なんか弦楽器みたいな形してるねー」
「見た目に惑わされてはいけませんよ。簡単に携帯できる形をしていますが、これ1つで戦況を変える力を持っているはずです」
神器専用の保管器に手を伸ばそうとしたマーリンちゃんに対し、エレインさんは手で制して下手に触らないように促しました。
「結局、敵はこれを奪いに来なかったわけですが――」
「マティーニの神器の方より、こっちの方が弱いのかな?」
「どうでしょうね。分野によると思いますよ。彼らが西方諸国を滅ぼすために動いていた以上、マティーニの神器の方が目的達成のために適していただけかもです」
エレインさんは「そもそも、先日戦った騒乱者達はこの神器の事を知らされていなかったかもですからね」と言いつつ、言葉を続けました。
「私達はこれを誰に奪われる事なく、持ち帰る必要があります」
「騒乱者達が奪いに来る可能性もあるもんね」
「それ以外の勢力も来るかもですよ。神器はそれだけ魅力的なものですから」
長年生きてきた中で、神器の猛威を体感した事もあるエレインさんはその力と価値を身にしみて理解していました。
目の前にある楽器に似た形をした神器の性能は、まだ完全には把握していないものの、凶悪な力を持っていてもおかしくないと考えていました。
神器は戦況を変えるだけの力がある。
バッカス王国内の勢力図すら書き換えかねない力を持っている。
騒乱者以外にも、バッカス国内の勢力が――例えばバッカスの国王の支配に不満を抱いた武闘派士族が――横取りしにやってくる危険性も考え、マーリンちゃんに「しっかり警戒して持ち帰りましょう」と言いました。
「私もランスロット君や教導隊長と交代で、神器の見張りにつきます」
「ボクもちょいちょいお手伝いするように言われてるよー」
「頼りにしていますよ」
「見張りの件は了解なんだけど、エレインさん、今夜は空いてるよね?」
マーリンちゃんは空中で逆立ちしつつ、エレインさんに問いかけました。
「宴会と称して、パリスをこっそり励ます会を開くんですけど」
「ほう、それはいいですね。ですが、大人の私が参加していいのですか?」
「いいよいいよ、全然いいよ~」
マーリンちゃんはセタンタ君達と話し合い、パリス少年のために――パリス少年のために開くという事は伏せつつ――ちょっとしたパーティーをやろうと企画していました。
美味しいものを食べれば少しぐらいは元気を出してくれるかもしれないと思い、準備を進めていました。
上の人に掛け合って食材を手配し、足りない食材は補充の護衛要員として船に乗り込んできたレムスさんと愉快な仲間達に任せていました。
参加者に声をかけて根回しもしていたマーリンちゃんは、エレインさんから快く参加を表明をもらったため、幹事のセタンタ君に連絡する事にしました。
『おーい! おーい、セタンタ~』
『おお、どうした。お前いま仕事中じゃねえのか?』
『へーきへーき。それよりエレインさんの参加が――』
少女は「決定したよ」と言おうとしました。
自身の交信魔術を使い、少年にそう伝えようとしました。
「――――」
伝えようとした瞬間、澄んだ音が少女の耳朶を叩きました。
「――――?」
少女は、目の前の神器が鳴り響いた事を知覚しました。
知覚した次の瞬間、意識が「ぶつん」と途切れ、気絶しました。